【R-18】死神侯爵と黄泉帰りの花嫁~記憶喪失令嬢の精神調教~【挿絵付】

臣桜

文字の大きさ
上 下
20 / 37

出会い1

しおりを挟む
「あなたはまったく寡黙なレディですね。でもそこがいい。私は少し他の方と話して参りますから、また後で参りますね」

 やけに口の回る男性――フィリップとか名乗ったが、すぐに忘れてしまうだろう――がそう言ったあと、コレットの肩をポンポンと叩いて立ち去ってゆく。
 誰かに触られても、コレットは人形のように何も感じることはなかった。

 それから同じようにバルコニーの向こう側を眺め、どれだけ経っただろう。
 デジレが他の貴族たちと話している間、コレットはぼんやりと夜の庭を眺めていた。

 男性が声をかけてきても、コレットは答える言葉を持たない。

「こんばんは」、「ごきげんよう」などの挨拶はできるが、それ以上相手に興味を持てない。顔を赤らめた男性が饒舌にコレットを褒めたり、自身のことを語ったりしても、コレットの心はその場になかった。月を見上げ、時に中庭の向こうに見える屋敷のシルエットを見て、ぼんやりと男性の声を聞き流す。

〝それ〟が自分に関わるなど思わないからだ。

 屋敷に帰ったらまた父に舐め回される地獄があり、それをこの人たちに言っても信じてもらえると思っていない。

 初めて社交界に連れ出された時、一度だけ初対面の人に父の奇行を話してみたことがあった。エモニエ男爵家の次男、シプリアンという人だ。
 だが口を動かしたコレットを父は見逃さず監視していて、あとから嫌というほどお仕置きを受けた。風呂場で冷たい水を何度も被せられ、ガタガタと震えたところをヒヤリとした床に引き倒され、体を舐められる。

 あんな思いをするぐらいなら、誰にも何も話さずにいた方がいい。

 おまけに聞こえてくる話では、コレットが話をしたシプリアンは、その後事業が失敗し社交界に出る間もなくなってしまったようだ。
 ブリュイエール家は六大伯爵家としてそこそこ力があるらしい。だからきっと、父が圧力を掛けたに違いない。

 ――可哀相。

 そんな人を増やすぐらいなら、自分が最初から何も望まずにいた方がいいのだ。

「気分が優れないのか?」

 だからまた声を掛けられても、コレットはシャンパングラスを持ったまま、バルコニーの向こう側を眺めていた。

「口がきけないのか?」

 息をつく音がし、コレットの隣で大柄な影がバルコニーの手すりにもたれかかる。

「…………」

 死んだ目で男性の声を無視するコレットの手から、男性はシャンパングラスを取り上げた。視線だけシャンパングラスを追うと、背の高い男性がグイッと金色の液体を飲み干すところだ。月光に精悍な横顔が浮き上がり、喉仏が上下する。

「俺の友人を破滅させておいて、何も詫びはないのか?」

 だが次に彼が口にした言葉で、コレットの目に僅かばかりの動揺が浮かび上がった。

「……はめ……つ」
「覚えてはいるようだな。あなたが二年前に父親の話をした、哀れな男爵家の男だ。シプリアンは俺の友人でな」

 ようやく自分に興味を持ったという感じのコレットに、男性は呆れた溜め息を隠さない。

「……あの人は……。どうしていますか……」

 か細い、夜風にも紛れてしまいそうな声だ。
 だが耳を澄ましてちゃんとコレットの声を聞いてくれた彼は、月を見上げて呟く。

「今は遠い外国にいる。二年前は軌道に乗りかけていた事業が、方々の貴族が協力することを急にやめてしまった。ツテとなる存在を求め、同時に自ら商売となるものを見つけるために、この国を出て行った。幸い彼は次男だったから、家督には何の支障もない。だがシプリアンにはもう、この国に居場所はないのだろうな」

 男性の声は、低く静かで耳心地がいい。
 他の男性と比べて少し口調は乱暴だが、会話をする相手をしっかり見定め、〝対話〟しようとする意志がある。

 ――父とは大違いだ。
 ――父は自分の中に〝あの人〟を見て、コレットという一個人を見てくれない。
 ――でもこの人はこんなに背が高いのに、体を屈めてまで自分の声を拾ってくれた。
 ――今なら、この人越しにあの男性に声が届くのだろうか。
 ――あの時冷たい水を被りながら、激しく後悔し謝罪したかった気持ちが。

「……ごめん、……なさい」

 テラスの大窓越しに人々の喧噪が聞こえるなか、コレットは生まれて初めて父親以外の人間に謝った。
 男性は少し視線を下げ、コレットの言葉を耳の奥に聞き届け、微笑む。
 ポツリと落とすような笑みだと、コレットは思った。

「……承知した。彼は遠い土地にいるが、手紙でちゃんと伝えておこう。彼も狭量な人間ではないから、きっと笑って許してくれるだろう」

 そこで男性は、ポンポン、とコレットの頭を撫でてくれた。

「…………」

 ――いまの、何?

