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翌朝、眠る事のできなかった時人は酷い顔色で告別式に参列した。
葵の葬式だというのに、時人の方がまるで死人のような顔をしている。
張りのある低音の読経を耳にし、水晶の数珠を絡めた手を合わせ、彼女のために祈る。
この場にいる参列者全員分の祈りがあれば、彼女は極楽へ導かれるのだろうか。
真っ白な花に包まれて笑っている彼女は、本当は今冷たくなって棺の中に寝かされている。
その顔も、体も傷だらけで。
どうか、彼女の家族が見たのは痣のついた顔だけでありますように。
彼女が愛した家族が、彼女の体に付けられた惨たらしい傷を知る事のないように。
最期の思い出だけでも、綺麗に化粧を施された顔で送られますように。
彼女が、悔いを残すことなく旅立てますように。
最期に葵に挨拶をする時、その眠っているような顔を一生忘れないと思った。
綺麗に化粧をされた肌にはまだうっすらと痣が残っている。
けれど、綺麗な黒髪も彼女の美貌も、驚くほど長い睫毛もそのままだ。
スッと通った鼻梁、形のいい唇。
「安らかに眠って下さい」
涙を堪えた時人の声が別れを告げ、配られた白い百合をそっと彼女の頬の横に添えた。
初めて彼女に花を贈るのが、別れ花になるとは思ってもいなかった。
沢山の白い花に囲まれて、
花のように綺麗な彼女の顔を覗かせていた小さな窓が閉まり、
桐の棺に真っ白な布が被せられた。
「葵ーっ!」
葵の母が叫び、実来が泣きじゃくる。
葵の父は目に涙を溜めて唇を震わせ、幼い姉妹は手を繋いでじっと葵が入った棺を見ていた。
そして出棺された先で、
――葵は白い煙になって、小さく小さく姿を変えた。
**
魂が抜けたような顔で、時人はまたホテルのリクライニングソファに座っていた。
頭には何も考える事はなく、あるのは空虚感と心にポッカリと空いた穴。
何をしてもそれがこの先満たされる事はないと、停止した思考の中で感じる。
そうやってボウッとした時人の視線の先で、太陽に照らされて陽炎の揺らめいていた古都がゆっくりと暮れてゆく。
降っていた雨が止んだからだろうか。
盆地を囲む山の背景で、恐ろしく美しい黄昏が訪れようとしていた。
薄かった空の色が次第に光を帯び、金から茜へと変わってゆく。
それに照らされて層積雲が金色に光り、雲間から漏れた日脚が古都を照らす。
光。
光。
光。
圧倒的な、ひかり。
光の洪水が京都を覆い、神社仏閣、町屋、ビル、車、歩行者、あらゆるものを照らしてゆく。
それがまるで神の救済の光のように思えた。
「……遅いんだ」
目の前の息を呑むような美しい景色を見て、時人の乾いた唇が微かに動く。
涙を流す事をやめた茶色い目に、再び感情が戻って悲しみとも怒りともつかない雫が氾濫する。
「遅いんだよ! 何もかも! 今更そんな綺麗な世界を見せてどうする! 彼女を見捨てた癖に! あんな無慈悲な夜に彼女を置いてけぼりにした癖に! 今更光り輝いてどうするんだ!」
誰に向かってそう怒ったのだろうか。
唾を飛ばして時人が怒鳴り散らし、
癇癪を起こした子供のように地団駄を踏み、
己の脚を叩き、
もがき、
「うわあああああああああああああああああああああああ!!」
喉から血が出るのではないかと思うような声で、叫び、号泣した。
感情を持て余した体は暴れながらソファから転げ落ち、床の上を転がってのた打ち回り、葵が好きだと言った大きな手が、何度も何度も床を叩きつける。
髪を振り乱し、床に頭を打ち付け、鼻水と涎を垂らし――、
――全身で泣いた。
そんな時人を、黄昏の光は窓からそっと忍び入って優しく包み込んでいた。
慈しみの光のようにも思えたし、ただそこにいる、感情が剥き出しになった『人間』としての時人を照らしているようにも見えた。
