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本編
第4話
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「いやあ、さっきの女の子凄かったね」
「本当に……初めて見たわ、あんなあからさまに墓穴掘る子」
「元々頭が良くないんでしょう。バカで、厚化粧して、男に媚びてばっか……チヤホヤされて喜ぶタイプ。私嫌いだわ、ああいう子」
(う、わあ……)
数十分前まで騒然としていたのが嘘のように、シンと静まり返る食堂。
そして、その賑やかさを受け継いだとばかりに、今度は調理場内が賑やかになっていく。
美奈穂は、ガスコンロの上に置かれた寸胴鍋で具材を炒める男性スタッフの補助をしながら、先輩たちのお喋りを聞いてしまい、背中にじっとりと冷や汗をかいていた。
志郎からの説明が終わると、夕食まで自由時間を貰った参加者達は、清掃チームのスタッフに案内され、別館にあるそれぞれの部屋へ向かった。
人気が無くなった食堂は、役人男性からカギを預かっていた美智子によって、すぐに内側から施錠された。
夕食の支度が整うまで、参加者達が入ってこないようにするためらしい。
用事がある人は、廊下に面した調理場のドアをノックしてと、ドアに指示プレートが下げているとか。
数十分前まで無言で作業をしていたスタッフたちも、参加者が居なくなって肩の力が抜けたのか、そこかしこでお喋りを始めた。
とは言っても、流石のベテラン集団。みんなお喋りをする口以上に、しっかりと手を動かしている。
「美奈穂ちゃん、醤油持ってきてもらっていいか? 重かったら手空いてるやつに頼めよ」
「はい……えっと、どのくらいの量を計ればいいですか?」
「わざわざ計らなくていい。ボトルごと持ってきて、俺がストップかけるまで入れてくれりゃいい」
美奈穂は、男性からの指示に驚いたものの、すぐに頷き一旦コンロのそばを離れた。そのまま、調味料一式が置かれている場所へ向かう。
運命の番探しの参加者四十人、志郎達政府役人の男性十人、そして自分達裏方スタッフが十五人。総勢六十五人分の食事を、一日三食、約一週間毎日作るのは想像以上に過酷そうだ。
給食のおばちゃんにでもなった気分で、醤油入りのボトルを抱え、えっちらおっちらコンロのそばへ戻っていく。
「あの……本当に軽量カップ使わなくていいんですか?」
「おう。俺いつも目分量でやってるけど、失敗した事ねえから」
ボトルのキャップを外し、醤油が入ったそれを抱え、鍋に注ぎ口を近づける。
不安が拭えないまま、上目遣いで男性を見上げれば、大きい木べらを持っていない方の手を軽く握った先輩は、グッと親指を立て美奈穂を安心させるように笑ってくれた。
夕食に出す料理作りに勤しむ先輩たちの間を、美奈穂はちょこまかと走りまわって、補佐に徹したり、使い終わった調理器具を洗ったりと忙しく働いた。
その甲斐もあって、煮立つ鍋やオーブンの中で調理が続く料理の様子を見ながらだが、調理場内に休息の時がおとずれる。
丁度利用者たちの案内を終えた清掃組スタッフが戻ってきたため、注意点などの指示を出し見張りを彼らに託した調理班は、足早に食堂へ避難していく。
今の季節は夏真っ盛り。夏場に火を使うため、地獄と化した調理場から抜け出たスタッフたちは、食堂内の一画に集まり、冷たい麦茶でお互いに労をねぎらい始めた。
夏場の調理場での作業には必須だからと、出来る限りフェイスタオル、またはスポーツタオルを持参するよう言われていた。
それらの一つを冷水で濡らして絞ったものを、美奈穂を含めた全員が首元にかけている。
見た目は少し不格好になるけれど、ひんやりした心地よさには代えられないと、人気のない食堂で全員が束の間の涼に浸った。
「どう、美奈穂ちゃん。一週間頑張れそう?」