 胸の奥がトクンと跳ね、温かなものが心の中に満ちてゆく。
 コレットは生まれてこのかた、嫌な波立ち方をする以外、心の動き方を知らなかった。諦めの境地で凪いでいたコレットの心は、トクン、トクンという鼓動と共に波紋を描いていた。

 訳が分からず男性を見上げると、彼が「ん?」という顔でこちらを見下ろしている。

 琥珀色の目だ。
 紅茶の色と似ているし、カロリーヌお母様のネックレスにも似ている。

 生まれて初めてコレットは、父親のブルーアイ以外の色を知った。

「……きれい。……な、色」

 喘ぐように開かれた唇から、やはり生まれて初めての言葉が漏れる。
 華奢な手が伸ばされ、男性の顔に触れようとした。

「……何が綺麗だ? 髪か? 目か?」

 男性は背中を丸め、コレットの手を迎えるように顔を近付けてくれる。
 初めて触れた父親以外の男性の肌は、思ったよりずっと滑らかだ。ちゃんと手入れをされてあって、指先が気持ちいい。それに彼からはいい匂いもする。

 ――綺麗。

 胸の奥に静かな感動が広がったあと、父親に舐め回されている自分が酷く汚らわしく思えた。

「あ……っ、だ、駄目……っ」

 ――この人を汚してしまう。

 咄嗟に手を引いたコレットは、自分が〝恥ずかしく〟なった。

 堂々としていて立派で、声が素敵で何もかも綺麗な人の隣に、自分のような〝モノ〟がいてはいけない。
 自分の身を覆い尽くした汚れが彼に伝わってはいけない。
 そんな恐ろしいことをしてはいけない。
 誰かを汚すなんて、父のようなことをしてはいけない。

「…………っ」

 人形のようだった顔が引き攣り、恐怖が浮かび上がった。直後クシャッと表情が歪み、大きな目からいまにも涙が零れ落ちそうになる。
 ドレスを翻し、コレットはバルコニーの端にある階段を目指した。

 あの階段から中庭に下りれば、この場から逃げられる。
 とにかく、この人と一緒にいてはいけない。ただそれだけがコレットの胸中を支配していた。

 カツカツとヒールの音を響かせ、コレットは懸命に走る。
 屋敷でも父に逆らって走ったことなどない。逆らっても無駄だと分かっているからだ。
 男性から距離を取ると同時に、コレットは酷く悲しい気持ちに襲われる。

 ――本当はもっと一緒にいたい。
 ――あの綺麗な人と〝会話〟をして、〝他人〟を知りたい。

 心の奥底ではそう望むものの、自分のようなモノに大それた願いは似合わない。汚れきった自分は、屋敷の奥でジッとうずくまっているのが似合いなのだ。

 二十一歳になったら、自分は父の子を身ごもるかもしれない。
 そんな恐ろしい、腐りきった、生きる価値もない存在は、煌びやかな世界の住人と一緒にいてはいけない。

 分かっていても、コレットの目からはボロボロと大粒の涙が零れていた。
 階段の手すりに掌を滑らせ、小刻みに足を動かして下りる。

 だが――。

「おい」

 耳元で吐息交じりの声がしたかと思うと、コレットの細腰は力強い腕によってヒョイッと抱かれていた。

「っ!」

 あの香りに包まれる。
 濃密で妖艶で、男を感じさせる蠱惑的な匂い。

 いい匂い。

 頭の中がトロリと甘美なものに支配され、コレットは一瞬抗う気すらなくしかける。
 だがすぐに自分のようなモノが触れてはいけないと思い出し、必死に抵抗した。

「駄目……っ、駄目、……ですっ」

 やたらめったらに手足を動かすが、力強い腕はビクともしない。

 コレットを片腕で抱えたまま、男性は残った階段を悠々と下りてしまった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

処理中です...