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番外編 2 タワマン事件簿

さやかの背景

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「あー、〝編集〟されたら、優美が怒鳴って加害者になり、奥原さんが被害者になるやつか」

 慎也にポンと背中を叩かれ、私は我に返る。
 まるで「大丈夫だ」と言うように、彼は温かい掌でトントンと私の背中をさすってくる。

 この展開のために、私はわざと煽られた。

(落ち着け……)

 自分に言い聞かせ、私は興奮して高鳴った心臓を落ち着かせる。

「これ、リアルタイム用じゃないみたいだね。編集しないといけないから、今はただの録画かな? いやー、コソコソやるの得意だね? 三笠の家にも盗聴器を仕掛けてたし、この調子なら成宮さんの所にも盗聴器あるんだろ? 杉川さんのところもかなー?」

 正樹に言われても、さやかさんは表情を崩さない。

「もうこの女を相手にしててもどうにもならないから、警察呼ぼうぜ」

 慎也が言い、スマホを取りだす。

「私、何かしましたっけ?」

 しれっと言うさやかさんに、正樹は冷たい目を向ける。

「三笠はあんたに頼まれて、優美ちゃんの写真を撮ったって吐いた。それに他の家の人も、事情を話せば盗聴器を探させてくれるだろう。加えてあんたが持ってるパソコンに、音声データがあれば黒だ。成宮さんを突き落とした事も、黒ずくめの男をとっ捕まえて聞けば分かる。あいつら、あんたからの〝ご褒美〟ほしさにまだこの辺うろついてるから、捕まえたら一発だろ」

 正樹が言っている傍ら、慎也は本当にスマホをタップしている。

「悪いけど、データを誤魔化せないように、警察が来るまでここに居座るよ。優美ちゃんを安心させるために、今日で全部終わらせる」

 正樹が言ったあと、慎也はスマホを耳に宛がい、立ちあがって玄関のほうに行く。

「……いいですね。守ってもらえて」

 さやかさんは脚を組んだまま、ソファに背中を預ける。
 慎也が玄関で電話している間、私たちは沈黙している。

 やがて、さやかさんは髪を掻き上げて溜め息をついた。

「私、お店でナンバーワンをキープし続けて、絶対成功してやるって思ってたんです」

 語り始めた彼女の言葉を聞き、正樹は息をついて脚を組み替える。

「生まれた家庭環境は恵まれていなくて、男に寄生している母親が大嫌いでした。『母親みたいになるもんか』って思っていたけど、気がついたら私はホステスをしていました。……母親からもらったもので、唯一使えたのはこの顔でした。弄ってないんですよ? 私、綺麗でしょう?」

 彼女の整った顔を見て、私は頷く。

「さやかさんは美人ですよ」

 私の言葉を聞き、彼女は深い溜め息をつく。

「……でも進学校に行けるほど賢くありませんでした。それでも、高卒で就ける仕事で一生を終えたくないと野心を燃やしていたんです。母親みたいになりたくない。その一心で、自分が最も忌避している事……〝女〟を武器に仕事をする道を選びました」

 私は黙って彼女の人生を聞く。
 途中で慎也が戻って来たけど、特に何も言わずソファに座った。

「でも、顔がいいだけじゃ売れないんです。話術や気遣いに長けていないと生き残れないと、すぐ悟りました。他の子が黒服やママの陰口を叩いている間、私は全員を気遣って〝いい人〟を貫きました。周りを味方にしないと成功できないと察したんです。本当は不満は一杯あったけど、我慢した果てに成功があると信じていました」

 売れっ子だった分、彼女は相当な苦労をしていたようだ。

「我慢せずに『あれが嫌だ、これが嫌だ』って子供みたいに我が儘を言って、誰かが願いを叶えてくれる訳じゃありません。お客様は経営者や、名の知れた方が多いですし、当然頭がいい。顔だけの女はすぐ飽きられます。だから小学生向けの新聞から始めて、世間の動きを学んで、そのうち経営者の方々と投資の話ができるまで勉強しました」

「努力されたんですね」

 同意すると、彼女は溜め息をついた。

「……けど、これだけ努力している一方で、接客の天才みたいな人がいるんです。あんりっていう人がいたんですが、天真爛漫で、素で魅力的な会話ができる人でした。そこにいるだけで人の目を引いて、笑うだけで周りの雰囲気を変えるんです」

 会った事はないけど、何となく私はあんりさんの為人ひととなりが想像できた。

「私は皆から一線を引かれていて、売れているから嫌がらせもされていました。私だって勝ちたいから、皆と馴れ合うつもりはありませんでした。皆でゴールなんて無理ですから。でもあんりは、とてもナチュラルに色んな人の話に入っていけるんです」

 何となく、さやかさんのあんりさんへの嫉妬が分かる気がした。

 勉強や運動、芸術に関する事って、日々の努力の積み重ねだ。
 勿論、才能やセンスもあるだろうけど、毎日コツコツ頑張っている人には敵わないと思う。

 けど、人柄は親から受け継いだ性格や環境で形成されていく。

 家に本が沢山ある子供は、本好きになって色んなものに興味を持ちやすい。
 親がアウトドアが好きなら、一緒にあちこちに連れて行かれて、外遊びを好むかもしれない。

 まったくその通りにならなくても、きっかけがあるのとないのでは、桁違いの差がある。

 そしてさやかさんの場合、想像だけど母子家庭で、お母さんにはあまり構ってもらえなかったんだろう。
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