65 / 73
馴れ初め編/最終章 その瞳に映るモノ、その唇で紡ぐモノ
65.それは小さなミステリー
しおりを挟む
やけに騒々しく、色んな意味で密な温泉旅行が終わった。
翌日からまたいつもと変わらぬ日常へ身を投じるあまり、あの三日間はただの夢なのではと、時折考えてしまう。
しかし、同じ部署で働く同僚達に買ってきたお土産を渡し、各々の笑顔を前にすれば、すべてが現実と理解する自分がいた。
「…………」
仕事を終え帰宅した夜。早々に食事や入浴を済ませ、ぼんやりとテレビを眺めるが、その内容はあまり頭に入って来ない。
傍にあったクッションを引き寄せ、胸の前で抱えるように抱きしめる。
そのまま体の力を抜いて横たわれば、視界に映る景色が一瞬で変わった。
テレビに流れる映像から、ハードディスクのデッキが収納された棚へ。忙しなく移り変わるものから、静止したものへ。
しばらく、ぼんやりと視線の先にあるものを見つめれば、自然に聞こえてくる音声が耳障りに思えた。
「……っと」
千優は横たわったままテーブルの上へ片手を伸ばしある物を探す。
しばらくして、頭の中に思い描いていたものらしき形に触れれば、そのまま触れた物を掴み、眼前へ引き下ろした。
彼女の瞳がとらえたのは、自らの意思で手にしたテレビのリモコン。
迷うことなく電源ボタンを押すと、連動するようにテレビ画面から映像と音声が消えた。
耳障りな音が無くなり、彼女はホッと息を吐く。そのまま手から力を抜くと、リモコンはコロリと床の上に転がり落ちた。
無意識にその動きを追いかけながら、千優は思い出す。あの日起きた小さな騒動を。
二泊三日の旅行最終日。
旅館を出発し、高速道路に向かって走る車内は、何とも言えぬ緊張感に包まれていた。
事情を知らない者が見れば、特に何の変哲もないと思うだろうが、当人達は違う。
初日は賑やかだった空間が、驚くほど静まり返っているのが何よりの証拠だった。
「…………」
千優は、誰にも気づかれぬよう小さなため息を吐き、窓の外に流れる景色へ目を向ける。
昨夜の一件からすっかりザラついてしまった心は、未だ完治していない。
溜め込んでいた諸々を酒と感情に任せ吐き出したことは、うろ覚えながら記憶している。
篠原にひどい態度をとり、後藤や茅乃に心配をかけてしまったこと。旅館の仲居達にも迷惑をかけたこと。
そして――國枝への恋愛感情を自覚したこと。
すべて覚えているからこそ、朝になって目覚め、次第に脳が覚醒を始めるのと共に、ずっと気分が落ち着かず、どんよりと身体が重い。
普段のキビキビとした行動力まで無くなり、茅乃に促されるままに動き、時々手伝ってもらったりと、いつもの千優からは考えられない状態だった。
初日とは真逆な二人の関係が、少しだけおかしく思えたのは、きっと友人のおかげだろう。
なんとか食事と出発の準備を済ませた後、茅乃に手を引かれるまま向かった車の前では、後藤が一人たたずんでいた。
『あの……二人、は?』
『もうすぐ来るさ。ほら、早く乗れ』
そう言って彼は、顎を後部座席を示し、千優に乗車を促す。
どうして後藤が一人だけ先に。そんな疑問を抱くが、自分を囲むように立つ、恋人達の穏やかな笑みを前にすれば、容易に答えは導き出された。
