上 下
11 / 71

感傷1

しおりを挟む
 時は経ち、ブライアンの死から十年が経った。

 明日でオーガストは二十一歳の成人を迎え、即位する。城内がその準備に追われている時、二十八歳になったリディアはブライアンの遺品が置いてある部屋に来ていた。

「陛下。明日でオーガストは立派に即位します。私はお役目を果たせたでしょうか?」



 ブライアンの間と名付けられたそこは、彼の肖像画や愛用したデスクセット、道具などが置かれてある。

 美しく成長したリディアが懐かしそうに目を向けるのは、部屋の隅にあるカンバスだった。カンバスには描きかけの絵がある。まだ嫁ぎたてのリディアを、芸術が好きなブライアンが手ずから描こうとしたものだった。
 途中まで描かれた絵は、木炭で輪郭をとりベースとなる色が置かれた状態で永遠に時が止まっている。肖像画の中のリディアの髪が銀髪になる事も、瞳の光が入れられる事もないのだ。

「あの頃は何もできなかった私も、今はそれなりに宮中で意見を聞かれる存在になっています。陛下のお言葉通り、オーガストを見守ってこの歳まで側にいました。ずっと再婚を促されていましたが、オーガストが即位するまで身を守った私を……褒めてくださいますか?」

 最後はブライアンの肖像画に話しかけ、悲しげに目を細める。

 出会った時は十七歳だったリディアも、十一年経った今は成熟した大人の女性になっていた。

 当時の無垢な乙女としての美貌は、国を傾けるほどの妖艶さすら醸しだし、周辺国の王からひっきりなしに誘いが来る。しなやかな肢体も大人になったが、背はさほど伸びなかった。
 けれど胸ばかりは突き出るほどに張りがあり、彼女が何かするたびに重たげに揺れるのを周囲の男が盗み見る。
 折れそうに細い腰はそのままだが、臀部へのまるみは女らしさを増した。むっちりとした尻も、パニエを用いないシュミーズドレスの時などは周囲の者達がリディアの後ろ姿に釘付けになるほどだ。

 ブライアンを喪ってから、リディアの美には憂いがある。未亡人という立場もあり、匂い立つほどの色気は美の女神すら凌駕すると言われている。
 それほどの美と魅力、肢体があっても、リディアは持ち込まれる縁談や誘惑に決して己の意志を曲げなかった。

『オーガストが成人して即位するまでは、誰にも目を向けない』

 彼女の意志を尊重したのは、事実上このガーランド王国で政治を動かしている宰相カルヴィンだった。
 リディアの良き相談役でもある彼は、何かあれば兄のように寄り添い力になってくれた。オーガストが反抗期を迎えても、思春期の難しい年頃になっても、オロオロするリディアをカルヴィンが支えてくれた。

 彼に恋慕はまったくないが、恩人であると思っている。

「私はもうそろそろ……。誰かを好きになってもいいのでしょうか?」

 藤色のドレスを身に纏ったリディアは、ブライアンに微笑みかける。

 この城に来た当初、部屋に溢れんばかりにあったドレスはほとんど胸がきつくなってしまった。ブライアンから贈られた気持ちを大事にしたかったが、成長する体ばかりはどうにもならない。

 今纏っているドレスも、オーガストが見立てて「母上に似合う」と言った生地で作らせた。リディア自身あまり着る物への頓着がそれほどないので、流行などに気を遣って「今度はこういうドレスはどう?」と提案するのは、もっぱらオーガストだ。

 思えば宝飾品なども、今はすべてオーガストが「これがいいのでは?」とアドバイスした物ばかりだ。

(陛下を喪ってから、私はオーガストに励まされてきた。今こうしてオーガストに依存しているのも、もう今日で終わりなのだわ。彼は国王となり、母よりも国を大事にする。……ちょっと寂しいけれど、それは陛下が望んだ事であり私の悲願)

 目を閉じて城内に耳を澄ませると、ブライアンを喪ってもなお活気づいているのが分かる。

「不思議なものですね。この国の父であったあなたがいなくなっても、民も臣下も、私もオーガストも生きています。……きっと私がここから姿を消しても、皆変わらないのだわ」

 どこか寂しそうにブライアンに微笑みかけてから、リディアは部屋を後にした。


**


「リディア様」

 初夏の清々しい日差しが差し込む廊下を歩いていると、召し使い達が忙しく往来する中、ゆったりとこちらに歩んでくる人影がある。

「カルヴィン」

 オーガストほどではないが長身の彼は、現在三十八歳になった宰相だ。アッシュブラウンの髪にブルーグレーの目。いつも何か企んでいて面白そうに微笑んでいる彼は、実年齢よりずっと若く見える。

 オーガストを実質的に育て上げた人と言っても良く、オーガストと一緒に騎士団で体を鍛える事もあった。オーガストは「俺に取り入るための行動だ」と言っていたが、例えそうだとしてもリディアは立派な心がけだと思う。

 下心があるとしても、長年一緒に過ごす主のためにわざわざ汗を流したりするのは、生半可な気持ちではできない。そういう意味でリディアはカルヴィンを信用し、頼りにしていた。

 リディアが特別な男性を作らないと公言した事に、協力してくれたのもカルヴィンだ。

 ありとあらゆる貴族や、公的な行事になると周辺国の王侯貴族からリディアは言い寄られる。その時やんわりと世間話をしつつ、リディアを守ってくれたのがカルヴィンだ。
 口から先に生まれたのではという話術に相手が気を取られた隙に、リディアはそっと場を離れる。離れた先にいつもオーガストが待っていてくれて、息子もカルヴィンと二重に自分を守ってくれていたのだと思う。

「こんな所にいらっしゃったのですか? 即位される陛下の母上なのですから、着飾る準備をしなくては」
「陛下の御前でご挨拶をしていました」

 ブライアンの間の方を示すと、カルヴィンは「あぁ……」と心得た顔をする。

「事情を知らず『こんな所』など申し訳ございません」
「いいえ。私も支度をしなければいけないのは事実ですから。迎えに来てくれたのですね? ありがとう」

 カルヴィンは既に支度を済ませていて、トラウザーズやベストは白をベースに、深い緑のジュストコールを着ている。それも襟や折り返した袖部分にはびっしりと金糸の刺繍が施された立派な物だ。革のブーツもピカピカに磨き上げられ、ジュストコールと同色の帽子には純白の羽がそよいでいた。

「素敵な装いね。私も即位式の衣装に着替えなければ。初夏だというのに正装だからと言って毛皮のマントは暑いわ。ドレスも裾を引きずって重たいし、気持ちまで憂鬱になってしまうわ」
「まぁまぁ。お気持ちは分かりますが、殿下の晴れの日ですから」

 これからの装いを思って憂い顔になった美貌だが、オーガストの即位だと思い出すと顔を上げて微笑んだ。

「そうね。待ちに待ったオーガストの即位の日なのだから」

 会話をしつつ廊下を進む二人を、通りすがりの女官が「お似合いだわ」という目で見てゆく。

 王宮の中には当たり前のように、美貌のリディアの取り巻きのような存在がいる。男女問わず彼らはリディアの恋の行方を勝手に心配し、オーガスト即位後は誰とくっつくかと予想を立てているのだ。

 周辺国の未婚の王子なども有力だが、一番優勢なのはこのカルヴィンだ。

 中にはオーガストとの母子の情が尊いと言う者もいるが、血は繋がっていないとは言え子が母を娶ると言えばあまり聞こえは良くない。

 歴史上にそういう事がないとは言わないが、ただひたすらに純粋な母性をオーガストに注いできたリディアには、考えられない選択肢だ。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

処理中です...