伝統民芸彼女

臣桜

文字の大きさ
上 下
20 / 34

不穏

しおりを挟む
 その日の夕食のテーブルは、何ていうか最悪だった。
 ただでさえひい婆ちゃんが死んだ後でみんな疲れ果てているのに、ハヤテまでもが後を追うように死んでしまった。九十を超えた人間ならそろそろ……という覚悟はあるけど、ペットの場合は「痛い」とか「具合が悪い」とか言わないから、突然の時は本当に突然だ。
 彩乃と一緒に買い物に行って帰って来た七海は泣いて部屋に閉じこもり、ひい爺ちゃんと婆ちゃんは元気がなく、母さんは無理に元気を出すように沢山料理を作った。
「拓也、沢山あるんだから食べなさいね。これから暑くなるんだから体力つけないと」
 そう言って俺は若い男だからという理由で、皿にてんこ盛りになった料理を勧められる。
 いつものように「食べらんないよ」と言える雰囲気でもない俺は、胃袋がギブアップを告げるまで淡々と食事を口に運ぶのだった。

「苦……しい」
 リバースしてしまいそうなほど詰め込んだのに、母さんは丁寧に水密まで剥いてくれた。好物だから食べない訳にいかないじゃないか。
 文句を言いたいような、「仕方ないよなぁ」という気持ちで水密を食べていると、居間の方であまり耳にしたくない言葉が聞こえてくる。
「……で、父さん。母さんの遺産とかはどうなるんだ? ……あんまりこういう事は言いたくないんだが」
 爺ちゃんが話しにくそうに言って、父さんと母さんも気まずそうにひい爺ちゃんを見る。婆ちゃんは飯は要らないと言って早々に寝ていた。
 俺は関係ないし、あまり聞きたくない。
 そう思って水密の皿を流しに置くと、俺は自分の部屋に上がろうと歩き出す。
 本当はあまり聞きたくなかった話だが、遠方からの親戚が顔を出しに来たのも、ひい婆ちゃんと交流があったというのもあるだろうし、ひい婆ちゃんの実家が物凄い金持ちだという事もある。
 俺は相続とかの事はよく分からんが、ひい婆ちゃんの親とかの遺産で結構な額がひい婆ちゃんの預金にあるという事は、生前のひい婆ちゃんの昔話にチラッと聴いていた。だが自分の爺ちゃん婆ちゃんや父さん母さん、親戚たちがひい婆ちゃんの遺産についてどうこう……というのは正直聞きたくなかった。
 そのまま居間を通り過ぎようとした時、「キィ」と小さな声がしてハッとし、居間の中を見回すと隅の方に小さなケガレがいた。
「っ……!」
 ゾワッと全身が毛羽立った。
「なんで家に……」
 これ以上、誰かが死ぬのか?
 そう思って思わずクロの姿を探したが、見える場所にクロの姿はない。
 槐たちに何が起こっているのか聞かないと。
 そう思った俺は、居間を抜けてひい婆ちゃんの部屋へ向かった。

