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尊の傷 編
悲しい事があったんですか?
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人は物凄いショックを受けた時、つい口が開いてしまうのはどうしてだろう。
私は目を見開いて口も開けたまま、彼から少し離れたところで立ち止まってしまった。
でも部長は私に気づかず、周りを気にせず嗚咽している。
どうやら泥酔しているみたいで、私は自分の上司のそんな姿を見て「うわああ……」とドン引きしてしまった。
(……でも、何かあったんだろうか。普段の部長から、人前で醜態をさらすイメージはない。よっぽどの事があったんだろうか。それに仏花って……)
私だって父を亡くした時、世界が終わったような感覚に陥った。
中学一年生のあの時から、私の人生は大きく変わったと言っていい。
だから、他人にも相応のドラマがあったとしても驚かない。
(このまま他人のフリをして通り過ぎるのは簡単だ。誰にだってできる)
けど、嘆き悲しんでいる部長を前にして、どうしても無視する事はできなかった。
私自身、最も絶望していた時に、見知らぬ人に救われた事はあったからだ。
それに優しい父が生きていたなら、知らない人でも声を掛けて助けるに決まっている。
(タクシーに乗せて家に送るぐらいなら)
そう決めた私は、ゆっくりと部長に近づいた。
すぐ側にしゃがんでも、彼は私に気づかず嗚咽していた。
『部長、もう十二月になるんですから、風邪ひきますよ』
あーあ、せっかくの綺麗な顔、グシャグシャにして……。
私は溜め息をつき、バッグからポケットティッシュを出す。
『ほら、部長。洟拭いて』
ティッシュを広げて二つ折りにすると、トントンと彼の目元を拭い、高い鼻を摘まむようにして洟を拭く。
泥酔した人の介抱なんてまっぴら御免だけど、どうしてか部長相手だとそれほど抵抗はなかった。イケメンの成せる技か……。
『……悲しい事があったんですか?』
彼の顔を覗き込んで尋ねると、うつろだった部長の目に微かな光が宿る。
『あかり……』
そして彼は、震える唇を動かして私の名前を呼び、抱き締めてきた!
(えええええええ!?)
私は無言で目を見開き、体を硬直させて驚愕する。
『あかり……っ、すまない……っ』
部長は私を誰かと間違えているようで……、いや、でも私の名前を呼んでいて!?
とにかく、上司に抱き締められるなんて思ってもみなかったから、何が何だか分からない。
『もぉ……』
しょうがないな、と思いながら、私はおずおずと部長を抱き締め返し、ポンポンと彼の背中を叩いた。
『立てますか? 家まで送ります』
私は彼に肩を貸し、一緒に立つ。
『っと……』
彼は細身でスラッとした印象だけれど、体重が掛かるとかなりズシッとくる。
よろけかけたところを踏ん張り、私は部長を支えて地上に戻った。
そして4b出口前タクシー乗り場で並び、ようやく彼を後部座席に押し込んだ。
『部長、家はどこですか?』
『……みた……』
『見た?』
私が首を傾げた時、運転手さんが『三田ですね』と返事をして車を発進させた。
後部座席で部長はぐったりと私に寄りかかり、手を握って離さない。
(これ、絶対に誰かと勘違いしてるな。あかりって名前の恋人? ……っていうか……)
そこまで考え、私はいまだ部長が持っている花束をチラッと見た。
どう見ても仏花だ。
でも花は散っているし茎も折れている。
(何があったの? お墓参りに行ったけど、何かがあった? 〝あかり〟さんは亡くなった恋人?)
