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第二部・風2
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「密会」
いつしか、メイとその不思議な少年は毎日の様にこっそりと、大樹で逢う様になった。
メイは自分が巫女だからといって、特別扱いせず普通に接してくれる少年に、友達以上の想いを抱く様になっていた。
だが、それは恋愛感情と呼ぶにはあまりに幼すぎ、また本人としても、その気持ちがどういった種類のものか、理解する事ができていない。
メイが少年の事を特別に思う様になっても、メイの巫女としての自覚は強く、少年に指一本触れさせる事はなかった。
また、少年もそれについては重々承知していて、暗黙のルールの元に二人は楽しい時を過ごしていた。
そのようにして、二人が出会ってから四年の年月が経った。
メイは十六歳になり誕生日の夜、――つまり今日の夜、成人の儀式を行う事になっていた。
「良かったね、メイ。今日で立派な巫女になれる」
少年が天使の微笑みをメイに向ける。少年は四年前に出会った時から、少しも変わっていないように見える。
「まぁ……ね」
少年の祝いの言葉に、メイはそっけない言葉を返す。
そして、目の前の空間を見詰めたまま、神殿の台所からくすねて来た焼き菓子をボリボリと音をたてて食べた。
四年の歳月は、メイを美しく成長させた。
幼い面影をまだ残してはいるものの、その顔は次第に少女として少しずつ変化していた。
四年前は肩のあたりだった髪も、今は腰のあたりまで大切に伸ばされている。手足はしなやかに伸び、胸元や腰のあたりも僅かながら女性らしいラインを描きつつあった。
美少女という特別な美しさではないが、その年頃の少女の不安定さや、全てに対して一途でひた向きな姿勢が、何よりも若々しい美しさを見せている。
艶やかな栗色の髪を無造作に掻き上げるメイに、少年はそっと尋ねる。
「……嬉しくない……?」
その言葉にメイは少し考えてから、言葉を選ぶ様にして慎重に答える。
「嬉しくない事はないよ。一人前になった、って認められるんだから。でも、今までの生活よりもっと窮屈で、束縛された生活に自分が耐えられるのか……それが分からない。いつかはそれに慣れちゃうんだと思う。でも、そうやって色んな事に慣れていって、妥協し続けていく事が、何となく『負けた』様に思えるから……ちょっと、複雑」
少年はメイの呟きに小さく笑う。
「淋しくなったらここにおいでよ。僕はいつでもここにいる。脱走はお手の物だろ?」
少年の言葉にメイは笑った。
そして、そして、小さく「ありがとう」と呟くと、メイと少年を隔てている幹に、そっと身を凭れかけた。
――心地良い静寂。
優しい静けさの中、メイは思う。
確かに、束縛に対しての辟易とした気持ちがあるのは確かだ。
だが自分はそれ以上に、ここに来られなくなる事――この少年に逢えなくなる事を恐れているのではないかと、心の底の部分で思った。
だが、その思いは水泡の様に儚く消える。
そういう想いについて深く考えるには、メイは恋というものを知らな過ぎた。
メイほどに純粋培養の人間も珍しい。
だが、それは雑多としたものから隔離されて初めて、存在する事が可能となるのだ。
奇しくも、清らかな巫女である身を保持するための決まり事が、メイを有り得ない程の純粋さに仕立て上げていた。作られた純粋とも言える。
だが、それが神殿という場所に隔離されたメイの全てだった。
いつまでもこのままでいたい――。
そう感じさせる穏やかな時間だった。だが、それも永遠ではない。
「あたし、そろそろ行かなきゃ」
メイが沈黙を破った。
まだ昼間で、夜の儀式までには十分時間があるのだが、主役であるメイには沢山の準備と役目があった。
衣装の合わせや、儀式の時に謳いあげる歌の復習。村人達から贈られる、祝いの品の受理。ほとんどが、ただそこに立っているだけなのだが、それも巫女であるメイがいなければ話にならない。
