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第三章 王子と天使を繋ぐモノ

32.出来ることは祈りのみ(アイザック視点)

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 順調そのものと思っていた旅に、突如暗雲が立ち込めた。


 補佐官として視察に同行する男、クラースの賊発言を聞いた瞬間から、みるみるセラフィーナの顔色が悪くなる。
 幼い頃から、王族としての教育を受けてきたと自分とは違い、現状は彼女にとって未知の世界に違いない。
 賊という言葉に怯える彼女の身体をそっと包みこみ、心配無用と言ってやりたい。
 しかし、そんな思いとは裏腹に、たった一言すら伝えられぬ現実が、酷く腹立たしかった。


「っ! やはり、私も加勢を」

「いけません!」

 一向に納まらない揺れと騒音に、つい焦りが先走る。
 外につながる唯一の扉へ手をのばすが、指先が施錠部分に触れるよりも早く、己ではない手によってアイザックの腕は囚われた。

「クラース離せ、急がねば!」

「いいえ離しません。普段は物分かりが良すぎるくらいの癖して、どうしてこういう時に頭が回らないんですか貴方は!」

 間近で木霊する部下の叱責に驚くあまり、反射的に肩が跳ね上がった。
 驚愕に目を見開くと、旅の初日に宿で見せた時以上の憤慨を滲ませた瞳が、こちらを睨みつけている。

「ご自分の立場をご理解ください。貴方が賊に殺されたとなれば、跡継ぎを失ったザカリ―様がどれ程悲しまれるか……誰よりもお優しい貴方ならわかるでしょう? 次期国王を失ったピスティナ国民は、一体誰を頼ればよいのです? あっという間に隣国に攻め入られた挙句、長年続いた国に、滅びの道を歩めとおっしゃるのですか!?」

 掴まれた手首に時折走る痛み。それは、目の前にいる補佐官の心の叫びとも言える痛みだ。
 そんな部下の想いを悟ってしまえば、彼の手をふり払うなど出来もしない。
 不規則に揺れる馬車。引っ切り無しに、剣同士がぶつかり合う戦いの音や怒号が聞こえてくる。
 静寂とは程遠い状況下のなか、下手をすればそれらにかき消されそうな程小さな声は、不思議とアイザックの耳へ届いた。

 しかし、状況が状況だけに、アイザックは一度失った平静を取り戻せずにいた。

 こうしている間にも、賊と対峙している騎士達が怪我をするかもしれない。
 自分達を連日運んでくれている馬たちが襲われるかもしれない。

 心の中にある負の迷宮から抜け出そうともがく程、彼の思考はどんどん悪い深みへはまる。
 ただ守られるだけの王族でしかない自分の立場を、心底忌々しいと思ったのは、初めてかもしれない。

「っ、ぐぁっ!」

 そんな最中、彼の思考を現実へ引き戻したのは、頭部を襲う鈍い痛みだった。
 急激に馬車が傾いたため、頭を強く打ちつけたらしい。
 これまで以上に酷くなる揺れと馬の|嘶(いなな)きを認識すれば、最悪の事態が頭を過る。
 それだけはどうしても回避しなければと、アイザックは必死に頭を働かせた。
 しかし、その間も揺れはおさまらず、様々な場所へ打ちつけられた身体が悲鳴をあげる。

「きゃあぁぁ!」

 この場を切り抜けられる手がかりでもいいと、藁にも縋る思いを募らせた時、無慈悲にもこの場で一番聞きたくない悲鳴が響く。
 まさか、と焦るまま声のした方向をふり向けば、外の世界とこちらを遮断していたはずの扉が開いており、自分へ必死に手をのばす小さな身体が放り出されようとしている。

「……せ」

(セラッ!)

 アイザックは咄嗟に身体を反転させ、勢いのままセラフィーナの方へ手をのばす。
 あと少し、もう少しだけ身体をのばせば、小さな存在をこの手に出来る。
 なんて心のゆるみが、最悪な状況を呼び寄せた。

「何やってるんですか! 放り出されますよ」

 そう耳元で叫ぶ補佐官の両腕が、腰に巻きつけられ、勢いよく身体を引き寄せられる。
 その瞬間、セラフィーナの身体は馬車の外へ消えていった。





「戻ってくれ」

「駄目です」

「少しの間でいいか」

「出来ません」

 しきりに賊と遭った場所へ戻るよう頭を下げるアイザックの視界に、頭を抱えるクラースの姿が映り込む。
 これは、あの場を離れてから幾度となくくり返されたやりとり。
 双方にとって一向に好転しない状況が続き、各々が別の意味で苛立ちを募らせている。

 結果から言えば、一行は賊を打ち負かし、窮地を脱することが出来た。
 一部怪我を負った騎士がいるものの、命に別状は無い。
 あの場から十分距離を取ったのち、クラースにより大まかな手当てが行われ、現在は皆それぞれの持ち場へ戻っている。
 手当てをする間、アイザックは、周囲を見張る役目を言いつけられた騎士達により、羽交い絞め状態で捕らえられていた。

 すべては、クラースによる指示である。
 最初は王子を拘束するなどと拒絶していた騎士達を「目を離したら、その人本気で逃げますよ」と鶴の一声で統率したのだ。
 アイザックが何故、執拗にあの場所へ戻りたいと主張するのか。その理由を、彼らは一切知らない。
 次第に陽が傾き集落が近づくにつれ、長い前髪から見え隠れする顔に滲む焦りの色が濃くなる。

(私は、一体何のために……っ!)

 アイザックは声なき叫びを必死に噛み殺しながら、抱えた頭を無意識にかきむしる。
 ここまで共に旅をしてくれた部下達に怪我を負わせ、すぐそばにいた大切な存在すら守れなかった己を軽蔑しかねない状況だ。

 クラース達の隙をつき、一旦馬車を離れセラフィーナを探そうと何度も試みた。
 しかし、頭の回転が速く視野が広い補佐官の前では、冷静さを失った男が考えた策など通用しない。
 結局アイザックは、一度もあの場の土を踏むことなく、そこを去るしかなかった。

(セラは大丈夫か? 最初に発作を起こした状況より、大分距離が離れているし、時間だって……っ)

 セラフィーナと初めて出会った夜のことを思い出しながら、現状との比較を続けるが、状況は悪化する一方。
 今頃、彼女は十中八九発作を起こし苦しんでいるはずだ。
 どうして自分ではなく彼女なのだと、二人を繋ぐ糸を呪いたくて仕方がない。

「アイザック様、何故です? どうして、あの場所にこだわるのですか」

「大切な、モノを……落として、しまった」

(この世にある何にも代え難い、大切な……)

 部下の問いかけに答える声は、不思議なことにひどく震えていた。
 それほど自分が動揺していることを突きつけられ、アイザックの気持ちは余計乱れていく。

「……わかりました。後程、騎士を数人向かわせますから、落とした物の特徴を……」

「無理だ。あやつらでは探せない。私にしか……見つけられないのだ」

 ――ドク、トクトク、ドク、トクトク。

 胸元に感じる不規則な心音。それはまるで、この場に居ないもう一人の鼓動まで奏でているような調べに聞こえた。

 か細く絞り出した声が、静まり返った空間に消える。
 不規則な鼓動を胸に感じながら、アイザックはただ愛する者の無事を祈った。
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