愛を知らない新妻は極上の愛に戸惑い溺れる

雪宮凛

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第一章 噂の新妻は純粋無垢天使

03:無知な新妻と暗躍する家令

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 初めて見るヤーラの街は、どこもかしこも輝いて見えた。
 幼い頃こっそり覗き見た、母や姉が身につけるアクセサリーのようで堪らない。
 風で飛ばされないよう帽子のつばを無意識に掴みつつ、メリッサはあたりをキョロキョロ見回し、目についた店がどのようなものか、疑問をぶつける。
 もちろんその相手は、すぐそばを歩く執事のカインだ。
 メリッサが一分と経たず再度首を傾げても、彼は嫌な顔一つせず丁寧にその都度説明してくれる。

「カイン、ここはどんなお店なの?」

「あちらは、仕立て屋ですね。主に、ドレスやスーツの仕立てを行っているので、今後メリッサ様がお世話になることもあるかと」

 ふと足を止めたメリッサが目を向けたのは、上流階級向けに服を仕立てている店の前。
 これまでの華やかな街並みからは一転した、落ち着いた雰囲気の外観に目を惹かれる。

「まあ、それじゃあご挨拶に……」

「は? ちょ、ちょっとお待ちください、メリッサ様!」

 店先へ向けた視線をそのままに、立ち止まっていた足を動かすメリッサは、フラッとその場から動き、店の扉へ手を伸ばす。
 その様子にギョッと目を見開くカインは、咄嗟にメリッサの手首を掴み、その行動を止めた。

「カイン? どうしたの?」

 扉の取っ手に触れる一歩手前で聞こえた「待った」の声に驚き、自分の手首を掴む主へ目を向ける。
 酷く焦った様子を見せる執事の姿を目にしたメリッサは、この上なく不思議そうに首を傾げた。

「メリッサ様。今、何をされようと?」

「お店の方に、ご挨拶を」

「何故そのように思われたのですか?」

 状況がのみ込めず首を傾げるメリッサと、若干口元を引きつらせながら彼女と反対に小首を傾げるカイン。
 二人はお互いを見つめ合いながら、疑問と答えを投げ合う。

「これから、私やガヴェイン様がお世話になるのでしょう? それなら、きちんとご挨拶をしなくちゃいけないと思うの」

 理由を聞かれ、自分なりの考えをメリッサが口にすると、何故かカインは腕を掴んでいない左手を自らの額にあて天を仰いだ。

「無知なくせして、どうして変な所で低姿勢なんだ」

「……カイン?」

 ボソボソと呟くカインの言葉はあまりにも小さすぎて聞き取れない。
 彼は何を言っているのか不安に思って、つい、クイクイと上着の袖を引っ張る。
 すると次の瞬間、スッと掴まれていた手首が自由になる。

「いいですかメリッサ様。店の者に挨拶をするのは、実際にそこで世話になる時で良いのです。今はまだ、スーツもドレスも仕立てる予定はありません。なので今度、新しく仕立ててもらうとなった時に、ガヴェイン様と共に来て挨拶をしましょう。仕立てには必ず採寸が必要ですから」

「それじゃあ、今は挨拶をしなくても良いのね?」

「その通りです」

 小柄な主に視線を合わせるように、腰を屈めたカイン。その口から紡がれる言葉に、ふむふむと頷いたメリッサが最後にコテンと小首を傾げると、どこか緊張の色が隠せなかったカインの顔から力が抜け、かすかに口角が上がった。

 メリッサとカインの散歩は続く。
 執事のカインは、まるで先生にでもなったように、初めての外の世界を満喫する生徒メリッサに付き従う。
 微笑ましささえ感じる二人の様子に、道行く人々はすれ違うたび足を止め振り返る。
 だけど、質問に夢中なメリッサは、周りの様子など気にも留めていなかった。



 その後もしばらく歩き、体力の無い主を心配したカインの提案で、二人は近くのカフェへ立ち寄ることにした。

「いらっしゃいませ、二名様でしょうか?」

「はい、私とカインの二人です」

 店内に入ると、扉の近くで待機していた男性店員が声をかけてくれる。
 その声にメリッサがはにかみながら返事をすると、彼女の微笑みを真正面から見た店員の顔がみるみる赤くなっていった。

