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馴れ初め編/第二章 お酒と油断はデンジャラス

26.Small lie

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 同じベッドの上で、國枝と一緒に全裸のまま目覚めた衝撃は、ここ最近で一番と言っていい程のインパクトだった。
 困惑するあまり、まともな思考など出来るわけもなく、声にならない悲鳴をあげ、石像のように固まるしかない。

(み、見えちゃう!)

 しばしの沈黙を経て我に返った千優は、慌てて皺の寄った掛け布団を手繰り寄せた。
 友人の茅乃のような豊満さは無いが、多少なりとも膨らみのある胸元は、彼女が女である証。
 普段は面倒がって身体の手入れを怠っていても、風の悪戯で多少パンツが見えても気にしない。
 まさに男らしいという言葉がピッタリな千優でも、異性を前にし、無防備に裸体を晒すのは正直遠慮したいのだ。

(セ、セー、フ?)

 ちらりとあげた視線の先で見たのは、何故か楽しそうにこちらを見つめる男の姿。
 見られたか否かは謎だが、聞く勇気が出て来ない。
 とりあえず、起き上がっていたわけではないので、大丈夫だろうと自分なりに納得する。

『……っ、つぅ』

 その間、掛け布団を手繰り寄せた時に感じた身体の痛みが所々に響くことに気づく。
 完全な不意打ちをくらい、無意識に顔が歪んでしまった。
 学生時代、体育祭翌日に味わう地獄と似ているそれは、主に足の付け根や股関節辺りで顕著に表れている。
 倦怠感に加え筋肉痛とは、とことんツイていない様だ。

『身体、痛いの? それじゃあほら、アタシに掴まって。ちょっとの間……我慢しててね』

『えっ? あの……ちょ、まっ!』

 爆弾を抱えた身体をどうにか動かし、一先ず服を着なければと考える千優。
 しかし、そんな彼女の全身は、すぐさま國枝の手によって掛け布団を纏い包まれる。
 胸元を隠す盾が消えたことに狼狽える彼女は、気づけば彼の腕に抱きかかえられ、寝室を抜けリビングへ移動していた。


 予想外な國枝の行動に唖然とし、気づけばリビングのソファーに座っている自分がいた。
 掛け布団に包まれたまま、蓑虫状態な千優。
 そんな彼女を前にし、「はい、これ」と國枝は何故かテレビのリモコンを手渡してくる。

『……?』

『ちょっとだけ出掛けてくるから。その間、テレビでも見て待っててちょうだい』

 手元のリモコン、そして彼の顔を見上げるように何度も視線が往復する。
 その間、彼は「十分くらいだからー」と言い残し、足早にリビングを去っていった。

『えっと……どう、しろと』

 玄関の扉を開閉する音、そして鍵を閉める音を聞きながら、千優は一人思い悩む。
 彼に言われた通りテレビを見て待つなんて出来るわけもなく、彼女は必死に頭を悩ませた。
 一人になった今、服を着る絶好のチャンスが到来したと理解する。
 しかし、蓑虫状態から脱する気力は、今の自分には無い。正直、一歩もこの場から動きたくない。

 慣れない部屋を、疲弊した身体で動き回り、下手をして転ぶわけにもいかないと、もっともな理由をでっち上げ、千優はその場から動かなかった。
 リモコンを握りしめたまま、彼女は次々と湧き上がる謎に唸り声をあげる。
 自身が國枝家へ来た理由、以前より状況が悪化していた朝の光景、そしてこの倦怠感と、一際だるさを感じる下半身の謎。
 移動中、ちゃっかりズボンを穿いていた彼の姿を思い出し、恨めしく思いながら、國枝が帰宅するまでの間、千優はソファーと仲良くし続けた。





 たった三十分の間に、脳をフル回転させた反動か、無意識に吐いた溜め息が水面を揺らす。
 所々穴が開いているものの、大まかに思い出した記憶のせいで、千優はすぐそばにいる人の顔をまともに見れずにいる。

「…………」

 あの後、帰宅した國枝が手にしていたのは、近所にあるというコンビニエンスストアの袋だった。
 その中から取り出されたのは、とても見覚えのある商品、新品の下着だった。
 入浴をすすめる彼の言葉に、羞恥と混乱のあまり、頭の中が真っ白になった千優は、慌てて「一人で大丈夫だから!」と抵抗する。
 しかしその甲斐も無く、再び國枝に抱きかかえられ、問答無用で浴室へ放り込まれた。

