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本編
第9話
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すっかり遅くなった夕食にありつくため、医務室に残っていた美奈穂たちは、ぞろぞろと列をなして食堂へ向かう。
今の時間は、昼間と同じように食堂が封鎖状態らしい。
スタッフや役人達の食事、そして翌日の仕込みをしなければいけないからだとか。
参加者達の食事が終わった後は、裏方メンバーの食事が始まる。
スタッフや役人、その日の担当など関係なしに、何組かに分かれて交代で空腹を満たす。
順番が回ってこない間は、同時進行でその時出来る仕事をこなしていく。
朝、昼、晩。そのルーティーンが変わることは無いと、美奈穂は移動中に亜沙美達から教えてもらった。
「あ、良かったら中原さん達も食堂へどうぞ。医務室に籠りきりになるより、少しは気分転換しないと。お腹の赤ちゃんも、みんなの声を聞く方がより楽しいと思いますよ」
「あら、いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
「スタッフだけって言うんなら……ま、別にいいか」
医務室を出ていく時、その場に残って皆を見送ろうとする中原夫妻を、良晴が食堂へ誘った。
三人のやりとりが気になって、美奈穂はつい足を止める。
そして聞こえてきたのは、これまでみんなの前に姿をあらわさなかった理由。
妊娠している千草の体調を気遣ってと言うより、兼治が愛する奥さんを他人と接触させたくないというわがままが理由の大半らしい。
そんな嫉妬深い旦那さんを説き伏せる良晴の話術には、もう感服するしかなかった。
移動中、三人は美奈穂達の後ろ、列の最後尾を歩いている。
本当は参加したくなかったけど、他に任せられる医者がいないと言われて渋々、と愚痴をこぼす兼治。夫をたしなめようとする妻の千草。夫婦の会話に穏やかに相槌を打つ良晴と、どこかしっくりくるテンポの良い会話が、時々美奈穂の耳にも届いた。
「はい? あの、藤沢さん、今……なんて?」
「だから、俺も裏方にしてくれ。ギャラいらないから」
「いやいやいや、貴方普通に参加者ですから。どうせなら一週間楽しんでくださいよ!」
「仲良くもない奴らと一緒に居ても楽しくない。元々俺は部屋に引きこもる気だったんだ」
「だったら引きこもっていれば……」
「それだと、こいつのそばに居れないだろ。皿洗いとか、荷物運びくらいなら出来る。だから俺も厨房に居させろ」
「ええ……藤沢光志に皿洗いさせるとか。絶対怒られる奴だろ、それ。あんたね、自分の立場わかってる? 今の、自分の、立場!」
「チッ、めんどくせー」
「うわぁ、遠慮なんて皆無な舌打ち盛大にかまされた。はは、は……殴りてえ」
そして美奈穂のすぐ隣にいる光志と、先頭を歩く志郎の間には、何やら後方の穏やかさとは真逆な空気が漂う。
「……あ、あの」
間近に漂うヒリヒリした空気感がなんだか怖くなって、美奈穂はつい隣を歩く光志の腕に触れた。
「ん? どうした?」
すると、前を歩く志郎を睨みつけていた光志の表情が一瞬にして和らぐ。
また医務室に居た時のような微笑みを自分へ向ける彼の姿に、何と言葉を続ければ良いかわからなくなった。
思わず止めに入ってしまったが、ピリついた空気を和ませる方法なんて知らない美奈穂はすぐに口を閉ざす。
「えっと、そのぉ……け、喧嘩はダメ、です」
考えに考え抜いた末、彼女の口から出たのは、まるで子供の主張のような弱々しい声。
二十代半ばにして、こんな主張しか出来ないのかと悲しくて、恥ずかしくて、落ち着いたはずの熱がぶり返しそうになる。
「……えっ?」
その時、不意に全身を柔らかなモノが、左右から包み込んだ。
そのままピタリと、美奈穂の頬っぺたが変形する勢いで、両側から何かが押しつけられる。