きっとこれも、二人で考えたことなのだろう。とことん気遣い屋な彼女達の姿に、千優の口元に苦笑いが浮かぶ。
『あぁ! 完全に忘れてた。千優お願い、写真撮らせて!』
『え? えぇ?』
『お願い、一枚だけでいいから。國枝さんからの初プレコート姿の千優を撮らせてー!』
ここは彼らの言葉に甘えるべきかと、荷物を車に乗せようとトランク側へ向かおうとした時、不意に聞こえる茅乃の叫びが、千優の足を止めさせた。
慌ててふり返れば、両手を合わせ、まるで拝むように頭を下げる友人の姿が目につく。
彼女の口から飛び出す発言に驚くあまり、千優は首だけを後方に向けた態勢のまま体を凍り付かせた。
『こんな時にどうでもいい事頼むな、アホッ!』
『ギャッ! 叩かなくてもいいじゃんか。だって初プレだよ? 後でねってなかなか着てくれなかった千優が、初旅行に着てくれたんだよ? 激レアじゃん、SSR待ったなしだよ。これを写真におさめず、いつおさめると言うの』
後藤への説明よりも早く、茅乃は被写体である千優の許可なく、スマートフォンのカメラで写真を撮りだす。
許可を出す出さないの問題以前に、驚愕と羞恥のあまり、茹蛸のごとく顔を真っ赤に火照らせ固まった千優に、返答するなど不可能だった。
すっかり固まってしまった千優と、彼女を嬉々として撮影する茅乃。
そんな女達へ呆れた眼差しを向ける後藤が、ようやく止めに入ったのは、すでに茅乃のスマートフォン内に、何十枚もの新規写真が保存された後だった。
その後、後藤に頬を軽く叩かれ、茅乃に反対側の頬をつねられ正気を取り戻した千優は、二人に急かされる形で車のトランクに荷物を詰め込み、来た時と同じ後部座席に腰を落ち着けた。
隣に茅乃が座ったのを確認した千優は、すぐに写真を撮っていないか、撮っていたとしたら消去して欲しいと詰め寄ったが、「大丈夫、大丈夫」とにこやかな笑みを浮かべられ、終始のらりくらりとかわされるのみ。
それから数分後、男達も次々と車に乗り込み、一行は旅館を出発する。
移動中聞こえてくるのは、道案内をする機械音声と、國枝、後藤の話し声くらい。
行きは元気にはしゃいでいた篠原は、こちらが驚くほど静かで、逆に気味悪さを感じる程だった。
皆、それぞれ思うことがあるのかもしれない。
その原因は自分だと理解しているからこそ、余計気が重くなる。
視線を窓の外から自身の膝の上に置かれた両手へ移し、千優は何度目かわからないため息を吐いた。
「……ふふっ」
しばらくして、隣から聞こえる小さな笑い声に導かれ、俯いたままだった顔をあげる。
すると、ブックカバーのかかった本を手に、どこか嬉しそうに笑う友人の姿が目についた。
彼女は出発直後からほぼ変わらぬ体勢で、ずっとその本を読み続けている。己の世界へ没頭する姿は、尊敬しそうになる程、いつも通りだ。
この場にいるほとんどの人間が、どこかしら普段と違う様子を見せているというのに、茅乃だけは我が道を突き進んでいる。
「よく、車の中で読めるね」
千優は、車の中で本を読むという行為が苦手だ。いくら静かに走っている車の中とは言え、走行中に身体へ伝わる振動のせいで気分が悪くなる。
真横で行われている事をしろと言われても、自分は断る以外の選択肢を持っていない。
それを平気な顔で十分以上続ける様子を目の当たりし、驚くなと言う方が無理だ。
「……ふっ、全然余裕」