考えても分かる訳がなく、そのうち私は彼の事情を想像するのを諦めて、窓の外を見た。
(私もお父さんを亡くした時、周りが見えなくなるほど絶望していたな。飛び降りようとした事もあったっけ)
父を亡くした直後、私は夜に橋から飛び降りようとした。
その時、通りすがりの人に助けられ、怒られて励まされ、もう少し頑張ってみようかと思った出来事があったけど……。
ワイドショーや週刊誌、ネットでは有名人がどうこうと、視聴者の興味を引くためのニュースが流れている。
それを見ると特別な人にだけ、物凄い出来事があるように思える。
でも私たち一般人にだって、一人一人に物凄いドラマがある。
私は目を見開いて口も開けたまま、彼から少し離れたところで立ち止まってしまった。
でも部長は私に気づかず、周りを気にせず嗚咽している。
どうやら泥酔しているみたいで、私は自分の上司のそんな姿を見て「うわああ……」とドン引きしてしまった。
(……でも、何かあったんだろうか。普段の部長から、人前で醜態をさらすイメージはない。よっぽどの事があったんだろうか。それに仏花って……)
私だって父を亡くした時、世界が終わったような感覚に陥った。
中学一年生のあの時から、私の人生は大きく変わったと言っていい。
だから、他人にも相応のドラマがあったとしても驚かない。
(このまま他人のフリをして通り過ぎるのは簡単だ。誰にだってできる)
けど、嘆き悲しんでいる部長を前にして、どうしても無視する事はできなかった。
私自身、最も絶望していた時に、見知らぬ人に救われた事はあったからだ。
それに優しい父が生きていたなら、知らない人でも声を掛けて助けるに決まっている。
(タクシーに乗せて家に送るぐらいなら)
そう決めた私は、ゆっくりと部長に近づいた。
すぐ側にしゃがんでも、彼は私に気づかず嗚咽していた。
『部長、もう十二月になるんですから、風邪ひきますよ』
あーあ、せっかくの綺麗な顔、グシャグシャにして……。
私は溜め息をつき、バッグからポケットティッシュを出す。
『ほら、部長。洟拭いて』
ティッシュを広げて二つ折りにすると、トントンと彼の目元を拭い、高い鼻を摘まむようにして洟を拭く。
泥酔した人の介抱なんてまっぴら御免だけど、どうしてか部長相手だとそれほど抵抗はなかった。イケメンの成せる技か……。
『……悲しい事があったんですか?』
彼の顔を覗き込んで尋ねると、うつろだった部長の目に微かな光が宿る。
『あかり……』
そして彼は、震える唇を動かして私の名前を呼び、抱き締めてきた!
(えええええええ!?)
私は無言で目を見開き、体を硬直させて驚愕する。
『あかり……っ、すまない……っ』
部長は私を誰かと間違えているようで……、いや、でも私の名前を呼んでいて!?
とにかく、上司に抱き締められるなんて思ってもみなかったから、何が何だか分からない。
『もぉ……』
しょうがないな、と思いながら、私はおずおずと部長を抱き締め返し、ポンポンと彼の背中を叩いた。
『立てますか? 家まで送ります』
私は彼に肩を貸し、一緒に立つ。
『っと……』
彼は細身でスラッとした印象だけれど、体重が掛かるとかなりズシッとくる。
よろけかけたところを踏ん張り、私は部長を支えて地上に戻った。
そして4b出口前タクシー乗り場で並び、ようやく彼を後部座席に押し込んだ。
『部長、家はどこですか?』
『……みた……』
『見た?』
私が首を傾げた時、運転手さんが『三田ですね』と返事をして車を発進させた。
後部座席で部長はぐったりと私に寄りかかり、手を握って離さない。
(これ、絶対に誰かと勘違いしてるな。あかりって名前の恋人? ……っていうか……)
そこまで考え、私はいまだ部長が持っている花束をチラッと見た。
どう見ても仏花だ。
でも花は散っているし茎も折れている。
(何があったの? お墓参りに行ったけど、何かがあった? 〝あかり〟さんは亡くなった恋人?)
考えても分かる訳がなく、そのうち私は彼の事情を想像するのを諦めて、窓の外を見た。
(私もお父さんを亡くした時、周りが見えなくなるほど絶望していたな。飛び降りようとした事もあったっけ)
父を亡くした直後、私は夜に橋から飛び降りようとした。
その時、通りすがりの人に助けられ、怒られて励まされ、もう少し頑張ってみようかと思った出来事があったけど……。
ワイドショーや週刊誌、ネットでは有名人がどうこうと、視聴者の興味を引くためのニュースが流れている。
それを見ると特別な人にだけ、物凄い出来事があるように思える。
でも私たち一般人にだって、一人一人に物凄いドラマがある。
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