「皆、いる?」
 スラッと襖を開けると槐とギンがにらめっこをしている。もとは美少女と美女だというのにその変顔のクオリティはなかなかのもので、思わず俺は噴き出していた。
「どした、拓也」
 鼻を押し上げて目尻を下げていた槐が真顔になり、俺を見てくる。……切り替えの早い人だな。一方ギンは畳に手をついてカラカラと笑っていた。
「い……いや、あの。う、うぅんっ」
 美少女の変顔というのはかなり印象深かったので、俺は一度咳払いをして気持ちを誤魔化し、言い直す。
「居間に小さなケガレを見たんだけど、まただれか死神に狙われてるのか?」
 今度は真剣に尋ねると、三人は顔を見合わせる。そして俺の問いに返事をしたのは藤紫だった。
「拓也はん。確かに穢れの気配はするけど、イミの気配も死神の気配もしぃひんえ。この通り槐はんも『えまーじぇんしー』になってはらへんし」
 藤紫……どこから英語覚えたんだろ。
「槐……確かに笑ってないね」
 あれは怖かった。
「んだ。穢れの気配は感じるが、藤紫の言う通りイミや死神の気配はしねぇ。どれ、ちょっと見てみるか」
 そう言って槐は立ち上がり、襖をすり抜けて歩いて行ってしまった。
「槐……大丈夫かな。ケガレに見つかったら……」
「大丈夫じゃ。小さなケガレ一匹や二匹ぐらいなら、わしらに近付く事もできん。あれらは根は臆病なんじゃ」
「ふぅん」
 ギンの言葉に安心しながらも俺はやっぱり槐が心配で、「ちょっと行ってくるね」と二人に声を掛けてから一度部屋を出た。
「槐……?」
 パチンと電気を付けて居間に向かって廊下を進むと、すぐに槐の後姿が見えた。居間の入り口に立っていて、小さな顔を上下左右にゆっくり動かしながらその場を見張っているようだった。
 家族たちは槐の存在にまったく気付いていなくて、代わりに俺の姿には気が付いた。相変わらずお互いに目を逸らしながら遺産の事について話していて、俺は喉が渇いたふりをして一度台所に牛乳を飲みに行った。
「槐、戻ろう」
「んだな」
 自分たちの話の世界に入っている大人たちは、俺が独り言を言ったのにも気付いていないようだった。
「端的に言えば、今は心配ねぇな」
 ひい婆ちゃんの部屋に戻って槐が開口一番に言ったのは、その言葉だ。ホッとして畳の上に胡坐を掻くと、槐が続きを説明してくれる。
「あれは拓也の家族の心の闇に引かれてきたもんだ。だから人が死ぬとかじゃねぇ。けどな、小さい穢れも積もり積もったらどうなるかはもう分かるな?」
「うん」
 思い出すだけで気分が悪くなるのは、診察台のハヤテに小さなケガレが集まって、まるで軍隊アリが獲物に群がるようだと思った今日の昼。
「でもあのケガレが増える事はないの? きっと俺の家族、いまひい婆ちゃんとハヤテの死で参ってて、おまけに遺産の話とかしてるから心が荒んでるんだと思う」
 自分の家族に対して「荒んでる」なんて言葉使いたくないけど、きっとそうなんだ。
 俺だって疲れ切って本当は泣き寝入りしたいし、もし酒が飲める歳なら飲んでるんじゃないかな。
 人一人が、犬一匹が死ぬっていうのは、世界中の人口とか世界中の犬の数とかから比べたら、確かに一という数字なのかもしれない。けど、そのたったの一と密接に関わっていた人間には、心から愛していた存在なんだ。
 毎日の生活で接していた人、生き物がいなくなってしまったというのは、体験した事がある人しか分からないと思う。
「拓也の家族が暗い気持ちをあまりにも引きずりすぎたら、それに伴って穢れの量も増えるじゃろう。増えすぎた穢れはいずれ死神を呼ぶ。穢れに付きまとわれた人間は、鬱とやらになる事もあるし、事故などにも遭いやすくなる」
「……マジか」
 ギンの話を聞いて気持ちがズンと重たくなり、家族にこれ以上の不幸が起こる事を予想して気持ちは最悪なほどに落ち込んでいた。
「こういう時こそ拓也はんの出番やないの? 子供やさかい大人の事情には口挟めへんかもしれへんけど、大人の知らない場所でわてらを使うて穢れを払う事はできるんやえ」
「そうだね、藤紫」
 確かにその通りだ。俺が大人が抱えている問題を解決できる訳じゃないし、さっき槐が言った通り俺は目の前にある自分にできる事をコツコツ頑張っていくしかない。
「まぁ、あまり事を悲観するな。穢れはよく目を凝らしてみれば、そこら辺に沢山おる。そのいちいちに構っていればきりがない。絹も自分が介入するのが必要な場合をちゃんと見極めておったぞ」
「ひい婆ちゃんもそうだったのか」
 確かに毎日、日本のどこかで誰かが亡くなっていて、その度に俺やひい婆ちゃんのような人、そして九十九神、死神、クロのような存在が動き回っているんだろう。
 その他にも人の影を差した心にもケガレが付きまとうのなら、それにいちいち構っていたら俺たちのような存在は疲弊して、いざという時に戦えないのかもしれない。
「ギンが言った通り、拓也にはまだ経験が足りねぇ。これから色んな経験を積んで、槐たちの力を借りて介入する必要があるって時だけ、穢れたちに関わればいい。拓也みてぇなひよっこが全部の穢れを相手にしようなら、一日でけちょんけちょんだ」
 ひよっこでけちょんけちょんか。
「まぁ……、様子を見てみるよ。皆にお願いしたいのは、槐には穢れの力が強くなって家族に危険がないか見張って欲しいし、藤紫にはそうならないようにあのいい匂いで家族たちを癒して欲しい。いざとなったらギンの出番をお願いしたいんだ」
 こうやって指示するのは偉そうでちょっと恥ずかしいけど、特に槐たちは突っ込む事なく頷いてくれた。
「ふふ、拓也はんが初めてご主人様らしいこと言うてくれはった。わて、気張ろっと」
 しっとりとした黒目を細めて微笑む藤紫を「可愛いな」と思ったが、槐の氷の視線が怖くて俺は天井を見上げた。
 一つ、彼女たちに訊きたくて訊けない事がある。
 ひい婆ちゃんが亡くなる時の事だ。
 いま俺は三人の姿しか見えないが、ひい婆ちゃんはもっと大勢の九十九神に囲まれ、慕わていたはずだ。けど心臓発作みたいな突然のものに対して、ひい婆ちゃんは自分を狙う穢れや死神が見えていたんだろうか? そして、庭に倒れて意識を失ってゆくひい婆ちゃんを、槐たちはどんな気持ちで見守っていたんだろう。
 主が命令を出さないと九十九神たちは力を発揮できない。大好きな主が恐らくケガレに付きまとわれ、死神に命の糸を刈り取られるのを……どういう気持ちで見ていたんだろう。
 きっと凄く悔しかっただろうし、悲しかっただろうな。
 だからそれを彼女たちに「どんな気分だった?」「あの時、ひい婆ちゃんは苦しがってた?」とか、軽々しく訊いたらいけないんだ。
 もう少し彼女たちと仲良くなってから、訊ける雰囲気になったら訊こう。
 そう思った俺は時計を確認してから、もう少し彼女たちと話してから部屋に戻ろうと思うのだった。

