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馴れ初め編/第一章 きっかけは懇親会

04.珍獣ではありません

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 株式会社『Wiht U』では、年に何度か懇親会やイベントが催される。
 それは時に花見という名の宴会だったり、はたまた子供の頃に戻ったような運動会だったり、多種多様だ。
 所属する部署の垣根を越え、社員同士のつながりを作る。そのつながりを仕事へ活かすための交流らしい。
 今では、各部署からイベント実行委員なる社員が立候補し、毎回趣向を凝らしている。

「それじゃあ、飲み会参加する奴らは移動するぞー」

「はーい」

 先輩社員の声を耳にし、フロア内から次々と聞こえる返事を真似るように千優も声を出す。
 週末を目前に控えた金曜日。今夜は近くにあるホテルの宴会場を貸し切って懇親会が開催されるそうだ。





(毎回思うけど、イベントに力入ってるよな……この会社)

 同じ部署のメンバーと共に会場となるホテルへ辿り着き、その煌びやかさに思わず息を呑む。
 飲み会程度でホテルの宴会場を貸し切るという発想は一体どこからうまれるのだろう。
 社員が多いからに決まっている。なんて当たり前のことを言われてしまえば頷くしかないが、もう少し庶民的な飲み会にしてほしい。
 貸切るならどこかの安い居酒屋でいいのに、と千優は内心苦笑いを浮かべながら、会社の役員である男の挨拶を聞き流した。

 堅苦しい乾杯の挨拶が終わると、待ってましたとばかりに皆が各々動き始める。
 親しい社員同士酒を飲む者、バイキング形式の豪華な料理に舌鼓を打つ者。実に様々だ。

 千優も、普段口にすることのない料理を堪能しつつ、総務部の女性メンバーと他愛のない世間話を肴に好きな酒を楽しんでいた。


「おー! 柳、こんな所にいたのか」

 しばらくして、後方から呼ばれた己の名と、聞き覚えのある声に思わずふり向く。
 するとそこには、商品開発部の篠原の姿があった。
 その後ろには、篠原が引きつれてきたと思わしき男達が数人、ニコニコと笑みを浮かべていた。
 この場にいるという事は、同じ社の人間ということだが、生憎どの部署に所属する誰なのかは、一人として記憶にない。

「どうかした?」

 周囲を見回すが、いつも篠原が一緒にいる先輩、後藤の姿は見当たらない。
 忠犬のごとく彼にくっついて歩いている姿ばかりみているせいか、他人の先頭に立つ姿は少しばかり珍しかった。

「皆が、総務の子達と話してみたいって言うからさ」

(あぁ、ナンパか……)

 小首を傾げた問いかけに返ってきた苦笑交じりの声を聞き、千優は彼らの目的を瞬時に悟った。

 千優が所属している総務部は、女性社員の割合が比較的高い。
 それに加え、男達の興味を惹く容姿をした人達が数人在籍しているため、近寄ってくる奴らなどいつものことだ。
 篠原の後ろでいまだ笑みを絶やさぬ男達は、懇親会というワードを自分達に都合のいいよう解釈しているに違いない。

「無駄だと思うけどな」

 思わず口から零れた呟きが、会場内の騒音でかき消される。

 今回のように声をかけられることが多いせいか、総務部の女性達が男に求めるハードルは低くない。
 下心丸見えのナンパなど、いくら男側が必死になったところで彼女達が頷くわけがない。
 しかも、この場にいるメンバーのうち、一人は将来を誓い合った恋人がいる。

 結果がわかりきっている戦に挑む男達に、憐れむような視線を向ける千優。
 そんな彼女が篠原の背後へ視線を向ければ、今までそこにいたはずの影が消えている。
 まさかと思い、女性グループの方へ向けた眼差しは、一瞬大きく見開かれ、スッと視線が細く冷ややかなものへ変わった。


「そう言えば……今日は後藤さんと國枝さん、一緒じゃないの?」

「お前なぁ。俺がいつもいつも、あの二人と一緒にいると思うなよ」

(いや、あんたいつも一緒じゃん。あの人達と)

 明るくにこやかに談笑する男達を見つめ、千優は、ご愁傷様と心の中で手を合わせる。
 そのまま、唯一会話に参加していない篠原の方へ向き直った。
 この場にいない面々の名前を出せば、まだ中身の残ったビールグラスを手に、彼は眉をピクつかせる。
 ここ最近の記憶を思い返しても、篠原と言葉を交わす時、彼の隣には高確率であの二人、またはどちらかが隣にいる。
 すでに千優の中では、開発部の仲良し三人組としてセット扱い状態だ。

