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望まれない来客
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元グリント公爵家令嬢――現在は王太后の座にいるはずのパールがやって来たのは、二人の結婚から二か月が経とうとしていた盛夏の頃だった。
王城の門を見張る兵士が「お通しできません」と断っても、馬車の窓から顔を出したパールが直々に「わたくしは王太后なのよ!」と声を上げ、通さざるを得なかった。
パールがやって来たという知らせを聞き、オーガストは彼女にまつわる暗い記憶を思い出す。
前王妃アデルが亡くなった四年後に、家柄から推薦されブライアンに娶られたパール。
けれど社交界で猫を被っていた彼女の本性までは、当時のブライアンとて見破る事はできなかった。
王妃の座に着くや否や、パールは派手に浪費をし毎日舞踏会を催し、すぐにブライアンの頭痛の種となった。
社交のために舞踏会を開く事についてはやぶさかではない。
だがパールが側に侍らせる令嬢や貴族たちは、皆どこかに良くない噂のある者が多かった。王妃の権力で彼らは王宮の中を我が物顔で闊歩し、パールの私室から秘密の笑い声が聞こえる。
よもや国王と結婚してすぐに不貞を働くのでは――? と危惧した忠臣たちの心も知ってか、パールはなかなか尻尾を出さない。
だが水煙草の煙の向こう、健康的なお茶会と国のためになる話し合いがされていたとは思えなかった。
ブライアンが一番懊悩したのは、息子オーガストとの折り合いだ。
冷たい目で自分の子ではない前王妃の子を見たパールは、唇だけ笑わせて挨拶をした。
それで当時幼かったオーガストもすべてを察したのだろう。
ブライアンが直接確認した訳ではないが、オーガストはパールにより激しい虐めに遭っていた。
顔を合わせては罵られ、食べ物に異物が混ざっていた事もある。飲み物を飲んで酷く体調を崩した事もあった。
結婚してすぐに本性を現したパールに、ブライアンがなかなか手を付けず子がもうけられなかった八つ当たりでもある。
元より利口な子であったオーガストだが、パールが現れてからはさらに成長した。
人の裏面を見て、安易に信じる事をよしとせず、自らも王宮内の噂に聞き耳を立てる事を始めた。一人王宮を探検し、王族が知る隠し通路を使い、ありとあらゆる場所から情報を入手した。
純粋だった子供はいなくなり、狡猾に貴族や人の噂を利用して邪魔者を排除しようとする怪物が産まれる。
パールが気に入らないと思って虐げた存在は、逆にパールを陥れる存在へと成長していった。
『あの事をつまびらかにされたくなければ、僕の言う事を聞け』
九歳のオーガストが冷たい声を出し見下ろしたのは、目の前で顔面を蒼白にして震えている男。
金髪碧眼で、年の頃は三十路を過ぎたというほど。
甘いマスクをしているので、さぞ社交界では浮き名を流しているだろう風体だ。けれど同時に、どこか権力に固執するような野心が見え隠れしている。
男の名はクレイグ・バリー・カーディフ伯爵。
ある事によりオーガストに弱点を握られ、今こうして脅されているのだ。
「わ、私は何をすれば良いのですか? 王子」
場所はカーディフ邸。オーガストが直々に屋敷を訪れ、人払いした場所でクレイグは九歳の王子を前に膝を突いていた。
「僕はいま王妃の座にのうのうと座っている、パールという女が邪魔だ。あの女を誘惑し、失脚させろ」
「し、しかしそれでは私も巻き込まれてしまいます」
顰められた声が焦るが、オーガストは悠々とした態度を変えない。
「父上にはあの女から誘惑したというように伝える。父上の周囲にいる忠臣たちも、今はすっかり僕を信頼しているから言う事を聞くだろう。城中の信頼を失っているあの女の言葉より、僕が一言いえば済む。『母上は父上との閨に不満を持ち、外で火遊びをしたくなったそうです。カーディフ伯爵が嫌がるのを無理矢理連れて行ったと、貴族から聞きました』……と伝えれば、どちらに非があるか父上にも分かるだろう」