俯いたままだった顔を上げ、ずれた眼鏡の位置を調整しながら、彼女は口角を上げニンマリと笑みを浮かべる。
キランと眼鏡のレンズが光を放つような錯覚に、思わずゴシゴシと目を擦ってしまう。
そうしている間に、茅乃はまた本の世界へ嬉々としながら旅立った。
傍目からはわかりにくいが、その表情はいつも以上に楽しそうだ。
今彼女が夢中になっているのは、漫画か、はたまた小説か。
一体どんな物を読んでいるのかと、内容が気になった千優は、少しだけ距離を詰め興味本位のまま友人の手元を覗き見る。
「……っ」
しかし、その視線はものの数秒で元に戻り、次の瞬間、彼女の頬はカッと頬が熱くなった。
(び、吃驚……した)
茅乃が夢中になって読んでいるのは、どうやら漫画らしい。しかもその内容は、腐女子な彼女が大好きなモノ。
ただの会話シーンくらいなら、千優とて、ここまで驚きはしない。
以前、何度か強制的に読ませられたことがあるので、彼女も多少耐性はついている。
しかし今目にしたのは、そんな彼女でさえ驚く濃密すぎるシーンだった。
ひどい後悔に襲われながら再び視線を横に向けると、友人は未だ本の世界に留まっている。
平然とした顔で破廉恥なシーンを読み進める技術は、流石としか言いようがなかった。
読書の邪魔をするわけにもいかず、かといって他の誰かに声をかける気にもなれない。
千優は再び去り行く窓からの景色を眺め、ぼんやりと時が過ぎるのを待つ。
『……発売日に買って堪能したかった』
そんな時、不意に思い出したのは、二日前に聞いた茅乃の言葉。
ひどく落ち込んでいた友人を思い出しながら、もう一度隣に座る影へ視線を向ける。
すると、いまだに彼女は、黙々とBL漫画を読んでいる最中だった。
この旅行中、茅乃のオタク的行動を目にするのは、今回が初めて。
その視線はあまりにも真剣で、数ページ読み進めたと思えば、数ページ分戻り、またじっくりと読み返している。
(……?)
そんな友人の行動は、千優の脳内に小さな疑問を生みだした。
てっきり、いつものように手持ちの本を持ってきているだけと思った。
だが、すでに熟読しているだろう漫画を、あそこまで必死に読むかと、疑問は消えず脳裏に蔓延る。
「茅乃」
「んー?」
気にしなければ特に何も思わないような問題だが、千優はつい口を開き言葉を紡いでしまった。
車内は相変わらずで、少々暇を持て余していたせいかおしれない。
彼女が声をかけると、茅乃は視線は手元に落としたまま、声だけを返してくれる。
集中している時に悪いと思っていたが、その様子から、会話はそれなりに可能と悟った。
「同じ漫画を、そこまで真剣に何度も読み返せるのって……すごいね」
己の中にあらわれた小さな疑問をどうぶつけるべきか。
散々悩んだ挙句、口から零れたのは、純粋な称賛めいた言葉だった。
「いいやー? 違うよ」
「……ん?」
何度も読み返してしまうくらい、登場キャラクター、もしくはストーリーがすばらしいと熱弁される。
そんな予測を立てていた千優の耳に、答えらしき返答が届く。
しかし、聞こえてきたそれは、彼女の予想を裏切るものだった。
「それ……読んだこと無いやつ、なの?」
「そうだよ。ほら、一昨日私が言ってたやつなんだ。ようやく……ようやく読めた!」
(……んん?)
