怪しい高額バイトをしていたら、運命のつがいに出会いました

雪宮凛

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番外編

初めてのバレンタイン大作戦 待てが苦手な光志は一生懸命我慢する1

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 美奈穂はてっきり、光志は今日も遅くなるものとばかり思っていた。
 そんな彼がどうしてここにいるのか。そもそもいつ帰ってきたのか。甘いものが嫌いと態度で示しておきながら、わざわざココアボールを食べたのか。
 予想外すぎる人物がすぐ目の前にあらわれ、頭の中に次々浮かぶ疑問のせいで、ただでさえ酷い混乱がより一層厄介なことになっていく。

「ええっと、あの……お、おかえりなさい」

 頭の中から湧き出る疑問を解決したい。そう思ったはずなのに、実際口から出て来た言葉は、いつも美奈穂が愛しい恋人を出迎える時真っ先に言う言葉だった。

「ん。ただいま」

 指を綺麗に舐め終えた光志は、かすかにほほ笑むと、菓子を摘まんだ手とは反対の手でポンポンと美奈穂の頭を撫でてくれた。

(あれ?)

 頭に触れる大きな手の感触に、つい違和感を抱き彼を見上げる。
 いつもなら、玄関先で美奈穂がおかえりと言い終わるより先に、光志から熱烈なハグとキスをされるはず。
 なのに、今日はそのどちらも無し。しかも二人の間に穏やかな時間が流れる。
 無意識に物足りなさを感じた美奈穂は、自分から光志を求めているみたいで妙に恥ずかしくなり、熱を帯びる頬に気づくとつい視線が泳ぐ。

「……あっ!」

 すると、右往左往する視線が目の前の疑問に対する答えを見つけた。
 右手にはお菓子、左手には密閉容器を持っている状態の彼女に、ハグなんて出来るわけがないのだ。
 改めて自分の現状を客観的に想像した美奈穂は、その間抜けさにますます顔を熱くする。

「ご、ごめんなさい! すぐに片付けま……ンッ!」

 調理台の上に、色々調理器具を出しっぱなしだったことも思い出した瞬間、胸の中にあった寂しさは一瞬で吹き飛んだ。
 急いで調理台のある後ろへ振り向こうとしたけど、美奈穂が後ろを向くより早く、まだお菓子を持ったままの右手が大きな熱に包まれた。
 驚いて目を見開いた次の瞬間、パクっと口の中に“何か”が自分の指ごと入ってきた。
 慌てて口から指を引き抜くと、舌の上にミルクココアの風味とサツマイモの味が広がる。

「美味いか? ……ん、ちゅ」

「……ンンッ」

 質問を投げかけながら首を傾げた光志は、小さく笑うと美奈穂の右手を掴み、指先に残ったココアを舐めとっていく。
 指を這う熱くねっとりした舌使いに、ビクッと身体を震わせた美奈穂は、思わず口の中に転がるボールに歯を立てた。
 すると、想像以上にほろりと口内の菓子は砕けていく。
 光志が唇を寄せる指先にばかり意識が集中する。そのせいで、楽しみにしていたお菓子の味など、美奈穂はまったくわからなかった。



 左手に持ったままだった容器は光志に取り上げられ、後ろにある調理台の上へ置かれる。
 その中に残っていた最後の一個は、どういう訳か光志の手に渡った。
 自分から二個目に手を伸ばすなんて思わず驚いていると、ココアボールを口に咥えた彼がゆっくり顔を寄せてくる。

「ほら……半分」

「え? ……ん、ふ」

 間近で囁かれた声を上手く聞き取れず首を傾げれば、不意をつかれ唇が重なる。
 しかも、光志の口から半分飛び出ていたココアボールを半ば強引に押し込まれ、美奈穂は驚くあまり限界まで大きく目を見開いてしまった。
 一個の菓子を分け合うようにかじり、半分になったそれをかみ砕きながら、美奈穂は待ちに待った初めての味を味わう。
 だけど、すぐに彼女の意識は、侵入してきた光志の舌にかすめ取られてしまった。
 美奈穂より早くココアボールを噛み砕いた光志は、欠片ごと自分の舌を恋人の口へ突っ込んだのだ。

 唾液に時々混ざる甘みが、媚薬のように美奈穂の思考を溶かしていく。
 激しく求められるキスに美奈穂はまだ慣れず、つい無意識に舌が逃げ惑う。
 その舌を追いかけ、絡めとり、吸い上げるのは、光志のそれだ。
 彼の舌使いに身体を震わせながら吐き出す吐息は、いつも以上に甘ったるい。