「……? あの……」

「こちらには、個室として使える場所があると聞いているのですが、今は利用可能でしょうか?」

 いきなり顔を赤くする男を不思議に思い、心配になったメリッサが口を開く。
 しかし、すぐ彼女と店員の間に割って入ったカインの声によって阻まれてしまう。

「は、はいっ! こちらになります」

 カインの言葉を聞いた店員は、一瞬驚いたように声を詰まらせながら、二人を案内しようと進行方向を手で指し示す。
 それと同時にメリッサの前に立ち塞がっていたカインはその場から離れ、微笑みながら後ろにいる主の方を振り向いた。

「さ、行きましょうか」

 そのまま差し出された手に、笑顔で手を重ね、頼りになる執事にエスコートされるメリッサは知らない。
 彼女の儚い美しさに頬を染めた店員を、彼の視界に割り込んだカインが睨みつけていたことなど。



 個室に案内されたメリッサは、カインに椅子を引かれて席に着く。
 そして、自分は使用人だからと、背後に控えるカインを「私だけ休むなんて不公平だと思う」などと言って向かい側の席に強引に着かせた。

「カイン、質問があるのだけれど……」

 しばらくして、運ばれてきた紅茶に口をつけながら、ふと何かを思い出したようにメリッサが口を開く。

「何でしょうか、メリッサ様」

 主の新たな質問に、カインはカップへ伸ばしかけた手を膝へ戻し、小首を傾げた。

「……ここへ来る途中、街の方々とすれ違うことも多かったでしょう?」

「ええ、そうですね」

「時々……私たちの背後で呻き声が聞こえた気がするのだけれど。あれは……一体何だったのかしら」

 両手で持っていたカップをソーサーの上に置いたメリッサ。彼女が思い出すのは、屋敷を出てから、ここへ来るまでに何度も起きた不可思議な出来事について。

『それじゃあ……』

『うあっ!』

『……?』

 自分のペースに合わせて隣を歩いてくれるカインを見上げ、次々に浮かぶ疑問を投げかけていた時、突然背後から男性が呻くような声が聞こえた。
 何事かと思って振り向くと、胸の辺りを両手で押さえながら道端にうずくまる男性の姿が目についた。

 それは一度や二度で終わらず、移動中何度も似たような場面に遭遇した。
 決まって皆呻き声をあげ、道端にうずくまっていた気がする。
 他に似た所と言えば、覚えている限り全員が男性ということくらい。
 逆に違うところは、胸を押さえている人も居れば、額を押さえていたり、足を押さえていたりと、触れている部分が違っただろうか。

(外を歩くって、案外危ないことなのかしら……)

 ほぼ初めて自分の足で外の世界に出たメリッサは、名すら知らない男たちを見るたび、内心恐怖していた。
 自分が平気なのはきっと、優秀な執事がついているせい。
 だから夫であるガヴェインも、メリッサ一人での外出には難色を示し、カインたちを同行させようとしていたのかもしれない。
 なんて、一人で勝手に外出の過酷さを実感していた。

「きっとそれは、道行く方とぶつかって倒れたり、道にある石に躓いて倒れたりしたのでしょう。どうやら今日は、災難な方が多いみたいです」

「まあ、そうなの!? 皆さん、怪我などしていなければ良いのだけれど……」

 現実と空想が混ざった謎妄想をするメリッサの問いに、カイン先生は的確な答えを返してくれた。
 その内容は、無知なメリッサの想像から少し外れたもの。
 だけど、これがきっと正解なのだろうと、メリッサは少しばかり安堵する。
 どうやら、今日のようなことが毎日起こるわけではないらしい。
 道すがら見た光景を思い出しながら、メリッサは眉を下げ顔に憂いを滲ませる。
 
 ――みなさんに、怪我がありませんように。

 そっと、テーブルの下で両手を組みながら願う彼女はきっと知る由も無いだろう。

 呻き声を上げて倒れた男が全員、自分に下心たっぷりな目を向け近づこうとしていたことを。
 そのゲスな男たちの気配を察知したカインが、上着のポケットから取り出した小石をこっそり指で弾き、男たちの額、胸、腹部、足、様々な場所めがけ攻撃を繰り出していたことを。
 小石は、屋敷を出る前に庭師のエドガーからわけてもらい、ポケットに忍ばせてきたものだ。指先より小さな小石も、カインの手にかかれば、殺傷能力こそ低いが立派な武器になる。

