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第四章 それぞれの想いの先に

41.恋人の成長

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 ターゲット達の秘めた恋心に気づけば、もう勝機はこちらにあるも同然。
 翌日からセラフィーナは、作戦を次の段階へ移行していく。
 ヴァネッサ達に不審がられず、二人分の髪の毛を採取するのには少々苦戦したが、これまでの情報収集にかけた労力を思えば安いモノ。
 無事、両人の髪の毛を手に入れた彼女は、嬉々としながら応援道具作成を開始する。

「以前もこの工程を見ていたから、初見の時より違和感は無いが……やはり、其方の作る道具は不思議なモノだな」

 前回も使用した白い矢を二本用意し、それぞれにヴァネッサとクライヴの情報を書き込んでいく。
 その様子を、アイザックはそばで見守ってくれた。
 興味津々な様子を見せる彼の姿に、つい苦笑交じりの吐息が漏れる。
 すぐ隣に居る存在を気にしてはいけない。今は己の手元に全神経を集中させなければと、彼女は深呼吸をくり返す。
 いつもより速い鼓動と、乱れかける精神。それらを元に戻し、努めて平常心を保ちながら、彼女はペンを持つ手を動かす。

(落ち着け、落ち着け……)

 持参した矢は、試験で使用する人数分のみ。つまり、一文字でも書き損じれば、すべてが台無しになる状況だ。
 特殊な術が幾重にも施されたそれは、一つ一つが貴重なものだと、養成所で教え込まれている。決して失敗は許されないと緊張すれば、手の中にある一本の矢がやけに重く感じられた。
 しかし、今自分が考えるべきことは、明日この矢を打ち込む、恋に奥手な男女についてだけ。

 二人が無事想いを伝えられますように。
 二人が幸せな未来を歩んでいけますように。

 たくさんの願いを込めながら、セラフィーナは二本の矢に情報を記憶させ、それぞれの矢じりに、抜きたてホヤホヤの髪を溶け込ませていった。





 諦めず粘り続けた成果は、カップル候補となった二人に矢を打ち込んでから数日後に発揮された。しかしそれは、こちらが想定していたより、かなり過激な状況を生みだすこととなる。

 その日も、ヴァネッサの存在を妬む面々は、懲りずにコソコソと陰口を叩いていた。すると、様子を見ていたクライヴの堪忍袋の緒がついに切れ、厨房で乱闘騒ぎが勃発したのだ。
 こっそり様子をうかがっていたセラフィーナは、仲裁を要請するため、恋人のもとへ急ぐ。

 以前遊び半分で、互いに感覚を共有出来ないかと試行錯誤し、一時的なら視覚や聴覚の共有が可能と知った二人。
 どうせならアイザックにも、ターゲット達の想いが成就する瞬間を見て欲しいと、この日も二人は互いの感覚を共有していた。
 そのお陰か、慌てて彼の元へ向かおうとするセラフィーナの前に、怪訝な表情を浮かべたアイザックが駆けつける。
 そして彼は、安心しろとばかりに小さな恋人を肩に乗せ、頭をひと撫でし厨房へ赴いた。


 厨房の中を覗けば、セラフィーナがその場を離れた時よりも悲惨な光景が広がっていた。
 床には調理道具や割れた食器類が散乱し、苦痛の表情を浮かべるクライヴが、腕から血を流しながら調理台越しにヴァネッサを罵倒していた男達を睨みつけている。
 彼のそばには、身体を震わせ、青白い顔のまま涙を流し、弱々しくクライヴの服を掴むヴァネッサの姿があった。

「貴様らは、この城に己が何をしに来ているか、その胸に刻んで職務についているのか?」

 数人の同僚達に羽交い絞めにされた陰湿な男達、そして調理場に座りこむクライヴ達と、そばに落ちている嫌な赤が先端を濡らす包丁。それに加えて、呆然と立ち尽くすだけの調理人達。
 すべてを順に視野へ収めれば、目を離した隙に何が起きたかは明白だった。
 アイザックもそれを機敏に感じ取ったらしく、本気の怒りを滲ませながら淡々とした口調で厨房内の人間に問いかける。
 
 ずっと部屋に引きこもってばかりだったアイザックが、ここ数か月の間に、僅かだが毎日城内を散策している。
 その話は城ではすっかり周知の事実となっている様だ。散歩の途中に騒ぎを聞きつけ、彼がこの場に駆けつけたと思っているのか、唐突過ぎる王子の登場に騒ぎ出す者は居なかった。
 その代わり、目の前に広がる惨状に憤慨する彼の言動に、皆少なからず狼狽している。

