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ずるいです
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毎朝リリアンナにはルーティンがある。
走り込みと花の離宮で風呂に入り朝食をとった後は、ディアルトの住まいである月の離宮まで、全力疾走をするのだ。
二〇〇メートルほど離れた月の離宮まで、万が一の事を思ってすぐ駆けつけられるようにする。それもまた、リリアンナの鍛錬の一つだ。
風の精霊の力を使わず、リリアンナは二十秒ほどで月の離宮に辿り着いた。最後にタンッと軽くジャンプをして入り口前のモザイクタイルに跳び乗ると、衛兵が声を掛けてくる。
「おはようございます。リリアンナ様」
待っていましたという表情で話しかけてくる彼らは、寝ずの番をした眠気も吹き飛んだかのようだ。
「おはようございます。殿下はまだ起きていませんね?」
相手がどんな者であっても、リリアンナは丁寧な口調を崩さない。それを慇懃無礼と言う者もいるが、ほとんどの者はその口調からリリアンナの高貴さが表れていると、より心酔している。むしろ男性の中には、その丁寧な口調で罵倒されたいという欲を持つ者もいるので、始末に負えない場合もあるが。
「はい、まだ外出されていません」
「ありがとうございます。夜通しのお役目ご苦労様です。もう少しで交代の時間になりますから、それまで頑張ってくださいね」
そう言ってリリアンナは衛兵二人に頭を下げ、長靴の音をカツカツと立てて離宮の中に入ってゆく。
「……いい匂いするな。リリアンナ様」
「本当に、夜勤はこの瞬間のためにあるって言ってもいいよな……」
扉が閉まった後、衛兵はどこか緩んだ表情でそう言い合うのだった。
リリアンナは月の離宮に自由に出入りし、内部も好きに歩いていい事になっている。
朝の支度をする使用人たちに挨拶をしながら廊下を歩き、彼女が向かったのはディアルトの寝所だ。
まだカーテンが閉じられた寝所は薄暗い。夜間燃やされていた蝋燭は燃え尽きていて、ほんのりと燃え残りの匂いがする。
「殿下、おはようございます」
「……うん」
天蓋の帳の外から声をかけると、頼りない声が聞こえた。
「……まったく」
腰に手をやり溜め息をつくと、リリアンナは大股に窓辺に寄り、カーテンを開けた。
サッと朝の日差しが部屋に入り込み、精緻な模様が描かれた絨毯に四角い光を落とす。
その後リリアンナは、容赦せず天蓋の帳も開けてしまった。金糸の入った青い帳が開かれ、やんごとなき王子の寝姿が露わになる。
最近は夏が近づいているので、ディアルトは肌掛け一枚で寝ている。おかげで羽布団の時よりも、彼の体の輪郭が分かりやすい。それを見て一瞬劣情に似た感情を持つも、リリアンナは気を引き締めてディアルトを起こしにかかった。
「殿下、起きてください」
ユサユサとディアルトを揺すると、彼が「うーん」と唸りながら寝返りを打つ。
(ああ、もう! 自分で起きられない殿下ったら、手がかかって可愛いんだから)
そう思っていることは、絶対に内緒だ。
「殿下」
「……リリアンナ。……キスしてくれたら、起きる」
裸の腕がヌッと出てきて、リリアンナの手首を掴んだ。
「っ……」
グイッと引っ張られ、リリアンナはシーツの上に手をついた。
「……殿下」
サラリとリリアンナのポニーテールが背中から落ち、毛先がシーツの上に触れる。
ディアルトはベッドで髪を乱し、鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒してこちらを見上げている。
その過剰なまでの色気に、リリアンナは鉄仮面のような無表情で抵抗した。
(駄目よ。駄目。ここで殿下の色気に負けて、情けない反応を見せられない)
「殿下、ご起床のお時間です」
「……キス」
まだどこか寝ぼけた声で言うディアルトが可愛くて、リリアンナは内心悶絶していた。
(キス!! とか! 無理! です! 可愛い!)