「はい、なんとか。でも……本当にいいんですか? プロの方々みたいにはいかないかもしれませんが……教えて頂けさえすれば、私、掃除もお洗濯も出来ますよ?」
首元に感じる冷たさと、氷が入ったグラスで飲む麦茶の冷たさに、美奈穂はホッと息を吐く。
隣から聞こえる女性の問いに答えた彼女は、朝からずっと気になっていたことを思い切ってその場にいる全員へ問いかけてみた。
『えっ? 私、料理以外はしなくていいんですか?』
『はい。美奈穂さんは、調理場専門のスタッフとして雇いましたから心配いりませんよ』
朝、スタッフ全員と顔合わせをした際、志郎から言われた言葉を思い出す。
これからの一週間、美奈穂を含めた裏方メンバーたちは、それぞれ調理、掃除、洗濯の三つを日替わりで担当すると聞かされた。
だけど、中には例外があり、それぞれの作業に特化したプロは一週間専任として働くらしい。
掃除のプロが三人、洗濯のプロが二人、そして料理のプロは、和食、洋食、中華、それぞれ一人ずつ。
さっき美奈穂に醤油を持ってきて欲しいと言っていた男性は、普段和食料理店を経営していると、自己紹介の時に話してくれた。
そんな特別メンバーの中に自分も入っている。主催者側の人間から、直々にそのことを聞かされた美奈穂は、ずっと疑問に思っていた。
凄腕のプロが専任で仕事をし、残りのメンバーが持ち回りで仕事をする。その体制に疑問は無い。
だけど、たかが調理師免許を持つ元事務員の自分がどうして?
いくら考えても答えは出て来ない。そこで彼女は先輩たちに答えを求めた。
「ええっと、それは……ねえ?」
「あー、なんと言うか、なあ?」
美奈穂はただ、持ち回りのローテーションに自分も組み込んで欲しいと言いたかっただけ。
なのに、彼女が小首を傾げた途端、テーブルを挟んで座る男性達、そして自分の左右に座る女性達の顔が一斉に曇っていく。
(え? 私、何かマズいことでも言っちゃったの!?)
明らかに返答に迷う素振を見せる先輩たちの姿に、美奈穂の中で不安が大きくなっていく。
「美奈穂さん。さっき、相楽さんが説明していたことは、聞いていましたよね?」
「あ、えっと……はいっ!」
お互いに顔を見合わせ、誰が説明するかと目配せをしあうメンバーの中で、メガネをかけた男性スタッフが声をかけてきた。
彼は普段、イタリア料理を専門とするシェフとして、レストランに勤めているらしい。名前は確か、須藤良晴さんだ。
そんな彼の物腰柔らかな言葉は、どこか学生時代の先生を思い出させる。
思わずピクリと両肩を揺らし。反射的に背筋を伸ばす美奈穂の姿に、良晴はニコリとほほ笑み言葉を続ける。
「美奈穂さんはまだ二十代。今回の集まりに、参加者として招集されても、おかしくない年頃です。今回集まった人たちは全部で四十人。たった一週間の間に、自分以外の三十九人の顔と名前を一致させて覚えるなど不可能でしょう」
美奈穂に対し語り掛ける言葉は、どこまでも優しく、丁寧な説明につい頷いてしまう。
「相楽さんが先程仰っていたように、今回の集まりは皆さんにとって彼氏、彼女を見つけるためのものです。もし美奈穂さんが、掃除や洗濯のために敷地内をあちこち動き回っている途中で、参加者と間違われて男性に絡まれたりしたら、元も子もありません」
「そうだぜ、美奈穂ちゃん。野郎のなかには、女なら片っ端から声かけまくるやつも居るかもしれねえからな。いくらスタッフだって主張しても、疑ってくる野郎もいるかもしれねえ」
「そうなってしまうと、美奈穂さんの仕事効率が低下します。なので、基本的に貴女には厨房内で仕事をしてもらって、出来る限り参加者たちと接触を避けるのが理想かと」
良晴の言葉に賛同してか、和食担当の石橋勝彦さんが大きく頷く。
二人の言葉を聞いた他のメンバーも、そうした方がいいと言うばかりで、最終的に丸め込まれたような気持ちになりながら、今日はこれ以上の主張をするべきではないと、美奈穂は一旦引くことにした。
