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嗤う蜘蛛

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「――という事で、リディアが無事孕んだ。あの薬については礼を言う」

 時は流れ、けれど場所を同じくしてオーガストはカーディフ伯爵の屋敷にいた。
 視察に行くという名目で伯爵領に向かい、リディアはいま伯爵夫人と外出をしている。
 リディアを見て、クレイグは心が引き裂かれる思いだろうが、自業自得なので知った事ではない。

「……ほ、他に何かご用命はありますでしょうか? また、あの……。しつこいようですが、私の身の上の安全は……」

 おどおどとしたクレイグは、若い頃の美貌を誇ったままだ。けれど長年怯えて生活したからか、その表情のどこかに影がある。

「今の所はない。我が妻の父を陥れた罪を贖いたいのなら、今後も俺の忠臣となれ。秘密を守れる臣下である以上、お前の安全は保証しよう」

 ゆったりと脚を組んだオーガストは、クレイグの青い目を見て鷹揚に頷く。

「まさか……ランチェスター子爵の娘が王妃陛下になるだなんて……」
「そうだな。お前が嫉妬をして隊商を襲わせ、失脚させた相手が自殺するとも思っていなかっただろう。ひと一人を殺してその家族までも悲しませたんだ。一生をかけてその罪を贖え」
「……はい」

 この屋敷を訪れ嬉しそうに微笑んでいたリディアは、何も知らない。

 父の旧友だと思っていたカーディフ伯爵が、父の商才に嫉妬し、王に献上する東方の陶磁器を渡すまいとしたなど想像もしないだろう。

 顔の広いクレイグは悪人にも知り合いがいて、正攻法で財産を殖やしていたアルバートの邪魔をした。市場で商売の邪魔をしただけでなく、大事な商品を運んだ隊商を盗賊のふりをして襲い――。
 家族同然に思い、信頼していた隊商を失ったショックも大きく、王の期待に応えられなかった落胆でアルバートは自死してしまった。

 クレイグはそこまで望んでいなかった。けれど自分のくだらない嫉妬が多くの死を産み、まだ成人もしていない少女たちを泣かせた。

 だがどこからかそれを突き止めた、当時九歳のオーガストに脅されたのだ。

 社交界で浮き名を流し、これからじっくりと女性を見定めて結婚しようとしていたクレイグは、パールを誘惑する事になる。
 甘いマスクと低い声、ベッドで散々女を悦ばせたクレイグはすぐにパールの寵愛を受けた。

 けれど彼とて今後一生をパールと添い遂げるつもりもなく、彼女が身ごもったと知るや否やオーガストの手助けを受けて外国に雲隠れをした。

 結果パールは不義の子を身罷り、クレイグから最後に渡された薬を飲んで堕胎した。
 騒ぎの火が収まった頃ガーランド王国に戻ってきたクレイグは、オーガストが紹介した貴族の女性と結婚し今は家庭を持っている。

 最初はその女性すらも疑っていたが、平和な家庭と生活はオーガストからの礼でもあるのだろう。
 けれど日々何かに怯えて暮らすクレイグは、それが贖罪だと思っている。

「前陛下を殺してしまったのも……。私です。死後の罪は認めますが、せめて生きているうちはあなたに守られた生活を送りたいのです。陛下」

 使用人すらも遠ざけ、二人きりの部屋にクレイグの力ない声が落ちる。

「分かっているさ。父上を殺そうと思ったのは俺だ。お前から不眠の薬を入手し、父上に飲ませた。次に眠れないという相談をリディアからカルヴィンにさせ、カルヴィンが良い薬を探していた所にお前を出した」

「……ですがあれは本当に心臓に悪かったです。悪人のふりをして『本当は陛下が邪魔なのでしょう?』と宰相閣下に毒を勧めるなど……。下手をすれば宰相閣下により投獄されるところでした」

「なに。お前ごときの揺さぶりに乗ったカルヴィンが愚かなのだ。あれは元から王座を狙っていた。その仮定で俺の女に目を付けたから、完膚なきまでに叩きのめされる結果となった」

 美しい顔で笑うオーガストを前に、クレイグは寒気を覚えるのを止められない。
 もう秋になっているから――だけでないのは明白だ。

「しかし宰相閣下にわざと陛下の罪をお伝えしたのは、恐れながら危ない橋だったのでは?」

 カルヴィンには過去様々な薬を渡し、そのついでに色々な噂も求められた。

 それに紛れ、クレイグは「オーガスト陛下は王子時代、ブライアン陛下の命を狙っていたかもしれない」という噂を耳に入れたのだ。
 らしくなるようにオーガストの指輪に毒が入っているかもしれないとつけ加え、それにカルヴィンはすっかり乗った。
 結果オーガストの指輪が盗まれる事になったのだが、盗品の指輪に入っていた毒――に見えた物は、ただの小麦粉である。

「なに。肉を切らせて骨を断つとどこかの国の言葉で言うだろう。多少こちらの分が悪くなっても、最終的に勝てば問題ない」

 表情を変えずに言うオーガストを見て、クレイグは心底恐ろしいと思う。

 十二年前に自分を脅してきたあの日から、オーガストはまだ側室にもなっていないリディアに恋をしていた。

 どこで彼女を知ったのか分からない。

 だがクレイグがアルバートを死に追いやった事で、リディアを悲しませ、オーガストを怒らせた事は間違いないのだ。
 この若き国王の目が黒いうちは、あの美しい王妃は絶対的に守られるだろう。
 ありとあらゆる汚い手段を使っても、人を陥れ殺しても、オーガストはリディアを守り愛するのだろうから。

「……ところで私の妻は、本当に陛下の間者ではないのでしょうね?」
「どうだかな? お前が俺に反逆心を抱かなければ、何事も起こらず平穏に暮らせる。違うか?」

 質問を誤魔化し紅茶を飲むオーガストは、クレイグにまともに答えるつもりはないらしい。

「……その通りでございます。陛下」

 もはやオーガストに歯向かう気力すらもないクレイグは、溜め息をついて自分も紅茶に手を伸ばした。

「さすがお前が取り寄せた紅茶は美味いな。いつまでも俺が搾取してばかりも不平等だから、それに見合う利益はお前にやろう。次の舞踏会にでもお前の商会の話をしよう。ご夫人方が喜ぶ品を今日リディアに見せ、紳士が喜ぶ品は俺が直接見よう。それを広めればお前の懐にも幾ばくかの利益が転がるだろう」

「……あ、ありがとうございます。陛下」

 深くこうべを垂れつつ、クレイグは自分が悪魔に魅入られたのだと思うようにしている。
 美しい青年の姿をした悪魔は、自分に罪を犯させ同時に甘い汁を吸わせる。悪魔なしに生きられず、悪魔の命令に従っているうちに善も悪も分からなくなってくるのだ。

 きっとあの美しい王妃も、同じ魅力にどっぷりと浸かっているのだろう。

 自分なしには生きられないと思い込まされた心は、愛されている限り幸せに生きられる。オーガストがリディアを手放すとも思えないし、あの王妃の幸せは一生約束される。

「……陛下は本当に、覇者の道を歩くべく生まれた方です」

 クレイグの言葉にオーガストは何も言わず、立ち上がると窓辺に向かった。

「リディアはまだ戻ってこないのかな」

 独り言ち、そのあとに呟く。

「父上に毒を盛った罪悪感から俺のものになってくれるのなら、俺は幾らでも彼女に罪を植えるさ」
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