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君の声が聞きたかった

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 スッとリリアンナの目から涙が零れ、ふっくらとした唇が喘ぐように開かれる。

「……でん、か」

 スンと鼻で息を吸うと、夏の夕暮れの匂いがした。
 大気が少し湿り、庭の木々の緑や庭園の花の香りが濃厚になる時期の香りだ。

 薄く目を開くと、よく見知った部屋に夕方の茜色が入り込んでいた。白い壁に木々の葉陰が映り、風に吹かれてチラチラと木漏れ日を動かしている。

「……何だい? リリィ」

 また風が吹き込んで大好きな人の匂いを、リリアンナの鼻腔に届けた。
 一緒に、愛しい人の声がする。
 夢に出てきたウィリアより少し大きい、無骨な手。それが毛布の上のリリアンナの手に重なり、優しく撫でてくる。

「……夢を、……見ていました。お母様と、陛下が出てくる優しい夢を」

 言葉の最後は、喉が渇いていて少し声がかすれてしまった。

「水、飲めるか?」
「……はい」

 起き上がろうとすると、やけに体が重い。
 それを察して、ディアルトが「手伝うよ」と体を支えてくれた。
 久しぶりにディアルトの顔を見るような気がして、リリアンナは至近距離で彼をじっと見つめる。

「……ん?」

 髪の毛は記憶にある通りの長さで、金色の目もそのまま。顔色も健康そうで、その輪郭も体つきもいつも通りだ。

「……良かった」

 気の抜けたように微笑んだリリアンナを、ディアルトはベッドにもたれ掛けさせる。リリアンナの体を支える傍ら、彼女の背中に枕を重ねるという献身ぶりだ。
 リリアンナの体が安定したのを見て、ディアルトはベッドサイドにあったデキャンタからグラスに水を注ぐ。

「最近は暑さも和らいできてね。時々秋の気配を感じる日もある」
「今……何月ですか?」
「八月の下旬だよ。君は三か月ほど眠っていた」

 手にグラスを持たされると、いつもなら何とも思わず持っていたそれを、やけに重たく感じた。
 縁に唇をつけ、静かに水を飲む。
 久しぶりに口にした水は甘い。

「……美味しい」
「こっちも味見するかい?」

 リリアンナの手からグラスを取り、ディアルトは彼女に唇を重ねた。
 鼻腔にディアルトの〝いつもの匂い〟がかする。リリアンナはそれをスゥッと肺の奥深くまで吸い込んだ。
 ディアルトの舌に丁寧に唇を舐められ、リリアンナは抵抗もせず口を小さく開ける。

 いつものように彼の髪を撫で回したかったが、どうしても手が重たくてできない。
 まだ自分の身に何があったのか思い出せずぼんやりとしているが、「今は無理をしない方がいい」ということは分かっていた。
 ディアルトは何回も丁寧にリリアンナの唇を食み、上唇と下唇を甘噛みしてくる。

「……ん、……ん、ぅ」

 リリアンナの意識は現実を認識せず真っ白なままだったが、次第に好きな人にキスをされているという事実を理解し、じんわりと頬を染めていく。

「……ん、んん」

 軽く首を左右に振ると、いつもなら執拗にリリアンナの唇を求めるディアルトが、あっさりと顔を離してくれた。

「苦しかった?」

 ディアルトに覗き込まれ、リリアンナはかぶりを振りながら横を向く。その顔は、耳まで真っ赤になっていた。

「いえ……その。よく分からないのですが……、すごく。恥ずかしくて」
「寝ている間、俺が足りてなかったのかな?」

 ディアルトの変わらない軽口に、リリアンナは思わず半眼になって彼を睨む。

(もう)

「何ですか、その『足りてなかった』というのは」
「俺は毎日、君を見ていても君が足りなかった。目の前にいて触れられても、君が起きて俺を見て、いつものように叱ってくれないと物足りない」
「殿下は……被虐趣味があるのですか?」

 ハァ、と溜め息をついて呆れるリリアンナを、ディアルトは嬉しそうに見つめる。

「こんな気持ちになるのは、君だけだよ」

 コトンとグラスがベッドサイドに置かれる音がしたと思うと、リリアンナはまた抱き締められていた。
 少しずつ、〝いつも〟の調子が戻って来た気がする。

「リリィ。君の声が聞きたかった」

 ぎゅう、とリリアンナを抱く腕に力を込め、ディアルトは声を熱く震わせた。
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