先輩たちが入れ替わりで調理場と食堂を行き来する様子をしばらく眺め、自分にも何か出来る事はあるかと尋ねてみたけれど「美奈穂ちゃんは休んでて」と言われるばかり。
新米の自分より、経験豊富なみんなに任せた方が、効率的で時短にもなる。
その事実がほんの少し悔しい。
だけど、そこで我を通したりはしない。元々主張の激しい性格じゃないし、社会に出て学んだ対人スキル的にも、これが正しいと自分に言い聞かせる。
先輩たちの厚意を受け取ることにした美奈穂は、お喋りに花を咲かせるメンバー達の話に耳を傾け、時々相槌を打ちながらしばし穏やかな時間を過ごした。
(それにしても……)
「運命の番、か」
ふと意識の隅で志郎の言葉を思い出す。
それを自覚させられたのは、無意識に口から飛び出た独り言が聞こえたため。
楽しいお喋りの声が響く食堂内で、やけにはっきりと聞こえた自分の声に驚き、同時にヤバいと思った美奈穂は、テーブルの上に落としていた視線を上げる。
だけど、時すでに遅し。
現在食堂でくつろいでいるスタッフ達の視線は、気づけば自分一人に向いていた。
ついさっきまで賑やかだった声も聞こえなくなり、シンと食堂内が静かになる。
「もしかして美奈穂ちゃん、興味持っちゃった?」
そんななかで最初に口を開いたのは、美奈穂を挟み、美智子と反対隣に座る女性。先輩たちの中で一番年下な須藤亜沙美さんだ。普段は夫の良晴さんが働くレストランで、ホールを担当していると教えてくれた。
「興味、というか……本当にそんな人が見つかるのかなって」
彼女の言葉に、ポツリポツリと思ったことを口に出していく。
参加者へ説明をしている時、志郎はやけに自信ありげな態度だった。最後こそ気負わずに、なんて言っていたけれど、彼の説明を思い出す限り、嘘をついているとは思えない。
だけど、絵本の中に出てくる単語が、現実世界に実在するなんて突然言われて、一体どれだけの人が彼の話を信じるのだろう。
「おや、いつの間にか静かになっていますね」
「美奈穂ちゃんが、運命の番に興味津々なの」
運命の番という、人と人との特別な繋がり。その目に見えない繋がりを、どう信じればと首を傾げる美奈穂の耳に届いたのは、料理の出来上がり具合を厨房へ確認しに行っていた良晴の声。
ガタリと椅子を引く音がした方を向くと、さっきまでいた同じ席に良晴が腰を落ち着けるところだった。
一仕事終えて戻ってきた夫に、亜沙美は何故か満面の笑みを浮かべ報告する。
妻の言葉を聞いた彼は、ゆっくりと美奈穂へ視線を向けると、状況を悟ったかのように口元の笑みを深くした。
「もしかしなくても……運命の番なんて、目に見えないものをどう信じたらいいかわからなくて……悩んでいますか?」
「っ! は、はい……」
そして、ズバリこちらの状況を言い当てられてしまう。良晴の的を射た言葉に大きく目を見開いた美奈穂は、無性に恥ずかしくなって熱を持つ頬から意識をそらそうと、つい視線を泳がせる。
その様子に、周りに座る大人たちの口から、クスクス、クスクスと遠慮がちな笑いが漏れ出るのが聞こえた。
「美奈穂さん、思い悩む必要はありません。本当に、運命の番という存在は実在するんですよ」
真っ直ぐ鼓膜を震わす温和な声に、うつ向きかけた顔をあげる。
視線の先にいたのは、優しい笑顔を浮かべる良晴。彼は一旦周囲に目配せをすると、おもむろに右手を自分の襟元へ近づけていく。
「これからお見せするのが、その証です。さあ、皆さんも彼女に見せてあげてください」
そして彼は、その場にいる全員に呼びかける。
その言葉に、同じ席についていた同僚たちが、何やら次々と身動ぎを始めた。
「あ、そうだ。忘れるところでした。このこと……参加者の人達には黙っておいてくださいね」
シーっと口元に左手人差し指を寄せた彼は、身につけていたネックレスチェーンに指を引っ掛け、服の中に隠れていた何かを取り出す。
(あれ、は……指輪?)
