怪しい高額バイトをしていたら、運命のつがいに出会いました

雪宮凛

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本編

第25話

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「美奈穂さん、今日はこの後どうしますか? 仕事に戻って頂いても構いませんが……休んでも大丈夫ですよ?」

「えっと……今何時かわかりますか? スマホ、部屋に置いてきちゃって」

 絵麻が乗る車が扉の近くを通っていくのを見送った後、腰に手を当て一息吐いた志郎が自分の方を振り向く。
 その問いかけに、美奈穂はこの場に無い時計を探し、無意識に宙を見上げた。
 そして、どこを探しても無いとわかれば、眉を下げ申し訳なさそうに彼の方へ視線を向ける。

「今は……十時半過ぎですね」

「十時半……」

 その様子に志郎は何も言わず、腕にかけていた上着ポケットへ手をのばす。そしてスマホを取り出すと、すぐに現在の時刻を教えてくれた。
 聞こえた時刻を復唱しながら、美奈穂はこれまでの仕込みの手順を思い出していく。

(参加者が食堂に来るのは十二時丁度。その三十分前、最低でも十五分前には全部の料理が出来上がるはず。そうなると今は……休憩の頃かな?)

 昨日までの二日間。料理を煮込む待ち時間や、出来上がった料理をもう一度火にかけ温めなおすまでの時間など。そのわずかな合間を、調理組は休憩に充てる場合が多かった。
 今から手伝いに行っても、きっと仕上げ待ちの頃。あまり自分に出来ることは無い気がする。

「配膳作業から参加しても構いませんか?」

「ええ、構いませんよ。それじゃあ、須藤さんには伝えておきますので」

 くれぐれも無理だけはしないように。
 そう念押しする志郎とわかれた美奈穂は、光志に手を引かれ一旦本館最上階へ戻った。



 部屋へ戻った瞬間、ホッと口からこぼれた吐息に、話し終わった後も続いていた無意識の緊張に気づく。
 散々泣いて、すべて吐き出して、ほんの少し肩の力が抜けた。だけど、まだゼロにはなっていないらしい。

 頼れる親友に愚痴をこぼした時は、彼女が自分の代わりに散々怒ってくれた。見ている方がスッキリするくらいの激怒っぷりに、何度感謝したかわからない。
 そして今日、美奈穂は新しい相手に感謝の気持ちを抱いた。
 まかせておいてと、力強く頷いてくれた絵麻。そして彼女を紹介してくれた志郎に対してだ。

 自分は愚痴を聞くだけと悔しがっていた親友にも報告したい。
 そう思える程、二人の存在は今の自分を助けてくれた。
 そして、もう一人――。

「美奈穂、何か飲む……」

「……っ!」

 先に部屋に入って冷蔵庫を開け、飲み物を探していた光志の背中へ、美奈穂は勢い任せに抱き着く。
 大きな背にぶつかった瞬間、彼の身体が少しビクつくのがわかる。だけど自分の不意打ち攻撃で体勢を崩さないあたりは、流石男の人と思えた。

「美奈、穂?」

 彼の腰に回した腕の力を少しばかり強めると、抱き着いた身体がわずかに動く。
 それが、光志が上半身を起こしたからと知れたのは、自分を呼ぶ声が頭上から聞こえてせいだろう。

「きょ、今日はその……色々と、有難うございました」

「……? 俺、何かお礼言われるような事、したか?」

 抱きついた時にふり絞った勇気。その残りを抽出してみれば、蚊の鳴くような声に変わる。
 そんな声でも、光志にはしっかり届いたらしい。
 返された反応に恐る恐る顔を上げれば、背後を振り向いて自分を見下ろす彼と目があった。

 やけに顔が熱い。理由なんて、人生初じゃないかと思える大胆行動のせいだと、後先考えなかった自分を悔いながら、美奈穂は無意識に目を泳がせる。
 目線の動きに合わせて、羞恥心でいっぱいな意識も飛散した。

「美奈穂?」

「え? あ、あれ!?」

 勢い任せって怖い、なんて後悔に苛まれていれば、自分を呼ぶ声が美奈穂の意識を引き戻す。
 パチリと瞬きをし、少し顔から熱が引いたと安心した美奈穂。だけどすぐに、新たな混乱と羞恥に襲われてしまった。

(ど、どうして私、光志さんに抱きしめられてるの!?)