「もー! 美奈穂ちゃんったら可愛いんだから!」
「ああ、こんな子がウチにも欲しいわー!」
突如自分を襲った謎の感覚の正体が、亜沙美と美智子による抱擁だと知ったのは、二人にウリウリと思う存分頬ずりされた後のこと。
先輩二人に全身を拘束されたせいで身動きがとれず、美奈穂はアタフタと解放を願うだけ。
だけど、女同士の特権とばかりに、美智子たちはなかなか可愛い後輩を解放してはくれなかった。
番を他人にとられ、不機嫌さに拍車がかかる光志の鋭い視線を感じる美奈穂。
女性にまで厳しい視線を向ける彼を前に、美奈穂の足はすっかり止まってしまい、気がつけばたった十数メートルの移動がちょっとした騒動になりかけていた。
数分後、ようやく食堂にたどり着いた一行は、美奈穂達の到着を待ちわびていたメンバー達にあたたかく出迎えられた。
本人の知らない間に、すっかりスタッフ達の娘ポジションにおさまった美奈穂は、先輩たちから何度も頭を撫でられ「大丈夫? 心配だったんだよ」と声をかけられる。
そして同時に、スタッフ達全員から「良かったね」とほほ笑まれるのだ。
最初は、無事目を覚ましたことを喜んでくれているのかと思った。
だけど、良かったと口にした後、全員の視線が自分の隣にいる光志へ向いたことで、彼女はようやくその意味を理解した。
(そう言えば……みんな、番の人達ばっかりなんだ)
美奈穂は思い出した。ここに居るスタッフは、さっき出会ったばかりの中原夫妻を入れた全員が番であり、夫婦だということを。
その事実に気づいた瞬間、じんわりと熱くなる頬の熱に、彼女は気づかないふりをする。
もしかしたら、自分も――。
ただの勝手な想像とわかっていても、一度頭の中に浮かんだ映像は消えてくれない。
「……? どうかしたか?」
ちらりと隣にいる光志の顔を盗み見ようとしただけなのに、あっという間に見つかってしまう。
何でもないと首を横に振りながら、頭の中で微笑みあう男女の映像を消そうと必死な美奈穂。
彼女の頬から赤みが消えるまで、まだ少し時間がかかりそうだ。
今の時間は、昼間と同じように食堂が封鎖状態らしい。
スタッフや役人達の食事、そして翌日の仕込みをしなければいけないからだとか。
参加者達の食事が終わった後は、裏方メンバーの食事が始まる。
スタッフや役人、その日の担当など関係なしに、何組かに分かれて交代で空腹を満たす。
順番が回ってこない間は、同時進行でその時出来る仕事をこなしていく。
朝、昼、晩。そのルーティーンが変わることは無いと、美奈穂は移動中に亜沙美達から教えてもらった。
「あ、良かったら中原さん達も食堂へどうぞ。医務室に籠りきりになるより、少しは気分転換しないと。お腹の赤ちゃんも、みんなの声を聞く方がより楽しいと思いますよ」
「あら、いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
「スタッフだけって言うんなら……ま、別にいいか」
医務室を出ていく時、その場に残って皆を見送ろうとする中原夫妻を、良晴が食堂へ誘った。
三人のやりとりが気になって、美奈穂はつい足を止める。
そして聞こえてきたのは、これまでみんなの前に姿をあらわさなかった理由。
妊娠している千草の体調を気遣ってと言うより、兼治が愛する奥さんを他人と接触させたくないというわがままが理由の大半らしい。
そんな嫉妬深い旦那さんを説き伏せる良晴の話術には、もう感服するしかなかった。
移動中、三人は美奈穂達の後ろ、列の最後尾を歩いている。
本当は参加したくなかったけど、他に任せられる医者がいないと言われて渋々、と愚痴をこぼす兼治。夫をたしなめようとする妻の千草。夫婦の会話に穏やかに相槌を打つ良晴と、どこかしっくりくるテンポの良い会話が、時々美奈穂の耳にも届いた。
「はい? あの、藤沢さん、今……なんて?」
「だから、俺も裏方にしてくれ。ギャラいらないから」
