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もう怖いものは殆どありません

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「瓶とは関係ありませんが、興味を引かれた人物はいます」

「どなたです?」

「イェールン伯爵です。あの方は勉強家でとても博識です。温厚な性格も相まって、色んな人から頼りにされる事が多いです。それもあり、恐らく一番の情報通なのではと思っています。知り合った経緯はおいておき、私のタウンハウスに招待した時は、キャビネットにある小瓶を見て、どこの国のいつの年代のものかなどを、ピタリと言い当てました。あそこまでの知識が色んな分野に当てはまっていれば、色んな人と話が弾むでしょう」

「イェールン伯爵……、アネッタのお父上ですね」

 優柔不断が故に〝恋多き女性〟と呼ばれていた不憫な令嬢の名を口にすると、ルシオが首肯する。

「それなら……話し掛けるきっかけが掴めるかもしれません」

 アネッタが令嬢たちから弾かれているのを見かねて、クローディアは何度か彼女に話し掛けていた。

 クローディアは元から大勢の女性と当たり障り無くつるむのは得意ではなく、気の合う少人数と仲良くするのが楽だった。

 アネッタは話してみると、押しの弱さや優柔不断と思える面はあるが、会話をしていて自分の主張を押しつける事なく、平和主義な人だと感じた。

 クローディアからすれば、自己主張の強い他の令嬢たちと比べると、ずっと付き合いやすい。

 だからアネッタも、クローディアには心を開いてくれていると思っていた。

 クローディアがイグナットに嫁いでから二年、アネッタとは顔を合わせていなかったが、手紙のやり取りはしていた。

 彼女はその後無事に嫁いだらしいが、夫となった侯爵とも上手くやれているそうだ。

(彼女が良縁を掴んだのも、お父様の人脈があったからかもしれないわね)

 一人頷き、クローディアは立ち上がる。

「ボールルームに戻りますわ。アネッタを探さなくては」

「ご一緒しますよ。私が一緒にいなければ、また新しい噂が立ちます」

「同じ事ですけれどね。『〝魔性の未亡人〟クローディアは、エイリット子爵と夜の庭園に消え、睦み合ってすぐに次の男を捜しにきた』……」

 人々が喜びそうなゴシップの見出しを適当に口にすると、ルシオが笑い出す。

「あなたは本当に、心の強い女性だ」

「大切にしたいと思ったものを喪ったのですもの。もう怖いものは殆どありません」

 石畳を踏み、夜の庭園を歩いて宮殿に向かって歩く。
 前方には大きな窓硝子越しに、ボールルームからシャンデリアの明かりや人々の笑い声が漏れ出ていた。

「さあ、魔窟へ」

 クローディアは歌うように言い、ボールルームに繋がるガラスのドアを開いた。

 中に入ると、近くにいた女性たちがすぐにクローディアに注目し、道を空けながら扇の陰でヒソヒソと何か言った。

 ルシオはクローディアの腰に手をやり、さも仲がいいという様子を見せつけエスコートする。

 クローディアは魔性の女を演じきり、周囲にいる女性たちに優越感たっぷりな笑顔を向けて歩いた。

「見ました? あの下品な顔」

「ルシオ様に手を出してご満悦みたいだわ」

「あんなに頭の悪そうな女性なら、一晩で飽きられるのが目に見えているのに」

 聞こえてくる言葉も、もはや面白半分に受け取っている。

(私が何を目的にしているのかすら知らないで、好き勝手によく言えるわね。むしろその想像力に拍手をしたくなるわ)

 心の中で毒づきながらも、クローディアは笑みを絶やさず人混みの中からアネッタを探そうとする。

(彼女なら大勢でつるんではいないはずだけど……)

 注意深く壁際を見ながら移動していると、やがて目的の人物が目に入った。
 茶色い髪のアネッタは、夫とおぼしき男性と丁度踊り終わって給仕から飲み物を受け取っているところだ。

「ルシオ様」

 隣にいる彼に声を掛け、クローディアは視線で彼女を示す。

 すぐに理解した彼は無言で頷き、クローディアと親密そうな雰囲気を醸し出したまま、自然に歩いてアネッタの元までエスコートしてくれた。

「アネッタ様、お久しぶりです」

 声を掛けると、アネッタはクローディアを見て一瞬誰なのか分からない顔をしたあと、すぐに「クローディア様!」と座ったばかりなのに立ち上がった。

 ボールルームの壁際には、疲れた時にいつでも腰掛けられるようソファセットがあり、フィンガーフードや飲み物もある。

 その一角はアネッタと夫しかおらず、好都合だった。

 クローディアはアネッタと再会を祝うハグをしたあと、「座っても宜しいかしら?」と尋ねる。
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