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第十二話・回想Ⅲ
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少年の兄には思い人がいた。
兄の部屋に見舞いに訪れた少年は、病床の兄から何度もその話を聞かされる。
「嵐山の紅葉を見に行った時でな。鮮烈に綺麗だった記憶がある。黄朽葉や刈安、蘇芳や茜がそれは見事で……」
うっとりと夢見る兄の視線の先には、こちらも紅葉した九条西家の日本庭園がある。
「うちの庭も美しいね。ああ、今日は天気がいい」
「そこで、兄様は運命の女性に出会ったんですね?」
「ああ、とても美しい女性だった。下駄の鼻緒が切れて困っていた俺に声をかけてくれて、それは愛らしい声で『難儀やねぇ』と花の様に微笑んで。俺を人力車のある所まで案内してくれた。道すがらに話を聞けば子爵家の娘さんらしい」
「どうしてその時、俺に紹介してくれなかったんですか?」
「お前は父上と母上について人に会っていたろう。俺はその間、こっそり紅葉狩りに行っていたんだよ」
「ふふ、じゃあ兄様にとっては本当に運命の出会いだったんですね」
暫く兄は激しく咳き込み、少年は兄の背中をさすってやりながら水差しから水を湯飲みに注いだ。
「……あぁ、もう大丈夫。有り難う」
落ち着いた兄は差し出された水を喉に通してから、目線を落としてぽつりと笑う。
「あの時……一目惚れをして思わず結婚を申し込んだのになぁ」
「え!?」
少年がまじまじと兄を見詰めると、兄は切なそうに目を細めて自分の痩せてしまった手を見遣る。
「こんな体では彼女を迎えに行く事は出来ない」
「兄様……」
「せめてお前が俺の望みを継いで、軍に入り彼女を娶ってくれたらどんなに俺は安らかに逝けるだろうか」
「兄様、任せて下さい! 俺は立派な軍人になります! 兄様がお元気なうちにきっとその女性を見つけ出して、この九条西家へ連れて来ます!」
少年は大好きな兄の願いを叶えようと必死だった。
あんなに立派で文武両道だった兄は、こんなにも痩せてしまって力ない笑みを浮かべている。
軍人にはなれなくても、その女性を連れて来ればきっと元気になってくれるのではないだろうか?
「兄様、その女性の名前は知らないのですか?」
兄は懐かしそうに眼を細め、記憶の中の美しい人の名前をぽつりと呟いた。
「大御門……雅」
それから暫く少年は父を説得して兄の思い人を探す事に奔走し、京都にある子爵家を突き止めて連絡を寄越したが、どうにも両親はいい返事をしているのにその娘が東京へ来る事を拒んでいる様だった。
いい報告が出来る様になってから兄を喜ばせようとしていたが、それが出来ないまま兄の容態は冬の寒さが酷くなった頃に悪化し、そのまま儚い人となってしまった。
白い喪服を着て火葬寺で兄の灰を見詰める少年の心には、最後まで兄に会いに来てくれなかった大御門雅という娘への黒い怨念が渦巻いていた。
「……許さない」
姿も知らない彼女のへの憎しみを、少年はその時初めて自覚したのだった。
東京に雪の降った二月。
兄の部屋に見舞いに訪れた少年は、病床の兄から何度もその話を聞かされる。
「嵐山の紅葉を見に行った時でな。鮮烈に綺麗だった記憶がある。黄朽葉や刈安、蘇芳や茜がそれは見事で……」
うっとりと夢見る兄の視線の先には、こちらも紅葉した九条西家の日本庭園がある。
「うちの庭も美しいね。ああ、今日は天気がいい」
「そこで、兄様は運命の女性に出会ったんですね?」
「ああ、とても美しい女性だった。下駄の鼻緒が切れて困っていた俺に声をかけてくれて、それは愛らしい声で『難儀やねぇ』と花の様に微笑んで。俺を人力車のある所まで案内してくれた。道すがらに話を聞けば子爵家の娘さんらしい」
「どうしてその時、俺に紹介してくれなかったんですか?」
「お前は父上と母上について人に会っていたろう。俺はその間、こっそり紅葉狩りに行っていたんだよ」
「ふふ、じゃあ兄様にとっては本当に運命の出会いだったんですね」
暫く兄は激しく咳き込み、少年は兄の背中をさすってやりながら水差しから水を湯飲みに注いだ。
「……あぁ、もう大丈夫。有り難う」
落ち着いた兄は差し出された水を喉に通してから、目線を落としてぽつりと笑う。
「あの時……一目惚れをして思わず結婚を申し込んだのになぁ」
「え!?」
少年がまじまじと兄を見詰めると、兄は切なそうに目を細めて自分の痩せてしまった手を見遣る。
「こんな体では彼女を迎えに行く事は出来ない」
「兄様……」
「せめてお前が俺の望みを継いで、軍に入り彼女を娶ってくれたらどんなに俺は安らかに逝けるだろうか」
「兄様、任せて下さい! 俺は立派な軍人になります! 兄様がお元気なうちにきっとその女性を見つけ出して、この九条西家へ連れて来ます!」
少年は大好きな兄の願いを叶えようと必死だった。
あんなに立派で文武両道だった兄は、こんなにも痩せてしまって力ない笑みを浮かべている。
軍人にはなれなくても、その女性を連れて来ればきっと元気になってくれるのではないだろうか?
「兄様、その女性の名前は知らないのですか?」
兄は懐かしそうに眼を細め、記憶の中の美しい人の名前をぽつりと呟いた。
「大御門……雅」
それから暫く少年は父を説得して兄の思い人を探す事に奔走し、京都にある子爵家を突き止めて連絡を寄越したが、どうにも両親はいい返事をしているのにその娘が東京へ来る事を拒んでいる様だった。
いい報告が出来る様になってから兄を喜ばせようとしていたが、それが出来ないまま兄の容態は冬の寒さが酷くなった頃に悪化し、そのまま儚い人となってしまった。
白い喪服を着て火葬寺で兄の灰を見詰める少年の心には、最後まで兄に会いに来てくれなかった大御門雅という娘への黒い怨念が渦巻いていた。
「……許さない」
姿も知らない彼女のへの憎しみを、少年はその時初めて自覚したのだった。
東京に雪の降った二月。
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