伝統民芸彼女

臣桜

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彼岸から此岸へ

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 それまで黒に塗りつぶされていた世界は、虹色の光に包まれたかと思うと、目の前には極楽浄土っていう言葉がぴったりな世界が広がっていた。
 清らかな大自然が息づいていて、流れる水も透明だ。そこらじゅうに綺麗な花が溢れるように咲いていて、色鮮やかな蝶や鳥が飛んでいる。滝のしぶきの向こうには虹がかかり、空はどこまでも青いかと思えば、ずっと向こう側にはピンクから紫色にグラデーションした朝焼けがあり、後ろを振り向くと燃えるような茜色の夕焼けがあった。
「なんだ……、ここ……」
 震える声で呟きながら呆然としていると、ひい婆ちゃんは隣でやっぱりニコニコ笑っていた。
「本当は死んだ人間しか見えないんだけど、拓也だけ特別だよ。お婆ちゃんはこの通り綺麗な場所にいるから、皆に安心してって伝えてね」
「うん」
 あぁ……、本当にこんな綺麗な場所にいるなら安心できる。
「日本中に神域とされている場所や、神社。パワースポットって言われてる場所があるでしょ。この世界はそこに繋がっていてね、生きているうちはよっぽどのお金持ちじゃないと回れないそこを、死者の列に加わると四十九日の間に全部回ることができるんだ。そうしている間に、魂は清らかになって行くべき場所へいける。まぁ、ゴージャスなツアーだねぇ」
 最後は冗談めかしてひい婆ちゃんは笑うが、俺はどうしても気になってしまう。
「行くべき場所って……天国?」
 もうこうやって会うこともできなくなるんだろうか。そう思って不安になった俺の気持ちを、ひい婆ちゃんは察したようだった。
「そうだね。私もこれから向かう場所だからそこまでは分からないけど、行くのだとしたら、ここよりももう一つ上の綺麗な世界にいって、地上を見守るんだと思うよ。そこから先は、守護者になったり、もっと時を経たら自分と波長の合う新しい魂に還っていって……生まれ変わるとか。色々なんだと思うよ」
「うん……」
 もうひい婆ちゃんは、俺の手でどうにかできるとかの存在じゃないんだ。そこはもう世界の意志みたいなものに任されていて、大きな流れにもう組み込まれているんだ。
「拓也。寂しいけど、お婆ちゃんと拓也はもう別々の世界の存在なんだよ。四十九日の間はこうして会うことは可能だけど、あんまりここに来すぎると拓也の体が変な影響緒を受けてしまう。お婆ちゃんは禊が終わったら、きっといい守護者になって拓也たちを見守っているからね」
「……うんっ」
 また目の奥が熱くなって鼻の奥がツンとしてきた。
 誰が何を言っていなくても、もう別れないとならない時なんだと理解した。
「拓也、いい男に育つんだよ。拓也の奥さんや子供を見られないのは残念だけど、きっと別の姿になって見守っているから」
「うん……」
「よし、いい子だね」
 またニコッと笑ってひい婆ちゃんは俺の頭をポンポンと撫でて、「よいしょ」と立ち上がった。
「さて、少し列に遅れてしまったね。行こうか、ハヤテ」
 ひい婆ちゃんの声にハヤテは立ち上がって尻尾を振り、俺を見てもう一度顔を舐めた。
「ハヤテも……またな」
 最後にもう一回だけ撫でると、ハヤテは嬉しそうに目を細め、尻尾を振ってくれた。
「拓也、みんなを大切にね。ちゃんと歯磨くんだよ。あと、女の子は顔よりも性格だからね」
「うん」
 悲しいけれど、しっかりとした覚悟のようなものが固まってきた。
 ここでちゃんとした別れをして、ひい婆ちゃんにはもう会いたいと思っちゃいけない。それがお互いのためなんだ。
 最後にこうやって言葉を交わせただけでも、普通の人にはない幸せなんだ。
「ひい婆ちゃん、ひい爺ちゃんに何か伝言は?」
 最後にそう尋ねると、ひい婆ちゃんは恥ずかしそうに笑った。
「愛してるから長生きしてということと、初めて入った屋台楽しかったですよ、って伝えておいて」
 そう言ってひい婆ちゃんとハヤテは死者の列へ向かい、その白い後ろ姿にもう会えないんだと思うと、拭ったはずの涙がまたこみ上げる。
「……っ、ひい婆ちゃん!!」
 大きな声にひい婆ちゃんは振り向き、いつもと変わらない優しい表情に、俺は叩きつけるような声で本当に言いたかったことを口にする。
「っ今までごめん! 可愛くないひ孫だったかもしれない、怒らせたり悲しませたりもあったかもしれない! っけど……、俺、ひい婆ちゃんのひ孫で良かった! ありがとう!」
 涙でグシャグシャになった俺の顔を見て、ひい婆ちゃんはクシャッと笑うと遠くから手を振って声を張りかえす。
「お婆ちゃんも三神家の家族でいられて良かったよ! とっても楽しかった。こちらこそ、どうもありがとう。拓也は一人じゃないからね!」
 そう言って笑ったひい婆ちゃんの姿に、九十五年の歳月を重ねた一人の人間の姿が見えた。
 時に少女で、女性で、妻で、母で、祖母になり、人生を楽しもうとした一人の人間の姿が。
 俺の知っているひい婆ちゃんの後ろ姿は、涙のせいか黒髪をつやつやとさせた若い女性の姿にも見えた。ハヤテの姿も子犬の姿に見えたり。
 あぁ、もう不思議だな。
 きっと不思議だから、奇跡なんだ。

「あーあ……行っちゃった……」
 白い服を着た楽しそうな人たちの列にひい婆ちゃんとハヤテは戻り、俺はその姿が見えなくなるまで見送っていた。
「では、戻りましょうか。あまりこの世界にいすぎても、影響を受けます」
「うん。ありがとう、ワインレッドさん。みんなも付き合ってくれてありがとう」
「私は仕事でいたついでだから」
 例によってクールな態度を崩さずクロは言い、ポケットから懐中時計を出すと時間を確認してから「じゃあ」と歩いて行ってしまった。
「やれやれ、イミは相変わらず仕事人じゃな」
 眉を上げてギンが笑い、藤紫も槐も最後にまたひい婆ちゃんに会えて和らいだ顔をしていた。
「拓也さん、ではわたくしの手をまた握って下さい」
「うん」
 ほっそりとしたワインレッドさんの手に手を重ね、俺はもう一度美しい世界のなか行進する死者の列を見る。
 日本中を巡るこの行列の中に、今日もまた新たに亡くなった人が加わっているのだろう。
 亡くなったのは一人だけれど、現実世界にはその一人の死に何人もの人が悲しみ、それにケガレが付きまとっているのだと思う。
 きっとひい婆ちゃんをはじめ、亡くなった人は遺した人たちの幸せを願っている。それを守れるのは俺みたいな祓い屋たちの存在だけなんだ。
 死後の世界は俺の範囲外だけど、俺は自分の手で守れるものを守ろう。
 まずは家族。それから友達。それから守れそうな近くの人たち。
 心の中にあった虚ろな穴はいつのまにか優しく塞がっていて、俺は自分のすることを見つけて前を向けるようになっていた。
「なんか……、吹っ切れた気がする」
 そう呟いた俺に、周りにいた九十九神たちが微笑む。
 やがて美しい世界と白い人たちが真っ白な光に包まれたかと思うと、俺は現実のひい婆ちゃんの部屋に戻っていた。

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