88 / 417
尊の過去 編
世の中捨てたもんじゃない
しおりを挟む
怜香が俺を憎む気持ちは理解できる。
それでもこれまでの数々の仕打ちは『ここまでやるか?』と思うほどで、毒親なんて可愛い言葉では済まされない。
けれどそれを叔母に言うのは憚られた。
ずっと気にかけ続けてくれたこの人は、完全な善意で俺を心配してくれている。
俺が怜香に『死ねばいいのに』と日常的に言われているとか、今後の人生を支配した上で、一生掛けて復讐されようとしている……など言えない。
もし叔母がそれを知れば、父や怜香に抗議する可能性がある。
それでどうなる?
怜香の俺への当たりはますます強くなり、父と秘密裏に連絡をとっていたと知られれば、速水家の中で叔母の立場が悪くなるかもしれない。
――迷惑は掛けたくない。
そう思った俺は、努めて平気なふりをして微笑んだ。
『大丈夫です。うまくやれています』
『……そう?』
叔母は気遣わしげな視線で、確認するように見つめてくる。
俺は改めて彼女を見て、今度は心の底から笑った。
『本当にありがとうございました。偶然の出会いでしたが、お会いできて良かったです。ちえり叔母さんが俺を覚えてくれていたから、今日助けてもらえたのだと思います』
『どう致しまして。本当にずっと気に掛けていたのよ』
彼女の言葉を聞き、不覚にも泣いてしまいそうになる。
篠宮家に引き取られてから、俺はずっと家族の愛情や温かさを知らず、誰かに心配される事もなかった。
無償の愛を注いでくれる存在はもういない。
肉親の愛情を永遠に失ったと思っていたのに、意識していないところで俺を想ってくれている人に出会った。
しかも、母にそっくりな女性が俺の心配してくれている。
――それだけでいい。
――これ以上のものを求めたらいけない。
俺は自分に言い聞かせ、久しぶりに安らいだ気持ちで微笑んだ。
『もし良かったら、たまに会いに来てもいいですか?』
『勿論よ! 今度は夫と娘がいる時に来てちょうだい。皆で食事をしましょう』
即答してくれた叔母に、心底感謝を覚える。
〝実家〟は身の置き場がなかったのに、家族以外の人の家に来てこんなにも安堵している。
(皮肉なもんだな……)
心の中で自嘲しつつも、叔母と話していると、荒れ狂っていた気持ちがかなり安らいだのに気づいた。
叔母の存在を知っただけで『世の中捨てたもんじゃない』と思える。
――世の中には、まだ俺の事を必要としてくれている人がいる。
それだけの事が、こんなにも心をしっかり支えてくれる。
――頑張ってみよう。
――飼い殺しの環境でも、なんとか生きていけるはずだ。
視線を落とすと、母の声が脳裏に蘇った。
《豊かさはお金だけじゃない。一日に一つは〝良かった〟と思える事を探して、自分は幸せだと思っていくのよ。そうしたら幸せ貯金ができて、尊は〝幸せな人〟になれる。心が幸せな事が、豊かな事なの》
(分かったよ、母さん)
俺は心の中で母に返事をし、そっと息を吐く。
しばし目を閉じて気持ちを入れ替えたあと、俺は篠宮フーズで生きていく覚悟を決めた。
『ありがとうございます、ちえり叔母さん』
吹っ切れたからか、叔母は俺の表情を見て少し安心したようだった。
『今日、せっかくだから泊まっていく?』
『お気遣いありがとうございます。ですが今日は遠慮しておきます。そのうち落ち着いた頃、また改めて伺います』
『そう。じゃあその時を楽しみにしているわね』
俺はゆっくり立ち上がり、自分の体調を確認する。
――大丈夫だ。
自分に向かって心の中で頷き、ゴーサインを出す。
『ではそろそろ、おいとまします』
『これ、持っていってくれる?』
叔母が渡してきたのは、赤坂駅近くにあるピアノ教室の名刺だ。
『ありがとうございます。そのうちご連絡しますね』
俺はそれをポケットにしまい、部屋から出る。
玄関で靴を履き、叔母に笑いかけた。
『本当にありがとうございました。必ず、またご連絡します』
『待っているわ。また倒れないようにね』
『はい』
玄関のドアを開けると、ムワッとした夏の暑さが襲ってきた。
数時間前までは、すべてに絶望して歩き、この暑さで身が焼けてしまえばいいと思っていたが、今は少し違う。
(……悪くない)
小さく笑った俺は、叔母に頭を下げた。
それでもこれまでの数々の仕打ちは『ここまでやるか?』と思うほどで、毒親なんて可愛い言葉では済まされない。
けれどそれを叔母に言うのは憚られた。
ずっと気にかけ続けてくれたこの人は、完全な善意で俺を心配してくれている。
俺が怜香に『死ねばいいのに』と日常的に言われているとか、今後の人生を支配した上で、一生掛けて復讐されようとしている……など言えない。
もし叔母がそれを知れば、父や怜香に抗議する可能性がある。
それでどうなる?
