【R-18】SとMのおとし合い

臣桜

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第十四話・凶刃

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 その様にして雅の新婚生活三日目が過ぎ、四日目には京都から来ていた両親や親戚が帰ろうとしていた。
「雅、あんじょうやっていけまっか?」
「はい、お母様」
 東京駅で雅は両親を見送りに来ていた。勿論その隣には宗一郎の姿があり、九条西家夫婦の姿もある。
 その日は外出するので特別に宗一郎から髪を結う許可を得て、雅はきちんと着物を着て両親と親戚を見送る事が出来てホッとしていた。
「それでは大御門さん、またいらして下さい」
「東京では色々おおきに。これから娘をどうぞよろしゅうおたの申し上げます」
 両親が頭を下げて汽車に乗り込み、一等席の窓側に座るとそこから窓を開けて雅に手を振る。
「元気でねぇ、雅」
「宗一郎さん、雅をよろしゅうおたの申します」
 雅の母は頬にハンカチを押し当て、窓から出された母の手を雅も泣きながら握っている。
「お父様、お母様、私幸せになりますさかい、安心しはって下さい!」
「約束やえ?」
「はい!」
 汽笛が耳をつんざき、駅員が無情にも雅と母の繋がれた手を遮ってゆく。
 ガッシュ……ガッシュ……と蒸気機関車が走り始め、黒い煙と一緒に両親と親戚を乗せた汽車がスピードを増してゆく。
 母はずっと窓から手を出して振り続け、雅は両親の姿が見えなくなるまで千切れそうに手を振り、そこから先見えなくなってしまうと、ずっと頭を下げていた。
「行こう、雅」
 駅からすっかり汽車の姿がなくなり、それでも頭を下げたままの雅の背中を宗一郎がさする。
「はい……」
 頭を上げた雅の頬は濡れていて、彼女は誤魔化すように微笑むとハンドバッグからハンカチを取り出し、顔に押し当てる。
「それ……」
「え?」
 宗一郎が凝視している先には、白いレースのハンカチに刺繍された『M』というアルファベットがある。
「ああ、これ自分で縫ったんよ。自分の持ち物にはお名前つけな、落とした時に困るさかいに」
「雅のM?」
「そぉ。あ、今度宗一郎のハンカチにもSって刺繍する?」
「構わないよ。さあ、行こう。馬車が待っている」
 駅を歩き、外の馬車場まで移動しようとした時だった。
 人ごみの中からきゃあっと女性の声がし、その正体が何なのかと雅が不安気に顔を曇らせる。咄嗟にその肩を宗一郎が抱いた。
「何やろ……人ごみで見えへん」
「雅、俺から離れるんじゃない。早く馬車まで移動しよう」
 宗一郎が泣いている雅を待っている間、彼の両親は先に行っていると言伝をして次の用事先に向かっていた。
 人々の悲鳴が段々近くなってくる。
 怯える雅の肩を抱いたまま宗一郎は足早に歩き、馬車場にいる御者に声を掛けようとした時だった。
 悲鳴が一層酷くなり、人々が混乱している中、雅の目に見えたのはぎらりと光る銀色の刃物。
「危ない!」
 咄嗟に雅の体が動き、宗一郎に抱きついていた。
 時がゆっくりと流れる。
 目線だけを動かした宗一郎の視線の先には、狂気と憎しみに顔を歪ませた真田の顔。その両手にはしっかりと包丁が握られていて。
 体に抱きついているのは柔らかで小さな体。
 どんっ
「刺したぞ!」
 誰かが叫ぶ。
「警察を呼べ!」
 周囲が騒然とする中、宗一郎は衝撃に押されて雅を抱えたまま地面に倒れた。
「そうっ……」
 喘ぐ様に開かれた口から言葉が出ない。
 大好きな彼の名前を呼んだ筈なのに。
 体が――熱い。
 重たい。
「ははははははは! 刺してやったぞ!」
 狂ったような真田の哄笑。
 それを宗一郎はキッと睨みつけ、立ち上がった彼は咄嗟に元九条西家の執事をしていた男の頬を殴っていた。
「何の真似だ!」
「若奥様、俺と一緒に行きましょう」
 カランと血に濡れた包丁を投げ捨て、真田がやはり血に濡れた手で雅の手を掴み、揺さ振る。
「雅に触れるな!」
「若奥様、いえ、雅! 俺の方が貴女を幸せに出来る!」
 真田がぐいぐいと雅を引っ張り、地に倒れている雅はそれに引きずられて地面を滑る。
「触れるなと言っている!」
 今度は宗一郎の蹴りが真田の鳩尾に埋まり、真田が体をくの字に折って咳き込み出す。
 その時になってようやっと警察が駆けつけて真田を取り押さえた。
「若奥様! 雅! 俺と一緒に行きましょう! もう離しませんから!」
 既に正気を失った様子だった。
 警察に取り押さえられた真田は、まだ何か喚きながら雅に向かって執拗に腕を伸ばしている。
「雅……しっかりするんだ」
 真っ青になった雅の顔を覗き込み、宗一郎は上等な仕立てのズボンが土に汚れるのも構わず、紙の様に白くなってしまった華奢な手を握り締めた。
「……そう……ち……ろ、へい、き?」
 長い睫毛が震えて吐息も震える。
 全身の体温が流れてゆく血と一緒に失われ、体がどんどん寒くなって雅がぶるぶると震え始めた。
「さむい……」
「雅! 死ぬな!」
 体が傷付いているので雅の体に触れられず、宗一郎はただ彼女の手を握り締めるしか出来ない。
「わたし……へいき、」
 薄っすらと微笑んだ雅がそのまま目を伏せて気を失ってしまった。「雅……? みや……、雅!」
「宗一郎様! お気を確かに! 馬車に乗せて下さい。その方が早く医者に診せられます」
 御車が焦った声を掛けて宗一郎の肩を揺さ振ると、そこで初めて宗一郎は我に返り、雅を抱き上げてなるべく揺らさない様にして馬車に乗り込んだ。
 御車が馬に鞭を入れて馬車を発車させ、宗一郎は千切れそうな心を抱えて腕の中の雅を掴む手に力を入れた。
 ぶるぶると震える手が懐に入って白いレースの女性物のハンケチを取り出す。
 Mと綺麗に刺繍されたそれを、せめてものと思って雅の傷口に押し当てると、すぐにそれが真紅に染まってゆく。
 初恋の思い出が血にまみれてゆく。
 初恋のMが、今腕の中で血を失っている。
「みやび……、たのむ……」
 宗一郎が涙を流していた。
 どうしてこんなに好きになっていたのだろう。
 記憶の奥の桜の君は、図々しく心の中に入り込んで好きだ好きだと何度もぶつかってくる逞しい人になっていた。
 彼女を憎んでいた。
 彼女に復讐しようとしていた。
「けど……、こんな事は望んでないっ!」
 秀麗な顔がぐしゃりと歪み、ぼろぼろと涙が零れて血の気を失った白い面に熱い涙が降りかかる。
「みやび……、みやび! 生きるんだ! これは命令だ! 俺の言う事が聞けないのか!? 妻だろう!」
 震える指が雅の乾いた唇をそっと拭い、涙を纏った睫毛が伏せられて、そっと夫は妻に口付けをした。
 命を受け渡す気持ちを込めて。
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