良晴が自分の胸元から取り出したのは、チェーンに通されたシルバーリング。
突然すぎる彼の行動に驚きながら、先程聞いた、証、皆さん、という言葉を思い出す。
恐る恐る彼以外の同僚達へ視線を向けると、亜沙美はこちらに見えるように左手を差し出していた。そのしなやかな薬指には、キラリと光るシルバーリングがはめられている。
続いて美智子の方を見れば、彼女は良晴と同じようにネックレスチェーンに通したシルバーリングを見せてくれていた。
恥ずかしそうに指輪をした左手を見せてくれる人、ネックレスに通した指輪を見せてくれる人。その場にいる自分以外の全員が、同じ色合いのリングを持っていることに、美奈穂は驚愕する。
そして、話の流れから考えて、彼女はまさかと思うような答えにたどり着いた。
「美奈穂さん以外……私達スタッフ全員、今回と同じ、摩訶不思議な催し物に過去参加した経験があります。そして全員、今そばにいる旦那さん、奥さんと出会い籍を入れました」
「……っ!」
衝撃的な発言の連続に、思わず息を呑んだ美奈穂は、咄嗟に自分の口を両手で塞ぐと、喉元まで出かかった叫びを堪える。
まさか自分のすぐそばに、こんなにもたくさんの証人がいるなんて、一体誰が予想出来ると言うのだろう。
「本当に……初めて見たわ、あんなあからさまに墓穴掘る子」
「元々頭が良くないんでしょう。バカで、厚化粧して、男に媚びてばっか……チヤホヤされて喜ぶタイプ。私嫌いだわ、ああいう子」
(う、わあ……)
数十分前まで騒然としていたのが嘘のように、シンと静まり返る食堂。
そして、その賑やかさを受け継いだとばかりに、今度は調理場内が賑やかになっていく。
美奈穂は、ガスコンロの上に置かれた寸胴鍋で具材を炒める男性スタッフの補助をしながら、先輩たちのお喋りを聞いてしまい、背中にじっとりと冷や汗をかいていた。
志郎からの説明が終わると、夕食まで自由時間を貰った参加者達は、清掃チームのスタッフに案内され、別館にあるそれぞれの部屋へ向かった。
人気が無くなった食堂は、役人男性からカギを預かっていた美智子によって、すぐに内側から施錠された。
夕食の支度が整うまで、参加者達が入ってこないようにするためらしい。
用事がある人は、廊下に面した調理場のドアをノックしてと、ドアに指示プレートが下げているとか。
数十分前まで無言で作業をしていたスタッフたちも、参加者が居なくなって肩の力が抜けたのか、そこかしこでお喋りを始めた。
とは言っても、流石のベテラン集団。みんなお喋りをする口以上に、しっかりと手を動かしている。
「美奈穂ちゃん、醤油持ってきてもらっていいか? 重かったら手空いてるやつに頼めよ」
「はい……えっと、どのくらいの量を計ればいいですか?」
「わざわざ計らなくていい。ボトルごと持ってきて、俺がストップかけるまで入れてくれりゃいい」
美奈穂は、男性からの指示に驚いたものの、すぐに頷き一旦コンロのそばを離れた。そのまま、調味料一式が置かれている場所へ向かう。
運命の番探しの参加者四十人、志郎達政府役人の男性十人、そして自分達裏方スタッフが十五人。総勢六十五人分の食事を、一日三食、約一週間毎日作るのは想像以上に過酷そうだ。
給食のおばちゃんにでもなった気分で、醤油入りのボトルを抱え、えっちらおっちらコンロのそばへ戻っていく。
「あの……本当に軽量カップ使わなくていいんですか?」