怜香の俺への当たりはますます強くなり、父と秘密裏に連絡をとっていたと知られれば、速水家の中で叔母の立場が悪くなるかもしれない。
――迷惑は掛けたくない。
そう思った俺は、努めて平気なふりをして微笑んだ。
『大丈夫です。うまくやれています』
『……そう?』
叔母は気遣わしげな視線で、確認するように見つめてくる。
俺は改めて彼女を見て、今度は心の底から笑った。
『本当にありがとうございました。偶然の出会いでしたが、お会いできて良かったです。ちえり叔母さんが俺を覚えてくれていたから、今日助けてもらえたのだと思います』
『どう致しまして。本当にずっと気に掛けていたのよ』
彼女の言葉を聞き、不覚にも泣いてしまいそうになる。
篠宮家に引き取られてから、俺はずっと家族の愛情や温かさを知らず、誰かに心配される事もなかった。
無償の愛を注いでくれる存在はもういない。
肉親の愛情を永遠に失ったと思っていたのに、意識していないところで俺を想ってくれている人に出会った。
しかも、母にそっくりな女性が俺の心配してくれている。
――それだけでいい。
――これ以上のものを求めたらいけない。
俺は自分に言い聞かせ、久しぶりに安らいだ気持ちで微笑んだ。
『もし良かったら、たまに会いに来てもいいですか?』
『勿論よ! 今度は夫と娘がいる時に来てちょうだい。皆で食事をしましょう』
即答してくれた叔母に、心底感謝を覚える。
〝実家〟は身の置き場がなかったのに、家族以外の人の家に来てこんなにも安堵している。
(皮肉なもんだな……)
心の中で自嘲しつつも、叔母と話していると、荒れ狂っていた気持ちがかなり安らいだのに気づいた。
叔母の存在を知っただけで『世の中捨てたもんじゃない』と思える。
――世の中には、まだ俺の事を必要としてくれている人がいる。
それだけの事が、こんなにも心をしっかり支えてくれる。
――頑張ってみよう。
――飼い殺しの環境でも、なんとか生きていけるはずだ。
視線を落とすと、母の声が脳裏に蘇った。
《豊かさはお金だけじゃない。一日に一つは〝良かった〟と思える事を探して、自分は幸せだと思っていくのよ。そうしたら幸せ貯金ができて、尊は〝幸せな人〟になれる。心が幸せな事が、豊かな事なの》
(分かったよ、母さん)
俺は心の中で母に返事をし、そっと息を吐く。
しばし目を閉じて気持ちを入れ替えたあと、俺は篠宮フーズで生きていく覚悟を決めた。
『ありがとうございます、ちえり叔母さん』
吹っ切れたからか、叔母は俺の表情を見て少し安心したようだった。
『今日、せっかくだから泊まっていく?』
『お気遣いありがとうございます。ですが今日は遠慮しておきます。そのうち落ち着いた頃、また改めて伺います』
『そう。じゃあその時を楽しみにしているわね』
俺はゆっくり立ち上がり、自分の体調を確認する。
――大丈夫だ。
自分に向かって心の中で頷き、ゴーサインを出す。
『ではそろそろ、おいとまします』
『これ、持っていってくれる?』
叔母が渡してきたのは、赤坂駅近くにあるピアノ教室の名刺だ。
『ありがとうございます。そのうちご連絡しますね』
俺はそれをポケットにしまい、部屋から出る。
玄関で靴を履き、叔母に笑いかけた。
『本当にありがとうございました。必ず、またご連絡します』
『待っているわ。また倒れないようにね』
『はい』
玄関のドアを開けると、ムワッとした夏の暑さが襲ってきた。
数時間前までは、すべてに絶望して歩き、この暑さで身が焼けてしまえばいいと思っていたが、今は少し違う。
(……悪くない)
小さく笑った俺は、叔母に頭を下げた。
45
お気に入りに追加
817
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
【R-18】悪役令嬢ですが、罠に嵌まって張型つき木馬に跨がる事になりました!
臣桜
恋愛
悪役令嬢エトラは、王女と聖女とお茶会をしたあと、真っ白な空間にいた。
そこには張型のついた木馬があり『ご自由に跨がってください。絶頂すれば元の世界に戻れます』の文字が……。
※ムーンライトノベルズ様にも重複投稿しています
※表紙はニジジャーニーで生成しました
王太子の子を孕まされてました
杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。
※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。
男友達を家に入れたら催眠術とおもちゃで責められ調教されちゃう話
mian
恋愛
気づいたら両手両足を固定されている。
クリトリスにはローター、膣には20センチ弱はある薄ピンクの鉤型が入っている。
友達だと思ってたのに、催眠術をかけられ体が敏感になって容赦なく何度もイかされる。気づけば彼なしではイけない体に作り変えられる。SM調教物語。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる