上 下
1 / 27

はじまり

しおりを挟む
 その神は、最後になるかもしれない力で、誰かの願いを叶えたいと思っていた。

 その小さな神は長い年月の間、珍しく自分を求めに来てくれた人間の願いを叶えてきた。

 けれど、とても人里遠い場所にその神体はあったので、その神を知る者はほとんどいなかったのだ。

 いま、その神は力を小さくし、儚い存在となっている。

 けれど、あともう一人の願いぐらいなら叶えられる。

 ――足音が聞こえた。

 苦しそうに息を乱し、時折りキョロキョロと道を確認しながら近づいてくるのは、無垢な乙女の気配。

 ――あぁ、あの子は私を求めてくれている。

 そう理解した神は、自分が『最期』に人の願いを叶えて消えられるだろうことに、感謝した。



**



「本当に……、こっちで合っているのかしら? 本当の聖域って隠された場所にあると言うけれど、これでは本当に……」

 ――ただの山道。

 そうぼやこうとして、アリアは口を閉ざした。

 これから自分は藁をもすがる気持ちで神にすがろうとしている。

 それなのに、その神にケチをつけるような言い方をすれば、どうなるか分からない。

「きっとこれも試練なんだわ」

 呟きなおし、アリアはサファイアのような目にぐっと強い光を灯す。

 美しい黒髪も、いまは動きやすいようにまとめてある。

 一応ドレスを着てはいるものの、それも動きやすいもの。

 王宮のパーティーに参加する時のように、下にファウンデーションをまとわない質素なものだ。

 伯爵令嬢だというのに、下手をすればどこかの村長の娘……ぐらいに見られてしまってもおかしくない。

 誇りある貴族の娘であるアリアがそこまで求めているのは、鬱蒼とした山の奥にあるという隠された聖域だった。

 ヒールのない歩きやすい靴でしめやかな腐葉土を踏みつつ、アリアは苦い思い出を思い出していた。



**



「アリアって、本当に滅多にお目にかかれないほどの美女なのに、どうしてか男運がないわよね」

 はじまりは親友のフェリシアの、何気ない一言だった。

 それは、結婚したてのフェリシアの新婚生活の話を聞こうと、いつもつるんでいる令嬢同士で集まったお茶会の時。

 彼女の言葉に、アリアだけではなく周囲の友人までもがシン……としてしまった。

「や、やぁねぇフェリシア。アリアはそのうちとっても素敵な人と結ばれるのよ? そのためにアリアはいま……その。試練……のような状態なのよ」

 別の友人がすぐにフォローするが、アリアは笑顔のまま固まっていた。

 ――男運がない。
 ――試練の時。

 今まで自分のことをそう思ったことはなかった。

 ほんわりと生きてきたアリアは、自分の周りで友人たちが結婚をしたり、素敵な男性と縁ができたという報告を笑顔で聞いていた。

 自分もいつかそういう風になるのだと、信じて疑っていなかったのである。

 当たり前のように特定の男性といい仲になったことはなく、ダンスを踊る以上の関係になったこともない。

「私もいつか、幸せになるんだわ」

 舞踏会で足を休めるために壁の花になっていた時、クルクルとワルツを踊る男女を眺めてそう思っていた。

 そのなかに、悲観的な思いは微塵もなかったのだ。

 それが今――。

 何気ない友人の言葉で、天地がひっくり返ったような状態になっている。

「あっ、ご、ごめんね!? そういう意味で言ったんじゃないのよ。本当に美人で優しくて、私たちの自慢の友人なのに、浮いた話がなくて不思議だなって思っただけなの」

 フェリシアも自分が失言をしたと自覚し、慌てて言い直す。

「う……、ううん? 別に気にしていないし構わないわ」

 透き通るようで、この世のものとも思えない美しい笑顔――は、この時ばかりは引きつっていたかもしれない。

「そうよ。アリアは私たちの大事なお友達なんだから。そうそう簡単な男性に取られたらかなわないわ」

 また別の令嬢が言い、残りがうんうんと頷く。

 彼女たちだって、自分たちの大事な親友に早く幸せになってほしい。

 いつも集まる五人のグループで、既婚者はフェリシアで二組目。

 残る二人も結婚がちらほら見えているような、いい付き合いをしている。

 そんな中で、アリアだけが舞踏会やお茶会に行っては手ぶらで帰る……の繰り返しなのだ。

(もしかして……。これは焦るべき時なのかしら……?)

 動揺を隠すように優雅に紅茶を一口飲み、アリアは考え込む。

 彼女たちがお茶をしているのは、貴族専用サロンの個室だ。

 王都の上流階級街の一角にあるそこは、令嬢たちのたまり場とも言われている。

「そうだわ、いいことを考えたわ。ここでのお茶が終わったら、街で有名な占い師にアリアの未来を見てもらわない?」

 栗毛の令嬢はそう言ったあとに「もしかしたら、アリアはその美貌で誰かからの恨みを買って、呪いをかけられているかもしれないし」という言葉を呑み込んだ。

 同じようなことを考えた令嬢も、他にいたらしい。すぐに友人たちはうんうんと力強く頷く。

「えっ? 占い師? 私あまりそういうの信じて……」

 アリアが驚くと、友人たちは示し合わせたかのようにアリアに占いを勧める。

「いいから、いいから」

「遊び半分のつもりでいいのよ。いいことを言われたら信じる、悪いことを言われたら信じない。占いなんてそんな程度でいいの」

「薔薇の君のロザリア嬢がいるじゃない? 彼女も有名な占い師のアドバイスに従って、あのすてきな式までたどり着いたという噂よ?」

「へぇ……、そうなの? 初耳だわ」

 記憶に新しいのは、社交界の華と呼ばれていた令嬢。

 彼女の結婚は大勢の男性に涙を流させた。

 同時にライバルが減って喜ぶ女性もいたのだが……。

 引く手あまただった彼女がたった一人を選んだ。

 それも注目すべき点だし、その相手がこのリファリア王国の王子のいとこ――、侯爵であることも話題にのぼった。

 いずれ彼女の夫は公爵位を継ぎ、彼女は幸せを約束されている。

 身分の高い貴族と結ばれるのは、この社交界の令嬢たちの一番の目的だ。

 燃え上がるような恋もすてきだけれど、その先にあるのはやはり結婚。

「私たち、本当にアリアにはすてきな人と結ばれてほしいの」

「そうよ。あなたみたいにとっても美人なのに、それを鼻にかけず性格もいい子。私たちはお友達として自慢でならないの」

「そうそう。だからアリアが私たち全員に認められる、掛け値なしのいい男性と結ばれるまで協力するわ!」

 親友たちは息巻いてうなずき合い、当事者であるアリア一人がその熱についていけない。

(……とりあえず、私の男性運がない……。ということだけは理解したわ)

 心の中でつぶやき、アリアはぼんやりと焼きメレンゲを口にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

時戻りのカノン

臣桜
恋愛
将来有望なピアニストだった花音は、世界的なコンクールを前にして事故に遭い、ピアニストとしての人生を諦めてしまった。地元で平凡な会社員として働いていた彼女は、事故からすれ違ってしまった祖母をも喪ってしまう。後悔にさいなまれる花音のもとに、祖母からの手紙が届く。手紙には、自宅にある練習室室Cのピアノを弾けば、女の子の霊が力を貸してくれるかもしれないとあった。やり直したいと思った花音は、トラウマを克服してピアノを弾き過去に戻る。やり直しの人生で秀真という男性に会い、恋をするが――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...