齢九歳にして恐ろしい事を言うオーガストに、クレイグは逆らえない。
「お……王妃陛下を誘惑する事に成功すれば、私は誘惑についてもあの事についても、責任を問われないのですか?」
「お前の事は僕が守ろう。……歯向かわない限り、な」
興味がなさそうに紅茶を飲み、オーガストは詰まらなさそうな顔で屋敷の内装を見やった。
その後、すぐに社交界で『王妃陛下はカーディフ伯爵にお熱』という噂が立ち始めた。
ブライアンは黙認していたようだが、間もなく別の噂が耳に入り始める。
『王妃陛下にどうやら悪阻が訪れたようだ』――と。
ブライアン自身パールを抱く気にならず、手を出していない。だというのに悪阻――懐妊したとなれば、不貞を働いた立派な証拠となった。
『父上、僕は今の母上があまり好きではありません。母上がくださった菓子で体調を崩す事もあります。母上は僕を好きではないのでしょうか……』
そこにまだ九歳のオーガストが愁傷に演技をすれば、ブライアンとて手を打たない訳にいかなかった。
パールが王宮に嫁いで六年。その間オーガストは陰湿な虐めに耐え抜き、とうとう憎い女を追い出す事に成功したのだ。
件のカーディフ伯爵については、オーガストからも父王に一言添えた。
『男でも女性に敵わない事があるようですね。権力だけでなく、酒に酔わされて望まない契約書にサインをさせられたと、先日噂で聞きました』
暗にそれは、『酒の席でカーディフ伯爵はパールに酔わされ、ベッドに馬乗りになりやむなく関係を持ったのだろう』と伝わった。
九歳のオーガストが、よもや女が男を酔わせて抱くと言うとも思わない。
ただ息子の何でもない一言から、ブライアンはパールを抱かなかった自身にも問題があり、相手の男にも非はないと解釈したようだった。
その後パールは王都より遙か西にある離宮に送られ、王都に戻る事を禁じられた。
ブライアンが崩御した時も何の連絡もなく、オーガストが即位しても何の祝辞もよこさなかった。
そのパールが、今になって王都にやって来たのである。
王城の門を見張る兵士が「お通しできません」と断っても、馬車の窓から顔を出したパールが直々に「わたくしは王太后なのよ!」と声を上げ、通さざるを得なかった。
パールがやって来たという知らせを聞き、オーガストは彼女にまつわる暗い記憶を思い出す。
前王妃アデルが亡くなった四年後に、家柄から推薦されブライアンに娶られたパール。
けれど社交界で猫を被っていた彼女の本性までは、当時のブライアンとて見破る事はできなかった。
王妃の座に着くや否や、パールは派手に浪費をし毎日舞踏会を催し、すぐにブライアンの頭痛の種となった。
社交のために舞踏会を開く事についてはやぶさかではない。
だがパールが側に侍らせる令嬢や貴族たちは、皆どこかに良くない噂のある者が多かった。王妃の権力で彼らは王宮の中を我が物顔で闊歩し、パールの私室から秘密の笑い声が聞こえる。
よもや国王と結婚してすぐに不貞を働くのでは――? と危惧した忠臣たちの心も知ってか、パールはなかなか尻尾を出さない。
だが水煙草の煙の向こう、健康的なお茶会と国のためになる話し合いがされていたとは思えなかった。
ブライアンが一番懊悩したのは、息子オーガストとの折り合いだ。
冷たい目で自分の子ではない前王妃の子を見たパールは、唇だけ笑わせて挨拶をした。
それで当時幼かったオーガストもすべてを察したのだろう。
ブライアンが直接確認した訳ではないが、オーガストはパールにより激しい虐めに遭っていた。
顔を合わせては罵られ、食べ物に異物が混ざっていた事もある。飲み物を飲んで酷く体調を崩した事もあった。
結婚してすぐに本性を現したパールに、ブライアンがなかなか手を付けず子がもうけられなかった八つ当たりでもある。
元より利口な子であったオーガストだが、パールが現れてからはさらに成長した。