メイの言葉に少年は頷き、微笑んで言った。
「丘の途中まで送るよ」
いつも二人は大樹の上で別れていたが、その日は少年が途中まで送ってくれると言い、メイは特別な日に心から感謝した。
二人は大樹から慣れた様子で降りると、並んで歩き始める。
決して、不意に指先が触れ合ったりする事の無い距離だ。それでも、二人の間には手を繋いでいるかの様な親密さがあった。
不意に少年は言う。
「ねぇ、メイ。成人のお祝いのキス……駄目かな」
村には成人の日に、その人にとって一番大切な人からキスをもらうと、幸せになれるという言い伝えがあった。
どこにでもありそうな、ありふれた慣習である。だが、そういう普通でありふれたものの中にこそ、本当の幸せがあるとメイは思っている。
少年に言われ、メイは驚いて彼を見た。
ここまで一緒にいながら、自分が巫女だという事を彼が失念したのかと思ったからだ。
しかし違う。
少年は全てを理解している目をしていた。自分の申し出が断られる事を分かっていても、彼はそう言ったのだ。
「…………ありがとう。でも、駄目」
泣き出しそうなほど、少年の言葉がありがたかった。それでも、メイはきっぱりと断る。
「うん、いいよ」
メイの返事を分かっていたから、少年は笑って首を振る。
巫女であるが故に、メイは普通の少女達と同じ生き方をするなどできない。例え、それが本当に些細な事でも、だ。
それは皆が承知している事だ。だから、誰もメイを誘おうとしないし、むしろ何かをする時はメイの目を避ける様にしている。
メイのできない事を、彼女に見せ付けてはいけないという配慮なのだが、それはかえって彼女を傷付けていた。
自分が巫女だという事を痛いほど分かっていても、メイの本質はただの少女だ。
本に書いてあるような大恋愛をしたり、巫女は出る事を禁じられている村の外にも出たい。まして、好きな男の子からのキスを夢みない少女がいるだろうか。
少年は、行動する事は無理でも、メイに対して『自分は巫女ではない、ただの少女なのだ』という思いをさせてくれた。それだけで、メイは十分に幸せであった。
「じゃあ、ここらへんで……」
少年が言う。
ちょうど、別れる頃合いの場所まで来ていた。それよりも進めば、少年の存在を村の者に気付かれてしまう。
「うん。ありが――」
――ドスッ!
メイの言葉尻を、鈍い音が遮った。
重たく、強烈な意志を持った音。
それは、大地に重たい槍が突き刺さった音であった。
メイと少年の間を分かつ様に突き刺さったそれは、投げた者の腕力を示すかの様に、ビイィィン……と音をたててそこに存在していた。
そして、二人を包むのは圧倒的な敵意。
「っ!」
メイと少年は息を呑む。
丘の麓に、一人の少年が立っていた。村の少年だ。
年はメイや大樹の少年と大差ない。毎日の畑仕事によって浅黒く焼けた肌。引き締まった体。飾る事を知らぬその純朴な顔は、今厳しく強張っていた。
「メイ! ……誰なんだ? そいつ……」
怒りと不安。恐怖、悲しみの入り交じった少年の声がする。
その言葉の抑揚から、村の少年がメイの事を巫女と知りつつも、密かに想いを寄せていた事が伺い知れた。
少年の声から嫉妬がひしひしと感じられる。そして、それ以上に強烈な、『禁忌』を犯した巫女の存在への恐怖がある。
「私……この人は何も関係ない! 私達、指の一本すら……」
メイは何とか少年を説得しようと言葉を発するが、その言葉は不明瞭に途切れた。村の少年の背後、村の方から村人達がゆっくりとやって来るのを目にしたからだ。
「…………」
「どうして」と言わんばかりに村の少年を見詰めるメイに、彼は苦々しい声で言った。
「俺はずっと、お前の事を見てた。気付かない訳がないだろう?」
血を吐く様な少年の告白に、メイは「あぁ……」と小さな吐息を吐き、僅かに目を細める。
迂闊だった。
いくらお気に入りの場所に自分が行く事を分かっていても、あからさまに浮き足立っていれば、不信に思われても仕方が無い。
