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馴れ初め編/第三章 不明瞭な心の距離

40.ハジメテをあなたへ その2

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 昼近くになり、二人は偶然見つけたイタリアンの店で食事をしようと決めた。
 入店した時は、あまり混んでいない印象を受けた店内も、数分と経たず満員となる。
 通されたテーブル席からは、ガラス越しに店の外の様子をうかがうことが出来る。
 瞬く間にのびていく行列を目にし、「運が良かったわねー」と驚き入る國枝の声が聞こえた。

 千優はペペロンチーノのパスタ、國枝は秋らしいキノコたっぷりなクリームパスタ。そして、二人で一緒に食べれば良いと、小さめのピザを注文する。 
 オーダーを聞きに来た女性店員の瞳が、やけにキラキラ輝いていたことを気にしていると、「あの子きっと、柳ちゃんのことをかっこいい男の子だと思ったのよ」なんて、茶化す声が聞こえた。
 そっくりそのまま言葉を返すと言えば、何故か不満げな顔をされたが、十中八九あの店員が頬を染めた理由は向かいに座るオネェなはずだ。

「これ……さっき言ってた、家族の写真です」

 料理を待つ間、車中での会話を思い出した千優は、バッグの中からスマートフォンを取り出し、アイコン表示を無くした待ち受け画像を見せようと、國枝へ手渡す。
 彼女の待ち受け画面は、正月に実家へ帰省した際に撮った柳家の集合写真なのだ。

「まぁ! 本当に大家族なのね。皆可愛いし、かっこいいわぁ。……って、あれ? 柳ちゃん、ママさんはどちらに?」

「え? 母は……ここに」

 興味深く画像を眺めていた國枝が、不意に顔をあげ小首を傾げる。
 そんな彼の問いかけに、千優はスマートフォン画面を指さし、画面中央で末っ子を抱き微笑む女性を示す。

「えぇっ! この人、妹さんじゃないの?」

「妹は、ここです。あと、こっちの双子と」

 すると、何故か彼は驚愕の表情を浮かべた。千優はそのまま、後列に並ぶ濃い目の化粧を施した女子高生と、前列で無邪気に笑う双子を指さす。

「うっそぉ……パッと見三十代、いや……下手したら二十代って言っても通じるわよ、ママさん」

「あぁ、なるほど。クスクスッ……母の見た目と年齢が釣り合ってないのはずっとですよ。昔から童顔すぎて、実年齢を言ったり、子供が多いって言うと毎回驚かれます。これでもこの人、四十半ばですからね」

 苦笑交じりで説明をし、画面から指を離す。下ばかり向いていた目線をあげると、未だ戸惑いを隠さぬまま画面を凝視する國枝の姿が目につき、飛び出しそうになった笑いをこらえる。

 外見的にも、内面的にも幼さが残る母。そんな彼女の隣で、逃走を図る幼稚園児の弟を捕らえ、しかめっ面で写真に写る筋肉質な体格の良い父。
 二人はまだ十代の時に知り合い、高校を卒業すると同時に、駆け落ち同然で一緒になったと聞いている。
 由緒ある家柄で生粋のお嬢様だった母が、多くの子を産み育てあげた。それは彼女が精いっぱい努力した証であり、両親が寄り添い歩んできた証拠だろう。
 千優は、いや兄弟達は皆、そんな両親が大好きなのだ。

「家族仲がいいって羨ましいわぁ。アタシの家も、別に仲が悪いわけじゃないけど……スマホの待ち受けとか、画像を保存する、なんてことしてないもの」

「あはは……いや、これは高校生の妹が、毎年勝手に待ち受けにしてるだけで。家の中はカオスですよ。煩いったらありゃしない。國枝さんの所は、もう皆成人してますか?」

「えぇ、もうとっくに。一番上の姉は今年四十だし、アタシの下で末っ子の妹は、柳ちゃんと同い年か一個下くらいね。そんなだから、今更全員で家族写真……ってのも恥ずかしいのよ」

