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騙し合い4

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「残念です、リディア様」

 また聞いた事のある声だと思えば、カルヴィンだ。

「カルヴィン……」
「あなたはもっと賢い方かと思っていた。誰に権力があるのかを見抜き、それに従ってさえいればあなたは歴史に残る美しき王妃として輝けたのに」

 コツ、コツ……と床板を踏みならし、カルヴィンが近付いてくる。

「あら嫌だわ、カルヴィン。あなたと結婚して未来の王妃になるのはわたくしよ?」
「そうですね」

 カルヴィンは優雅な手つきでパールから短剣を取り上げ、笑顔のままそれをパールの腹部に突き立てた。

「っ……え……っ」

 青い瞳が信じられないと見開かれ、「冗談でしょう?」と唇が笑みを作る。
 けれど美しき宰相はそれに対し皮肉げに笑い、かぶりを振るのみだ。

「あなたはずっと邪魔だったのですよ。国庫を傾けただ喚くだけの女狐。かつて美しいだけが取り柄だったあなたも、老いて醜くなった。輝かんばかりのリディア様を前に、嫉妬に歪んだあなたの何とさもしい事か」
「だ……っ、だって……、カルヴィン……わたくし、を、……抱いた、でしょ……」

 短剣が引き抜かれ、パールはその場に膝を突く。それでもその目はカルヴィンを見上げ、縋ろうとしていた。

「我慢して抱いていたに決まっているでしょう。誰が喜んであなたのような女を抱きますか。頭の中ではリディア様を抱いているつもりで、あなたの欲のはけ口になっていました。あなたがオーガスト陛下の罪を教えてくださった今、もう用済みなのです」

 残念、というようにカルヴィンは肩をすくめ、笑ってみせる。
 パールは壁際にあったチェストに身をもたれ、絶望的な顔で荒い息をつき腹部を押さえていた。

「オーガストの罪って……?」

 呆然としてカルヴィンを見て、リディアは問う。

「ふふ……。知りたいですか? ならこの場であなたは私のものになってしまいなさい。今まであの避妊薬を飲んでいたのなら、私がここであなたに種付けをすれば懐妊するかもしれない」
「――――っ」

 あまりにおぞましい考えに、リディアは暴れかける。
 けれど自分を羽交い締めにしている男がいて、逃げる事すら叶わない。

「ねぇ、リディア様。私はずっとあなたを見てきたのです。陛下に見初められるよりも前からずっと……。あなたの美しさに魂を奪われ、あなたを女王に据え私が王配となる夢を見続けました」

 カルヴィンの手がリディアの胸に這い、揉もうとした時――。
 パキンとどこかで指を鳴らす音が聞こえた。
 途端、ドカドカと荒々しい足音が聞こえ、予備部屋のドア二箇所から兵士がなだれ込んできた。

「な……っ」

 動揺するカルヴィンと男を尻目に、兵士たちはあっという間にリディアを救い出し男二人に剣を突きつける。

「リディア、遅くなって済まない」
「オーガスト」

 兵士たちの間から姿を現したオーガストに、リディアは強く抱き締められた。

「こんなに頬を腫らせて可哀相に。血も流させてしまって済まない」

 痛ましい顔で呟き、オーガストはリディアの額に口づける。
 呆然としているカルヴィンと顔色の悪いパールに、オーガストは悠然と微笑んだ。

「リディアが俺を裏切る訳がないだろう。俺なしにはいられないように躾けた。リディアに何かが起これば、彼女は絶対に俺を頼る。あの脅迫文を見てすぐ俺に相談したに決まっているだろう。俺とリディアの絆を少しでも疑ったお前らの負けだ」
「――待て。待ってくれ! リディア様っ! 私はあなたを本気でお慕いして……っ」

 引っ立てられるカルヴィンに、リディアは何も答えなかった。

「義母上は処置をして軟禁しておけ」

 すぐに担架が用意され、ぐったりとしたパールは傷口を布で押さえられたまま運ばれてゆく。
 残された男は可哀相なまでに震えていたが、彼にもオーガストが声を掛ける。

「お前はここで起こった事の尻拭いをする役割だったな? ここで誰が死ぬ事になっても、お前が刺した事になり、お前が罪を被る……」
「…………」

 黒い装束を身に纏った男は何も答えられず、膝を突いたまま哀れな目をオーガストに向けていた。

「大方カルヴィンに弱みを握られた下級貴族だろう。あとでゆっくり事情を聞くから、そう怖がるな。利用されただけのお前をすぐ処刑しようとは思わない。カルヴィンに何について脅されていたかを、ちゃんと聞くぐらいの情状酌量の余地はあると思っている」
「……ありがとうございます」

 床に額を擦りつけんばかりの男は、這いつくばってオーガストの靴にキスをした。

「陛下。もしこの身が許されるのなら、あなたに一生の忠誠を誓います」
「……考えておこう」

 オーガストはリディアの肩を抱き、その場を後にした。

「リディア」

 廊下の広い場所に出て彼女は軽々と横抱きされ、馴染んだオーガストの香りを吸い込み緊張が一気に解ける。
 力強い腕に抱かれていると、オーガストに守られていると思い涙が次から次に零れてきた。

「……っ、怖かった……っ」
「済まない。本当に済まなかった。隠し通路から見張っていたが、俺も辛かった。部屋に着いたらちゃんとその頬を冷やそう」

 震えて小さく嗚咽するリディアにキスをし、オーガストは夜の廊下を悠々と歩いて行った。

「……私が、一人で向かうと決めたのですから。これでオーガストに歯向かう人たちを片付けられたのなら、私は本望です」

 ギュウッとオーガストにしがみつきつつも、リディアは自身の選択が間違えていないと言い張る。
 妻が自分好みの思考になった事に、オーガストはとろりと微笑んだ。

「愛しているよ、リディア。あなたが誇り高い王妃だからこそ、俺も国王としてやっていける」
「……あなたの側にいるためなら、何だってできるもの」

 オーガストの首に手を回し、リディアは彼の逞しい胸板に頬をすり寄せる。

 この腕に抱かれていれば、怖い事はないのだ。
 何があっても、自分の罪を含め彼がまるごと愛してくれる。

 そのためなら、リディアは何でもできると思っていた。





 パールは刺された箇所が内臓に至っていなかった事などから、一命を取り留めた。

 けれどカルヴィンに否定され、自分がもう美しくなく女性としても魅力がないと知らされ深いショックを受けたようだ。
 まだ病床にいるのに加え、覇気がなくなりぼんやりと過ごすようになった彼女を、オーガストは静養の名目で元のグリント公爵家へ送り返した。

 王太后の座も剥奪し、文字通り城から追い出したのだ。

 カルヴィンは国王を謀ろうとした罪、王太后であるパールを刺した罪、王妃であるリディアに迫った罪で処刑が決まった。

 刑が執行される島へと送られ、その後彼がどうなったかをリディアは知らない。
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