千優が発した声は、隠しきれない戸惑いが滲むせいか、壊れたロボットのようにぎこちない。
しかし、そんな様子など気に留めることなく、茅乃は弾んだ声を出し、ずっと伏せていた顔をあげた。
そのまま彼女は、キラキラ輝く眼差しをこちらへ向けてくる。
その言動を目の当たりにした瞬間、千優の中にあった疑問は勢いよく膨らんでいく。
どうやら今彼女が手にしているモノは、発売日に買えなかったと、サービスエリアで騒いでいた例の漫画らしい。
旅行初日に手元に無いと騒いでいた漫画を、最終日に読み耽る友人。
それは、違和感しかない図式へ変化していく。
この旅行中、千優に茅乃と別行動を取った記憶は無い。
離れていたと言っても、思い出す限り、土産物を見て回っていた時くらいだ。
もちろん、本屋に立ち寄るなんてこともしていない。ならば何故、あるはずの無い漫画の新刊が、今友人の手元にあるのだろう。
それはまるで、小さなミステリー。さながら探偵にでもなった気分で、千優は一人頭を悩ませていた。
翌日からまたいつもと変わらぬ日常へ身を投じるあまり、あの三日間はただの夢なのではと、時折考えてしまう。
しかし、同じ部署で働く同僚達に買ってきたお土産を渡し、各々の笑顔を前にすれば、すべてが現実と理解する自分がいた。
「…………」
仕事を終え帰宅した夜。早々に食事や入浴を済ませ、ぼんやりとテレビを眺めるが、その内容はあまり頭に入って来ない。
傍にあったクッションを引き寄せ、胸の前で抱えるように抱きしめる。
そのまま体の力を抜いて横たわれば、視界に映る景色が一瞬で変わった。
テレビに流れる映像から、ハードディスクのデッキが収納された棚へ。忙しなく移り変わるものから、静止したものへ。
しばらく、ぼんやりと視線の先にあるものを見つめれば、自然に聞こえてくる音声が耳障りに思えた。
「……っと」
千優は横たわったままテーブルの上へ片手を伸ばしある物を探す。
しばらくして、頭の中に思い描いていたものらしき形に触れれば、そのまま触れた物を掴み、眼前へ引き下ろした。
彼女の瞳がとらえたのは、自らの意思で手にしたテレビのリモコン。
迷うことなく電源ボタンを押すと、連動するようにテレビ画面から映像と音声が消えた。
耳障りな音が無くなり、彼女はホッと息を吐く。そのまま手から力を抜くと、リモコンはコロリと床の上に転がり落ちた。
無意識にその動きを追いかけながら、千優は思い出す。あの日起きた小さな騒動を。
二泊三日の旅行最終日。
旅館を出発し、高速道路に向かって走る車内は、何とも言えぬ緊張感に包まれていた。
事情を知らない者が見れば、特に何の変哲もないと思うだろうが、当人達は違う。
初日は賑やかだった空間が、驚くほど静まり返っているのが何よりの証拠だった。
「…………」
千優は、誰にも気づかれぬよう小さなため息を吐き、窓の外に流れる景色へ目を向ける。
昨夜の一件からすっかりザラついてしまった心は、未だ完治していない。
溜め込んでいた諸々を酒と感情に任せ吐き出したことは、うろ覚えながら記憶している。
篠原にひどい態度をとり、後藤や茅乃に心配をかけてしまったこと。旅館の仲居達にも迷惑をかけたこと。
そして――國枝への恋愛感情を自覚したこと。
すべて覚えているからこそ、朝になって目覚め、次第に脳が覚醒を始めるのと共に、ずっと気分が落ち着かず、どんよりと身体が重い。
普段のキビキビとした行動力まで無くなり、茅乃に促されるままに動き、時々手伝ってもらったりと、いつもの千優からは考えられない状態だった。
初日とは真逆な二人の関係が、少しだけおかしく思えたのは、きっと友人のおかげだろう。
なんとか食事と出発の準備を済ませた後、茅乃に手を引かれるまま向かった車の前では、後藤が一人たたずんでいた。
『あの……二人、は?』
『もうすぐ来るさ。ほら、早く乗れ』
そう言って彼は、顎を後部座席を示し、千優に乗車を促す。
どうして後藤が一人だけ先に。そんな疑問を抱くが、自分を囲むように立つ、恋人達の穏やかな笑みを前にすれば、容易に答えは導き出された。
