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箱根クリスマス旅行 編
折原さんと二人で居酒屋
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『なんですか? 荷物運びでも何でも言ってください』
彼女が重たい荷物を持っていても、誰も折原さんを女性扱いしないのは、端から見ればすぐ分かる。
だから俺は彼女の手助けになるのなら、何でもやるという立ち位置を貫いていた。
『いや、そうじゃないの。……んー、今日、仕事終わったら時間ある?』
……マジ?
ずっと断られていたのに彼女から誘われて、一瞬頭の中が真っ白になった。
正樹の事で不安になり、胸の中が一杯だったのも、申し訳ないながらほんの一瞬抜けてしまったほどだ。
『ある……。と言えばありますが』
『用事があったら断ってくれていいんだけど、ちょっと飲みに付き合ってくれない?』
そう言ってから、折原さんは周りを気にする。
場所は会社のエレベーター前で、昼休憩が終わる頃だった。
彼女は俺を探しに来たという感じで歩いてきたので、その段階からちょっと嬉しくは思っていたんだが。まさかこうなるとは……。
『も、勿論です!』
うわずった声で返事をすると、彼女はクシャッと笑った。
『じゃあ、仕事終わったら現地集合しよう。一緒に会社出るのはちょっと……だから』
そう言って、折原さんは先にリサーチしておいたらしい居酒屋のURLを、メッセージアプリで送ってきた。
『あざっす』
『じゃあ、あとでね』
彼女はヒラリと手を振って、いつも通りスラリとした歩き姿で立ち去っていった。
『…………マジか……』
一人になった俺は独り言を言い、今日死ぬかもみたいな事を冗談で考えてみる。
その時、手に持っていたスマホが震えた。
メッセージアプリを開くと、母からだった。
《一週間経ったから、警察に相談してみます》
舞い上がっていた気持ちも、それを読んだだけでガクンと落ちてしまった。
(……今日も午前中の仕事でミスったしな)
いつもの自分ならあり得ない失態に、思わず舌打ちしたくなる。
(折原さんと飲めて、そこから運が向いていけばいいな)
普段はスピリチュアルな事など何も信じていないのに、都合のいい時だけ幸運やツキなどを信じたくなる。
ドライな考え方だが、俺がここで死ぬほど焦ったとしても、正樹がすぐ見つかる訳じゃない。
母が警察に相談したというなら、あとはプロに任せよう。
芳也も未望も、正樹を心配しながらそれぞれ働き、通学している。
心配なのは皆一緒で、自分だけが自粛しても何もならない。
決めたあとは、折原さんとの時間を楽しみにしようと気持ちを切り替え、午後の仕事に向かった。
**
『あ、岬くんこっち』
指定された居酒屋に向かうと、先に折原さんが席に座っていた。
『どもっす。先に注文して良かったのに、待っててくれたんですか?』
『ご飯は皆で〝いただきます〟してから食べる主義なの』
聞いて、彼女らしいなと思った。
眩しいぐらいまっすぐでしなやかな人だから、家族仲が良くて行儀作法とかもきちんと身につけた人に思える。
『私ビール飲もっと。あとは枝豆と~。冷や奴と~』
何気ない事だが、「とりあえず生ね」と言わないのが彼女らしい。
「社会人だし、最初の一杯はビールに決まってるでしょ」という決めつけがない。
あくまで俺の好みを尊重し、好きな物を頼んでいいと自由に選択させてくれている。
『じゃあ、俺一杯目はジンライムにします』
『おっ、いいねぇ。スッキリするよね』
今までの職場の飲み会を見ていても、折原さんはジン系を飲まない。
けどこうやって俺が選択したメニューを肯定してくれるのを、いいなと思う。
細かい人は「飲んだ事もないのに嘘をついて合わせている」と言うかもしれない。
嘘は確かにいけない。
でも誰も傷つけない、誰かをいい気分にさせるための優しい嘘ならアリだと思っている。
女性同士、本音ではそう思っていないのに「可愛い」と言い合うのと同じだ。
そうやって空気を読んで、相手と和やかにやっていくのも処世術だと思っている。
俺が見る限り、折原さんは空気を読む達人だ。
職場全体をよく見て、誰かが困っていたらさり気なく手を差し伸べる。
彼女がいたから助かったという人は大勢いるはずだ。
俺から見ればそれが本当の意味で「空気が読める」人だと思っている。
佐藤さん達の言う「空気の読めない折原さん」は、何でも自分たちの都合のいいように「はい、はい」と頷かないからだという理由だ。
彼女は違うと思ったら自分の意見をハッキリ言う。
自分がおかしいと思うのに相手に合わせて「そうだね」という事の愚かさを知っている人だからだ。
彼女が重たい荷物を持っていても、誰も折原さんを女性扱いしないのは、端から見ればすぐ分かる。
だから俺は彼女の手助けになるのなら、何でもやるという立ち位置を貫いていた。
『いや、そうじゃないの。……んー、今日、仕事終わったら時間ある?』
……マジ?
