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毒婦

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「その方が『陛下』の奥方様ですの?」

 陽が差し込むサロンで、パールはツンと顎をそびやかしリディアを見る。

 自分より先にブライアンに嫁いでいたとはいえ、リディアは今までパールと目通りが叶った事がない。初対面の彼女にドキドキして会いに行けば、険も露わな態度にどうしたら良いのか分からない。

「お、お初にお目に掛かります。パール様」

 メイドがお茶を淹れ、色鮮やかなフルーツに菓子に、季節の花を飾った花瓶。テーブルの上は煌めいているというのに、座している者たちの顔つきや雰囲気は真逆だった。
 リディアが丁寧に頭を下げても、パールはじっと彼女を見返すだけで返事をしない。

「それはそうと義母上。身罷った子は生まれたのですか?」

 オーガストの問いにパールがギッと義子を睨んだ。

「…………」

 けれど何も言わない彼女に、多少オーガストの溜飲が下がる。

 パールが身罷ったという話を聞いた後、クレイグに泣きつかれオーガストは子を堕ろす薬を調達した。それをクレイグに渡し、パールの元に行き着いたのだろう。

「前陛下はどのように亡くなられましたの? わたくしは前陛下により王都に近付く事を禁じられておりましたから。亡くなられたというお話も、ずっと後に聞きました。王妃でありながら、悲しみに暮れる事も許されないとは……。この国は一体どうなっているのでしょうね?」

「父上は謎の病にかかり、痩せ細り見るも哀れな最期でした。あなたが父上を愛していらっしゃったのなら、ご覧にならなかった方が良かったでしょう」

 オーガストのいらえに、パールはリディアを睨む。

「けれどその方は前陛下の最期を看取られたのですね? わたくしを差し置いて、元は子爵家の娘が」

 公爵家の娘であったパールにとって、自分よりも子爵家の出であるリディアの方が寵愛を受けるなど気に入らないのだろう。

「あなたは不貞を働いて謹慎の身でしたからね? リディアは父上に見初められ、無垢なまま嫁ぎました。色々と状況が違うのにご自身と比べても仕方がないでしょう」

 言葉を返した後、オーガストは優雅にお茶を飲む。
 パールの白粉を塗られた顔がみるみる赤くなり、オロオロとしているリディアをまた睨む。

「ですがこの方はブライアン陛下に側室にと望まれながら、今は息子である陛下の妻となっているのでしょう? している事はわたくしよりも酷いと思いますが? 父に抱かれその子にも抱かれだなんて……。思っただけで汚らわしいですわ」

 嘲笑され、リディアの頬にサッと朱が走る。

 自分が侮辱されるだけならまだいい。だがオーガストと、死んだブライアンまで悪く言われたくなかった。
 気がつけばリディアは背筋を伸ばし、毅然とパールを見据え口を開いていた。

「私の事は何と申し上げても構いません。ですがオーガストとブライアン陛下を悪く仰らないでください」

 思いも寄らない強い声に、パールは瞠目する。けれど構わずリディアは続けた。

「ブライアン陛下はお恥ずかしながら、私にお手つきをされませんでした。そうなる前に私は体調を崩し寝込んでしまいました。私が回復した後は、陛下が倒れられ……。そんな私の事を、オーガストはずっと見守って側にいてくれました。子が義母を思う気持ちよりも深かったのには気づけませんでしたが、今は一人の女として求められ、私も応えようとしています」

 滔々と語るリディアを、パールは鼻の頭に皺を寄せ睨んだままだ。
 現在四十五歳になったパールは、まだ若い頃の美貌を残している。けれど憎しみや嫉妬に駆られた顔は決して美しいとは言えない。

「それで……ブライアン陛下から若いオーガスト陛下に乗り換えたというの?」
「――ですから、乗り換えたとかではなく……」

 どうしたらこのパールという女性は分かってくれるのだろう? とリディアは懊悩する。立場的には自分の義母にも当たるのだから、余計に始末が悪い。

「それはそうと義母上。いつ帰られるのです?」
「な……っ」

 サラリとオーガストに「帰れ」と言われ、パールが鼻白む。

「父上が崩御され、自身の謹慎が解けたと思われたのならそれは大きな勘違いです。俺は父を裏切ったあなたを許していない」

 オーガストの言葉に、パールは引き攣った顔をする。

「わ、わたくしはそのような事……」

 パールは羽根扇を持った手を震わせている。今にもその手の中で繊細な扇がミシリと音を立てそうだ。

「不愉快です! ですが離宮に戻るなど致しません。わたくしはブライアン陛下に確かに不貞を働いたかもしれませんが、『陛下』に対しては不貞も何もしておりませんわ。義理の子に対して性的に手を出すなど、恥知らずな真似は致しませんもの」

 最後にリディアに対して嫌みを言うと、パールは立ち上がり控えていた侍従に告げる。

「ちょっと、わたくしの部屋まで案内して頂戴。ちゃんと綺麗にしてあるでしょうね?」

 甲高い声は尚もオーガストとリディアに対し「ああ嫌だ」など続けていたが、それもそのうち遠ざかっていった。

「……嫌な思いをさせた」

 オーガストは隣に座っているリディアの手を握り、撫でさする。

「いいえ。覚悟していた事ですから。土台、子であったあなたと結婚した私が間違えていたのですから……。でも今は、あなたのために負けません」

 心配してくれるオーガストに微笑み返すリディアは、妻としてでなく母としての表情も見せている。オーガストが誰かの攻撃の標的となった時、リディアは敢然と立ち向かおうとするのだ。
 けれどそんなリディアに、オーガストは切なそうな目を向ける。

「俺と結婚した事を『間違い』と言わないでくれ。俺は血の繋がりのないあなたを、一人の女性として愛している。それはまだ信じてくれていないのか?」

 ソファに横向きに座り直したオーガストは、大きな手でリディアの頬を撫でる。
 その懇願するかのような手つきに、リディアは己の失言を詫びた。

「ごめんなさい……。あなたを好きだと思っていても、第三者から母子である事を指摘されるとつい……」

 罪の意識があるからこそ、リディアは脆くなる。

 ブライアンとの出会いさえなく、一人の令嬢としてならオーガストの想いに真っ直ぐ応えられたのだと思う。
 けれどその前にリディアはブライアンと出会い、彼の側室にと望まれてしまった。
 王宮に召し抱えられてから、オーガストに出会ったという順番までは変えられない。

「それは分かっているつもりだ。あの女はすぐに追い出すから、あなたは気にしないでいい」
「あの女だなんて言い方……」
「俺はあの女が嫌いだ。仮に今さら優しくされたとしても、死ぬまで許さない」

 やんわりとリディアがオーガストの手を撫でても、彼は頑なに自身の意志を変えるつもりはなさそうだ。

(パール様との事は、私が城に上がる前の事だし……。何も事情を知らない私がきれい事を言っても、きっとただのお節介なのだわ)

 そう察したリディアは、それ以上オーガストに何も言わなかった。


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