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慎也と元カノ 編
マネキンみたいな女
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「弓香は本当にいい彼女だったよ。話が合ったし、賢くて魅力的だった。でも今思うと、本心がまったく分からなかった」
「本心……? 私、ずっと素だったよ?」
彼女は目を瞬かせ、意外というように首を横に振る。
「『裏の顔を見せろ』なんて言わない。ただ、今俺が愛している人に比べて、弓香の人間臭いところを知る事ができなかった。悪い言い方をすれば、マネキンを連れて歩いているようだった。どこから見ても綺麗で非の打ち所がない。あのまま付き合い続けて結婚していたら、周りから〝理想の二人〟と言われただろう。当時もそう思っていたけど、CMに出てくるような理想の家族を築いた俺が、果たして心から幸せなのかは分からなかった」
弓香は呆気にとられた顔で、また小さく首を左右に振る。
「何を……、言ってるのか分からない」
「俺は弓香のどこが好きだったのか言えない。思い出そうとしても、綺麗な思い出ばかりで、喧嘩すらしなかった。強い感情を伴う記憶は何もないんだ。すべてが合格点で、何の不満も生まれない。それは理想かもしれないけど、俺はもっと生き生きした喜びを欲していたんだ。……残酷な事を言えば、弓香は俺の心に何の痕跡も残さなかった」
彼女は悲しげに表情を歪める。
「私、慎也に釣り合う女性になろうと努力していたよ? 嫌な思いをさせちゃいけないって、我が儘を言わなかったし、あなたが望んでいそうな、自立した大人っぽい女性でいた。私にそうなるよう求めたのは慎也のほうじゃない」
俺は小さく首を横に振る。
「それは否定させてくれ。俺は一度も弓香に『こういう女性になってほしい』と理想を押しつけなかった」
彼女は息を止め、ゆっくり吐きだす。
「……そうだね。私が自分に理想を課して、背伸びし続けた。慎也が完璧だから、私もそうならないとって思って、無理し続けたのかもしれない」
当時の弓香がそう思っていたのに、多少は責任を感じる。
俺も正樹も、普通に振る舞っているだけなのに、周りに圧を与える事がある。
まるっきり誰の事も意識していないのに、周囲は焦りを感じ、負けないように、釣り合うように意識する。
それがきっかけで、友人同士、切磋琢磨できるならいい結果を生むかもしれない。
でも望んでいない嫉妬を受けたり、勝手に〝完璧な御曹司〟というレッテルを貼られると息苦しい。
「……大学生時代に、そういう本音を出してくれたら、もっと分かり合えていたと思う。でも弓香は本音を見せなかった。そういう君より、もっと生き生きした女性に魅力を感じたのは事実なんだ。あの時俺は今付き合っている女性に一目惚れして、その人の事しか考えられなくなった。……酷い話だけど、可も不可もなくだった弓香の存在が、俺の中で薄れてしまった」
「何……、それ……」
弓香は呆然とした表情で涙を流す。
「俺のために努力してくれてありがとう。けど、本当の自分を偽り続けて生きるのは、弓香のためにならないと思う。そうやっていたら、いつか破綻する。俺は滝本弓香という一人の女性と付き合っていたつもりだった。君の個性を愛したかった。けど、弓香は自分から欠点のない、自分を押し殺した〝理想の女性〟を演じ続けた。……そういう君では物足りなかったんだ」
彼女は、ひどく傷付いた顔をしていた。
「……マネキンみたいな女だから、私じゃ駄目なの? 確かに私から告白したけど、慎也が『じゃあ付き合おうか』って私を選んだんじゃない。私には『悪いところはなかった』って言っておきながら、私を否定するの?」
「〝マネキン〟という言葉で傷つけたなら謝る。……けど、俺からも質問したい。弓香は俺の好きな点を、『完璧』『最高』『自慢の彼氏』以外に口にした事があったか? 他の皆でも言える美辞麗句以外に、俺の個人的な面を見て愛そうとしたか? 俺の何を知っている? 癖や好きなものや、欠点。そういうものを見ようとしていなかったんじゃないか?」
優美は、俺の中にあるドロドロとした感情もすべて受け入れ、笑って抱き締めてくれる。
彼女は俺を『完璧』なんて言わない。
表向きそう振る舞っているのを知っていても、裏側で抱えた感情を理解してくれている。
けれど、弓香はそうじゃない。
俺の表面的なスペックしか愛していない。
もし違うのだとしても、俺には感じられなかった。
そこが決定的な違いだ。
弓香は唇を噛み、必死に言う。
「慎也の寝顔を知ってるし、体のどこに黒子があるか知ってる。女性の香水はフローラル系が苦手、趣味は料理、お兄さん思いとか、色々知ってるよ?」
「それってただの〝情報〟だろ? 俺が今まで何を考えて生きてきたか、知らないだろ」
彼女はまた、傷付いた顔をする。
「……言ってくれなかったもの。慎也をもっと知りたいって思っても、『迷惑掛けたらいけない』って思ったし」
「そこで自分の『知りたい』って欲求を貫くほど、弓香は俺に興味がなかったんだよ」
「そんな事ない!」