 これでしばし一人になれる。そう胸を撫でおろす千優だったが、数分と経たず、背後の脱衣所へ繋がる扉が開かれる。
 ビクンと両肩が上下し、ドクドクと脈打つ心音を感じながらふり返った先には、腰にタオルを巻いた全裸の國枝がたたずんでいたのだ。

 彼の手により、全身を綺麗に洗われた千優は、現在入浴剤の良い香りが漂う湯船に浸かっている。

(穴があったら入りたいって……きっと、こういう時に使うんだろうな)

 身を隠すだけではなく、いっそのこと消えてしまいたい。そんな想いを抱き一際熱い頬を意識しながら、昨夜から今朝までに起きた出来事を思い返す。
 所々記憶が曖昧な部分はあるにしろ、酔いつぶれたこと、子供のようにはしゃいだこと、そしてすぐ隣にいる男に抱かれたことは、つい先程思い出した。
 國枝おすすめの店で飲んでいたことははっきり覚えているため、夢ではなくこれは現実なのだろう。目の前に広がる見慣れない景色と、全身の違和感がそう主張している。

『あぁ、はっ……い、あ……んぁ!』

『千優、ち、ひろ……く、ぁ……はぁ……っ』

 本当に自分の口から出たのかと、いまだ疑わしい快楽に溺れた声を思い出すたび、熱を孕んだ國枝の声を思い出すたび、不思議と身体の奥が疼く。
 その熱が全身へ広がりそうな感覚が少しだけ怖く思えた。
 どう対処すればそれらは消えるだろうかと悩むが、知識も経験も乏しい千優の頭では、答えなど見つかるわけもない。
 疼きを消したい一心で、モゾモゾと湯船の中で太ももをすり合わせる。すると、動きに合わせ水面の波が大きくなった。

「……っ」

 次の瞬間、下腹部に鈍い痛みが走り、千優は思わず顔をしかめる。
 目覚めてから今まで、妙に腰のあたりが重く、移動する時は差し出される大きな手に頼ってばかり。
 その現実が、情けなくて、悔しくて、なんとも恥ずかしい。
 これが噂に聞く『初体験』というやつなのだろうか。
 羞恥心に押しつぶされそうな思考の片隅で、千優は必死に考える。

(あれ? 確か……)

 そんな時、己の中にある認識と現実のズレに、彼女はふと気づいた。

『……昨日の柳、すっごくセクシーだった。ドキドキして……俺、どうにかなりだったぞ』

 ここ最近すっかり忘れていた言葉を思い出すと、頭の中に大きな疑問が浮かび上がる。
 初めて國枝の家へ泊まった翌朝、確かに彼は自分の耳元でそう囁いた。

(あの時が初めて、なんだよ……ね? 二回目も、こんなに痛いの? でもこの前は全然痛くなくて。もう……どれが正解なんだ!)

 グルグルと脳内でループする疑問に頭を抱えていると、不意に学生時代の記憶が蘇ってくる。
 あの頃、友人達が恥じらいつつ好奇心に突き動かされ話していた性についての話題を、千優はどこか他人事のように聞き流していた。
 どうして、もう少し真剣に話を聞いていなかったのかと、こんな歳になって後悔するとは思わず、なんとも情けない。
 己の無知さに絶望しつつ、真相を追い求めさまよう視線がとらえたのは、シャワーで身体を洗い流す男の横顔だった。





「くっ、國枝、さん」

「……? なーに?」

 上機嫌に鼻歌を口ずさむ國枝を前に、千優は声をかけるタイミングを計る。
 今だと、心の中で己に喝を入れ声を発したものの、思っていたよりも声量が出てしまい、彼の名を呼ぶ声は瞬く間に萎んでいく。
 空回りする気持ちと行動が恥ずかしくて、コツンと浴槽の縁に額を押しつけた。
 数秒後、わずかばかりだが顔をあげ、恐る恐る洗い場に目を向けると、上目遣いな視界に小首を傾げこちらを向く國枝の姿があった。

 水滴の残る裸体に、濡れた髪が張りつく姿が、言葉にし難い程色っぽい。
 目のやり場に困り、つい泳いでしまう視線と、カッと熱くなった頬を隠したいという衝動に、再び顔が俯きかける。
 だが、こちらから話しかけておいて、相手の目を見ず話すのはどうかと、律儀な千優の性格がそれを拒んだ。
 悩んだ末、目元から上を縁からだし、それより下を湯船で隠すと言う子供っぽい体勢を取り、彼女は不思議そうに自分を見つめる男と目を合わせた。