「おう。俺いつも目分量でやってるけど、失敗した事ねえから」
ボトルのキャップを外し、醤油が入ったそれを抱え、鍋に注ぎ口を近づける。
不安が拭えないまま、上目遣いで男性を見上げれば、大きい木べらを持っていない方の手を軽く握った先輩は、グッと親指を立て美奈穂を安心させるように笑ってくれた。
夕食に出す料理作りに勤しむ先輩たちの間を、美奈穂はちょこまかと走りまわって、補佐に徹したり、使い終わった調理器具を洗ったりと忙しく働いた。
その甲斐もあって、煮立つ鍋やオーブンの中で調理が続く料理の様子を見ながらだが、調理場内に休息の時がおとずれる。
丁度利用者たちの案内を終えた清掃組スタッフが戻ってきたため、注意点などの指示を出し見張りを彼らに託した調理班は、足早に食堂へ避難していく。
今の季節は夏真っ盛り。夏場に火を使うため、地獄と化した調理場から抜け出たスタッフたちは、食堂内の一画に集まり、冷たい麦茶でお互いに労をねぎらい始めた。
夏場の調理場での作業には必須だからと、出来る限りフェイスタオル、またはスポーツタオルを持参するよう言われていた。
それらの一つを冷水で濡らして絞ったものを、美奈穂を含めた全員が首元にかけている。
見た目は少し不格好になるけれど、ひんやりした心地よさには代えられないと、人気のない食堂で全員が束の間の涼に浸った。
「どう、美奈穂ちゃん。一週間頑張れそう?」
「はい、なんとか。でも……本当にいいんですか? プロの方々みたいにはいかないかもしれませんが……教えて頂けさえすれば、私、掃除もお洗濯も出来ますよ?」
首元に感じる冷たさと、氷が入ったグラスで飲む麦茶の冷たさに、美奈穂はホッと息を吐く。
隣から聞こえる女性の問いに答えた彼女は、朝からずっと気になっていたことを思い切ってその場にいる全員へ問いかけてみた。
『えっ? 私、料理以外はしなくていいんですか?』
『はい。美奈穂さんは、調理場専門のスタッフとして雇いましたから心配いりませんよ』
朝、スタッフ全員と顔合わせをした際、志郎から言われた言葉を思い出す。
これからの一週間、美奈穂を含めた裏方メンバーたちは、それぞれ調理、掃除、洗濯の三つを日替わりで担当すると聞かされた。
だけど、中には例外があり、それぞれの作業に特化したプロは一週間専任として働くらしい。
掃除のプロが三人、洗濯のプロが二人、そして料理のプロは、和食、洋食、中華、それぞれ一人ずつ。
さっき美奈穂に醤油を持ってきて欲しいと言っていた男性は、普段和食料理店を経営していると、自己紹介の時に話してくれた。
そんな特別メンバーの中に自分も入っている。主催者側の人間から、直々にそのことを聞かされた美奈穂は、ずっと疑問に思っていた。
凄腕のプロが専任で仕事をし、残りのメンバーが持ち回りで仕事をする。その体制に疑問は無い。
だけど、たかが調理師免許を持つ元事務員の自分がどうして?
いくら考えても答えは出て来ない。そこで彼女は先輩たちに答えを求めた。
「ええっと、それは……ねえ?」
「あー、なんと言うか、なあ?」
美奈穂はただ、持ち回りのローテーションに自分も組み込んで欲しいと言いたかっただけ。
なのに、彼女が小首を傾げた途端、テーブルを挟んで座る男性達、そして自分の左右に座る女性達の顔が一斉に曇っていく。
(え? 私、何かマズいことでも言っちゃったの!?)
