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馴れ初め編/第三章 不明瞭な心の距離

33.厄介すぎる謎の病 その2

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『昼休み、少しだけ時間貰っていいですか? 借りていたものを返したいので』

 翌朝、行儀が悪いと理解しながら、千優はスマートフォン片手に食事をしていた。
 その目的は、國枝へメッセージを送るためだ。
 途中まで文面を作っては、気に入らないと消す。そんなことをくり返しながら、ようやく完成したものを送信し、部屋にある壁掛け時計を見上げる。
 そして、文章作成だけで、数十分を費やしたことを知る。結果だけ見ると用件のみの簡素な文章になってしまったが、これが現状一番当たり障りが無いはず、と彼女は息を漏らした。
 
 その後、十分と経たずに向こうから返信が届いた。
 内容を確認すれば、快く頷いてくれるもので、落ち合う場所についての問いが添えられていた。
 そのまま数回メッセージをやりとりした二人は、午前中の業務が終わった後、非常階段そばで待ち合わせる約束を交わした。

 最初千優は、自分が國枝のもとへ荷物を持って行くと主張していた。
 しかし、他の社員に見られ、あらぬ噂をたてられるといけないという彼の主張に言葉巧みに丸め込まれ、最終的に頷いていた。

(変な噂立てられて困るのは、わかるけど……だったらこの前はどうして開発部で受け取ってくれたんだ?)

 仕事中、不意に抱いた疑問に答える声などあるはずがなく、千優は今日も黙々と己の業務に励んでいた。





 昼休みになり、千優は紙袋片手に待ち合わせ場所である非常階段へ向かう。
 場所が場所だけに、あまり人気は無いようで、密会場所として使われているらしいと以前聞いた噂を思い出した。
 真偽は謎のままだが、自分には無関係なことだと、当時も、今も頭の片隅へ追いやった。

(あ。でも……私は別にいいとしても、國枝さんに迷惑かかるのは嫌だな)

 人の噂話など、放っておけばすぐに消える。そんな考えの千優にとって、今朝耳にした國枝の提案は思わず首を傾げたくなるものだった。
 しかし、よく考えてみれば納得する部分が出てくる。
 存在自体目立つ男故に、國枝を好いている女性社員や、ファンのようにキャーキャー騒ぐ社員はそこそこ多い。
 そんな状況で、紙袋を手渡すところを見られては大変だ。
 まして、中身を知られた日には、恐怖の笑みを浮かべた女性達が手招きを始めるとしか思えない。

 國枝が噂で傷つくことだけは避けなければと、千優は歩みを止めず、紙袋の取っ手を握る手に力をこめ、大きく深呼吸をした。


「返すのが遅くなってすみません!」

 待ち合わせ場所に着くと、そこにはもう國枝の姿があった。
 自分の方が早いと勝手な予想を立てていたせいか、瞳が彼をとらえた瞬間、スッと顔から血の気が引いていく。
 慌てて駆け寄った千優は、勢いのまま両手で掴んでいた紙袋を差し出し、深々と頭を下げる。
 相手を待たせるとは何事だと、分身にベシベシと後頭部を叩かれながら。

「もう、そんな事気にしなくていいのに。本当、律儀な子なんだから……」

 頭上から聞こえてくるのは、苦笑交じりの声。怒っている気配は感じられない。
 手にしていた袋の重みが消えていくのと同時に顔をあげると、目を細めこちらを見つめる彼と目があった。
 しかし、すぐに視線をそらされてしまい、國枝は軽く開けた袋の中へ視線を落とす。

(よかった……ちゃんと、話せた)

 ここ数日の逃走劇を思い出しながら、千優は安堵の息を吐く。
 機嫌が悪いからとへそを曲げるなんて、いい大人が子供みたいなことをするわけがないと知っていても、心配なものは心配なのだ。

 その後、時間にして一分にも満たず、確認を終えた國枝が顔をあげこちらを向く。
 すると、先程までの微笑みは消え、何故か彼の眉間には深々と皺が刻まれていた。

(え? 怒って、る? 嫌いなものでもあったかな)

 突然の事に動揺を隠しきれず、千優はわずかに狼狽えた。
 國枝の手元と顔を交互に見比べながら、意識は急に激しくなった鼓動へ向けられる。

「ちょっとー、また何か買ったの? 別にこういうのは気にしなくていいって、前に言ったじゃないの」

 どうやら、今回もお礼の品として選んだ缶詰類がお気に召さないらしい。
 缶詰の種類というよりも、そういうもの自体が入っていることが、気に入らない様だ。
 きっと國枝は、ジャージだけ洗濯し返してくれればいいと思っているのだろう。
 しかし、借りた側としては、それだけを返すことは出来ず、彼の言葉を素直に受け入れられない。

 心音ばかりが耳につき、少々聞き取りずらくなった呆れ声をなんとか理解する。
 そして千優は、どうにか彼が納得してくれるような返答をしようと、必死に頭を働かせた。

「だ、大丈夫です!」

 
 普段より速い鼓動によって脳へ送られた血液によって、熱に浮かされたかのように思考回路は許容範囲を超えオーバーヒートを起こした。
 その結果、口をついて出たのは、脈絡のない大きな声。
 何の前触れも無く大声を発した千優に、國枝は戸惑いの表情を浮かべる。

「……え? 大丈夫って何……」

「こ、今回は肉なので! そ、それじゃあ!」

 前回は珍味と共に魚系の缶詰を選んだが、今回は肉系の缶詰にしてみた。
 そんな支離滅裂な報告の言葉を、まるで相手に投げつけるように発する千優。
 その後、自分の用事は終わったとばかりに、彼女は一目散にその場から駆け出した。

(や、やっぱり駄目だー!)

 少しはまともに話せるかと淡い期待を抱いたが、どうやら今回も駄目らしい。
 あの日から続く奇妙な症状の数々。その原因を知る由もなく、熱くなる頬を両手で押え、千優は人気の無い落ち着く場所を求め走り続けた。





 千優の中では事件とも言える、些細な出来事が起きた数日後。
 あの時の動揺をかき消し、更に彼女の心を揺るがす大事件が発生した。
 発端は、普段と変わらぬ平日の夜。自宅で寛いでいた時に届いた一通のメッセージ。

『柳ちゃん、今度の日曜日はお暇かしら? 良かったら、アタシとデートしましょ!』

 文面の最後にハートマークが踊る、彼からのメッセージを直視した千優の思考回路は、しばらくの間完全にショートを起こす。
 表面温度調整機能が壊れた顔全体で、熱さと冷たさの両方をくり返し味わうこととなった。
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