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箱根クリスマス旅行 編

月の兎

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「『俺の大切なものを半分やる』って言ったんだ。『一生掛けて大事にできるものを、本当に価値があると思えるものが見つかったら、それを正樹に半分やる』って約束した」

 慎也の話を聞き、私の脳裏に蘇ったのは、焚き火の中に自ら飛び込んだ兎だ。

 遠い昔、子供の頃に読んだ童話に、月にはなぜ兎がいるかという話があった。
 帝釈天が姿を変えて老人の姿になり、狐と猿と兎に施しを求めた。
 狐と猿はそれぞれの賢さ、器用さで獲物を採ったが、兎は何も老人のために採ってくる事ができなかった。
 それを、狐と猿は責めた。

 ――最後に、何も差し出せなかった兎は、自らを食べてほしいと言って、火の中に飛び込んだ。

 そして帝釈天は兎の姿を月に残した――。

 うろ覚えだけれど、確かそんな話だ。
 仏教からくる童話で、〝ない〟理由を他者のせいにせず、自分の中にすでに備わっているものを大切にしなさい、というお説教だったと思う。

 慎也と正樹に重なるとは言えるかもしれないし、言えないかもしれない。
 けれど自分の価値が分からず様々なものに求めた挙げ句、絶望した正樹と、彼に対して自らを分け与えようとした慎也の姿は、対称的だ。

 だからと言って、どちらが悪いでもない。
 二人は現実に生きていて、童話の世界の登場人物じゃない。

「……慎也は、優しいね」

 いつの間にか泣いてしまった私は、彼の頭を撫でて笑いかける。

「……怒らないのか? 俺の財産だったら、簡単に済んでいた。でも正樹は金なんて必要としていない。正樹は愛情を欲していた。……俺は、何も関係のない優美を、昔とっさに口走った約束の通り、正樹と半分こするって言ったんだ。君の気持ちも何も考えずに……」

 罪悪感にまみれて綺麗な涙を流す慎也を、私は心の底から「愛しい」と感じた。
 もちろん、正樹の事も愛しい。

 二人とも、どうにもならないバカで、愛すべき人だ。

「いいんじゃない?」

 私がケロッとして言ったからか、慎也はポカンとした表情になる。

「私、一回も『嫌だ』なんて言ってないよ?」

 慎也は目をまん丸にしたまま、私を見つめて真意を図る。

「エッチのしすぎはちょっとしんどいけど、二人は私を大切にしてくれるでしょう? 私の意思を常に尊重してくれる。感謝はすれど、不満に思った事なんて一度もないよ?」

 息を止めていた慎也が、ゆっくりと吐いていく。

「私は今の関係に不満はない。二人が好き。私の気持ちを無視して、勝手に不幸だと決めつけないで」

 ハッキリ言い切った私の言葉に、慎也はクシャリと泣き笑いの表情になる。

「……君は……」

 私も微笑み、慎也の頬に零れた涙をキスして吸い取った。

「二人が必要としてくれる限り、ずっと側にいるよ。結婚とか子供とか、この先の事を三人でどうするかは分からないけれど、私は二人を愛しているし、二人が話し合って決めた事に従う」

 もう、何も迷いはなかった。

「初めは世間体がとか、普通じゃないとか、〝常識的〟な事を考えて抵抗はあった。でも二人は私に心を砕いてくれた。私の過去を知った上で愛してくれて、浜崎くん達の事だって自分の事のように怒ってくれた。そこまでしてくれたのに、愛し返さないなんてあり得ない」

 慎也の頬を撫で、私は微笑みかける。

「今回の旅行で、二人の心の深い部分まで知る事ができた。二人には、心の底から幸せになってほしいと思う。もう、世間体とかそういうの、どうだっていいの。二人が幸せならそれでいい」

 慎也が、お湯の中でゆっくりと指を絡めてくる。

「あとね、正樹が病んだ原因に、慎也が絡んでいる比重はそれほどないと思う」

「え? でも……」

「正樹には正樹の世界があって、慎也の知らない人との関わりもあった。そりゃあ、家族だから関係は誰よりも濃いし、家庭問題って根深い。けど、それだけが人生のすべてじゃないでしょ? 仕事や友人、その他の事だってある。悩み事があったとして、それを深く考えてさらに深刻にしてしまうのは、自分自身なの」

 まだ慎也が納得していない顔をしていたので、私は笑い交じりに言う。

「浜崎くんがエッチの時に勃たなかったのを、私が全然気にしてなかったのと一緒。それについて心配とか、ちょっとガッカリとか、多少思う事はあっても、それがすべてじゃないの。浜崎くんが自分一人でどんどん闇を抱えてしまったから、ああなった。……分かる?」

「……うん」

 ふわ、と微笑み、自然と力んでいた慎也の肩から、力が抜ける。

「ちょっとシビアに言うと、慎也が思ってるほど、世界は慎也を中心に回ってないの」

「……っはは! その通りだ」

 慎也は憑きものが落ちたような顔で笑い、バシャッとお湯で顔を洗う。

「……ありがとう」

「どういたしまして。こんな事でいいのなら、いつでも」

 慎也は私を見つめ、微かに唇を開く。
 それだけでキスをされると悟り、私はそっと目を閉じた。
 唇が重なり、優しく何度かついばんで、舐めて、離れていく。

「……愛してる」

 晴れやかに、心の底から嬉しそうに笑った慎也に、私は抱きついた。

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