「えっと……あの、その……ぜ、前回も、今回も……その、見苦しい姿を、見せてしまって、すみません」

 どう話を切り出すか悩んだ挙句開いた口から零れる声は、自分でも酷く聞きづらい。
 時折不自然に上ずり、かと思えば徐々に尻すぼみになっていく。
 頭の中にいる分身が、何度も土下座をする姿を思考の片隅で認識しながら、千優は必死に言葉を紡ぐ。
 その間、必死に相手を見ようと意識した視線も、気づけばそれてしまい、意味も無く浴室の天井を見上げる始末だった。





 恋人同士なんて甘酸っぱいものではなく、自分達の関係は職場の先輩と後輩という間柄。
 特別な接点など無いはずにも関わらず、自分は昨夜この男に抱かれた。
 その理由は大きな謎となり、千優の心を占拠している。

 到底魅力的とは言い難い身体を、國枝は二度も目にする羽目になった。
 茅乃のような完璧ボディとまではいかずとも、もう少しメリハリある身体だったらと、申し訳なく思うあまり、つい目を伏せる。
 驚愕と困惑が消えたわけではない。しかし、そんな中千優が一番気にしていたのは、國枝螢の心だった。

 グチャグチャに絡み合う思考の海に身を沈め、自分が今どんな想いを口にし、何を声にしているのかさえわからない。
 ただ思うことは一つ。
 彼のそばに居ると感じる不思議な心地良さが無くなること。そして突き詰めれば、國枝が自分のそばから離れていくことへの強い恐怖心だけ。

「見苦しいって、別にそんな謝らなくても……んん?」

 ぶつぶつと、困惑した様子で呟く声が聞こえるが、内容が頭に入って来ない。
 彼女の心には今、グルグルと仄暗い感情が渦巻いている。
 どうしよう、どうしようと、負の感情に心が押しつぶされそうで、この上なく怖くなった。

「ぷっ、あはは、あははは!」

「……っ!」

 そんな状態で、突如耳に届いたのは、浴室に反響する底抜けに明るい笑い声だった。
 國枝の笑い声によって、谷底へ落ちかけた千優の心と、俯いてばかりだった顔をを引き上げさせる。

「あ、あの?」

 戸惑いが残る視界に映りこむのは、こちらを見つめ爆笑する男の姿。自分は何か変なことを言ったかと、これまでとは別の意味で心がザワつく。
 その後、小首を傾げ、戸惑いが消えない状態で笑いっぱなしな國枝を見つめること数分。
 ようやく落ち着きを取り戻した彼は、目元ににじむ涙を拭いながら口を開いた。

「もしかして柳ちゃん。この前泊まった時に言ったアタシの冗談を、変に勘違いしてない?」

「……へ?」

 そう言って、國枝はニコニコと楽しげに笑みを浮かべる。
 言われている事がわからず、気の抜けた声が出てしまった。
 そんな彼女の脳裏に蘇るのは、「セクシーだった。ドキドキした」と言葉を紡いでいた男らしい声。

「あ、えっと……だって、あの時も、私、その……」


 ――貴方に抱かれたんですよね?


 脳内で奏でられる音は喉元まで出かかるも、臆病な自分によって全力で蓋をされる。
 そのせいで、パクパクと、まるで餌を求める魚のように、唇はただ無音で開閉をくり返すだけ。
 すっかりぬるくなった浴槽の湯とは違う熱が、全身を巡り、身体を余計火照らせる。
 衝動と理性、そして羞恥心、様々な想いが混ざり合い、千優は一人プチパニックに陥った。
 そんな彼女の唇は、不意に押しつけられた指によって動きを封じられる。

「ふふっ……あの時はね、突然柳ちゃんが暑いって言い出して、自分でスーツを脱いじゃったのよ。アタシ、何度も止めたのに……。慌てて羽織れるもの取りに行ったら、その間に柳ちゃん、脱ぐだけ脱いでさっさと寝ちゃうんだもの」

 そう言って彼は、悪戯っこのようにクスリと口元に笑みを浮かべる。
 そんな男の姿を目の当たりにし、まるで現実逃避でもするように、千優の意識はスッと遠のきかけた。
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