ずっと断られていたのに彼女から誘われて、一瞬頭の中が真っ白になった。
正樹の事で不安になり、胸の中が一杯だったのも、申し訳ないながらほんの一瞬抜けてしまったほどだ。
『ある……。と言えばありますが』
『用事があったら断ってくれていいんだけど、ちょっと飲みに付き合ってくれない?』
そう言ってから、折原さんは周りを気にする。
場所は会社のエレベーター前で、昼休憩が終わる頃だった。
彼女は俺を探しに来たという感じで歩いてきたので、その段階からちょっと嬉しくは思っていたんだが。まさかこうなるとは……。
『も、勿論です!』
うわずった声で返事をすると、彼女はクシャッと笑った。
『じゃあ、仕事終わったら現地集合しよう。一緒に会社出るのはちょっと……だから』
そう言って、折原さんは先にリサーチしておいたらしい居酒屋のURLを、メッセージアプリで送ってきた。
『あざっす』
『じゃあ、あとでね』
彼女はヒラリと手を振って、いつも通りスラリとした歩き姿で立ち去っていった。
『…………マジか……』
一人になった俺は独り言を言い、今日死ぬかもみたいな事を冗談で考えてみる。
その時、手に持っていたスマホが震えた。
メッセージアプリを開くと、母からだった。
《一週間経ったから、警察に相談してみます》
舞い上がっていた気持ちも、それを読んだだけでガクンと落ちてしまった。
(……今日も午前中の仕事でミスったしな)
いつもの自分ならあり得ない失態に、思わず舌打ちしたくなる。
(折原さんと飲めて、そこから運が向いていけばいいな)
普段はスピリチュアルな事など何も信じていないのに、都合のいい時だけ幸運やツキなどを信じたくなる。
ドライな考え方だが、俺がここで死ぬほど焦ったとしても、正樹がすぐ見つかる訳じゃない。
母が警察に相談したというなら、あとはプロに任せよう。
芳也も未望も、正樹を心配しながらそれぞれ働き、通学している。
心配なのは皆一緒で、自分だけが自粛しても何もならない。
決めたあとは、折原さんとの時間を楽しみにしようと気持ちを切り替え、午後の仕事に向かった。
**
『あ、岬くんこっち』
指定された居酒屋に向かうと、先に折原さんが席に座っていた。
『どもっす。先に注文して良かったのに、待っててくれたんですか?』
『ご飯は皆で〝いただきます〟してから食べる主義なの』
聞いて、彼女らしいなと思った。
眩しいぐらいまっすぐでしなやかな人だから、家族仲が良くて行儀作法とかもきちんと身につけた人に思える。
『私ビール飲もっと。あとは枝豆と~。冷や奴と~』
何気ない事だが、「とりあえず生ね」と言わないのが彼女らしい。
「社会人だし、最初の一杯はビールに決まってるでしょ」という決めつけがない。
あくまで俺の好みを尊重し、好きな物を頼んでいいと自由に選択させてくれている。
『じゃあ、俺一杯目はジンライムにします』
『おっ、いいねぇ。スッキリするよね』
今までの職場の飲み会を見ていても、折原さんはジン系を飲まない。
けどこうやって俺が選択したメニューを肯定してくれるのを、いいなと思う。
細かい人は「飲んだ事もないのに嘘をついて合わせている」と言うかもしれない。
嘘は確かにいけない。
でも誰も傷つけない、誰かをいい気分にさせるための優しい嘘ならアリだと思っている。
女性同士、本音ではそう思っていないのに「可愛い」と言い合うのと同じだ。
そうやって空気を読んで、相手と和やかにやっていくのも処世術だと思っている。
俺が見る限り、折原さんは空気を読む達人だ。
職場全体をよく見て、誰かが困っていたらさり気なく手を差し伸べる。
彼女がいたから助かったという人は大勢いるはずだ。
俺から見ればそれが本当の意味で「空気が読める」人だと思っている。
佐藤さん達の言う「空気の読めない折原さん」は、何でも自分たちの都合のいいように「はい、はい」と頷かないからだという理由だ。
彼女は違うと思ったら自分の意見をハッキリ言う。
自分がおかしいと思うのに相手に合わせて「そうだね」という事の愚かさを知っている人だからだ。
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