きっとこれも、二人で考えたことなのだろう。とことん気遣い屋な彼女達の姿に、千優の口元に苦笑いが浮かぶ。
『あぁ! 完全に忘れてた。千優お願い、写真撮らせて!』
『え? えぇ?』
『お願い、一枚だけでいいから。國枝さんからの初プレコート姿の千優を撮らせてー!』
ここは彼らの言葉に甘えるべきかと、荷物を車に乗せようとトランク側へ向かおうとした時、不意に聞こえる茅乃の叫びが、千優の足を止めさせた。
慌ててふり返れば、両手を合わせ、まるで拝むように頭を下げる友人の姿が目につく。
彼女の口から飛び出す発言に驚くあまり、千優は首だけを後方に向けた態勢のまま体を凍り付かせた。
『こんな時にどうでもいい事頼むな、アホッ!』
『ギャッ! 叩かなくてもいいじゃんか。だって初プレだよ? 後でねってなかなか着てくれなかった千優が、初旅行に着てくれたんだよ? 激レアじゃん、SSR待ったなしだよ。これを写真におさめず、いつおさめると言うの』
後藤への説明よりも早く、茅乃は被写体である千優の許可なく、スマートフォンのカメラで写真を撮りだす。
許可を出す出さないの問題以前に、驚愕と羞恥のあまり、茹蛸のごとく顔を真っ赤に火照らせ固まった千優に、返答するなど不可能だった。
すっかり固まってしまった千優と、彼女を嬉々として撮影する茅乃。
そんな女達へ呆れた眼差しを向ける後藤が、ようやく止めに入ったのは、すでに茅乃のスマートフォン内に、何十枚もの新規写真が保存された後だった。
その後、後藤に頬を軽く叩かれ、茅乃に反対側の頬をつねられ正気を取り戻した千優は、二人に急かされる形で車のトランクに荷物を詰め込み、来た時と同じ後部座席に腰を落ち着けた。
隣に茅乃が座ったのを確認した千優は、すぐに写真を撮っていないか、撮っていたとしたら消去して欲しいと詰め寄ったが、「大丈夫、大丈夫」とにこやかな笑みを浮かべられ、終始のらりくらりとかわされるのみ。
それから数分後、男達も次々と車に乗り込み、一行は旅館を出発する。
移動中聞こえてくるのは、道案内をする機械音声と、國枝、後藤の話し声くらい。
行きは元気にはしゃいでいた篠原は、こちらが驚くほど静かで、逆に気味悪さを感じる程だった。
皆、それぞれ思うことがあるのかもしれない。
その原因は自分だと理解しているからこそ、余計気が重くなる。
視線を窓の外から自身の膝の上に置かれた両手へ移し、千優は何度目かわからないため息を吐いた。
「……ふふっ」
しばらくして、隣から聞こえる小さな笑い声に導かれ、俯いたままだった顔をあげる。
すると、ブックカバーのかかった本を手に、どこか嬉しそうに笑う友人の姿が目についた。
彼女は出発直後からほぼ変わらぬ体勢で、ずっとその本を読み続けている。己の世界へ没頭する姿は、尊敬しそうになる程、いつも通りだ。
この場にいるほとんどの人間が、どこかしら普段と違う様子を見せているというのに、茅乃だけは我が道を突き進んでいる。
「よく、車の中で読めるね」
千優は、車の中で本を読むという行為が苦手だ。いくら静かに走っている車の中とは言え、走行中に身体へ伝わる振動のせいで気分が悪くなる。
真横で行われている事をしろと言われても、自分は断る以外の選択肢を持っていない。
それを平気な顔で十分以上続ける様子を目の当たりし、驚くなと言う方が無理だ。
「……ふっ、全然余裕」
俯いたままだった顔を上げ、ずれた眼鏡の位置を調整しながら、彼女は口角を上げニンマリと笑みを浮かべる。
キランと眼鏡のレンズが光を放つような錯覚に、思わずゴシゴシと目を擦ってしまう。
そうしている間に、茅乃はまた本の世界へ嬉々としながら旅立った。
傍目からはわかりにくいが、その表情はいつも以上に楽しそうだ。
今彼女が夢中になっているのは、漫画か、はたまた小説か。
一体どんな物を読んでいるのかと、内容が気になった千優は、少しだけ距離を詰め興味本位のまま友人の手元を覗き見る。
「……っ」
