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誓いのキス
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出会ってから十一年間、母としての惜しみない愛情を注いできたつもりだったのに、それを全部否定された気持ちだ。
「あなたは美しい一人の女性だ。嫁いで一年で夫を亡くし、それを俺が守ってきた。いまさら俺の守りなしに、あなたは生きていけるのですか?」
ふとオーガストがいない人生を想像し、愕然とした。
毎日をオーガストのために生き、オーガストのためなら何でもした。彼のために生きたと言っても過言ではないのに、そんな彼が自分の人生からいなくなってしまったら――。
――いや、いつか母として子離れする心づもりはしてきた筈だ。
けれど「それはまだ先の話」と目を向けないできた。オーガストに王妃になる女性を決めるよう迫っておいて、逆に貞操帯を着ける束縛を心地よく思っている自分がいた。
彼の甘えに従っていれば、オーガストも自分を捨てたりしないだろう。
そんな――みっともない程の執着があった。
「あ……。私……は……」
心の弱い場所を突かれ、リディアはこれまでの矜持がすべてグラグラと揺らぐのを感じた。
「あなたは俺なしにいられない。そうなるよう躾けてきた。だから……何も言わず俺を受け入れて」
耳元で囁く声は、リディアにしか聞こえない。
躾けられた覚えはないけれど、「躾けてきた」と言われると、その通りに思えてしまう。
震える声が、大司祭に縋り付く。
「……大司祭様。……私は、オーガストなしに生きられません……」
涙を浮かべ弱々しくかぶりを振るリディアのいらえに、大司祭も頷くしかなかった。
「宜しいでしょう。お二人の結婚を認めます」
声もなく、その場にいたほとんどの男性が深い嘆息を漏らす。あのカルヴィンすら、紙のように真っ白な顔をしていた。
「では大司祭様。このまま結婚の宣誓をさせてください。都合良く二人とも純白の衣装を身に纏っている訳ですし」
ニヤリと笑ったオーガストの声に、リディアは心の奥底に恐怖を感じた。
(まさか……これは計画されていた?)
神の御許に国を守ると誓うオーガストはともかく、王太后であるリディアまで衣装が純白な事が不可解だった。けれど侍女達は何も言わず、黙々とリディアにこの衣装を着せたのだ。
髪は纏められ、ヘッドドレスに隠されてレースのヴェールが掛かっている。すんなりした首から肩、胸へのラインはそのままに、肩から下は膨らんだデザインにふんだんに真珠が飾られている。腰からは飾りロザリオが垂れ、ペチコートは裾が繊細なレースになっていた。刺繍が施された重たいオーバードレスの外には、さらに肩から下がった毛皮のマントが続いている。
即位式に参加する王太后の装いにしては、やけに華美だと思っていた。準備されたドレスを不思議に思い、カルヴィンに尋ねても「殿下がお望みです。お慕いしている王太后様に、最高の装いで出席してほしいのでしょう」と言っていた。
誰も彼も、オーガストに上手く言いくるめられているのだとしたら――?
自分の疑いに、心臓が氷の手で握られた気持ちだった。
「指輪は用意してあります」
そして当たり前のように、オーガストは懐からリングケースを取り出し、その中から一対の結婚指輪が現れた。
(あぁ……)
――もう逃れられないのだ。
ガンと頭を殴られたようなショックを受けたまま、リディアは大司祭が結婚の祈りを唱えだしたのを聞いていた。
用意されていない結婚誓約書は後で書く流れになり、いつのまに自分の指に嵌まった指輪を、リディアは呆然と見る。自分の手も自然と動いたのか、オーガストの指には揃いの指輪が嵌まっていた。
「それでは、誓いのキスを」
大司祭の声が聞こえ、リディアは一歩後ずさった。
けれどすぐに力強い腕に引き寄せられ、目の前にあの紅い瞳が迫っている。
「オーガスト……」
「母上。……いや、リディア。あなたはもう俺のものだ」
望んでいたような、決して聞きたくなかったような――。
何とも言えない感情に打ちのめされたまま、リディアは公衆の面前で誓いのキスをされていた。
(そうだわ。私の初めてのキスは、オーガストにされたのだった)
ブライアンに嫁いですぐ、体調を崩したリディアをオーガストが見舞ってくれた夜を思い出した。
あの時のキスは可愛らしく微笑ましかったのに。どうして今はこんな複雑な気持ちで唇を味わわれているのだろう――。
「ん……」
唇のあわいを舌でなぞられ、こんな大人のキスは知らない筈なのにドッと胸が早鐘を打った。体の奥が淫らに疼き、オーガストの舌に口腔を探られるたびに腰が揺れてしまう。
静まりかえった大聖堂に、リップ音がやけに響く。
恥ずかしくてやめてほしいのに、神聖な儀式の途中で夫になる人を拒めない。
リディアの頭が羞恥で爆発寸前になった時、やっとオーガストが唇を離してくれた。