 二人はどちらのともわからない唾液と一緒に、砕けたボールの欠片もゆっくり飲み込んでいく。
 残りの欠片が全部消えてからも美奈穂たちは離れず、熱烈なキスとハグで一日ぶりに相手の熱を思う存分味わい続けた。





 光志にも手伝ってもらって、洗いものと夕飯の支度を終えた美奈穂は、少し遅めの夕食を並べた食卓を二人で囲む。

「今日は、お仕事早く終わったんですね」

「ああ。予定より早く終わったから、即帰ってきた」

 こんもりご飯を盛ったお茶碗を手渡せば、光志は「サンキュ」と口を開く。
 光志と会話をしながら、美奈穂はつい緩みそうになる頬を気合で引き上げていた。
 夕食を一緒に食べるなんて半月ぶりだ。
 朝ご飯は毎日一緒に食べているけれど、二人共無意識に時間を気にして落ち着かない。
 今は時間なんて気にせず、食事と目の前に座る恋人のことに集中できる。何より、久しぶりにゆっくり夜の時間を過ごせることがとても嬉しい。

「美奈穂は……今日休みだったよな? さっき食った菓子作ってたのか?」

「ふぇ!? え、えーっと……」

 お椀に口をつけ、みそ汁をすすりながら、光志は小首を傾げる。
 その問いかけに、ビクッと肩を揺らした美奈穂は、光志のものより一回り小さいお茶碗と箸を持ちながら、どう返事をすべきか迷いだす。

(バレンタインは明日……ここは素直に言うべき? いやいや、やっぱり単なるお菓子作りって誤魔化した方が……)

「……?」

 どう反応するべきか散々迷って、無意識に伏せていた顔を上げると、テーブルを挟んで向かい合う光志が不思議そうな顔をしていた。
 そんな姿を見たら、とても誤魔化すなんて無理だと思う。何より、愛する人に嘘を吐きたくない。

「明日用のお菓子を、作っていました」

 美奈穂は茶碗と箸を持った手をテーブルの上に下ろし、モゴモゴ口を開く。
 バレンタイン用のお菓子を頑張って作っていたと、自ら告白するのはかなり恥ずかしくて、だんだん報告の言葉が尻すぼみになる。

(うう、やっぱり恥ずかしい)

 食器から離した手を火照る両頬にあてながら、美奈穂は羞恥心に負け再び俯いた。
 喋っている最中も恥ずかしいが、すべてを言葉にした後はもっと恥ずかしい。
 光志と出会ってから、何十回、いや何百回自分は頬を熱くしているのかわからない。
 それ程までに自分は、彼の前で冷静さや平常心を失っている気がした。

「明日……何かあるのか?」

「へっ?」

 早く熱が引いてくれないかと願う美奈穂の耳に、向かいに座る光志の声が届く。
 思ってもみなかった反応に驚いて、つい頬を隠したまま顔を勢いよくあげる。
 すると、モグモグ口を動かしながら、壁にかかるカレンダーを眺める彼氏の横顔が見えた。

「特に休みってわけでもないし……前に聞いた美奈穂の誕生日でも無いし、俺のでも無いし……んー?」

 カレンダーを見つめる視線がだんだん鋭くなっていき、眉間に皺が寄っていく。
 芸能界のバレンタイン事情についてはよくわからない。
 でも、多かれ少なかれ、ファンからチョコを貰うだろうし、芸能人同士で交換もするのだろうと、美奈穂は勝手に思っていた。
 それなのに今の光志は、バレンタインの“バ”の字すらわかっていない様で、見ているこちらの方が思いきり首を傾げたくなる。

 数十秒ほどカレンダーを睨みつけた目元を緩め、光志が不意に視線を戻し美奈穂へ向けた。
 明日、マジで何の日?
 なんて質問を、目線で投げかけられていると気づき、美奈穂は恐る恐る口を開く。

「あ、明日は、その……バレンタイン、ですよ?」

「…………」

 コテン、と小首を傾げて、彼が求めているだろう答えを口にする。
 だけど、すぐに返事は返ってこず、美奈穂は真顔の光志と数秒見つめ合ってしまった。

「ああ……あったな、そんな日」

 光志が口を開いた瞬間、ポンッとひらめきの効果音が聞こえた気がした。
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