「いやいやいや、貴方普通に参加者ですから。どうせなら一週間楽しんでくださいよ!」
「仲良くもない奴らと一緒に居ても楽しくない。元々俺は部屋に引きこもる気だったんだ」
「だったら引きこもっていれば……」
「それだと、こいつのそばに居れないだろ。皿洗いとか、荷物運びくらいなら出来る。だから俺も厨房に居させろ」
「ええ……藤沢光志に皿洗いさせるとか。絶対怒られる奴だろ、それ。あんたね、自分の立場わかってる? 今の、自分の、立場!」
「チッ、めんどくせー」
「うわぁ、遠慮なんて皆無な舌打ち盛大にかまされた。はは、は……殴りてえ」
そして美奈穂のすぐ隣にいる光志と、先頭を歩く志郎の間には、何やら後方の穏やかさとは真逆な空気が漂う。
「……あ、あの」
間近に漂うヒリヒリした空気感がなんだか怖くなって、美奈穂はつい隣を歩く光志の腕に触れた。
「ん? どうした?」
すると、前を歩く志郎を睨みつけていた光志の表情が一瞬にして和らぐ。
また医務室に居た時のような微笑みを自分へ向ける彼の姿に、何と言葉を続ければ良いかわからなくなった。
思わず止めに入ってしまったが、ピリついた空気を和ませる方法なんて知らない美奈穂はすぐに口を閉ざす。
「えっと、そのぉ……け、喧嘩はダメ、です」
考えに考え抜いた末、彼女の口から出たのは、まるで子供の主張のような弱々しい声。
二十代半ばにして、こんな主張しか出来ないのかと悲しくて、恥ずかしくて、落ち着いたはずの熱がぶり返しそうになる。
「……えっ?」
その時、不意に全身を柔らかなモノが、左右から包み込んだ。
そのままピタリと、美奈穂の頬っぺたが変形する勢いで、両側から何かが押しつけられる。
「もー! 美奈穂ちゃんったら可愛いんだから!」
「ああ、こんな子がウチにも欲しいわー!」
突如自分を襲った謎の感覚の正体が、亜沙美と美智子による抱擁だと知ったのは、二人にウリウリと思う存分頬ずりされた後のこと。
先輩二人に全身を拘束されたせいで身動きがとれず、美奈穂はアタフタと解放を願うだけ。
だけど、女同士の特権とばかりに、美智子たちはなかなか可愛い後輩を解放してはくれなかった。
番を他人にとられ、不機嫌さに拍車がかかる光志の鋭い視線を感じる美奈穂。
女性にまで厳しい視線を向ける彼を前に、美奈穂の足はすっかり止まってしまい、気がつけばたった十数メートルの移動がちょっとした騒動になりかけていた。
数分後、ようやく食堂にたどり着いた一行は、美奈穂達の到着を待ちわびていたメンバー達にあたたかく出迎えられた。
本人の知らない間に、すっかりスタッフ達の娘ポジションにおさまった美奈穂は、先輩たちから何度も頭を撫でられ「大丈夫? 心配だったんだよ」と声をかけられる。
そして同時に、スタッフ達全員から「良かったね」とほほ笑まれるのだ。
最初は、無事目を覚ましたことを喜んでくれているのかと思った。
だけど、良かったと口にした後、全員の視線が自分の隣にいる光志へ向いたことで、彼女はようやくその意味を理解した。
(そう言えば……みんな、番の人達ばっかりなんだ)
美奈穂は思い出した。ここに居るスタッフは、さっき出会ったばかりの中原夫妻を入れた全員が番であり、夫婦だということを。
その事実に気づいた瞬間、じんわりと熱くなる頬の熱に、彼女は気づかないふりをする。
もしかしたら、自分も――。
ただの勝手な想像とわかっていても、一度頭の中に浮かんだ映像は消えてくれない。
「……? どうかしたか?」
ちらりと隣にいる光志の顔を盗み見ようとしただけなのに、あっという間に見つかってしまう。
何でもないと首を横に振りながら、頭の中で微笑みあう男女の映像を消そうと必死な美奈穂。
彼女の頬から赤みが消えるまで、まだ少し時間がかかりそうだ。
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