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はじまり
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その神は、最後になるかもしれない力で、誰かの願いを叶えたいと思っていた。
その小さな神は長い年月の間、珍しく自分を求めに来てくれた人間の願いを叶えてきた。
けれど、とても人里遠い場所にその神体はあったので、その神を知る者はほとんどいなかったのだ。
いま、その神は力を小さくし、儚い存在となっている。
けれど、あともう一人の願いぐらいなら叶えられる。
――足音が聞こえた。
苦しそうに息を乱し、時折りキョロキョロと道を確認しながら近づいてくるのは、無垢な乙女の気配。
――あぁ、あの子は私を求めてくれている。
そう理解した神は、自分が『最期』に人の願いを叶えて消えられるだろうことに、感謝した。
**
「本当に……、こっちで合っているのかしら? 本当の聖域って隠された場所にあると言うけれど、これでは本当に……」
――ただの山道。
そうぼやこうとして、アリアは口を閉ざした。
これから自分は藁をもすがる気持ちで神にすがろうとしている。
それなのに、その神にケチをつけるような言い方をすれば、どうなるか分からない。
「きっとこれも試練なんだわ」
呟きなおし、アリアはサファイアのような目にぐっと強い光を灯す。
美しい黒髪も、いまは動きやすいようにまとめてある。
一応ドレスを着てはいるものの、それも動きやすいもの。
王宮のパーティーに参加する時のように、下にファウンデーションをまとわない質素なものだ。
伯爵令嬢だというのに、下手をすればどこかの村長の娘……ぐらいに見られてしまってもおかしくない。
誇りある貴族の娘であるアリアがそこまで求めているのは、鬱蒼とした山の奥にあるという隠された聖域だった。
ヒールのない歩きやすい靴でしめやかな腐葉土を踏みつつ、アリアは苦い思い出を思い出していた。
**
「アリアって、本当に滅多にお目にかかれないほどの美女なのに、どうしてか男運がないわよね」
はじまりは親友のフェリシアの、何気ない一言だった。
それは、結婚したてのフェリシアの新婚生活の話を聞こうと、いつもつるんでいる令嬢同士で集まったお茶会の時。
彼女の言葉に、アリアだけではなく周囲の友人までもがシン……としてしまった。
「や、やぁねぇフェリシア。アリアはそのうちとっても素敵な人と結ばれるのよ? そのためにアリアはいま……その。試練……のような状態なのよ」
別の友人がすぐにフォローするが、アリアは笑顔のまま固まっていた。
――男運がない。
――試練の時。
今まで自分のことをそう思ったことはなかった。
ほんわりと生きてきたアリアは、自分の周りで友人たちが結婚をしたり、素敵な男性と縁ができたという報告を笑顔で聞いていた。
自分もいつかそういう風になるのだと、信じて疑っていなかったのである。
当たり前のように特定の男性といい仲になったことはなく、ダンスを踊る以上の関係になったこともない。
「私もいつか、幸せになるんだわ」
舞踏会で足を休めるために壁の花になっていた時、クルクルとワルツを踊る男女を眺めてそう思っていた。
そのなかに、悲観的な思いは微塵もなかったのだ。
それが今――。
何気ない友人の言葉で、天地がひっくり返ったような状態になっている。
「あっ、ご、ごめんね!? そういう意味で言ったんじゃないのよ。本当に美人で優しくて、私たちの自慢の友人なのに、浮いた話がなくて不思議だなって思っただけなの」
フェリシアも自分が失言をしたと自覚し、慌てて言い直す。
「う……、ううん? 別に気にしていないし構わないわ」
透き通るようで、この世のものとも思えない美しい笑顔――は、この時ばかりは引きつっていたかもしれない。
「そうよ。アリアは私たちの大事なお友達なんだから。そうそう簡単な男性に取られたらかなわないわ」
また別の令嬢が言い、残りがうんうんと頷く。
彼女たちだって、自分たちの大事な親友に早く幸せになってほしい。
いつも集まる五人のグループで、既婚者はフェリシアで二組目。
残る二人も結婚がちらほら見えているような、いい付き合いをしている。
そんな中で、アリアだけが舞踏会やお茶会に行っては手ぶらで帰る……の繰り返しなのだ。
(もしかして……。これは焦るべき時なのかしら……?)