それでも、メイは気を付けていたつもりだった。だが、彼女の事を特別な目で見ている者にすれば、メイの注意力など何の役にも立たなかったのだ。
幼い頃から巫女という立場にあるメイに対して、少年は淡い恋心を抱いていた。
彼女がいつも神殿を抜け出して大樹に行っているのは随分以前から知っていたが、ここ数年になると、やけに嬉しそうに大樹に向かっていくのが気になった。
そして、恋する者の直感でメイが誰かと逢い引きでもしているのではないだろうかと、邪推する。
それとなく大樹を見張っていたが、メイが訪れる前に大樹に向かう者などいない。
この村で神木として扱われている大樹に木登りする度胸があるのは、メイぐらいだ。
年頃の少年がするべき仕事を放り出してメイと逢い引きしているならば、誰かが村でいなくなった少年を捜していてもいいものだ。それも、ない。
該当する者は誰一人としていないのだが、やはり大樹に向かうメイの姿は、神殿から抜け出してもどこにもいく所がないから向かう、という種類のものではなく、明らかに大樹に行く事を楽しみにしている。
だから、逢い引き説が物理的には否定されても少年の疑惑は晴れる事はなく、彼はメイを見続けていたのだ。
そして今日――。
メイをたぶらかしていた者が姿を現した。やはり、どの様にしていたのかは分からないが、逢い引きしていたのである。
「裏切られた」と、感じた。
それまでのメイの屈託の無い笑顔を、汚れの無い巫女の神聖なものとして心の奥に大切にしまっていた。だがそれが虚偽のものだと思うと、盲目にメイを信じていた自分が馬鹿らしく思える。
そして、少年は姪を憎む。
自分達を騙していた巫女(メイ)を、メイをたぶらかした見知らぬ少年を――。
その憎しみの底に、自分にメイの心が向けられなかった事を逆恨みしている気持ちがある。
少年はそれに気付いているのだろうか。
気付きつつも、敢えて無視をして全ての責任をメイと見知らぬ少年に向けているのだろうか。
とにかく、メイは男子に触れて『厄災』となった。
――大変だ。
「皆に知らせなければ」と思いつつ、やはり数年もメイを想い続けていた少年は『厄災』となった巫女が辿る運命を思うと、通告する事を躊躇った。
『厄災』になった巫女は処刑される。
清く美しいものの裏には、必ずと言っていい程に残虐な影が潜んでいるのだ。
綺麗なものは、ただ純粋に綺麗なもので成り立つという事は有り得ない。その逆もまた然り。
メイを失いたくない。だが……。
結局、少年は昔からの言い伝えというものを信じ、自分達の保身を考えて決断を下した。
仕方の無い事だ。まだ子供ともいえる十代の少年に、自分とその家族を含めた村の者全員の安全と、たった一人の巫女の命のどちらかを取るか、など愚問だろう。
メイを連れて逃げる勇気や度胸は少年にはなかったし、メイをたぶらかした見知らぬ少年を、このままのさばらせて置きたくもなかった。
あの少年には与えられるべき罰を与えるべきだ。
嫉妬から湧き起こる歪んだ憎しみが、悲劇を作り出した。
「…………逃げて」
メイは前を向いたまま、小さな声で隣に立っている大切な少年に告げる。
「…………」
少年はメイの呟きに、哀しげに目を細める。
恐怖と不安を纏った村人達が近付いて来る。彼らの目は極度の恐怖のために血走っている。それを見て芽衣の背に嫌な汗が伝った。
彼らの手にした武器――農具がたてる、カチャカチャという音が迫って来る。
「早く!」
メイが叫んだ。
それに触発されたかの様に、二人をゆっくりと包囲しようとしていた村人達が、恐怖とも鬨(とき)の声ともつかぬ声をあげて一気に襲いかかって来た。
「逃げてええええええぇぇぇぇっ!」
メイの絶叫が尾を引き、村人達の引き攣った怒声が飛び交う。
聞こえるのは少女の痛々しい悲鳴、歪んだ哄笑、罵倒する声――。
視界が反転し、大地に叩き付けられてグラグラする視界一杯に、抜ける様な青空が映った。
――土の匂いがする。
遅れて体を襲う痛みを感じ、耐え難い心の痛みも覚える。
頭上で村人達が何か言っているが、それを言葉として理解する事が出来ない。
