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箱根クリスマス旅行 編
すべての人に好かれる訳じゃない
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「俺も死なないよ。せっかく優美と恋人になれて、正樹の願いも叶えられようとしてる。それなのに正樹を置いて死ぬ予定はない。お前と優美を残して死んだら、悔しくて死にきれないよ」
弟の言葉を聞いて、正樹はクシャッと泣きそうな顔で笑った。
「…………ごめん、慎也」
「いいよ。正樹がいつも明るく飄々と振る舞っているのは、無理をしてるのを隠しているからだって事は、ずっと分かってたから」
「……カッコ悪いな」
「格好悪くなんてないよ。人間、誰だって弱みはあるんだから」
彼の頭をもう一度撫で、私はチュッと頬にキスをした。
「自分が許せないと思う弱さに、罰を与えなくていいんだよ。完全に自分を好きになりきれなくても、まあまあ気に入る事ができればそれで勝ちなの。正樹はもう、自分を許して前を向いていいんだよ」
正樹は私の顔を見つめてぎこちなく笑い、涙を零す。
唇が歪んで震え、何かを伝えようとしているけれど、言葉にすればば涙声になってしまうので、必死に堪えているようだった。
「優美は男前だろ。それでいて聖母だ。俺の自慢の彼女。それで、正樹の彼女でもあるよ」
慎也が言い、手を伸ばして正樹の肩をポンポンと叩く。
正樹はフハッと笑い、涙が零れているのを隠さずに顔を上げて笑顔を見せた。
「なんか、こんな素敵な女の子に出会えて、本当に良かったな。もうこれで、残りの人生の運を全部使ったんだとしても、悔いはない」
二人とも私をべた褒めしてくれるけれど、それは違うと思った。
「ありがとう。でもね、私は何も特別じゃないよ。昔はとても自己肯定感が低くて、周りの人の顔色を窺ってばかりだった。近くにいると汗臭いんじゃないかとか、一緒に歩いていると友達が〝恥ずかしい存在を連れて歩いている〟って思われるんじゃないかとか、考えすぎて毎日がつらかった」
私は濡れた手で正樹の髪を撫で、昔を思いだす。
「へたをすれば五十嵐さんのように、卑屈さから誤った方向へ歩んでいたかもしれない。『どうせ誰も私を愛さない』と思い込んで、家族や友人の愛情すら否定したかもしれない。どれだけ無償の愛を注いでも、毎回疑われて卑屈になられたら、どんな人だってしんどくなるよね。その一線が分かっていたから、何とか踏みとどまれていた」
「確かに、それは分かる」
慎也が同意したけれど、それが誰についての事かは分からなかった。
もしかしたら慎也なりに、長年自分の純粋な兄弟愛を受け入れてくれなかった正樹への、不満や焦れったさが鬱屈とした思いとなっていたのかもしれない。
正樹は庭園の方を見たままで、反応は分からない。
「結局、私が前向きになれたのは、家族と友人に恵まれていたのが大きかったと思う。そればかりは生まれ持った家庭環境だから、違う境遇の人に『恵まれた人が上から目線で綺麗事を言ってる』って言われても仕方がない」
五十嵐さんの家庭環境や友人関係は、私とは違ったかもしれない。
「そういう人がいるのは分かっている。でも、世界中の人達に自分の生まれた環境、考えてきた事をすべてオープンにして、説明する義理もない。ただ、自分の両手の中にあるごく一部の人にだけ、心の底からの愛情を注ぎたい。今まで自分が愛された分、周りの人に還元したいと思っている。……それだけなんだ」
言い切って溜め息とともに笑うと、左右で二人も息をついた。
「優美ちゃんってさ、多分〝普通〟なんだろうね。世の中には優美ちゃんみたいな善人が、本当は大勢いる。どっかこっか、傷を負って影があっても、自分の中に一本芯が通っていてそのプライドの通り生きようとまっすぐ前を向いている。……僕はそれができてないから、とても眩しく感じるんだと思う」
すでに涙を拭っていた正樹は、いつものようにカラリとした笑みを浮かべる。
「僕は僕なりに、足掻いて生きていきたいな。慎也もいて、優美ちゃんもいてくれて、浮き板のような二人に必死に捕まって泥沼の中でもがくような感じだけど」
「いいんじゃない? じゃあ私、めっちゃいいビート板になってあげる」
「えー? じゃあ俺はライフジャケットかな」
「あっは! すっごい心強くない? やったね!」
しんみりしていた空気が明るくなり、私は心の中で安堵の息をつく。
慎也も正樹も大切だから、悩んでいる事があるのなら丁寧に聞いて少しでも力になりたい。
でもやっぱり、こうしていつものように明るく時間を過ごせていると、一番楽しい。
「優美の理論ってさ、投資みたいなもんだよな。愛情かけたら、感謝してくれて還元してくれる。なら、もっとたっぷり愛してあげたいってなる」
「ホントそれ。こんなにいい銘柄は見た事ないね」
何だかんだ、周囲に優しくしたら自分が愛される(かもしれない)というのは、人付き合いの基本の気がする。
百パーセント、すべてが返ってくる訳じゃない。
すべての人に好かれる訳じゃない。
私の事を死ぬほど嫌いという人だって、どこかに必ずいるだろう。
弟の言葉を聞いて、正樹はクシャッと泣きそうな顔で笑った。
「…………ごめん、慎也」
「いいよ。正樹がいつも明るく飄々と振る舞っているのは、無理をしてるのを隠しているからだって事は、ずっと分かってたから」
「……カッコ悪いな」
「格好悪くなんてないよ。人間、誰だって弱みはあるんだから」
彼の頭をもう一度撫で、私はチュッと頬にキスをした。
「自分が許せないと思う弱さに、罰を与えなくていいんだよ。完全に自分を好きになりきれなくても、まあまあ気に入る事ができればそれで勝ちなの。正樹はもう、自分を許して前を向いていいんだよ」
正樹は私の顔を見つめてぎこちなく笑い、涙を零す。
唇が歪んで震え、何かを伝えようとしているけれど、言葉にすればば涙声になってしまうので、必死に堪えているようだった。
「優美は男前だろ。それでいて聖母だ。俺の自慢の彼女。それで、正樹の彼女でもあるよ」
慎也が言い、手を伸ばして正樹の肩をポンポンと叩く。
正樹はフハッと笑い、涙が零れているのを隠さずに顔を上げて笑顔を見せた。
「なんか、こんな素敵な女の子に出会えて、本当に良かったな。もうこれで、残りの人生の運を全部使ったんだとしても、悔いはない」
二人とも私をべた褒めしてくれるけれど、それは違うと思った。
「ありがとう。でもね、私は何も特別じゃないよ。昔はとても自己肯定感が低くて、周りの人の顔色を窺ってばかりだった。近くにいると汗臭いんじゃないかとか、一緒に歩いていると友達が〝恥ずかしい存在を連れて歩いている〟って思われるんじゃないかとか、考えすぎて毎日がつらかった」
私は濡れた手で正樹の髪を撫で、昔を思いだす。
「へたをすれば五十嵐さんのように、卑屈さから誤った方向へ歩んでいたかもしれない。『どうせ誰も私を愛さない』と思い込んで、家族や友人の愛情すら否定したかもしれない。どれだけ無償の愛を注いでも、毎回疑われて卑屈になられたら、どんな人だってしんどくなるよね。その一線が分かっていたから、何とか踏みとどまれていた」
「確かに、それは分かる」
慎也が同意したけれど、それが誰についての事かは分からなかった。
もしかしたら慎也なりに、長年自分の純粋な兄弟愛を受け入れてくれなかった正樹への、不満や焦れったさが鬱屈とした思いとなっていたのかもしれない。
正樹は庭園の方を見たままで、反応は分からない。
「結局、私が前向きになれたのは、家族と友人に恵まれていたのが大きかったと思う。そればかりは生まれ持った家庭環境だから、違う境遇の人に『恵まれた人が上から目線で綺麗事を言ってる』って言われても仕方がない」
五十嵐さんの家庭環境や友人関係は、私とは違ったかもしれない。
「そういう人がいるのは分かっている。でも、世界中の人達に自分の生まれた環境、考えてきた事をすべてオープンにして、説明する義理もない。ただ、自分の両手の中にあるごく一部の人にだけ、心の底からの愛情を注ぎたい。今まで自分が愛された分、周りの人に還元したいと思っている。……それだけなんだ」
言い切って溜め息とともに笑うと、左右で二人も息をついた。
「優美ちゃんってさ、多分〝普通〟なんだろうね。世の中には優美ちゃんみたいな善人が、本当は大勢いる。どっかこっか、傷を負って影があっても、自分の中に一本芯が通っていてそのプライドの通り生きようとまっすぐ前を向いている。……僕はそれができてないから、とても眩しく感じるんだと思う」
すでに涙を拭っていた正樹は、いつものようにカラリとした笑みを浮かべる。
「僕は僕なりに、足掻いて生きていきたいな。慎也もいて、優美ちゃんもいてくれて、浮き板のような二人に必死に捕まって泥沼の中でもがくような感じだけど」
「いいんじゃない? じゃあ私、めっちゃいいビート板になってあげる」
「えー? じゃあ俺はライフジャケットかな」
「あっは! すっごい心強くない? やったね!」
しんみりしていた空気が明るくなり、私は心の中で安堵の息をつく。
慎也も正樹も大切だから、悩んでいる事があるのなら丁寧に聞いて少しでも力になりたい。
でもやっぱり、こうしていつものように明るく時間を過ごせていると、一番楽しい。
「優美の理論ってさ、投資みたいなもんだよな。愛情かけたら、感謝してくれて還元してくれる。なら、もっとたっぷり愛してあげたいってなる」
「ホントそれ。こんなにいい銘柄は見た事ないね」
何だかんだ、周囲に優しくしたら自分が愛される(かもしれない)というのは、人付き合いの基本の気がする。
百パーセント、すべてが返ってくる訳じゃない。
すべての人に好かれる訳じゃない。
私の事を死ぬほど嫌いという人だって、どこかに必ずいるだろう。
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