明らかに返答に迷う素振を見せる先輩たちの姿に、美奈穂の中で不安が大きくなっていく。
「美奈穂さん。さっき、相楽さんが説明していたことは、聞いていましたよね?」
「あ、えっと……はいっ!」
お互いに顔を見合わせ、誰が説明するかと目配せをしあうメンバーの中で、メガネをかけた男性スタッフが声をかけてきた。
彼は普段、イタリア料理を専門とするシェフとして、レストランに勤めているらしい。名前は確か、須藤良晴さんだ。
そんな彼の物腰柔らかな言葉は、どこか学生時代の先生を思い出させる。
思わずピクリと両肩を揺らし。反射的に背筋を伸ばす美奈穂の姿に、良晴はニコリとほほ笑み言葉を続ける。
「美奈穂さんはまだ二十代。今回の集まりに、参加者として招集されても、おかしくない年頃です。今回集まった人たちは全部で四十人。たった一週間の間に、自分以外の三十九人の顔と名前を一致させて覚えるなど不可能でしょう」
美奈穂に対し語り掛ける言葉は、どこまでも優しく、丁寧な説明につい頷いてしまう。
「相楽さんが先程仰っていたように、今回の集まりは皆さんにとって彼氏、彼女を見つけるためのものです。もし美奈穂さんが、掃除や洗濯のために敷地内をあちこち動き回っている途中で、参加者と間違われて男性に絡まれたりしたら、元も子もありません」
「そうだぜ、美奈穂ちゃん。野郎のなかには、女なら片っ端から声かけまくるやつも居るかもしれねえからな。いくらスタッフだって主張しても、疑ってくる野郎もいるかもしれねえ」
「そうなってしまうと、美奈穂さんの仕事効率が低下します。なので、基本的に貴女には厨房内で仕事をしてもらって、出来る限り参加者たちと接触を避けるのが理想かと」
良晴の言葉に賛同してか、和食担当の石橋勝彦さんが大きく頷く。
二人の言葉を聞いた他のメンバーも、そうした方がいいと言うばかりで、最終的に丸め込まれたような気持ちになりながら、今日はこれ以上の主張をするべきではないと、美奈穂は一旦引くことにした。
先輩たちが入れ替わりで調理場と食堂を行き来する様子をしばらく眺め、自分にも何か出来る事はあるかと尋ねてみたけれど「美奈穂ちゃんは休んでて」と言われるばかり。
新米の自分より、経験豊富なみんなに任せた方が、効率的で時短にもなる。
その事実がほんの少し悔しい。
だけど、そこで我を通したりはしない。元々主張の激しい性格じゃないし、社会に出て学んだ対人スキル的にも、これが正しいと自分に言い聞かせる。
先輩たちの厚意を受け取ることにした美奈穂は、お喋りに花を咲かせるメンバー達の話に耳を傾け、時々相槌を打ちながらしばし穏やかな時間を過ごした。
(それにしても……)
「運命の番、か」
ふと意識の隅で志郎の言葉を思い出す。
それを自覚させられたのは、無意識に口から飛び出た独り言が聞こえたため。
楽しいお喋りの声が響く食堂内で、やけにはっきりと聞こえた自分の声に驚き、同時にヤバいと思った美奈穂は、テーブルの上に落としていた視線を上げる。
だけど、時すでに遅し。
現在食堂でくつろいでいるスタッフ達の視線は、気づけば自分一人に向いていた。
ついさっきまで賑やかだった声も聞こえなくなり、シンと食堂内が静かになる。
「もしかして美奈穂ちゃん、興味持っちゃった?」
そんななかで最初に口を開いたのは、美奈穂を挟み、美智子と反対隣に座る女性。先輩たちの中で一番年下な須藤亜沙美さんだ。普段は夫の良晴さんが働くレストランで、ホールを担当していると教えてくれた。
「興味、というか……本当にそんな人が見つかるのかなって」
彼女の言葉に、ポツリポツリと思ったことを口に出していく。