動揺を隠すように優雅に紅茶を一口飲み、アリアは考え込む。
彼女たちがお茶をしているのは、貴族専用サロンの個室だ。
王都の上流階級街の一角にあるそこは、令嬢たちのたまり場とも言われている。
「そうだわ、いいことを考えたわ。ここでのお茶が終わったら、街で有名な占い師にアリアの未来を見てもらわない?」
栗毛の令嬢はそう言ったあとに「もしかしたら、アリアはその美貌で誰かからの恨みを買って、呪いをかけられているかもしれないし」という言葉を呑み込んだ。
同じようなことを考えた令嬢も、他にいたらしい。すぐに友人たちはうんうんと力強く頷く。
「えっ? 占い師? 私あまりそういうの信じて……」
アリアが驚くと、友人たちは示し合わせたかのようにアリアに占いを勧める。
「いいから、いいから」
「遊び半分のつもりでいいのよ。いいことを言われたら信じる、悪いことを言われたら信じない。占いなんてそんな程度でいいの」
「薔薇の君のロザリア嬢がいるじゃない? 彼女も有名な占い師のアドバイスに従って、あのすてきな式までたどり着いたという噂よ?」
「へぇ……、そうなの? 初耳だわ」
記憶に新しいのは、社交界の華と呼ばれていた令嬢。
彼女の結婚は大勢の男性に涙を流させた。
同時にライバルが減って喜ぶ女性もいたのだが……。
引く手あまただった彼女がたった一人を選んだ。
それも注目すべき点だし、その相手がこのリファリア王国の王子のいとこ――、侯爵であることも話題にのぼった。
いずれ彼女の夫は公爵位を継ぎ、彼女は幸せを約束されている。
身分の高い貴族と結ばれるのは、この社交界の令嬢たちの一番の目的だ。
燃え上がるような恋もすてきだけれど、その先にあるのはやはり結婚。
「私たち、本当にアリアにはすてきな人と結ばれてほしいの」
「そうよ。あなたみたいにとっても美人なのに、それを鼻にかけず性格もいい子。私たちはお友達として自慢でならないの」
「そうそう。だからアリアが私たち全員に認められる、掛け値なしのいい男性と結ばれるまで協力するわ!」
親友たちは息巻いてうなずき合い、当事者であるアリア一人がその熱についていけない。
(……とりあえず、私の男性運がない……。ということだけは理解したわ)
心の中でつぶやき、アリアはぼんやりと焼きメレンゲを口にした。
その小さな神は長い年月の間、珍しく自分を求めに来てくれた人間の願いを叶えてきた。
けれど、とても人里遠い場所にその神体はあったので、その神を知る者はほとんどいなかったのだ。
いま、その神は力を小さくし、儚い存在となっている。
けれど、あともう一人の願いぐらいなら叶えられる。
――足音が聞こえた。
苦しそうに息を乱し、時折りキョロキョロと道を確認しながら近づいてくるのは、無垢な乙女の気配。
――あぁ、あの子は私を求めてくれている。
そう理解した神は、自分が『最期』に人の願いを叶えて消えられるだろうことに、感謝した。
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「本当に……、こっちで合っているのかしら? 本当の聖域って隠された場所にあると言うけれど、これでは本当に……」
――ただの山道。
そうぼやこうとして、アリアは口を閉ざした。
これから自分は藁をもすがる気持ちで神にすがろうとしている。
それなのに、その神にケチをつけるような言い方をすれば、どうなるか分からない。
「きっとこれも試練なんだわ」
呟きなおし、アリアはサファイアのような目にぐっと強い光を灯す。
美しい黒髪も、いまは動きやすいようにまとめてある。
一応ドレスを着てはいるものの、それも動きやすいもの。
王宮のパーティーに参加する時のように、下にファウンデーションをまとわない質素なものだ。
伯爵令嬢だというのに、下手をすればどこかの村長の娘……ぐらいに見られてしまってもおかしくない。
誇りある貴族の娘であるアリアがそこまで求めているのは、鬱蒼とした山の奥にあるという隠された聖域だった。
ヒールのない歩きやすい靴でしめやかな腐葉土を踏みつつ、アリアは苦い思い出を思い出していた。
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「アリアって、本当に滅多にお目にかかれないほどの美女なのに、どうしてか男運がないわよね」
はじまりは親友のフェリシアの、何気ない一言だった。