しかし、その視線はものの数秒で元に戻り、次の瞬間、彼女の頬はカッと頬が熱くなった。
(び、吃驚……した)
茅乃が夢中になって読んでいるのは、どうやら漫画らしい。しかもその内容は、腐女子な彼女が大好きなモノ。
ただの会話シーンくらいなら、千優とて、ここまで驚きはしない。
以前、何度か強制的に読ませられたことがあるので、彼女も多少耐性はついている。
しかし今目にしたのは、そんな彼女でさえ驚く濃密すぎるシーンだった。
ひどい後悔に襲われながら再び視線を横に向けると、友人は未だ本の世界に留まっている。
平然とした顔で破廉恥なシーンを読み進める技術は、流石としか言いようがなかった。
読書の邪魔をするわけにもいかず、かといって他の誰かに声をかける気にもなれない。
千優は再び去り行く窓からの景色を眺め、ぼんやりと時が過ぎるのを待つ。
『……発売日に買って堪能したかった』
そんな時、不意に思い出したのは、二日前に聞いた茅乃の言葉。
ひどく落ち込んでいた友人を思い出しながら、もう一度隣に座る影へ視線を向ける。
すると、いまだに彼女は、黙々とBL漫画を読んでいる最中だった。
この旅行中、茅乃のオタク的行動を目にするのは、今回が初めて。
その視線はあまりにも真剣で、数ページ読み進めたと思えば、数ページ分戻り、またじっくりと読み返している。
(……?)
そんな友人の行動は、千優の脳内に小さな疑問を生みだした。
てっきり、いつものように手持ちの本を持ってきているだけと思った。
だが、すでに熟読しているだろう漫画を、あそこまで必死に読むかと、疑問は消えず脳裏に蔓延る。
「茅乃」
「んー?」
気にしなければ特に何も思わないような問題だが、千優はつい口を開き言葉を紡いでしまった。
車内は相変わらずで、少々暇を持て余していたせいかおしれない。
彼女が声をかけると、茅乃は視線は手元に落としたまま、声だけを返してくれる。
集中している時に悪いと思っていたが、その様子から、会話はそれなりに可能と悟った。
「同じ漫画を、そこまで真剣に何度も読み返せるのって……すごいね」
己の中にあらわれた小さな疑問をどうぶつけるべきか。
散々悩んだ挙句、口から零れたのは、純粋な称賛めいた言葉だった。
「いいやー? 違うよ」
「……ん?」
何度も読み返してしまうくらい、登場キャラクター、もしくはストーリーがすばらしいと熱弁される。
そんな予測を立てていた千優の耳に、答えらしき返答が届く。
しかし、聞こえてきたそれは、彼女の予想を裏切るものだった。
「それ……読んだこと無いやつ、なの?」
「そうだよ。ほら、一昨日私が言ってたやつなんだ。ようやく……ようやく読めた!」
(……んん?)
千優が発した声は、隠しきれない戸惑いが滲むせいか、壊れたロボットのようにぎこちない。
しかし、そんな様子など気に留めることなく、茅乃は弾んだ声を出し、ずっと伏せていた顔をあげた。
そのまま彼女は、キラキラ輝く眼差しをこちらへ向けてくる。
その言動を目の当たりにした瞬間、千優の中にあった疑問は勢いよく膨らんでいく。
どうやら今彼女が手にしているモノは、発売日に買えなかったと、サービスエリアで騒いでいた例の漫画らしい。
旅行初日に手元に無いと騒いでいた漫画を、最終日に読み耽る友人。
それは、違和感しかない図式へ変化していく。
この旅行中、千優に茅乃と別行動を取った記憶は無い。
離れていたと言っても、思い出す限り、土産物を見て回っていた時くらいだ。
もちろん、本屋に立ち寄るなんてこともしていない。ならば何故、あるはずの無い漫画の新刊が、今友人の手元にあるのだろう。
それはまるで、小さなミステリー。さながら探偵にでもなった気分で、千優は一人頭を悩ませていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
565
1 / 4
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる