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尊の過去 編
速水尊から篠宮尊へ
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その時、俺は混乱しながらも何となく理解してしまった。
――この〝おじさん〟は本当の父親かもしれない。
――でも母は何かしらの理由で、〝おじさん〟とは結婚しなかった、できなかったんだ。
そんな発想に至ったのは、小学校に通い始めて様々な友人と話す機会があり、〝家庭の事情〟を知っていったからだ。
まだ小学生低学年だったし、周りは〝大人の事情〟がどういう事かを分かっていない子供ばかりだ。
だからこそ、無邪気に『うちってこうなんだよ』と話す事がある。
俺は物心ついた時から自分には父親がいない自覚があったからこそ、〝おじさん〟が俺たち家族に申し訳なさを感じて、こっそりとうちに通っているのだと気づいてしまった。
『おじさんがお父さんなら、どうしてうちで暮らさないの? お父さんは働いているんでしょ? お父さんが家にいたら、お母さんはあんなに働かなくてもいいんじゃないの?』
子供に正論をぶつけられ、父は何も言えずにいた。
それもそうだ。〝家〟に帰れば妻と息子がいるなんて、〝息子〟の前で言えないだろう。
ようやく手懐けられそうになったのに、そんな事実を伝えたらどれだけ嫌われるか分からない。
母は『おじさんに近づいたら駄目』とは言わなかった。
何とも言えない微妙な表情で俺と〝おじさん〟が話す姿を見守り、〝おじさん〟が帰る頃になるとあからさまに安堵していた。
母としても、どう捉えたらいいのか分からずにいたんだろう。
恐らく母は、不倫相手扱いされても父を愛していた。
でも父が既婚者なのは知っているし、自分が〝子供を産んでしまった不倫相手〟だとも自覚している。
かつての自分が想像しなかった存在となり、父が姿を現すたびに屈辱的な気持ちになっていただろう。
それでも、母はあのどうしようもない男を愛していた。
俺が『どうしてうちにはお父さんがいないの?』と言っていた事もあり、本当の父親と話す機会を与えられたら……と思ってうちに上げていた可能性もある。
どうにせよ、母は哀れで愚かな女だ。
その挙げ句、娘ともども篠宮怜香に殺されてしまったんだから、どうしようもない。
父は母に、十分な生活費以外にも、学費も含めたそれなりの金額を送金していた。
本来ならそこそこ裕福な生活ができたのだろうが、母は他人の金を浪費する事を好まなかった。
まず自分で掛け持ちして働き、どうしても足りない時は父から受け取った金で補填した。
あとはまるまる、俺と妹のために貯金していた。
父は母とあかりが亡くなったあとも、母から俺名義に変わった口座に金を送り続けている。
想い人と娘への、せめてもの罪滅ぼしと思っていたんだろう。
または送金する事で、亡くなった母とあかりとの繋がりを得たかったのかもしれない。
『尊、君のお母さんと妹はいなくなった。私は君の父親だ。……これから一緒に暮らさないか? 本当の家族になろう』
母とあかりを喪ったあと、病院で茫然自失としていた俺に父が話しかけてきた。
『……母さんとあかりを助けてくれなかったくせに……!』
荒みきった俺は、十歳と思えない憎悪を燃やし父親を睨む。
『……私の事はどれだけ憎んでも構わない。……私に遺されているのは尊だけなんだ。だから、せめて形だけでも〝父親〟の役を与えてくれ』
父は病院のベッドの側で床に膝をつき、十歳の子供に向けて頭を下げる。
俺は精神的に荒れ狂った状態で赤坂にある篠宮家へ連れて行かれ、――あの女と風磨に出会う。
『怜香、風磨。この子は尊。私の息子だ。今日からこの家で一緒に暮らす事になる。仲良くしてやってくれ』
玄関で父が二人に俺の事を紹介した時、あの女は凍り付きそうな目で俺を睨み、何も言わずに踵を返した。
『……よろしく、尊くん。……僕は風磨』
人のいいお坊ちゃんの風磨だって、納得しきれない思いがあっただろうが、とりあえず挨拶をして握手を求めてくれた。
けどその時の俺は誰にも心を開く事ができず、兄貴の手を握る事ができなかった。
沈黙し、地蔵のように固まっている俺を見て、風磨は困ったように手をさまよわせ――下ろす。
『悪い事をしたな』と心の奥底で、ほんの少し思った。
でも、当時の俺は傷付きまくって、誰かを思いやる余裕はまったくなかった。
『…………畜生……!』
広い部屋を自室として宛がわれ、立派なベッドに突っ伏す。
どんな豪邸に住めるとしても、美味い物を食べられるとしても、母と妹がいないなら意味がない。