それは、結婚したてのフェリシアの新婚生活の話を聞こうと、いつもつるんでいる令嬢同士で集まったお茶会の時。
彼女の言葉に、アリアだけではなく周囲の友人までもがシン……としてしまった。
「や、やぁねぇフェリシア。アリアはそのうちとっても素敵な人と結ばれるのよ? そのためにアリアはいま……その。試練……のような状態なのよ」
別の友人がすぐにフォローするが、アリアは笑顔のまま固まっていた。
――男運がない。
――試練の時。
今まで自分のことをそう思ったことはなかった。
ほんわりと生きてきたアリアは、自分の周りで友人たちが結婚をしたり、素敵な男性と縁ができたという報告を笑顔で聞いていた。
自分もいつかそういう風になるのだと、信じて疑っていなかったのである。
当たり前のように特定の男性といい仲になったことはなく、ダンスを踊る以上の関係になったこともない。
「私もいつか、幸せになるんだわ」
舞踏会で足を休めるために壁の花になっていた時、クルクルとワルツを踊る男女を眺めてそう思っていた。
そのなかに、悲観的な思いは微塵もなかったのだ。
それが今――。
何気ない友人の言葉で、天地がひっくり返ったような状態になっている。
「あっ、ご、ごめんね!? そういう意味で言ったんじゃないのよ。本当に美人で優しくて、私たちの自慢の友人なのに、浮いた話がなくて不思議だなって思っただけなの」
フェリシアも自分が失言をしたと自覚し、慌てて言い直す。
「う……、ううん? 別に気にしていないし構わないわ」
透き通るようで、この世のものとも思えない美しい笑顔――は、この時ばかりは引きつっていたかもしれない。
「そうよ。アリアは私たちの大事なお友達なんだから。そうそう簡単な男性に取られたらかなわないわ」
また別の令嬢が言い、残りがうんうんと頷く。
彼女たちだって、自分たちの大事な親友に早く幸せになってほしい。
いつも集まる五人のグループで、既婚者はフェリシアで二組目。
残る二人も結婚がちらほら見えているような、いい付き合いをしている。
そんな中で、アリアだけが舞踏会やお茶会に行っては手ぶらで帰る……の繰り返しなのだ。
(もしかして……。これは焦るべき時なのかしら……?)
動揺を隠すように優雅に紅茶を一口飲み、アリアは考え込む。
彼女たちがお茶をしているのは、貴族専用サロンの個室だ。
王都の上流階級街の一角にあるそこは、令嬢たちのたまり場とも言われている。
「そうだわ、いいことを考えたわ。ここでのお茶が終わったら、街で有名な占い師にアリアの未来を見てもらわない?」
栗毛の令嬢はそう言ったあとに「もしかしたら、アリアはその美貌で誰かからの恨みを買って、呪いをかけられているかもしれないし」という言葉を呑み込んだ。
同じようなことを考えた令嬢も、他にいたらしい。すぐに友人たちはうんうんと力強く頷く。
「えっ? 占い師? 私あまりそういうの信じて……」
アリアが驚くと、友人たちは示し合わせたかのようにアリアに占いを勧める。
「いいから、いいから」
「遊び半分のつもりでいいのよ。いいことを言われたら信じる、悪いことを言われたら信じない。占いなんてそんな程度でいいの」
「薔薇の君のロザリア嬢がいるじゃない? 彼女も有名な占い師のアドバイスに従って、あのすてきな式までたどり着いたという噂よ?」
「へぇ……、そうなの? 初耳だわ」
記憶に新しいのは、社交界の華と呼ばれていた令嬢。
彼女の結婚は大勢の男性に涙を流させた。
同時にライバルが減って喜ぶ女性もいたのだが……。
引く手あまただった彼女がたった一人を選んだ。
それも注目すべき点だし、その相手がこのリファリア王国の王子のいとこ――、侯爵であることも話題にのぼった。
いずれ彼女の夫は公爵位を継ぎ、彼女は幸せを約束されている。
身分の高い貴族と結ばれるのは、この社交界の令嬢たちの一番の目的だ。
燃え上がるような恋もすてきだけれど、その先にあるのはやはり結婚。
「私たち、本当にアリアにはすてきな人と結ばれてほしいの」
「そうよ。あなたみたいにとっても美人なのに、それを鼻にかけず性格もいい子。私たちはお友達として自慢でならないの」
「そうそう。だからアリアが私たち全員に認められる、掛け値なしのいい男性と結ばれるまで協力するわ!」
親友たちは息巻いてうなずき合い、当事者であるアリア一人がその熱についていけない。
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