 家族で集まることも、今では余り無いらしい。そう言ってどこか気恥ずかしそうに笑う彼の話に耳を傾けながら、千優は無意識に口元を緩めた。





 その後、家族談議はますます盛り上がり、料理が運ばれてくるまでの間会話に困ることは無かった。
 それからは、賑わいを見せる店内の音に時折意識を向けつつ、二人で各々注文したパスタを口に運ぶ。

「んっ! 美味しいですね、國枝さん」

「ほんっと、ここはアタリね。また機会があったら是非来ましょう」

 モチモチとした麺の食感を堪能していれば、國枝の提案につい頷いてしまうから不思議だ。
 それぞれ相手のパスタを一口ずつ交換したり、一緒に頼んだピザも美味しいと頷き合い、久しぶりに賑やかなランチを楽しむ。
 國枝の言動は一々女子力が高すぎて、こういう場面を女子会と言うのだろうなと、千優は少しばかり感心する。
 デート、と言うにはどこか違う気がしたが、美味しい料理の前では、特に気にはならなかった。


「國枝さん、この後はどこに行くか決まっていますか?」

 食後のコーヒーを一緒に飲みながら、千優は食事中、頭の片隅でずっと考えていた事を実行しようと口を開く。

「いいえ? 特に決まってないけど……。何々? 行きたい場所でも思いついた?」

 これまで、どちらかと言えば受け身ばかりだった千優が、自ら今日のデートについて触れる。
 すると、國枝は急に座ったまま身を乗り出し、どこか嬉しそうに小首を傾げた。

「ば、場所は思いついてな……いや、違うのか? って、そうじゃなくって!」

「……?」

 その姿に、軽く首を横に振りかけ、咄嗟に否定する思考のせいで頭の中が混乱する。

「えーっと、ですね。國枝さんは、今何か欲しいものってありますか? こ、今度は私が、何か國枝さんにプレゼントを、したくて……」

 最初は真っ直ぐ彼を見つめていた眼差しが、徐々に下がりだす。一点に定まっていた焦点は揺らぎ、千優の瞳は、隣のイスの上に置かれた買い物袋を、何度もその視界にとらえた。
 その中には、先程立ち寄った店で國枝に買ってもらったオレンジ色のコートが入っている。
 何度も自分で買うからと言ったのに、コンビニエンスストアの時とは違い、彼は引いてくれなかった。

 自分で服を買うようになってから、初めて手にした色。
 初めて、國枝に買ってもらったもの。初めての、プレゼント。

 今日は、たくさんの『初めて』を彼からもらった。そのどれもが、千優にとっては宝石のようにキラキラと輝くものばかり。
 その宝石たちの中心で、國枝はいつも笑うのだ。
 何か彼にお礼をと思った。もっと、その笑顔を見たいと願わずにいられない。

 頭の中に広がるたくさんの想いを集約させ、千優が考え抜いた彼女なりの答え。それがプレゼントのお返し。

 脳内で思い描く言葉を、いざ言葉として発することがこんなにも難しいとは思わなかった。
 それでも、どうにか想いが伝わればと、恥ずかしさを堪え、千優は言葉を紡ぐ。

「そんな、悪いわ! 柳ちゃん、アタシの事は気にする必要なんて……」

「私がっ! したいんです、國枝さんに……。さっき、國枝さん、言いましたよね? 自分に、甘くなっていいって。私が……最初に自分に甘くなるのは今です。甘くなって……國枝さんが欲しいものを、買ってあげたいんです」

 今日一番熱くなった頬の火照りを感じながら、千優はギュッと目を瞑り、精一杯の想いを音へ変える。
 心の奥底から湧き上がる羞恥心に耐え、太ももの上で力一杯拳を握りしめながら。
 支離滅裂なことを言っている自覚はある。彼のように、スムーズに、そしてスマートに言葉選びを出来れば良いのだが、今の自分にはこれが精一杯。

「……っ」

 店内のBGMや客達の話し声が、不思議と遠のいていくのを感じる。
 また、断られてしまうだろうか不安を感じながら、千優は恐る恐る閉じていた瞳を開く。
 そんな彼女の目にとまったもの。
 それは、口元を手で覆い隠し、頬と目元を赤くするあまり見たことの無い彼の姿だった。
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