輪廻の果てに咲く桜

臣桜

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彼女2

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 その光の世界の中で、葵は気が付いたら自由に『移動』ができるようになっていた。
 時間の概念のない『そこ』で、葵が望めば望む人の姿を見る事ができる。
 家族の姿だったり、幸せな子供の頃の思い出だったり、記憶が定かではない乳児の頃の記憶だったり、更にその奥の奥。
『葵』が知らないはずの風景があったりする中で、そこに出てくる人々を『葵』は知らないはずなのに、皆一様に優しい。
「知っている」と感じる見知らぬ人々を『思い出して』葵は感傷に浸り、安堵していた。
 風景が流れ、人が流れ、さまざまな感情や記憶が流れ、その中を葵がすり抜けてゆく。
 自分はかつてその中にいたんだな、とも思ったし、
 自分はもうそこにはいないのだな、とも思った。
 不思議とその思いに対して「寂しい」とか「悲しい」という感情はなかった。
 すり抜けていったものに対しての執着は一切なく、ただ周囲にある記憶たちに対して優しい思いがあるだけだ。
 ただ一つ――。
 成仏したはずの葵の心を、ずっと曇らせているものがあった。
 シトシトと、絶え間なく降り注ぐ悲しみの雨。
 女梅雨のように優しく降り注ぐそれは、葵の魂を瑠璃色に染め、雨粒によって作られる波紋が幾つも幾つも水面に広がってゆく。
 時に光を浴びて虹を作り、時に消え入りそうな弱さになり、時に男梅雨のように強くなるその雨は、ずっとずっと葵の心を満たしていた。
 心地よい光の世界で、何ら悲しみや怒りなどの感情に囚われず、優しい大気に抱かれて意識をたゆたわせていた葵にも、その雨の正体は推して図られる。

 ――泣いてる。
 これは……私の大切な人の涙。
 地上から伝わる優しい悲しみが、大気を震わせて雨となり、私の魂に降り注ぐ。
 愛しい人の涙。
 私が大好きな、あの人の涙。

 ……ときひとさん。

 心の中に雫が一粒落ち、大きな大きな波紋となって広がってゆく。
 そして――、あぶくのように次々に心に湧きあがる気持ち。

 会いたい。
 会いたい。
 会いたい。

 今どうしてるの?
 一人で泣いてない?
 たった一人で秘密を抱えて、膝を抱えてない?
 ときひとさん、私がいないとダメなんだから。

 そう思い始めると、成仏して失ったはずの生々しい感情が次々と湧いてくる。
 葵のたゆたう世界が揺れ、穏やかな世界の空気のなかで葵の周りだけが生々しい地上の色を纏って震え始める。

 会いたい。
 会いたい。
 会いたい。

 ――会いたいの。

 ――お願い、誰か会わせて。
 彼を愛しているの。
 彼と幸せになりたいの。
 ――彼を、幸せにしてあげるって約束したの。
 彼には私がいないとダメなの。

 ときひとさん。
 ときひとさん。
 ときひとさん。

 お願い、会いたいの。
 おねがい。
 ――誰か。

 その時、遥か遠くで葵は誰かの『返事』を感じた。
 現在と過去と未来が混同したこの世界の遠くで、葵の願いに応えようとする魂がいる。
「私がいるよ」
 その魂はその存在すべてを光り輝かせて、葵にそう主張していた。
 葵がその魂の元へ意識を揺らめかせて移動すると、目の前にはまだ蕾の蓮の花があった。
 優しい色で光るその蓮の蕾から、まだ何の色にも染まっていない無垢な魂が葵の悲しみを癒そうとしていた。
「大丈夫、泣かないで」
 まだ顔の決まっていない小さな魂が葵に向かって笑いかけ、幼い手が葵の頬をそっと撫でる。
「今、私はあなたの願いを受け入れてるから」

 いま?

 幼い魂の声に葵は大気を震わせるような声で不思議そうに言い、幼い魂の手を受けて自分の気持ちが安らいでゆくのを感じていた。
「『ここ』はあなたの時間。でも、『私の時間』でも私とあなたは出会って、あなたの願いを受け入れてるの」
 ゆるゆると水が揺らめくように大気が揺れ、その優しい揺らめきの遥か遠くに、『ここ』と誰かの『夢』が繋がっていると感じた。

 伝わるの?
 私の願いは叶えられるの?
 彼に伝わる?

 葵の願いをしっかりと聞き入れ、幼い魂は穏やかに笑ってみせた。
「あなたの願いは私が叶えてあげる」
 魂の世界では、誰もが優しい。
 誰もが隣人で、親で、子で、繋がっている。
 誰もが無償で隣にいる魂を助けようとしてくれる。
 悲しんでいるのならすぐに手を差し伸べて、喜んでいたら一緒に喜んでくれる。

 求めれば、与えられる優しい世界。
 だから、その無垢な魂も葵を助けようとしたのだ。
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