 彼の背中に抱き着いたはずなのに、改めて顔を上げた目に留まるのは真正面から自分を見下ろす光志の姿。
 腰に巻きけていた腕はほどかれ、今度は美奈穂の方が、彼に抱きしめられ腕の中に囚われている。
 いつのまにと驚くあまり、熱々な自分の顔のことなんて忘れ、彼の腕を見ていた視線をもう一度上げた。

「光志さん、あの……これはどういう?」

「あのままだと喋りづらいと思ったからな」

「ええっと……ほら、とりあえずソファーにでも座って」

 約二日間、光志から何かとスキンシップ攻撃を受けてきた美奈穂。だけど、彼女はまだ手を繋ぐレベルまでしか慣れていない。
 腰にまわった太い腕から逃れたいと、慌てて部屋の奥にあるソファーを指差す。
 そんな主張も空しく、背中にまわった腕の拘束は強くなる一方だった。

「それで? どうして美奈穂は、俺にありがとうなんて言うんだ?」

(これは……話さないと、このままなの、かな)

 再度首を傾げる光志と、背中にまわった彼の腕を交互に見比べながら、美奈穂は心の中で大きなため息を吐く。
 もう逃れることは出来ないと悟り、わずかな抵抗だと、顔と視線を光志から逸らした。

「さっきのこと。光志さんが居てくれたから、私……最後までちゃんと喋れました」

「そう、なのか? 俺が居なくても、時間をかければ美奈穂は全部報告でき……」

 不思議そうな光志の言葉を否定するように、美奈穂は力なく首を横に振る。

「光志さんがずっと手を握っていてくれたから。大丈夫って声をかけてくれたから……背中を、さすってくれたから。だから私は……っ」

 例え、絵麻と志郎という強い味方が目の前にいたとしても、隣に自分を安心させてくれるぬくもりがなかったら――。

 考えただけで声が震えそうになる。そんな美奈穂の言葉を途中で遮ったのは、力強い抱擁だった。

「こ、光志さん、あの……っ」

「これからは何も不安に思わなくていい。会社のクソ連中のことは、相楽と堀江さんに任せとけば解決するだろう。今後……もし嫌なことがあったら、愚痴でもなんでも俺に話せばいい。美奈穂はずっと笑顔でいろ、俺の隣で」

 厚い胸板に押しつけられた顔を慌ててあげた瞬間、目を細め笑う恋人と目が合う。
 そして、美奈穂の頬が再び熱を持ち、胸が高鳴ったことに気づいた瞬間、戸惑いが滲む彼女の声はあっという間に光志の口内へ吸い込まれ、うっすらリップを塗った唇が、カサついた熱に塞がれた。





 部屋で一緒に光志と休憩した美奈穂は、時間を見計らって調理室へ向かった。
 午前中休んでしまったことを、食堂で休憩していた調理スタッフに謝れば、皆一様に「気にするな」と笑ってくれる。
 午後からまた頑張ると気合を入れ宣言した美奈穂は、早速配膳の準備に取り掛かった。
 休憩を終え、次々と調理場へ戻ってくる先輩たちに指示を貰いながら、参加者たちの昼食用に使う食器を作業台へ並べていく。

「あ、そうだ美奈穂ちゃん。今日からね、配膳する食事の数を一人分減らしてくれって言われたのよ」

「……? 光志さんの分は、しっかり抜いて準備しますよ?」

「そうじゃなくて。なんかね、参加者の人、どうしても帰らなきゃいけなくなったって、相楽さんの部下さんが、今朝駅まで送って行ったらしいよ」

(えっ!? 期間中は、誰も帰れないんじゃなかったの?)

 念入りに皿の枚数を数えていれば、不意に先輩女性の声が聞こえる。
 彼女の言葉を聞いた美奈穂は、突然の報告に驚き、思わず皿を持ったままの手を止めた。
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