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『こま希』にて 編

お祖母ちゃんちに突撃したら?

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 聞いている私もじんわりと涙を浮かべてしまい、マスカラが滲んでしまわないように、そっと指で涙を拭う。

「……だから、姉さんとあかりちゃんが事故に遭ったと聞いて、信じられなかった。……信じたくなかった。あれだけ精神的にズタズタになった姉さんが、やっとささやかな幸せを得られたというのに、どうして死なないといけないのかって」

 ちえりさんは涙で歪んだ声で言い、小牧さんに差しだされたティッシュボックスを受け取る。

「でも尊くんが生きていると知って、希望は残されたと思ったわ。私たちは何があっても彼を支え、守っていくと誓った。……お母さんは姉さんとあかりちゃんの遺影を見て、何を思ったでしょうね。無表情でお通夜に参加したあと、告別式には出なかったわ。私と兄さんは告別式にも出て、……亘さんと連絡先を交換した。……正直、全力で理性を総動員させないと、亘さんを責めて罵ってしまいそうになった。でも小さい尊くんの前で、それだけはしてはいけないと自分に言い聞かせたわ」

 速水家の他の人たちは、この話をすでに聞かされていたようで、皆視線を落として黙っていた。

「……そのあと、尊の事は亘さんに任せた。尊の篠宮家での立場を思うと、私が自分のところに引き取って養子にしたい気持ちでいっぱいだった。だが亘さんは尊の実の父親だ。彼が父親として一緒に暮らすと言えば、私たちにとれる手段はない」

 やっぱり、速水家の方々は尊さんを大切に思ってくれていたんだ。

 そう思い、彼が本当の意味で〝速水尊〟になれていたら、今頃どんな人生を歩んでいただろう……と想像した。

 私とは会わなかっただろう。

 宮本さんと別れる事もなかったと思うし、勤め先の自由を奪われる事もなかっただろう。

 でも、尊さんは……。

 私は向かいに座っている彼をチラリと見る。

 尊さんは私を見て、優しく微笑みかけてきた。

(私の知っている尊さんなら、『今は幸せだからそれでいい』って言う)

 彼に直接尋ねなくても、答えは分かっている。

 けれどその言葉の裏に、沢山の苦しみと悲しみが潜んでいるのが分かっている。

 そう思うと、ポコポコとあぶくのように強い感情が浮き上がってきた。

 ――彼を幸せにしたい。

 静かに微笑んだ尊さんを見つめたまま、私はツゥ……ッと涙を流した。

「泣くなよ」

 尊さんは私を見てクスッと笑い、手を伸ばして涙を拭う。

 それから彼は、皆のほうを見て言った。

「随分〝可哀想な子〟になってるけど、いま俺は朱里と皆のお陰で幸せだから、そんな悲観的にならなくていいよ」

 今までのズンと暗い空気を払うような明るい声を聞き、皆の表情が少し緩む。

「確かに母や妹の死で継母を憎んだし、父がどっちつかずの行動をとらなければ、こんな事にはならなかったと思う。でも俺は生まれてしまったし、生まれた以上は望まれた子として、母と妹のぶんも幸せに生きていきたい」

 彼の前向きで綺麗な言葉を聞き、私はまた涙を流す。

 尊さんはまるで、蓮華のようだ。

 水面上で綺麗な花を咲かせている蓮華の茎や根は、泥に覆われている。

 尊さんは汚い感情がある事を認めた上で、なるべくそれを見せず善く在ろうとしている。

 この世は確かに苦しみに満ちているだろう。

 けれどその中で泥にまみれて藻掻き、なお光を求めて進もうと決意した人にだけ見える、理想の世界があるのかもしれない。

 見ようとしない人は一生気づけないけれど、気づいた尊さんには、ささやかな幸せとこれから目指すべき幸せな未来が見えているんだから。

 吹っ切れた表情の尊さんを見て、洟をかんだちえりさんは微笑む。

「……こんないい子に育ったんだから、お母さんに会わせてあげたいんだけどね」

「『会いたくない』って言っているんですか?」

 尋ねると、彼女は微妙な表情で答える。

「どうかしらね。姉さんが亡くなって葬儀が行われて、尊くんも篠宮家に引き取られたあと、しばらく私たちは尊くんに関わらずに過ごしてきた。亘さんから成長記録を受け取っていたものの、彼が二十歳の時に偶然会うまでは、『会いたい』って言い出せずにいたの」

 確かその頃は、尊さんが怜香さんの一存で篠宮フーズに勤めると決められ、自暴自棄になっていた時だ。

「十年間、私たちは尊くんにノータッチで過ごし、そのあいだ速水家で彼の話題が出る事はなかった。そうしているうちに、なんとなくタブーになってしまったのよ。だから今さら言えずにいるというか……」

「じゃあ、皆で尊くんを守りつつ、お祖母ちゃんちに突撃したら?」

 小牧さんがあっけらかんと言い、ちえりさんはブフッとビールに噎せる。
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