**
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

高校球児、公爵令嬢になる。

つづれ しういち
恋愛
 目が覚めたら、おデブでブサイクな公爵令嬢だった──。  いや、嘘だろ? 俺は甲子園を目指しているふつうの高校球児だったのに!  でもこの醜い令嬢の身分と財産を目当てに言い寄ってくる男爵の男やら、変ないじりをしてくる妹が気にいらないので、俺はこのさい、好き勝手にさせていただきます!  ってか俺の甲子園かえせー!  と思っていたら、運動して痩せてきた俺にイケメンが寄ってくるんですけど?  いや待って。俺、そっちの趣味だけはねえから! 助けてえ! ※R15は保険です。 ※基本、ハッピーエンドを目指します。 ※ボーイズラブっぽい表現が各所にあります。 ※基本、なんでも許せる方向け。 ※基本的にアホなコメディだと思ってください。でも愛はある、きっとある! ※小説家になろう、カクヨムにても同時更新。

おデブな私とドSな魔王さま♪

柳乃奈緒
キャラ文芸
体重があと少しで100キロの大台に到達する おデブでちょっぴりネガティブな女子高生の美乃里。 ある日、黒魔術を使って召喚してしまった 超ドSな魔王に、何故か強制的にダイエットを強いられる。 果たして美乃里は、ドSな魔王のダイエットに耐えられるのか?そして、ハッピーエンドはあるのだろうか?

不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね
キャラ文芸
ある冬の日、小学六年生の未玖(みく)は下校途中、黒い紙袋に入った不思議な卵を見つけた。 好奇心から持ち帰るも母親に咎めれそうになるが、友達の陽彩(ひいろ)からゲーム機を貸したお礼に貰ったと言い、その場をやり過ごす。 未玖は卵を抱きしめたまままま眠ってしまうが、目覚めるとピアノ教室の日である事を思い出し、急いで卵をベッドに入れ部屋を後にした。 レッスンを終えて帰宅すると母親と弟の姿はなく、代わりに燃える翼に赤い瞳、艶のある黒髪、滑らかな白い肌をした不死鳥のダニールが悠然と待ち構えていた。 ダニールは未玖のことを「悪に選ばれし乙女」だと宣言し、「ともに歪んだ世界を救おう」と未玖を否応なく背中に乗せると、灰色の空へ飛び上がる。 不死鳥、神々、天使、悪魔、幻獣などの思惑が複雑に絡み合い、悪に選ばれし乙女となった未玖はどこへ辿り着くのか。 現代を舞台にした、歪んだ愛に溢れたダークファンタジーです。

[恥辱]りみの強制おむつ生活

rei
大衆娯楽
中学三年生になる主人公倉持りみが集会中にお漏らしをしてしまい、おむつを当てられる。 保健室の先生におむつを当ててもらうようにお願い、クラスメイトの前でおむつ着用宣言、お漏らしで小学一年生へ落第など恥辱にあふれた作品です。

宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕
キャラ文芸
宮廷の通訳士である英明(インミン)は、文字を扱う仕事をしていることから「暗号の解読」を頼まれることもある。ある日、後宮入りした若い妃に充てられてた手紙が謎の文字で書かれていたことから、これは恋文ではないかと噂になった。真相は単純で、兄が妹に充てただけの悪意のない内容だったが、これをきっかけに静月(ジンユェ)という若い妃のことを知る。通訳士と、後宮の妃。立場は違えど、後宮に生きる華として、二人は陰謀の渦に巻き込まれることになって――

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

処理中です...