「柳だって似たようなもんだろうが! いっつもいっつも、俺か後藤さんとくらいしか飲みにいかないくせに!」

 プクーっと効果音でもつきそうな程、篠原は頬っぺたをまん丸に膨らませる。
 小さな子供や女性がすれば可愛い仕草も、百七十センチ以上のアラサー男がやったところで、何の感情も湧いてはこなかった。
 彼の頭部に生えた幻の耳と、背後で揺れる幻の尻尾を眺めつつ、「不貞腐れた犬」の機嫌をどうやって元に戻そうかと千優はグラスに残ったビールを飲み考える。

「いや……それはただ単にそっちが誘ってくるからだし……」

(主に誘ってくるのお前だし)

 取り皿にのせたままだったローストビーフを箸でつまみ、絶賛プンスカお怒り中の駄犬を見つめる。
 二枚ほどソースのかかった薄切り肉を口に放り込めば、滅多に味わえないような高級感漂う風味と肉汁が口の中に広がり、思わず「うまっ」と声が漏れた。

 モグモグと肉の味を堪能しながら、千優は改めて篠原の顔を見上げる。
 懇親会が始まってから、まだあまり時間は経っていない。そのため、パッと見ただけでは彼の顔は赤らんでいる様子は無さそうだ。
 しかし、今現在の彼の口調は、酔いがまわった頃のそれに近いものがある。
 こんな短時間でと驚きを隠せなかった。

(……変な絡み方されなきゃいいけど)

 目の前にいる男の体調の心配よりも、千優の脳内を占めているのは、酔った男から効果的に逃れる方法だった。





「あぁ! そうか、君が噂の柳さんか!」

 手っ取り早い回避法は、これ以上同期に酒を飲ませないこと。
 そうとなれば、どのような対策に打ってでればいいか。
 千優が頭を悩ませながら思案を始めた時、対峙する篠原とは違う男の声が別方向から聞こえてきた。
 思わずふり返ると、その先にいたのはナンパ軍団のうちの一人。
 男の声に反応してか、他の軍団メンバーも、総務の女性達までもが己を見つめている気がする。
 懇親会で初対面の相手に声をかけられる事など滅多にない千優は、皆の視線が自分に集中していることが不思議で仕方なかった。

「噂……って?」

 知らないうちに、何か噂になるような行動でもとっていただろうか。
 思わず首を傾げると、互いの顔を見つめ合う男達が、何故か笑いをこらえ始める。

「オネェな國枝さんと真逆な女の社員がいるって、俺達の部署で噂になってて」

 一番最初に声をあげた男が、簡潔な説明を終え「本当だったのかぁ」と感嘆の声をあげる。
 その他の面々は、驚きを隠さない野次馬のような視線を次々と千優へ向け始めた。
 まるで、自分が新種の動物にでもなったような気分だ。足先から頭のてっぺんまで、何かを観察する好奇の視線にゾワゾワと鳥肌が立つ。

 今日の懇親会を、千優は内心少し楽しみにしていた。
 その理由は、普段の給料では到底手が出せない酒や料理があるから。
 いつも通り、総務部の女性メンバーで談笑し、値段が高そうな料理をいただく予定だった。
 これまで見たことも無い料理はあるかと、千優は内心少しワクワクしていたのだ。
 しかし今現在、予想外すぎる展開についていくことが出来ず、昂っていたはずの心が一気に萎んでいくのがわかった。


 気持ち悪い視線から意図的に顔を背けると、たった今話題にあがった男が目についた。

(國枝さんは悪くない、國枝さんは悪くない)

 頭の中で理解しているはずなのに、千優の眉間にはくっきりと皺が刻まれていく。
 己に言い聞かせるように唱える呪文のような言葉に反し、離れた場所にたたずむ彼を睨みつける無礼を許して欲しい。

 そのまま國枝を見つめ数秒程経った頃、こちらの雑念が届いたかのように、これまで別の社員と楽しそうに話をしていた彼の視線がこちらを向く。

「……っ」

 スッと細められた切れ長の瞳から、千優は不思議と目が離せなくなる。
 國枝はおもむろに小さな笑みを浮かべると、まるで親しい友人を見つけたように、グラスを持っていない手を、こちらに向かって軽く振り始めた。

「ちょっと、今の見た? 國枝さんがこっちに手振ってくれたよ!」

「本当だ。どうしよう、私達もあっち行ってみる? 声かけちゃう?」

 誰に向かって手を振っているのだろう。もしかして、自分にだろうか。
 そんな疑問を抱く千優の耳に、後方からやたらキャッキャとはしゃぐ女達の声が聞こえた。
 耳障りな雑音に若干苛立ちながらふり向くと、顔も名前も知らない女性社員達が何やら騒いでいる。
 まるで街中で芸能人を見つけた女子高生のような反応を目の当たりにし、ただでさえ低いテンションは急降下を始める。
 周りから聞こえる浮足立った声とは反対に、千優の心は大量の氷水を注いだように冷えていった。


 國枝が笑みを浮かべ手を振った理由に首を傾げたのはほんの数秒。
 きっと、ファン達へのサービスか何かだろうと、千優は一人で自分なりの答えを導き出した。
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