二十一年生きてやっと恋を知った吸血鬼は、それと同時に喪失という感情を知り、――人としての感情を得た。
図らずとも、愛する人の死を代償として。
鮮烈な美しさを放つ夕焼けが残光となった頃、時人は広いスイートルームの床の上でぐったりとしていた。
薄暮となった空はこれから夜を迎えようとしている。
誰が生まれ誰が死んでも、地球は回って世界は朝を迎え、昼を経て夜を迎える。
その永遠とも思える時間の中で生まれ死にゆく生命が互いを見つめ、記憶に止め、歴史となってゆく。
思い出になってしまった人は、余程の偉人か犯罪者でなければ歴史に埋もれゆく。
歴史に名を遺した人でも、彼らが生前何を好んで何を嫌ったか、何を望んで誰を愛したかなど、ほとんどの人が知る由もない。
美作葵という一人の女性は、二十年の生涯を終えて眠りについた。
彼女を知る者が生涯彼女を思い出し、悲しみ、悼む時だけ、彼女は彼らの心に蘇る。
時に写真で、
時に心の中で、
時に風景に紛れて、
時に音楽として。
その覚悟を時人は自覚し、負おうとしていた。
虚ろな目が薄暮を虚ろに見て、その中に葵の姿を求める。
彼女は今天上に迎え入れられようとしているのか。
金色の衣を着て天国への階段を上り始めたのか。
与えられたばかりの真っ白な翼で飛ぶ準備をしているのか。
分からないけれども、
――どうか、安らかに。
これから自分が何百年生きるのかは分からない。
今の宇佐美の名を知らしめた人物はまだどこかにいて、好々爺として世界を飛び回っている。
永い時を生きる化け物は、その長い時間を喜ぶと同時に、他の人が死にゆく運命を受け入れ、悲しみを背負って歩かなければならない。
古都に落ちる長い長い影が、薄れてゆく。
葵の肉体がこの世にあった最後のセレモニーが終わり、その日が終わろうとしている。
忘れない。
俺は絶対に忘れない。
彼女を愛したあの日々も、
彼女を奪った悲劇への憎しみも、
彼女を喪ったこの悲しみも。
永遠にこの胸に抱えながら、生きてゆく。
彼女の分も。
葵の葬式だというのに、時人の方がまるで死人のような顔をしている。
張りのある低音の読経を耳にし、水晶の数珠を絡めた手を合わせ、彼女のために祈る。
この場にいる参列者全員分の祈りがあれば、彼女は極楽へ導かれるのだろうか。
真っ白な花に包まれて笑っている彼女は、本当は今冷たくなって棺の中に寝かされている。
その顔も、体も傷だらけで。
どうか、彼女の家族が見たのは痣のついた顔だけでありますように。
彼女が愛した家族が、彼女の体に付けられた惨たらしい傷を知る事のないように。
最期の思い出だけでも、綺麗に化粧を施された顔で送られますように。
彼女が、悔いを残すことなく旅立てますように。
最期に葵に挨拶をする時、その眠っているような顔を一生忘れないと思った。
綺麗に化粧をされた肌にはまだうっすらと痣が残っている。
けれど、綺麗な黒髪も彼女の美貌も、驚くほど長い睫毛もそのままだ。
スッと通った鼻梁、形のいい唇。
「安らかに眠って下さい」
涙を堪えた時人の声が別れを告げ、配られた白い百合をそっと彼女の頬の横に添えた。
初めて彼女に花を贈るのが、別れ花になるとは思ってもいなかった。
沢山の白い花に囲まれて、
花のように綺麗な彼女の顔を覗かせていた小さな窓が閉まり、
桐の棺に真っ白な布が被せられた。
「葵ーっ!」
葵の母が叫び、実来が泣きじゃくる。
葵の父は目に涙を溜めて唇を震わせ、幼い姉妹は手を繋いでじっと葵が入った棺を見ていた。
そして出棺された先で、
――葵は白い煙になって、小さく小さく姿を変えた。
**
魂が抜けたような顔で、時人はまたホテルのリクライニングソファに座っていた。
頭には何も考える事はなく、あるのは空虚感と心にポッカリと空いた穴。
何をしてもそれがこの先満たされる事はないと、停止した思考の中で感じる。
そうやってボウッとした時人の視線の先で、太陽に照らされて陽炎の揺らめいていた古都がゆっくりと暮れてゆく。