「――これからも宜しく。我が妻殿」
濡れた唇をペロリと舐めるオーガストは、この上なく淫猥だった。
あまりの出来事が立て続けに起こり、そのショックに耐えられなくなってしまったリディアは、声もなくその場に倒れてしまった。
**
「あなたは美しい一人の女性だ。嫁いで一年で夫を亡くし、それを俺が守ってきた。いまさら俺の守りなしに、あなたは生きていけるのですか?」
ふとオーガストがいない人生を想像し、愕然とした。
毎日をオーガストのために生き、オーガストのためなら何でもした。彼のために生きたと言っても過言ではないのに、そんな彼が自分の人生からいなくなってしまったら――。
――いや、いつか母として子離れする心づもりはしてきた筈だ。
けれど「それはまだ先の話」と目を向けないできた。オーガストに王妃になる女性を決めるよう迫っておいて、逆に貞操帯を着ける束縛を心地よく思っている自分がいた。
彼の甘えに従っていれば、オーガストも自分を捨てたりしないだろう。
そんな――みっともない程の執着があった。
「あ……。私……は……」
心の弱い場所を突かれ、リディアはこれまでの矜持がすべてグラグラと揺らぐのを感じた。
「あなたは俺なしにいられない。そうなるよう躾けてきた。だから……何も言わず俺を受け入れて」
耳元で囁く声は、リディアにしか聞こえない。
躾けられた覚えはないけれど、「躾けてきた」と言われると、その通りに思えてしまう。
震える声が、大司祭に縋り付く。
「……大司祭様。……私は、オーガストなしに生きられません……」
涙を浮かべ弱々しくかぶりを振るリディアのいらえに、大司祭も頷くしかなかった。
「宜しいでしょう。お二人の結婚を認めます」
声もなく、その場にいたほとんどの男性が深い嘆息を漏らす。あのカルヴィンすら、紙のように真っ白な顔をしていた。
「では大司祭様。このまま結婚の宣誓をさせてください。都合良く二人とも純白の衣装を身に纏っている訳ですし」
ニヤリと笑ったオーガストの声に、リディアは心の奥底に恐怖を感じた。
(まさか……これは計画されていた?)
神の御許に国を守ると誓うオーガストはともかく、王太后であるリディアまで衣装が純白な事が不可解だった。けれど侍女達は何も言わず、黙々とリディアにこの衣装を着せたのだ。
髪は纏められ、ヘッドドレスに隠されてレースのヴェールが掛かっている。すんなりした首から肩、胸へのラインはそのままに、肩から下は膨らんだデザインにふんだんに真珠が飾られている。腰からは飾りロザリオが垂れ、ペチコートは裾が繊細なレースになっていた。刺繍が施された重たいオーバードレスの外には、さらに肩から下がった毛皮のマントが続いている。
即位式に参加する王太后の装いにしては、やけに華美だと思っていた。準備されたドレスを不思議に思い、カルヴィンに尋ねても「殿下がお望みです。お慕いしている王太后様に、最高の装いで出席してほしいのでしょう」と言っていた。
誰も彼も、オーガストに上手く言いくるめられているのだとしたら――?
自分の疑いに、心臓が氷の手で握られた気持ちだった。
「指輪は用意してあります」
そして当たり前のように、オーガストは懐からリングケースを取り出し、その中から一対の結婚指輪が現れた。
(あぁ……)
――もう逃れられないのだ。
ガンと頭を殴られたようなショックを受けたまま、リディアは大司祭が結婚の祈りを唱えだしたのを聞いていた。
用意されていない結婚誓約書は後で書く流れになり、いつのまに自分の指に嵌まった指輪を、リディアは呆然と見る。自分の手も自然と動いたのか、オーガストの指には揃いの指輪が嵌まっていた。
「それでは、誓いのキスを」
大司祭の声が聞こえ、リディアは一歩後ずさった。
けれどすぐに力強い腕に引き寄せられ、目の前にあの紅い瞳が迫っている。
「オーガスト……」
「母上。……いや、リディア。あなたはもう俺のものだ」
望んでいたような、決して聞きたくなかったような――。
何とも言えない感情に打ちのめされたまま、リディアは公衆の面前で誓いのキスをされていた。
(そうだわ。私の初めてのキスは、オーガストにされたのだった)
ブライアンに嫁いですぐ、体調を崩したリディアをオーガストが見舞ってくれた夜を思い出した。
あの時のキスは可愛らしく微笑ましかったのに。どうして今はこんな複雑な気持ちで唇を味わわれているのだろう――。
「ん……」
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「――これからも宜しく。我が妻殿」
濡れた唇をペロリと舐めるオーガストは、この上なく淫猥だった。
あまりの出来事が立て続けに起こり、そのショックに耐えられなくなってしまったリディアは、声もなくその場に倒れてしまった。
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