 諜報と暗殺を得意とする、元・国王直轄騎士団特殊部隊・隊長カイン・シャノーの手にかかれば、そんなこと造作も無い。





 メリッサは、カフェの隣で営業していた菓子店で、夫と使用人たちへのお土産に焼き菓子を買い、上機嫌で屋敷へ戻ってきた。
 出迎えてくれたエルバに焼き菓子を渡しながら、今日の出来事を報告しようと口を開く。
 だけど息を軽く吸った瞬間、背後にある扉が開く音が聞こえた。
 突然の音と気配に驚きワンテンポ遅れて振り向けば、帰宅したばかりの最愛の旦那様、ガヴェインがすぐ目の前にたたずんでいる。

「おや? ガヴェイン様、今日はお早いお帰りで」

「ああ、今日はちょっとな。ん? お前たちも今帰ってきたばかりか」

「ええ、つい先ほど」

 自分を尻目に、二、三言葉を交わす男たちの姿に、メリッサの息がしばし止まる。
 今日は驚くことがたくさんあった、楽しいこともたくさんあった。
 初めての外出で高揚した気持ちのまま、エルバに報告しようと思っていたせいで、中途半端に吸った息の抜きどころがわからなくなったせいだろう。
 だけど、無意識に止めた呼吸は次第に苦しさを呼び寄せるだけで、本能的に空気を求めた口元から、ケホケホとむせる声が零れる。

「どうしたメリッサ。具合が悪いのか?」

 その音を耳ざとく拾ったガヴェインの視線は、すぐに妻へ向いた。
 心配と焦りを交ぜた視線が向けられ、恐々と動く両腕が背中へ回り、ほんのわずかに身体を抱き寄せられる。

「少し、はしゃいでしまっただけです。それと……突然後ろからガヴェイン様の声が聞こえて、嬉しさのあまり驚いただけですから」

 心配性な夫をこれ以上不安にさせまいと、目を細めガヴェインの顔を見上げる。
 へにゃりと力の抜けた笑みを浮かべる妻の姿を見たからなのか、数秒と経たず、メリッサの頭上、ガヴェインの口元から安堵の吐息が漏れる音が聞こえた。



 しばし夫と言葉を交わしながら、夕食の時に今日の報告をしなければと、メリッサの心は無意識に弾む。
 これまで聞き役ばかりしてきた自分の拙い報告を、ガヴェインは一体どんな表情で聞いてくれるのだろう。
 なんて、期待とほんの少しの不安が彼女の心の中で混ざり合う。
 一人、メリッサが思考を巡らせていれば、不意にこれまで身体を包んでいた熱が離れていく。
 それに気づいて意識を戻すと、目が合った瞬間、ガヴェインはスッとその場から横に身体を移動させ、右手を扉の方へ向けた。

「すっかり紹介が遅くなったな。今日はこいつを連れてきたんだ」

 そう言ってガヴェインが視線を向けるのは、玄関先にたたずむ一人の男性。
 青みがかった黒髪、そして同じ色の瞳にかかるメガネが特徴的な人だ。
 背は身体の大きな夫と比べれば少しばかり低い。けれど、小柄なメリッサから見れば、かなり長身に見えた。身体つきも、夫には劣るがそれなりに筋肉質なことがわかる体型をしている。
 暗い灰色がかった緑を基調とした騎士団の制服を身に纏うガヴェインの隣で、メガネの彼は似たデザインのくすんだ青色の服を着ていた。

「メリッサ、紹介する。こいつは、ミカエル・コナー。俺と同じ城勤めで、主に他国絡みの仕事の統括をしている。お前の先祖返りについて調べてくれた男だ」

 ガヴェインが、ミカエルと呼んだ男の肩にポンと手を置きながら、自分が連れてきた男について説明をする。
 ミカエルはガヴェインの紹介が終わると、一歩前に進み出て、服が汚れるのもためらわずメリッサの前に跪いた。

「お初にお目にかかります。ただいまご紹介にあずかりました、ミカエル・コナーと申します。本日は、ガヴェインより話に聞いておりました奥方にお会いできたこと、とても嬉しく思います」

 そして自らも名乗ったミカエルは、流れるような動作でメリッサの片手を取り、その手の甲に自ら唇を寄せた。
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