「立ち入った事を聞いたら、俺が怒るとか不機嫌になると思っていただろ? そんな事で俺は怒らない。それを信じられていなかったんだよ」
弓香は固まる。
「本心……? 私、ずっと素だったよ?」
彼女は目を瞬かせ、意外というように首を横に振る。
「『裏の顔を見せろ』なんて言わない。ただ、今俺が愛している人に比べて、弓香の人間臭いところを知る事ができなかった。悪い言い方をすれば、マネキンを連れて歩いているようだった。どこから見ても綺麗で非の打ち所がない。あのまま付き合い続けて結婚していたら、周りから〝理想の二人〟と言われただろう。当時もそう思っていたけど、CMに出てくるような理想の家族を築いた俺が、果たして心から幸せなのかは分からなかった」
弓香は呆気にとられた顔で、また小さく首を左右に振る。
「何を……、言ってるのか分からない」
「俺は弓香のどこが好きだったのか言えない。思い出そうとしても、綺麗な思い出ばかりで、喧嘩すらしなかった。強い感情を伴う記憶は何もないんだ。すべてが合格点で、何の不満も生まれない。それは理想かもしれないけど、俺はもっと生き生きした喜びを欲していたんだ。……残酷な事を言えば、弓香は俺の心に何の痕跡も残さなかった」
彼女は悲しげに表情を歪める。
「私、慎也に釣り合う女性になろうと努力していたよ? 嫌な思いをさせちゃいけないって、我が儘を言わなかったし、あなたが望んでいそうな、自立した大人っぽい女性でいた。私にそうなるよう求めたのは慎也のほうじゃない」
俺は小さく首を横に振る。
「それは否定させてくれ。俺は一度も弓香に『こういう女性になってほしい』と理想を押しつけなかった」
彼女は息を止め、ゆっくり吐きだす。
「……そうだね。私が自分に理想を課して、背伸びし続けた。慎也が完璧だから、私もそうならないとって思って、無理し続けたのかもしれない」
当時の弓香がそう思っていたのに、多少は責任を感じる。
俺も正樹も、普通に振る舞っているだけなのに、周りに圧を与える事がある。
まるっきり誰の事も意識していないのに、周囲は焦りを感じ、負けないように、釣り合うように意識する。
それがきっかけで、友人同士、切磋琢磨できるならいい結果を生むかもしれない。
でも望んでいない嫉妬を受けたり、勝手に〝完璧な御曹司〟というレッテルを貼られると息苦しい。
「……大学生時代に、そういう本音を出してくれたら、もっと分かり合えていたと思う。でも弓香は本音を見せなかった。そういう君より、もっと生き生きした女性に魅力を感じたのは事実なんだ。あの時俺は今付き合っている女性に一目惚れして、その人の事しか考えられなくなった。……酷い話だけど、可も不可もなくだった弓香の存在が、俺の中で薄れてしまった」
「何……、それ……」
弓香は呆然とした表情で涙を流す。
「俺のために努力してくれてありがとう。けど、本当の自分を偽り続けて生きるのは、弓香のためにならないと思う。そうやっていたら、いつか破綻する。俺は滝本弓香という一人の女性と付き合っていたつもりだった。君の個性を愛したかった。けど、弓香は自分から欠点のない、自分を押し殺した〝理想の女性〟を演じ続けた。……そういう君では物足りなかったんだ」
彼女は、ひどく傷付いた顔をしていた。
「……マネキンみたいな女だから、私じゃ駄目なの? 確かに私から告白したけど、慎也が『じゃあ付き合おうか』って私を選んだんじゃない。私には『悪いところはなかった』って言っておきながら、私を否定するの?」
「〝マネキン〟という言葉で傷つけたなら謝る。……けど、俺からも質問したい。弓香は俺の好きな点を、『完璧』『最高』『自慢の彼氏』以外に口にした事があったか? 他の皆でも言える美辞麗句以外に、俺の個人的な面を見て愛そうとしたか? 俺の何を知っている? 癖や好きなものや、欠点。そういうものを見ようとしていなかったんじゃないか?」
優美は、俺の中にあるドロドロとした感情もすべて受け入れ、笑って抱き締めてくれる。
彼女は俺を『完璧』なんて言わない。
表向きそう振る舞っているのを知っていても、裏側で抱えた感情を理解してくれている。
けれど、弓香はそうじゃない。
俺の表面的なスペックしか愛していない。
もし違うのだとしても、俺には感じられなかった。
そこが決定的な違いだ。
弓香は唇を噛み、必死に言う。
「慎也の寝顔を知ってるし、体のどこに黒子があるか知ってる。女性の香水はフローラル系が苦手、趣味は料理、お兄さん思いとか、色々知ってるよ?」
「それってただの〝情報〟だろ? 俺が今まで何を考えて生きてきたか、知らないだろ」
彼女はまた、傷付いた顔をする。
「……言ってくれなかったもの。慎也をもっと知りたいって思っても、『迷惑掛けたらいけない』って思ったし」
「そこで自分の『知りたい』って欲求を貫くほど、弓香は俺に興味がなかったんだよ」
「そんな事ない!」
「立ち入った事を聞いたら、俺が怒るとか不機嫌になると思っていただろ? そんな事で俺は怒らない。それを信じられていなかったんだよ」
弓香は固まる。
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