「傷口を見せてみろ」

 己の集中する視線など一切気にせず、アイザックは厨房へ足を踏み入れ真っ直ぐクライヴ達のそばへ近づいた。
 そして、彼の目の前にしゃがみ込むと、先程の鋭い語気とは打って変わり、いつもの淡白な口調で男に話しかける。
 同時に、胸ポケットに右手の指を数本突っ込むと、中から髪結い用の紐を取り出し、視界を覆い隠す髪を結いだす。

(ザック! うん、わかったよ)

 彼が人前で、自ら劣等感を抱く目元を露わにする。その様子に目を見張るセラフィーナだが、アイザックが髪結い紐を取り出す瞬間、自分へ向けられた視線に気づき、彼の言わんとする想いを推測した。
 そして彼女は、邪魔にならぬよう乗っていた肩から離れ、空になった胸ポケットの中へ移動する。
 ポケットの縁に手をかけ、目元だけを覗かせると、アイザックの素顔を正面から見ることとなったクライヴ達が目を見開く様子がはっきり見えた。

「早くその手を退けろ。医務室までの間、止血をする」

 火傷痕を見られているにも関わらず、恋人が以前のように震える様子は無い。それどころか、テキパキと指示を出しているではないか。きっと彼は、クライヴを救いたい一心で行動しているのだろう。
 その想いが、彼自身の精神を鼓舞していると気づけば、自分のことのように心の底から嬉しさがこみ上げてくる。

「こ、このくらいの傷、大した事ではありません」

「馬鹿者。大した事の無い傷で、こんなに出血が止まらない訳があるか。二度と料理が作れなくなって良いのなら止めぬが、もう一度包丁を持ちたいのなら、今すぐ手を退けろ」

「……っ」

 アイザックの真っ直ぐな視線と言葉に、頑なだったクライヴはようやく折れ、傷を庇っていた手を退ける。右手に覆われていた彼の左腕には、深々と刺し傷が残っていた。
 それを目視したアイザックは、苛立ちを隠さず舌打ちをし、上着のポケットからハンカチを取り出すと、それを躊躇なく裂いていく。
 同時に「使っていない物だ。安心しろ」と、男に声をかけながら、患部の止血をせんと、ひも状にしたハンカチをクライヴの腕に数回巻きつけ、きつく縛り上げた。

「うっ!」

「クライヴ!」

 傷口のそばを縛ったため、どうやら腕が余計に痛む様だ。
 クライヴの額に滲む脂汗を目にすれば、いまだ狼狽えるヴァネッサが、おもむろに自身のハンカチを制服のポケットから取り出す。
 そのまま、手にしたそれを苦痛で顔をしかめる彼の額にあてがい、懸命に介抱を始めた。

「よし、出血が少し弱まったな。あとは……医務室に行く間、傷口を保護したい……となれば大判の布か何かを」

「なっ! こ、これは一体……」

「どういう事ですか、この騒ぎは!」

「アイザック様!」

 応急処置として止血を済ませたアイザックは、これからクライヴを医務室へ連れて行くらしい。
 その場所は、実際足を踏み入れたことは無いものの、城内を知り尽くした恋人のお陰で、存在自体は認識していた。

 不意に、厨房入り口から慌しい複数の足音が聞こえ、矢継ぎ早な男性の声が続く。
 何事かと驚き、アイザックの胸元でビクついていれば、自分の名を呼ばれたことに気づいた恋人が、ゆっくりとそちらをふり返る。そのお陰で、セラフィーナ自身も入り口へ視線を向ける。
 すると、二人の視界に飛び込んできたのは、アイザックと親しい使用人のチャドと、補佐官のクラース、そして厨房にいる使用人達と同じ制服を身につけた壮年と思わしき男性の三人。
 彼らは揃って、厨房内の状況に驚愕し言葉を失っていた。

「クラース、今すぐ清潔な布をかき集めてくれ。この男の片腕を包めるくらいの大きさがいい」

「は? 布、ですか?」

「急げ、時間が無い!」

「っ、わかりました」

 突如アイザックが、補佐官のクラースに鋭い視線を向け、声をかける。
 すると、素顔を晒し鬼気迫る表情を浮かべる王子の姿を目にした彼は、何かを悟ったように目つきが変わった。
 その直後、一度大きく頷いくや否や、走り去っていく。そんな男の頼もしい背中が、こちらの視界に一瞬映り込んだ。

「今、腕を保護する布を用意させる。それを撒きつけた後に、医務室へ行こう。私が肩を貸す」

「い、いいえ。医務室くらい、自分一人でも。アイザック様の手を煩わせるわけには」

 自ら移動中の補助役を申し出る王族の言葉に、これまで時折呻くだけだったクライヴが、慌てた様子で顔を上げる。隠しきれない困惑が滲む表情のまま、彼は勢い任せに首を左右に振った。

「今日の仕事は既に済ませてあるから気にするな。それに……この城の医師とは幼い頃から世話になっている仲だ。少々融通を利かせてくれるかもしれない」

 動揺してばかりなクライヴを落ち着かせるためか、アイザックの声色はいつもより穏やかだ。彼の自室で二人きりで話す時のものに似ている。
 普段からその調子で人と接していれば、顔に火傷痕があろうと彼のもとに集まる人間は多いはず。なんて、余計な憶測を立てながら、セラフィーナは使用人達を気に掛ける恋人の姿を誇らしく思った。


 それから程なくして、メイドと共にかき集めた布を抱えたクラースが厨房に戻って来た。
 アイザックはクラースと協力してクライヴの腕に布を幾重にも巻き付けていく。

「よし。一先ず医務室までは、これで持つだろう。クラース、悪いがこのまま私と共に付き添ってくれるか?」

「わかりました。クライヴさん、立てますか?」

「あ、あぁ。悪いな、クラース。お前にまで、迷惑かけちまって……」

「このくらいどうって事無いですよ。真夜中に探し物を手伝わされるより、よっぽど楽です」

「おい」

 何やら肩を竦めるクラースの発言を聞いたアイザックは、怪訝な表情を浮かべ補佐官を睨みつける。
 そんな主の視線を気にする様子を一切見せず、クラースはクライヴの大きな背中に片腕を回し、立ち上がるよう彼を促した。
 反対方向へ移動したアイザックは、大きな背に自ら片腕を回してクライヴを支えながら、盛大なため息を吐く。

(……?)

 二人の間でしか意味の通じないやりとりが行われた状況に、セラフィーナは首を傾げる。二人に挟まれるような位置に居るクライヴの顔にも戸惑いの表情が浮かんだ。
 その様子を目にしたアイザックの口からは、もう何も言葉は漏れず、厨房を出るためか、彼の視線はしっかりと前を向いた。
 しかし、何かを思い出した様子で、すぐに自分達の背後をふり返った彼は、おもむろに口を開く。

「こやつが心配なら、其方も一緒に来い」

 彼が声をかけたのは、いまだ立ち上がれずその場に座りこむヴァネッサだ。幾度となく流した涙の跡が、くっきりと彼女の両頬に残っているのが、離れていてもわかる。

「へっ? い、いいえ、私は」

「いいから来い。こやつのそばについていろ」

 そう口を開いたアイザックは、ヴァネッサへ視線を向けたままクイっと顎でクライヴを示す。その姿を目にしたヴァネッサは、厨房の壁に手をついて身体を支え、ヨロヨロとその場に立ち上がった。

「そこの。クラースを手伝ってくれたこと感謝する。すまないが、医務室までで構わないから、あやつのそばに居てやってくれぬか。男だけよりも、やはり同性が居た方が落ち着くだろう」

「は、はいっ」

 彼女の様子を確認した後、今度はクラースと共に厨房へ大判のタオルや布を運んでくれたメイドの方を向くアイザック。
 彼の言葉を聞いたメイドは、即座に頷き、迷うことなく厨房の奥へ進むと、立ち上がったばかりのヴァネッサのもとへ駆け寄る。

「アイザック様」

 これでようやく厨房から出られる。急いでクライヴを医務室へ連れて行かなければと、何も出来ない自分に苛立ちながらセラフィーナは様子を見守る。
 その時、ここへ駆け込んだ時以来ずっと口を閉ざしていたチャドの声が聞こえた。
 声がした方を向けば、チャドと並びその場にたたずむ壮年の男性の姿が見える。苦渋に満ちた表情でアイザックの方を見つめる視線は、時折揺らぎ落ち着きがない。

「こ、今回の事は……」

「きっと、この場に居る者たち全員が、事の詳細を証言してくれるだろう。それらを精査した上で、判断は其方とチャドに任す。……ブルーノ、少々私のそばに」

 重々しく口を開いた男性の言葉を遮り言葉を紡ぐ。そんな王子の声は、静まり返った厨房内でやけにはっきりと聞こえた。

「これから言うことは、私個人としての意見だ。父上に報告しても、結果はそう変わらないと思うが……どう判断を下すかは、其方たちに一任する。今、あそこに捕らえられている男達。あやつらは最悪、暇を出して構わないだろう。料理人にとって、命と同等とも言える包丁を、同僚に……いや、人に向け、傷つけたのだ。そんな奴らに、料理人を名乗る資格は無い」

 どうやら壮年の男性はブルーノという名前らしい。アイザックに呼ばれた彼は、すぐにこちらへ近づいてきた。
 するとアイザックは、ブルーノの耳元へ己の唇を寄せ、内緒話でもするように声をひそめる。
 その声を直に聞いたブルーノ、アイザックの胸元で聞いたセラフィーナ、そしてすぐ隣で聞いていたクライヴ。
 スッとアイザックの顔がブルーノの耳元から離れた瞬間、三人は驚愕の表情を浮かべ、その視線は目元に火傷痕を残す男へ注がれた。
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