一方ディアルトは、トロンと目を細めたまま彼女の反応を窺っている。
(もおお……。そんな顔してずるいです。殿下。もおお……)
内心頭を抱えて懊悩したリリアンナだが、その口から出た声音は冷静なものだ。
「……キスをしたら、ちゃんと起きますか?」
「約束するよ」
クスッと小さく笑った声がし、手が伸びてリリアンナを求める。
「……仕方、ない。……ですね」
ほんのり頬が染まってしまいそうなのを、リリアンナは俯いて前髪でごまかした。
怒ったような顔でディアルトを見下ろせば、彼はキスの予感を抱いて目を閉じている。
(本当に……、仕方がないんだから)
内心悪態をつきながらも、リリアンナはこのシチュエーションを喜んでいた。
ディアルトの睫毛は黒く、密度が高い上に長く生えている。上等な筆先のようなそれを鑑賞した後、リリアンナはディアルトの唇にキスをした。
「……ん」
後頭部に手が回され、グッと押さえられる。
「!」
そのまま抱き込まれると、さすがのリリアンナもバランスを崩してしまった。
走り込みと花の離宮で風呂に入り朝食をとった後は、ディアルトの住まいである月の離宮まで、全力疾走をするのだ。
二〇〇メートルほど離れた月の離宮まで、万が一の事を思ってすぐ駆けつけられるようにする。それもまた、リリアンナの鍛錬の一つだ。
風の精霊の力を使わず、リリアンナは二十秒ほどで月の離宮に辿り着いた。最後にタンッと軽くジャンプをして入り口前のモザイクタイルに跳び乗ると、衛兵が声を掛けてくる。
「おはようございます。リリアンナ様」
待っていましたという表情で話しかけてくる彼らは、寝ずの番をした眠気も吹き飛んだかのようだ。
「おはようございます。殿下はまだ起きていませんね?」
相手がどんな者であっても、リリアンナは丁寧な口調を崩さない。それを慇懃無礼と言う者もいるが、ほとんどの者はその口調からリリアンナの高貴さが表れていると、より心酔している。むしろ男性の中には、その丁寧な口調で罵倒されたいという欲を持つ者もいるので、始末に負えない場合もあるが。
「はい、まだ外出されていません」
「ありがとうございます。夜通しのお役目ご苦労様です。もう少しで交代の時間になりますから、それまで頑張ってくださいね」
そう言ってリリアンナは衛兵二人に頭を下げ、長靴の音をカツカツと立てて離宮の中に入ってゆく。
「……いい匂いするな。リリアンナ様」
「本当に、夜勤はこの瞬間のためにあるって言ってもいいよな……」
扉が閉まった後、衛兵はどこか緩んだ表情でそう言い合うのだった。
リリアンナは月の離宮に自由に出入りし、内部も好きに歩いていい事になっている。
朝の支度をする使用人たちに挨拶をしながら廊下を歩き、彼女が向かったのはディアルトの寝所だ。
まだカーテンが閉じられた寝所は薄暗い。夜間燃やされていた蝋燭は燃え尽きていて、ほんのりと燃え残りの匂いがする。
「殿下、おはようございます」
「……うん」
天蓋の帳の外から声をかけると、頼りない声が聞こえた。
「……まったく」
腰に手をやり溜め息をつくと、リリアンナは大股に窓辺に寄り、カーテンを開けた。
サッと朝の日差しが部屋に入り込み、精緻な模様が描かれた絨毯に四角い光を落とす。
その後リリアンナは、容赦せず天蓋の帳も開けてしまった。金糸の入った青い帳が開かれ、やんごとなき王子の寝姿が露わになる。
最近は夏が近づいているので、ディアルトは肌掛け一枚で寝ている。おかげで羽布団の時よりも、彼の体の輪郭が分かりやすい。それを見て一瞬劣情に似た感情を持つも、リリアンナは気を引き締めてディアルトを起こしにかかった。
「殿下、起きてください」
ユサユサとディアルトを揺すると、彼が「うーん」と唸りながら寝返りを打つ。
(ああ、もう! 自分で起きられない殿下ったら、手がかかって可愛いんだから)
そう思っていることは、絶対に内緒だ。
「殿下」
「……リリアンナ。……キスしてくれたら、起きる」
裸の腕がヌッと出てきて、リリアンナの手首を掴んだ。
「っ……」
グイッと引っ張られ、リリアンナはシーツの上に手をついた。
「……殿下」
サラリとリリアンナのポニーテールが背中から落ち、毛先がシーツの上に触れる。
ディアルトはベッドで髪を乱し、鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒してこちらを見上げている。
その過剰なまでの色気に、リリアンナは鉄仮面のような無表情で抵抗した。
(駄目よ。駄目。ここで殿下の色気に負けて、情けない反応を見せられない)
「殿下、ご起床のお時間です」
「……キス」
まだどこか寝ぼけた声で言うディアルトが可愛くて、リリアンナは内心悶絶していた。
(キス!! とか! 無理! です! 可愛い!)
一方ディアルトは、トロンと目を細めたまま彼女の反応を窺っている。
(もおお……。そんな顔してずるいです。殿下。もおお……)
内心頭を抱えて懊悩したリリアンナだが、その口から出た声音は冷静なものだ。
「……キスをしたら、ちゃんと起きますか?」
「約束するよ」
クスッと小さく笑った声がし、手が伸びてリリアンナを求める。
「……仕方、ない。……ですね」
ほんのり頬が染まってしまいそうなのを、リリアンナは俯いて前髪でごまかした。
怒ったような顔でディアルトを見下ろせば、彼はキスの予感を抱いて目を閉じている。
(本当に……、仕方がないんだから)
内心悪態をつきながらも、リリアンナはこのシチュエーションを喜んでいた。
ディアルトの睫毛は黒く、密度が高い上に長く生えている。上等な筆先のようなそれを鑑賞した後、リリアンナはディアルトの唇にキスをした。
「……ん」
後頭部に手が回され、グッと押さえられる。
「!」
そのまま抱き込まれると、さすがのリリアンナもバランスを崩してしまった。
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