おまけにその後、通っていた学校からも転校する事になり、心を開ける相手がいないまま少年時代を過ごす事になった。
――この〝おじさん〟は本当の父親かもしれない。
――でも母は何かしらの理由で、〝おじさん〟とは結婚しなかった、できなかったんだ。
そんな発想に至ったのは、小学校に通い始めて様々な友人と話す機会があり、〝家庭の事情〟を知っていったからだ。
まだ小学生低学年だったし、周りは〝大人の事情〟がどういう事かを分かっていない子供ばかりだ。
だからこそ、無邪気に『うちってこうなんだよ』と話す事がある。
俺は物心ついた時から自分には父親がいない自覚があったからこそ、〝おじさん〟が俺たち家族に申し訳なさを感じて、こっそりとうちに通っているのだと気づいてしまった。
『おじさんがお父さんなら、どうしてうちで暮らさないの? お父さんは働いているんでしょ? お父さんが家にいたら、お母さんはあんなに働かなくてもいいんじゃないの?』
子供に正論をぶつけられ、父は何も言えずにいた。
それもそうだ。〝家〟に帰れば妻と息子がいるなんて、〝息子〟の前で言えないだろう。
ようやく手懐けられそうになったのに、そんな事実を伝えたらどれだけ嫌われるか分からない。
母は『おじさんに近づいたら駄目』とは言わなかった。
何とも言えない微妙な表情で俺と〝おじさん〟が話す姿を見守り、〝おじさん〟が帰る頃になるとあからさまに安堵していた。
母としても、どう捉えたらいいのか分からずにいたんだろう。
恐らく母は、不倫相手扱いされても父を愛していた。
でも父が既婚者なのは知っているし、自分が〝子供を産んでしまった不倫相手〟だとも自覚している。
かつての自分が想像しなかった存在となり、父が姿を現すたびに屈辱的な気持ちになっていただろう。
それでも、母はあのどうしようもない男を愛していた。
俺が『どうしてうちにはお父さんがいないの?』と言っていた事もあり、本当の父親と話す機会を与えられたら……と思ってうちに上げていた可能性もある。
どうにせよ、母は哀れで愚かな女だ。
その挙げ句、娘ともども篠宮怜香に殺されてしまったんだから、どうしようもない。
父は母に、十分な生活費以外にも、学費も含めたそれなりの金額を送金していた。
本来ならそこそこ裕福な生活ができたのだろうが、母は他人の金を浪費する事を好まなかった。
まず自分で掛け持ちして働き、どうしても足りない時は父から受け取った金で補填した。
あとはまるまる、俺と妹のために貯金していた。
父は母とあかりが亡くなったあとも、母から俺名義に変わった口座に金を送り続けている。
想い人と娘への、せめてもの罪滅ぼしと思っていたんだろう。
または送金する事で、亡くなった母とあかりとの繋がりを得たかったのかもしれない。
『尊、君のお母さんと妹はいなくなった。私は君の父親だ。……これから一緒に暮らさないか? 本当の家族になろう』
母とあかりを喪ったあと、病院で茫然自失としていた俺に父が話しかけてきた。
『……母さんとあかりを助けてくれなかったくせに……!』
荒みきった俺は、十歳と思えない憎悪を燃やし父親を睨む。
『……私の事はどれだけ憎んでも構わない。……私に遺されているのは尊だけなんだ。だから、せめて形だけでも〝父親〟の役を与えてくれ』
父は病院のベッドの側で床に膝をつき、十歳の子供に向けて頭を下げる。
俺は精神的に荒れ狂った状態で赤坂にある篠宮家へ連れて行かれ、――あの女と風磨に出会う。
『怜香、風磨。この子は尊。私の息子だ。今日からこの家で一緒に暮らす事になる。仲良くしてやってくれ』
玄関で父が二人に俺の事を紹介した時、あの女は凍り付きそうな目で俺を睨み、何も言わずに踵を返した。
『……よろしく、尊くん。……僕は風磨』
人のいいお坊ちゃんの風磨だって、納得しきれない思いがあっただろうが、とりあえず挨拶をして握手を求めてくれた。
けどその時の俺は誰にも心を開く事ができず、兄貴の手を握る事ができなかった。
沈黙し、地蔵のように固まっている俺を見て、風磨は困ったように手をさまよわせ――下ろす。
『悪い事をしたな』と心の奥底で、ほんの少し思った。
でも、当時の俺は傷付きまくって、誰かを思いやる余裕はまったくなかった。
『…………畜生……!』
広い部屋を自室として宛がわれ、立派なベッドに突っ伏す。
どんな豪邸に住めるとしても、美味い物を食べられるとしても、母と妹がいないなら意味がない。
おまけにその後、通っていた学校からも転校する事になり、心を開ける相手がいないまま少年時代を過ごす事になった。
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