一際大きな声が、朗々と響いた。
「災いをもたら者には死を!」
いつしか、メイとその不思議な少年は毎日の様にこっそりと、大樹で逢う様になった。
メイは自分が巫女だからといって、特別扱いせず普通に接してくれる少年に、友達以上の想いを抱く様になっていた。
だが、それは恋愛感情と呼ぶにはあまりに幼すぎ、また本人としても、その気持ちがどういった種類のものか、理解する事ができていない。
メイが少年の事を特別に思う様になっても、メイの巫女としての自覚は強く、少年に指一本触れさせる事はなかった。
また、少年もそれについては重々承知していて、暗黙のルールの元に二人は楽しい時を過ごしていた。
そのようにして、二人が出会ってから四年の年月が経った。
メイは十六歳になり誕生日の夜、――つまり今日の夜、成人の儀式を行う事になっていた。
「良かったね、メイ。今日で立派な巫女になれる」
少年が天使の微笑みをメイに向ける。少年は四年前に出会った時から、少しも変わっていないように見える。
「まぁ……ね」
少年の祝いの言葉に、メイはそっけない言葉を返す。
そして、目の前の空間を見詰めたまま、神殿の台所からくすねて来た焼き菓子をボリボリと音をたてて食べた。
四年の歳月は、メイを美しく成長させた。
幼い面影をまだ残してはいるものの、その顔は次第に少女として少しずつ変化していた。
四年前は肩のあたりだった髪も、今は腰のあたりまで大切に伸ばされている。手足はしなやかに伸び、胸元や腰のあたりも僅かながら女性らしいラインを描きつつあった。
美少女という特別な美しさではないが、その年頃の少女の不安定さや、全てに対して一途でひた向きな姿勢が、何よりも若々しい美しさを見せている。
艶やかな栗色の髪を無造作に掻き上げるメイに、少年はそっと尋ねる。
「……嬉しくない……?」
その言葉にメイは少し考えてから、言葉を選ぶ様にして慎重に答える。
「嬉しくない事はないよ。一人前になった、って認められるんだから。でも、今までの生活よりもっと窮屈で、束縛された生活に自分が耐えられるのか……それが分からない。いつかはそれに慣れちゃうんだと思う。でも、そうやって色んな事に慣れていって、妥協し続けていく事が、何となく『負けた』様に思えるから……ちょっと、複雑」
少年はメイの呟きに小さく笑う。
「淋しくなったらここにおいでよ。僕はいつでもここにいる。脱走はお手の物だろ?」
少年の言葉にメイは笑った。
そして、そして、小さく「ありがとう」と呟くと、メイと少年を隔てている幹に、そっと身を凭れかけた。
――心地良い静寂。
優しい静けさの中、メイは思う。
確かに、束縛に対しての辟易とした気持ちがあるのは確かだ。
だが自分はそれ以上に、ここに来られなくなる事――この少年に逢えなくなる事を恐れているのではないかと、心の底の部分で思った。
だが、その思いは水泡の様に儚く消える。
そういう想いについて深く考えるには、メイは恋というものを知らな過ぎた。
メイほどに純粋培養の人間も珍しい。
だが、それは雑多としたものから隔離されて初めて、存在する事が可能となるのだ。
奇しくも、清らかな巫女である身を保持するための決まり事が、メイを有り得ない程の純粋さに仕立て上げていた。作られた純粋とも言える。
だが、それが神殿という場所に隔離されたメイの全てだった。
いつまでもこのままでいたい――。
そう感じさせる穏やかな時間だった。だが、それも永遠ではない。
「あたし、そろそろ行かなきゃ」
メイが沈黙を破った。
まだ昼間で、夜の儀式までには十分時間があるのだが、主役であるメイには沢山の準備と役目があった。
衣装の合わせや、儀式の時に謳いあげる歌の復習。村人達から贈られる、祝いの品の受理。ほとんどが、ただそこに立っているだけなのだが、それも巫女であるメイがいなければ話にならない。
メイの言葉に少年は頷き、微笑んで言った。
「丘の途中まで送るよ」
いつも二人は大樹の上で別れていたが、その日は少年が途中まで送ってくれると言い、メイは特別な日に心から感謝した。
二人は大樹から慣れた様子で降りると、並んで歩き始める。
決して、不意に指先が触れ合ったりする事の無い距離だ。それでも、二人の間には手を繋いでいるかの様な親密さがあった。
不意に少年は言う。
「ねぇ、メイ。成人のお祝いのキス……駄目かな」
村には成人の日に、その人にとって一番大切な人からキスをもらうと、幸せになれるという言い伝えがあった。
どこにでもありそうな、ありふれた慣習である。だが、そういう普通でありふれたものの中にこそ、本当の幸せがあるとメイは思っている。
少年に言われ、メイは驚いて彼を見た。
ここまで一緒にいながら、自分が巫女だという事を彼が失念したのかと思ったからだ。
しかし違う。
少年は全てを理解している目をしていた。自分の申し出が断られる事を分かっていても、彼はそう言ったのだ。
「…………ありがとう。でも、駄目」
泣き出しそうなほど、少年の言葉がありがたかった。それでも、メイはきっぱりと断る。
「うん、いいよ」
メイの返事を分かっていたから、少年は笑って首を振る。
巫女であるが故に、メイは普通の少女達と同じ生き方をするなどできない。例え、それが本当に些細な事でも、だ。
それは皆が承知している事だ。だから、誰もメイを誘おうとしないし、むしろ何かをする時はメイの目を避ける様にしている。
メイのできない事を、彼女に見せ付けてはいけないという配慮なのだが、それはかえって彼女を傷付けていた。
自分が巫女だという事を痛いほど分かっていても、メイの本質はただの少女だ。
本に書いてあるような大恋愛をしたり、巫女は出る事を禁じられている村の外にも出たい。まして、好きな男の子からのキスを夢みない少女がいるだろうか。
少年は、行動する事は無理でも、メイに対して『自分は巫女ではない、ただの少女なのだ』という思いをさせてくれた。それだけで、メイは十分に幸せであった。
「じゃあ、ここらへんで……」
少年が言う。
ちょうど、別れる頃合いの場所まで来ていた。それよりも進めば、少年の存在を村の者に気付かれてしまう。
「うん。ありが――」
――ドスッ!
メイの言葉尻を、鈍い音が遮った。
重たく、強烈な意志を持った音。
それは、大地に重たい槍が突き刺さった音であった。
メイと少年の間を分かつ様に突き刺さったそれは、投げた者の腕力を示すかの様に、ビイィィン……と音をたててそこに存在していた。
そして、二人を包むのは圧倒的な敵意。
「っ!」
メイと少年は息を呑む。
丘の麓に、一人の少年が立っていた。村の少年だ。
年はメイや大樹の少年と大差ない。毎日の畑仕事によって浅黒く焼けた肌。引き締まった体。飾る事を知らぬその純朴な顔は、今厳しく強張っていた。
「メイ! ……誰なんだ? そいつ……」
怒りと不安。恐怖、悲しみの入り交じった少年の声がする。
その言葉の抑揚から、村の少年がメイの事を巫女と知りつつも、密かに想いを寄せていた事が伺い知れた。
少年の声から嫉妬がひしひしと感じられる。そして、それ以上に強烈な、『禁忌』を犯した巫女の存在への恐怖がある。
「私……この人は何も関係ない! 私達、指の一本すら……」
メイは何とか少年を説得しようと言葉を発するが、その言葉は不明瞭に途切れた。村の少年の背後、村の方から村人達がゆっくりとやって来るのを目にしたからだ。
「…………」
「どうして」と言わんばかりに村の少年を見詰めるメイに、彼は苦々しい声で言った。
「俺はずっと、お前の事を見てた。気付かない訳がないだろう?」
血を吐く様な少年の告白に、メイは「あぁ……」と小さな吐息を吐き、僅かに目を細める。
迂闊だった。
いくらお気に入りの場所に自分が行く事を分かっていても、あからさまに浮き足立っていれば、不信に思われても仕方が無い。
それでも、メイは気を付けていたつもりだった。だが、彼女の事を特別な目で見ている者にすれば、メイの注意力など何の役にも立たなかったのだ。
幼い頃から巫女という立場にあるメイに対して、少年は淡い恋心を抱いていた。
彼女がいつも神殿を抜け出して大樹に行っているのは随分以前から知っていたが、ここ数年になると、やけに嬉しそうに大樹に向かっていくのが気になった。
そして、恋する者の直感でメイが誰かと逢い引きでもしているのではないだろうかと、邪推する。
それとなく大樹を見張っていたが、メイが訪れる前に大樹に向かう者などいない。
この村で神木として扱われている大樹に木登りする度胸があるのは、メイぐらいだ。
年頃の少年がするべき仕事を放り出してメイと逢い引きしているならば、誰かが村でいなくなった少年を捜していてもいいものだ。それも、ない。
該当する者は誰一人としていないのだが、やはり大樹に向かうメイの姿は、神殿から抜け出してもどこにもいく所がないから向かう、という種類のものではなく、明らかに大樹に行く事を楽しみにしている。
だから、逢い引き説が物理的には否定されても少年の疑惑は晴れる事はなく、彼はメイを見続けていたのだ。
そして今日――。
メイをたぶらかしていた者が姿を現した。やはり、どの様にしていたのかは分からないが、逢い引きしていたのである。
「裏切られた」と、感じた。
それまでのメイの屈託の無い笑顔を、汚れの無い巫女の神聖なものとして心の奥に大切にしまっていた。だがそれが虚偽のものだと思うと、盲目にメイを信じていた自分が馬鹿らしく思える。
そして、少年は姪を憎む。
自分達を騙していた巫女(メイ)を、メイをたぶらかした見知らぬ少年を――。
その憎しみの底に、自分にメイの心が向けられなかった事を逆恨みしている気持ちがある。
少年はそれに気付いているのだろうか。
気付きつつも、敢えて無視をして全ての責任をメイと見知らぬ少年に向けているのだろうか。
とにかく、メイは男子に触れて『厄災』となった。
――大変だ。
「皆に知らせなければ」と思いつつ、やはり数年もメイを想い続けていた少年は『厄災』となった巫女が辿る運命を思うと、通告する事を躊躇った。
『厄災』になった巫女は処刑される。
清く美しいものの裏には、必ずと言っていい程に残虐な影が潜んでいるのだ。
綺麗なものは、ただ純粋に綺麗なもので成り立つという事は有り得ない。その逆もまた然り。
メイを失いたくない。だが……。
結局、少年は昔からの言い伝えというものを信じ、自分達の保身を考えて決断を下した。
仕方の無い事だ。まだ子供ともいえる十代の少年に、自分とその家族を含めた村の者全員の安全と、たった一人の巫女の命のどちらかを取るか、など愚問だろう。
メイを連れて逃げる勇気や度胸は少年にはなかったし、メイをたぶらかした見知らぬ少年を、このままのさばらせて置きたくもなかった。
あの少年には与えられるべき罰を与えるべきだ。
嫉妬から湧き起こる歪んだ憎しみが、悲劇を作り出した。
「…………逃げて」
メイは前を向いたまま、小さな声で隣に立っている大切な少年に告げる。
「…………」
少年はメイの呟きに、哀しげに目を細める。
恐怖と不安を纏った村人達が近付いて来る。彼らの目は極度の恐怖のために血走っている。それを見て芽衣の背に嫌な汗が伝った。
彼らの手にした武器――農具がたてる、カチャカチャという音が迫って来る。
「早く!」
メイが叫んだ。
それに触発されたかの様に、二人をゆっくりと包囲しようとしていた村人達が、恐怖とも鬨(とき)の声ともつかぬ声をあげて一気に襲いかかって来た。
「逃げてええええええぇぇぇぇっ!」
メイの絶叫が尾を引き、村人達の引き攣った怒声が飛び交う。
聞こえるのは少女の痛々しい悲鳴、歪んだ哄笑、罵倒する声――。
視界が反転し、大地に叩き付けられてグラグラする視界一杯に、抜ける様な青空が映った。
――土の匂いがする。
遅れて体を襲う痛みを感じ、耐え難い心の痛みも覚える。
頭上で村人達が何か言っているが、それを言葉として理解する事が出来ない。
一際大きな声が、朗々と響いた。
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