鐘の音が鳴るその先へ

雪宮凛

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第1話

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 季節は冬。時折、冷たい風が頬に髪を撫でつける。
 視界の端に揺れる前髪を気にすることなく、俺はただ足を動かし続けた。

「…………」

 気まぐれに揺れる視線がとらえたのは、どこかどんよりとした雲に覆われた薄暗い空。
 そして、誰かがポツンと腰かけるベンチだけ。

(随分……寂れた公園だな)

 公園は賑やかな場所という印象が強かっただけに、少し驚かされる。
 だからと言って、感情のまま声をあげるわけでもない。
 そのまま歩みを進めるにつれ、俺は不意に、ベンチに腰かける人影が女だと気づいた。
 あらためて周囲を見回し確認するが、やはり自分と彼女以外に人の気配は無さそうだ。

(こんな所で、一体何してんだ?)

 先程から動く気配が無く、まるで人形かと錯覚しそうになる後ろ姿を前に、気づけば足を止めていた。
 幾度となく吹く風が、彼女の癖のない黒髪を悪戯に揺らす。
 ベンチの背に隠れ、どこまで伸びているかわからない髪。真っ直ぐで細くしなやかなそれに、少しだけ触れてみたいと無意識に手を伸ばしかけた。

「……あっ」

 その時、今までピクリとも動かなかった人形が、突然意思を持ちこちらをふり向く。
 中途半端な状態で宙に浮く手を咄嗟に引っ込め、そのまま両手を背中へ回した。

「こんにちは」
「こ、こんにちは」

 黒髪が映える真っ白な肌、そしてゆっくり細められる瞳に視線を奪われる。
 そんな俺の意識を引き戻してくれたのは、彼女の口から紡がれた小さな声。
 雑踏の中なら十中八九かき消されているであろう音が、静寂に包まれた公園内ではすんなり耳に届く。
 しかし次の瞬間、自分の口から飛び出す少々上ずった声が、綺麗な鈴の音をものの見事にかき消していった。





「隣……座っても、いいっすか?」
「いいですよ。あっ、ちょっと待って」

 謎の動悸と原因不明の恥ずかしさが襲い掛かる。
 そんな中、気づけば俺は次の言葉を紡いでいた。
 先程の大声とは打って変わり、弱々しい声が喉を震わせる。
 傍から見れば、今の自分は不審者にしか見えないだろう。きっと、警察に通報されてもおかしくないレベルだ。
 しかし、彼女は嫌な顔一つせず、頷き、こんな男の願いを快諾してくれた。

「どうぞ、座ってください」

 しばらくして、再度こちらをふり向き笑う姿に、また胸の高鳴りをおぼえる。

 よく見れば、彼女はベンチ中央から少し横に移動していた。どうやら、俺の座るスペースを作ってくれたらしい。
 お礼の言葉と共に小さく頭を下げた後、移動しそっと腰を下ろす。
 今日は気温が低いせいか、ベンチの冷たさが、ズボン越しに伝わってくる。
 しかし一部だけそれが無い。理由はきっと隣にいる人物のせいだ。
 そのままベンチの背に身体を預け、俺は無意識のまま大きく息を吐いた。
 それは、自分の中に溜まっていたものを吐き出すような、疲れきり、ようやく休憩場所を見つけた時のような不思議な感覚。

(……? 俺、そんな疲れるような事、してたか?)

 抜けきらない疲労感に首を傾げ、原因を探ろうと記憶を辿る。
 しかし、いくら頭を悩ませようと、求める答えは見つからない。
 まるで脳内に白いもやでもかかったように、頭が思考自体を拒絶している。
 これまでに経験したことの無い状態に、余計頭が混乱し苛立ちをおぼえた。

 次第に考えることが面倒になり、どうせ大した理由では無いだろうと勝手に結論付ける。
 そして、小さく息を吐いた俺は、ちらりと視線を横へ流し、隣に座る女性に目を向けた。

「ふふっ」
「……っ!」

 てっきり、また前を向いているものとばかり思っていた。
 しかし俺の視線は、しっかりとこちらを見つめる彼女をとらえる。
 目が合った瞬間、小さく微笑むその姿に全身が熱くなる。
 慌てて視線を逸らそうと、目の前に広がる景色を見つめた。

「う、わぁ……」

 すると次の瞬間、目の前に広がる景色に、思わず感嘆の声を漏らしていた。
 どこまでも続く空の下、住宅や商店、ビルなど様々な建物が立ち並ぶ。
 春を待ちわびているであろう木々も相まって、まるで一枚の絵画を見ているような感覚だ。
 丁度この場所が高台にあるから、こんなにも素敵な景色が見渡せるのだろう。
 本当なら、転落防止柵のそばへ近づき、より近くで堪能したいところだが、一度腰を落ち着けてしまったせいか、なかなか立ち上がる気になれない。

「綺麗ですよね。私、ここからの景色が好きで、よく来ているんです」

 今度はあそこから、などとより美しさが増すであろう景色を想像中、またもや鈴の音が耳に届いた。
 ふり向いた先で、やはり彼女は優しく、そしてどこか儚げに微笑んでいる。
 どこか大人っぽい清楚な雰囲気を纏うその姿。二十代半ばくらいの年齢だろうか。
 そんな彼女の白い頬に、黒々と艶のある髪に触れたいと、また欲がうずき、ベンチについていた手が無意識に上がりかける。
 俺は即座に理性という名の石を手の甲へ乗せ、冷たい木目調のそれに己の手を押しつけた。





「あ、あのっ!」
「……?」
「名前を……っ、貴女の名前は?」

 もう何度目かわからない加速する心音を聞きながら、不思議そうに小首を傾げる彼女へ言葉を投げかける。
 何と言葉を返せばいいかと悩んだが、上手い返しが見つからない。
 そのまま互いに沈黙し続けるのが嫌で、咄嗟に口をついて出たものだった。

美羽みうです。遠野美羽とおのみう
「遠野……美羽、さん。俺の名前は、古森真守こもりまもる、です」

 彼女の姿を初めて目にした時から、妙に頬の筋肉が強張っていた。
 しかし今では余分な力が抜けていき、気づけば俺は隣に座る彼女を、美羽を見つめ微笑んでいた。



 これが俺達の初めての記憶。
 ――俺が美羽に出会い、恋に落ちた記憶。
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