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スプーン一さじの毒

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『私がエチルデ王を殺してしまったも同然だ。王太子殿下は宰相が国外に連れて行ったが、その後の行方が知れない。国中、国外まで部下をやって消息を掴もうとしているが、痕跡は途絶えたままだ。君から便りをもらって、王女殿下の健康を知るだけで、この上もない安心が得られる。』

 イグナットはエチルデを守ろうとして奮闘したが、王族をきちんとした形であの国に残す事ができなかったのを、心底悔やんでいるようだった。

『王族も宰相も失い、多くの貴族や騎士たちも戦争のさなかで命を落とし、または逃げていった国で、取り残されたのは民だ。私はできる限り協力して、民が安心できる場所へ移住できるよう取り計らった。年に一回追悼のために旧エチルデ領に民と共に向かう事はあるが、それを除けばあの国は忘れられていると言っていい。』

『色々考えたが、旧エチルデ領に続く道は森の中に閉ざしてしまおうと思っている。あの国を荒廃させたい訳ではないが、誰もいない城は賊の格好の餌食になる。エチルデへの道を綺麗に整備したままでは、多くの者が簡単にあの土地へ行って、見張りの隙をついて主人のいない城を蹂躙するだろう。私はそれが耐えられない。だから森の木々の力を借りて、本当の主人が戻るまで一時的にあの国を隠してしまおうと思っている。』

 イグナットはいつでも、エチルデに対する責任を感じていたようだ。

(そこが、イグナット様らしいわ)

 今では、彼のまじめすぎるがゆえに、自ら苦悩を買って出るような性格も、愛しくて堪らない。

 勿論、夫に対する男性への愛情とは少し違う。

 だが彼が自分を赤ん坊の頃から守ってくれていたのだと知り、マグレーにも似た、父、もしくは祖父に向けるような感情で一杯になっていた。

 やがてクローディアが社交界デビューする年になり、マグレーからその連絡を受けたイグナットは、このように提案していた。

『王女殿下に良縁があればいいが、万が一高貴な身分である彼女がろくでもない貴族に引っかかった事を考えると、最近夜も眠れなくなった。君がきちんと相手を見定めてくれると分かっているが、それでも不安でならない。』

 次の手紙でも似た事が書いてあり、当時のイグナットの苦悩が窺えた。

『王太子殿下の行方は、いまだ分からない。クローディア殿下が成人したあかつきには、真実をお知らせして祖国の事を教えるべきなのだろうか。彼女に王妃殿下から預かったペンダントを託したとはいえ、祖国の事を何も知らない殿下がエチルデの秘法について知るよしもない。だがエチルデの王女が生きているとどこかで誰かが知れば、再び殿下に危険が及ぶかもしれない。』

 クローディアの縁談が決まるまで、父もイグナットも相当悩んだのが分かる。

 やがてイグナットが懊悩の果てに決断した手紙が見つかった。

『もし殿下さえ嫌だと仰らなければ、表向き私の所に嫁ぐ話をしてもらえないだろうか? 勿論、殿下に手を出そうなど考えていない。いわば、白い結婚だ。近年、私は己の体力が衰えるのを感じ、医者にあと数年の命だと言われた。長年苦しみ続けてきたのがようやく終わるのだと思うと、気持ちが穏やかになってきた。同時に、旧エチルデ領を含むバフェット領を、私の妻になったあとの殿下に継いで頂きたいと思っている。』

 クローディアは唇を軽く噛む。

 今まで何も分からず謎のままだったイグナットの心が、ここですべて理解できた。

 次の手紙は、恐らく父から余命を告げられたなど聞いていない、と書かれたのだろう。

 手紙の日付は前の手紙からさほど空いておらず、マグレーがすぐに返事をしたのが分かる。

『実は、ディスト殿下に我が儘を言い、毒を賜った。本当ならすぐに死ねる物を所望したのだが、殿下は私に〝罪を償いたければ生きよ〟と仰った。その果てに渡された物は、飲んですぐ効果を出す物ではなかった。ただ、これも殿下からのご意志と思い、私は寝る前にスプーン一さじ、その毒を飲み続けた。』

 手紙越しにイグナットが静かな狂気を湛えた歓喜を宿しているのを感じ、クローディアは胸が締め付けられる思いを味わう。

「……殿下。結局、殿下がイグナット様に渡した毒というのは、何なのですか?」

 クローディアは顔を上げ、やや疲れた顔をして手紙を読んでいるディストに話し掛ける。

「……ここまでくれば、隠す事もないだろう」

 彼は大きな溜め息をつき、天井にあるシャンデリアをなんとはなしに見上げる。

「イグナットはハーティリア王国にとって、要となる存在だ。ここ十年、この国で起きた戦争は旧エチルデ領を含むもののみだ。国内に戦火を飛び火させず、バフェット領の民には不安な思いをさせただろうが、彼はよくあの戦争に勝ち、敵国を退けてくれた」

 クローディアもルシオも、黙って彼の言葉を聞く。

「そんな彼が、エチルデを守り切れなかったと悔やんでいるのを聞き、領主らしからぬ繊細な心を持つ者だと不憫に思っていた。同時に、その人間性を私も父上もとても気に入っていた。戦争が起きる前、両親はイグナットの結婚式にバフェット領を訪れたが、とても良い夫婦だったと仰っていた。私が成長して彼に会った時も、果たしてこの男が鬼神の如き戦いぶりを見せ、あの戦争を収めた功労者なのだろうかと疑うほどの優男だと思った」

 イグナットの人となりを思いだし、クローディアは「分かります」と相槌を打った。

(あの方は、お優しすぎた)

 これまで、夫の死の原因を辿り続け、見つけたものは彼の大きすぎる愛情だった。
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