人の裏面を見て、安易に信じる事をよしとせず、自らも王宮内の噂に聞き耳を立てる事を始めた。一人王宮を探検し、王族が知る隠し通路を使い、ありとあらゆる場所から情報を入手した。
純粋だった子供はいなくなり、狡猾に貴族や人の噂を利用して邪魔者を排除しようとする怪物が産まれる。
パールが気に入らないと思って虐げた存在は、逆にパールを陥れる存在へと成長していった。
『あの事をつまびらかにされたくなければ、僕の言う事を聞け』
九歳のオーガストが冷たい声を出し見下ろしたのは、目の前で顔面を蒼白にして震えている男。
金髪碧眼で、年の頃は三十路を過ぎたというほど。
甘いマスクをしているので、さぞ社交界では浮き名を流しているだろう風体だ。けれど同時に、どこか権力に固執するような野心が見え隠れしている。
男の名はクレイグ・バリー・カーディフ伯爵。
ある事によりオーガストに弱点を握られ、今こうして脅されているのだ。
「わ、私は何をすれば良いのですか? 王子」
場所はカーディフ邸。オーガストが直々に屋敷を訪れ、人払いした場所でクレイグは九歳の王子を前に膝を突いていた。
「僕はいま王妃の座にのうのうと座っている、パールという女が邪魔だ。あの女を誘惑し、失脚させろ」
「し、しかしそれでは私も巻き込まれてしまいます」
顰められた声が焦るが、オーガストは悠々とした態度を変えない。
「父上にはあの女から誘惑したというように伝える。父上の周囲にいる忠臣たちも、今はすっかり僕を信頼しているから言う事を聞くだろう。城中の信頼を失っているあの女の言葉より、僕が一言いえば済む。『母上は父上との閨に不満を持ち、外で火遊びをしたくなったそうです。カーディフ伯爵が嫌がるのを無理矢理連れて行ったと、貴族から聞きました』……と伝えれば、どちらに非があるか父上にも分かるだろう」
齢九歳にして恐ろしい事を言うオーガストに、クレイグは逆らえない。
「お……王妃陛下を誘惑する事に成功すれば、私は誘惑についてもあの事についても、責任を問われないのですか?」
「お前の事は僕が守ろう。……歯向かわない限り、な」
興味がなさそうに紅茶を飲み、オーガストは詰まらなさそうな顔で屋敷の内装を見やった。
その後、すぐに社交界で『王妃陛下はカーディフ伯爵にお熱』という噂が立ち始めた。
ブライアンは黙認していたようだが、間もなく別の噂が耳に入り始める。
『王妃陛下にどうやら悪阻が訪れたようだ』――と。
ブライアン自身パールを抱く気にならず、手を出していない。だというのに悪阻――懐妊したとなれば、不貞を働いた立派な証拠となった。
『父上、僕は今の母上があまり好きではありません。母上がくださった菓子で体調を崩す事もあります。母上は僕を好きではないのでしょうか……』
そこにまだ九歳のオーガストが愁傷に演技をすれば、ブライアンとて手を打たない訳にいかなかった。
パールが王宮に嫁いで六年。その間オーガストは陰湿な虐めに耐え抜き、とうとう憎い女を追い出す事に成功したのだ。
件のカーディフ伯爵については、オーガストからも父王に一言添えた。
『男でも女性に敵わない事があるようですね。権力だけでなく、酒に酔わされて望まない契約書にサインをさせられたと、先日噂で聞きました』
暗にそれは、『酒の席でカーディフ伯爵はパールに酔わされ、ベッドに馬乗りになりやむなく関係を持ったのだろう』と伝わった。
九歳のオーガストが、よもや女が男を酔わせて抱くと言うとも思わない。
ただ息子の何でもない一言から、ブライアンはパールを抱かなかった自身にも問題があり、相手の男にも非はないと解釈したようだった。
その後パールは王都より遙か西にある離宮に送られ、王都に戻る事を禁じられた。
ブライアンが崩御した時も何の連絡もなく、オーガストが即位しても何の祝辞もよこさなかった。
そのパールが、今になって王都にやって来たのである。
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