降っていた雨が止んだからだろうか。
盆地を囲む山の背景で、恐ろしく美しい黄昏が訪れようとしていた。
薄かった空の色が次第に光を帯び、金から茜へと変わってゆく。
それに照らされて層積雲が金色に光り、雲間から漏れた日脚が古都を照らす。
光。
光。
光。
圧倒的な、ひかり。
光の洪水が京都を覆い、神社仏閣、町屋、ビル、車、歩行者、あらゆるものを照らしてゆく。
それがまるで神の救済の光のように思えた。
「……遅いんだ」
目の前の息を呑むような美しい景色を見て、時人の乾いた唇が微かに動く。
涙を流す事をやめた茶色い目に、再び感情が戻って悲しみとも怒りともつかない雫が氾濫する。
「遅いんだよ! 何もかも! 今更そんな綺麗な世界を見せてどうする! 彼女を見捨てた癖に! あんな無慈悲な夜に彼女を置いてけぼりにした癖に! 今更光り輝いてどうするんだ!」
誰に向かってそう怒ったのだろうか。
唾を飛ばして時人が怒鳴り散らし、
癇癪を起こした子供のように地団駄を踏み、
己の脚を叩き、
もがき、
「うわあああああああああああああああああああああああ!!」
喉から血が出るのではないかと思うような声で、叫び、号泣した。
感情を持て余した体は暴れながらソファから転げ落ち、床の上を転がってのた打ち回り、葵が好きだと言った大きな手が、何度も何度も床を叩きつける。
髪を振り乱し、床に頭を打ち付け、鼻水と涎を垂らし――、
――全身で泣いた。
そんな時人を、黄昏の光は窓からそっと忍び入って優しく包み込んでいた。
慈しみの光のようにも思えたし、ただそこにいる、感情が剥き出しになった『人間』としての時人を照らしているようにも見えた。
二十一年生きてやっと恋を知った吸血鬼は、それと同時に喪失という感情を知り、――人としての感情を得た。
図らずとも、愛する人の死を代償として。
鮮烈な美しさを放つ夕焼けが残光となった頃、時人は広いスイートルームの床の上でぐったりとしていた。
薄暮となった空はこれから夜を迎えようとしている。
誰が生まれ誰が死んでも、地球は回って世界は朝を迎え、昼を経て夜を迎える。
その永遠とも思える時間の中で生まれ死にゆく生命が互いを見つめ、記憶に止め、歴史となってゆく。
思い出になってしまった人は、余程の偉人か犯罪者でなければ歴史に埋もれゆく。
歴史に名を遺した人でも、彼らが生前何を好んで何を嫌ったか、何を望んで誰を愛したかなど、ほとんどの人が知る由もない。
美作葵という一人の女性は、二十年の生涯を終えて眠りについた。
彼女を知る者が生涯彼女を思い出し、悲しみ、悼む時だけ、彼女は彼らの心に蘇る。
時に写真で、
時に心の中で、
時に風景に紛れて、
時に音楽として。
その覚悟を時人は自覚し、負おうとしていた。
虚ろな目が薄暮を虚ろに見て、その中に葵の姿を求める。
彼女は今天上に迎え入れられようとしているのか。
金色の衣を着て天国への階段を上り始めたのか。
与えられたばかりの真っ白な翼で飛ぶ準備をしているのか。
分からないけれども、
――どうか、安らかに。
これから自分が何百年生きるのかは分からない。
今の宇佐美の名を知らしめた人物はまだどこかにいて、好々爺として世界を飛び回っている。
永い時を生きる化け物は、その長い時間を喜ぶと同時に、他の人が死にゆく運命を受け入れ、悲しみを背負って歩かなければならない。
古都に落ちる長い長い影が、薄れてゆく。
葵の肉体がこの世にあった最後のセレモニーが終わり、その日が終わろうとしている。
忘れない。
俺は絶対に忘れない。
彼女を愛したあの日々も、
彼女を奪った悲劇への憎しみも、
彼女を喪ったこの悲しみも。
永遠にこの胸に抱えながら、生きてゆく。
彼女の分も。
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