【R-18】SとMのおとし合い

第八話・回想Ⅰ

　少年は見知らぬ街の大きな川べりで一人涙を零していた。
　大好きな兄が病死してしまった。
　病に侵されてからは屋敷から出られなくなってしまった兄が、生前また行ってみたいと常々言っていたのは、西の都だった。
　喪が明けたあと、彼は家族と一緒に京都へ来ていた。家族とはぐれ、道で転んで怪我をし、心細くて寂しくて、怪我をした所が痛くて、しくしくと泣いていたのだ。
「どうしたの？」
　そこに鈴を振る様な可憐な少女の声が振る。
　土手に座り込んでいた彼が声のした方向を見上げると、川沿いに立ち並ぶ見事な桜並木を背景に、丁度亡くなった兄と同じ年頃の少女が立っていた。
「あら、泣いてはるん？」
　少女は彼の濡れた頬を見て眉を寄せ、持っていた巾着の中から白いレースのハンケチを取り出し、そっと彼の頬に押し当てて涙を拭いてやる。
「お母様とはぐれたん？　一人は寂しいもんなぁ。あら、怪我してはる」
　泥がついたまま血の滲んでいる膝小僧や肘、掌を見て少女が眉をひそめ、「ちょお待っててな」と微笑むと川の方へ歩み寄っていく。
　やがて、ハンケチを濡らして絞ってきた少女が彼の目の前に膝をつくと、濡らしたハンケチで丁寧に怪我をした場所を拭っていった。
　伏せられた睫毛の長さが、優しい手つきが泣き出しそうに優しい。
　ゆるゆるとした風に吹かれて桜の花びらが舞い散り、川面が清涼な風が吹きぬけてゆく。
　こんな優しい時間は、兄を喪ってから忘れていた。
　冷たい水にさらされた真っ白なハンケチが、少しずつ血と泥に汚れてゆく。
　どうしてそんなに優しくしてくれるの？
　どうしてそんなに綺麗なの？
「あら、泣くほど痛いん？　男の子なんやから我慢やえ？」
　優しい手が頭をそっと撫でてくれる。
　次から次へと、涙が零れてくる。
　少年はわんわんと声を出して泣いた。
　兄の葬式でも泣かなかった。ずっと押し殺してきた感情を爆発させて、兄が見たいと行っていた鴨川の桜の下で。