参加者へ説明をしている時、志郎はやけに自信ありげな態度だった。最後こそ気負わずに、なんて言っていたけれど、彼の説明を思い出す限り、嘘をついているとは思えない。
だけど、絵本の中に出てくる単語が、現実世界に実在するなんて突然言われて、一体どれだけの人が彼の話を信じるのだろう。
「おや、いつの間にか静かになっていますね」
「美奈穂ちゃんが、運命の番に興味津々なの」
運命の番という、人と人との特別な繋がり。その目に見えない繋がりを、どう信じればと首を傾げる美奈穂の耳に届いたのは、料理の出来上がり具合を厨房へ確認しに行っていた良晴の声。
ガタリと椅子を引く音がした方を向くと、さっきまでいた同じ席に良晴が腰を落ち着けるところだった。
一仕事終えて戻ってきた夫に、亜沙美は何故か満面の笑みを浮かべ報告する。
妻の言葉を聞いた彼は、ゆっくりと美奈穂へ視線を向けると、状況を悟ったかのように口元の笑みを深くした。
「もしかしなくても……運命の番なんて、目に見えないものをどう信じたらいいかわからなくて……悩んでいますか?」
「っ! は、はい……」
そして、ズバリこちらの状況を言い当てられてしまう。良晴の的を射た言葉に大きく目を見開いた美奈穂は、無性に恥ずかしくなって熱を持つ頬から意識をそらそうと、つい視線を泳がせる。
その様子に、周りに座る大人たちの口から、クスクス、クスクスと遠慮がちな笑いが漏れ出るのが聞こえた。
「美奈穂さん、思い悩む必要はありません。本当に、運命の番という存在は実在するんですよ」
真っ直ぐ鼓膜を震わす温和な声に、うつ向きかけた顔をあげる。
視線の先にいたのは、優しい笑顔を浮かべる良晴。彼は一旦周囲に目配せをすると、おもむろに右手を自分の襟元へ近づけていく。
「これからお見せするのが、その証です。さあ、皆さんも彼女に見せてあげてください」
そして彼は、その場にいる全員に呼びかける。
その言葉に、同じ席についていた同僚たちが、何やら次々と身動ぎを始めた。
「あ、そうだ。忘れるところでした。このこと……参加者の人達には黙っておいてくださいね」
シーっと口元に左手人差し指を寄せた彼は、身につけていたネックレスチェーンに指を引っ掛け、服の中に隠れていた何かを取り出す。
(あれ、は……指輪?)
良晴が自分の胸元から取り出したのは、チェーンに通されたシルバーリング。
突然すぎる彼の行動に驚きながら、先程聞いた、証、皆さん、という言葉を思い出す。
恐る恐る彼以外の同僚達へ視線を向けると、亜沙美はこちらに見えるように左手を差し出していた。そのしなやかな薬指には、キラリと光るシルバーリングがはめられている。
続いて美智子の方を見れば、彼女は良晴と同じようにネックレスチェーンに通したシルバーリングを見せてくれていた。
恥ずかしそうに指輪をした左手を見せてくれる人、ネックレスに通した指輪を見せてくれる人。その場にいる自分以外の全員が、同じ色合いのリングを持っていることに、美奈穂は驚愕する。
そして、話の流れから考えて、彼女はまさかと思うような答えにたどり着いた。
「美奈穂さん以外……私達スタッフ全員、今回と同じ、摩訶不思議な催し物に過去参加した経験があります。そして全員、今そばにいる旦那さん、奥さんと出会い籍を入れました」
「……っ!」
衝撃的な発言の連続に、思わず息を呑んだ美奈穂は、咄嗟に自分の口を両手で塞ぐと、喉元まで出かかった叫びを堪える。
まさか自分のすぐそばに、こんなにもたくさんの証人がいるなんて、一体誰が予想出来ると言うのだろう。
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