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恵 編

うまく〝擬態〟できてるでしょ

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(ろくに心の準備ができないまま、恵と話す事になっちゃった)

 私はなんとも言えない感情になったまま、トイレに入ったタイミングで尊さんにメッセージを送っておく事にした。

【ちょっと流れで、恵と話す事になりました。会社での騒ぎから……なんだけど、きっと尊さんの事を話すと思います。すべてを話す訳じゃないけど、言ったら駄目な事とかあったら教えてください】

 すぐに返事はこないだろうから、メッセージを送ったあと、すぐにフロアに戻る。

 席につく前、チラッと恵を見るといつも通りに仕事をして、企画書を作っていた。

(気まずくなったらやだな……)

 私は心の中で溜め息をつき、気持ちを切り替えて仕事に戻った。



**



 十八時を過ぎてから、私と恵は退勤した。

〝いつもの店〟は会社から歩いてすぐなので、十八時半の予約でも十分間に合う。

 エレベーターに乗る前にトイレに行き、個室の中で尊さんからメッセージがないか確認する。

【いってらっしゃい。事情を説明する役が必要だったら、召喚してくれ】

(ふふっ、召喚って)

 トイレの個室にいるというのに、声を出して笑ってしまいそうになった。

「お待たせ」

 個室から出ると恵に声を掛け、手を洗ってリップを直す。

「ん、行こっか」

 恵はいつも通りの表情で言い、先に歩き始めた。





 いつもと変わりない会話をしながら会社から歩き、件の肉バルに入る。

 席に案内されてコートを脱ぎ、水を飲んでからドリンクメニューを開いた。

「シャンディーガフにしよー」

「私はビール」

 決めたあとにオーダーし、さて……、という雰囲気になる。

「朱里、ここのリゾット好きだから頼むでしょ? あとはいつもの牛のカルパッチョとトリュフのオムレツ」

「うんうん」

 恵が食べ物の話題を振ってくれたので、私は前のめりになってメニューを覗き込む。

 いつものように相談して、あとはシーザーサラダとジェノベーゼも頼む事にした。

「かんぱーい」

 飲み物が運ばれてきたあとにフードメニューのオーダーをし、恵とグラスを合わせる。

 シャンディーガフは、ビールとジンジャーエールを混ぜたものだ。

 ビール単体より、混ぜたほうがスイスイ飲めるので好きだ。

「はぁ……」

 私の向かいで喉を鳴らしてビールを飲んだ恵は、テーブルの上にグラスを置いてから私を見る。

 その大きな目を見て、ドキッとした。

 恵は格好いい。学生の時はショートヘアだったのもあり、かなりボーイッシュだった。

 でも今はサラッとした前髪なしの前下がりボブに、顔立ちに似合うコスメを使ってしっかりメイクをし、できる女感が出ている。

 今日もマスタードイエローのニットに、ネイビーのタックパンツを穿いていて、ビシッと決まっている。

「……恵、学生時代から比べて、随分綺麗になったよね」

 思わずそう言うと、彼女はニヤッと笑った。

「うまく〝擬態〟できてるでしょ」

 キスの件以降、彼女とその手の話はあまりしなかった。

 思い上がりでなく恵がまだ私を大切に思ってくれているなら、デリケートな話題だからこそ、あまり口にしたくないのかもしれない。

 私はなんて言ったらいいか分からず、言葉を選ぼうとする。

 困った顔をしていたからか、恵は諦めたように苦笑いした。

「速水部長と何かあった? ……篠宮さんから、私の事を聞いた?」

 その、今にも脆く崩れ去ってしまいそうな表情を見て、私はとっさに両手で恵の手を握った。

「……行かないで」

 そんな言葉が漏れたのは、今日の話し合いが終わったあと、恵が私の前から姿を消してしまいそうな感覚が襲ってきたからだ。

「どこにも行かないよ。私は朱里の側にいたいんだから」

 恵は優しい声で言い、私の頭を撫でる。

「…………っ」

 やっぱりなんて言ったらいいか分からなくて、私は彼女を見つめたままポロッと涙を零した。
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