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第一章 噂の新妻は純粋無垢天使
02:新妻は外の世界へ憧れる
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数日後。メリッサは疲労が残る身体にムチ打って早朝から起き、仕事へ向かう夫を見送ろうと玄関ホールへ向かう。
そのまま二言、三言話していると、いつの間にか清々しく晴れ渡った空を背にしたガヴェインに囚われていた。
メリッサは突然のことに驚いて顔をあげる。すると、愛する旦那様と目が合った瞬間、彼女の唇は毎夜自分を骨の髄まで愛してくれるそれに貪られる。
「ん、ふ……んんっ」
「はあ、ん、ちゅ……」
静寂なホールに卑猥な水音が響く。
その音を嫌でも拾ってしまうメリッサの耳は瞬く間に赤くなり、一度火照った熱はあっという間に全身を駆け巡る。
最愛の妻を迎え入れてからのガヴェインは、毎朝のように不服そうな顔で屋敷を出ていく。
毎回、城に行きたくないとぼやく夫を宥めるのも、すっかりメリッサの日課になってしまった。
そしてもう一つの日課が、熱烈なキスによるお互いの補給。
ガヴェインが前触れもなく始めたことに、最初メリッサは戸惑っていた。
『本当は、一時たりともお前のそばを離れたくないんだ。でも、俺が仕事をしないとメリッサに苦労をかけることになる。メリッサのために、今日も頑張ってくる』
子供のように駄々をこねる夫。だけどその想いを聞けば、自分の中にある気持ちと大差ないとわかり、離れ離れになる数時間を乗り越えるため、メリッサも口内に挿入ってくる熱い舌を受け入れ、身を委ねることにした。
日中の活力を存分に補給し、ホクホク状態のガヴェインは、熱烈なキスで力の抜けた妻を支えながら、妻の数メートル背後に控える人影に目を向ける。
「カイン、今日はくれぐれも気を付けてくれよ」
「畏まりました、ガヴェイン様。いってらっしゃいませ」
ダラットリ夫妻のそばに影のごとく控える男は、雇い主の言葉に深々と頭を下げた。
彼の名前はカイン・シャノー。数年前まで、ガヴェインと共に王に忠誠を誓った騎士の一人だったが、怪我を理由に早々に城を離れ、今はダラットリ家の家令を務める男である。
夫を送り出したメリッサは、カインに促されるまましばしの仮眠を取り、軽い朝食を食べた。
その後は、家の掃除をする使用人たちの邪魔をしないよう、少しずつ物が増え始めた私室で本を読みながら過ごす。
お昼は、一人の食事は寂しいと言うメリッサの要望で、家令のカイン、庭師のエドガー、メイドのエルバ、そして料理人のロベルト、五人で食卓を囲む。
まだアザットの暮らしに慣れないメリッサを気遣って、四人は食事中色々なことを教えてくれる。
時々止まりそうになる手元を気にしながら耳を傾ける。そんな新妻の健気な姿に、使用人たちは無意識に頬を緩め、話に花を咲かせていく。
昼食後、しばし紅茶を飲んでリラックスしたメリッサは、カインと共に玄関ホールへ移動した。
「それでは、これからメリッサ様にヤーラの街を案内してきます。ガヴェイン様の帰宅前には帰りますので、家のことはよろしく頼みますよ」
見送りにやってきた使用人仲間に、自分が屋敷に居ない間の諸注意を伝えるカイン。
その姿を眺めながらメリッサが思い出すのは、数日前の夕食中に起きた出来事だった。
夫婦揃っての夕食の時間は、二人が今日一日に起きた出来事を教えあうための貴重な時間だ。
だけど、メリッサはもっぱら聞き役にまわるばかりで、騎士団仲間の間で起きた珍事件を話してくれる夫の言葉に耳を傾け、クスクスと笑うだけ。
周りと違う外見のせいで、外に出ることを禁じられていたこともあってか、彼女はいまだ屋敷から一歩も外へ出ていない。
運動不足解消と、元々少ない体力を向上させるため、時間を見つけて屋敷の庭を散歩しているが、出歩くと言っても所詮その程度。
「メリッサ、俺に遠慮などせず外出してもいいんだぞ? 一人で街を歩かせるわけにはいかないが、カインかエドガーあたりを連れて、買い物に行ってみたらどうだ?」
「買い物、ですか……」
そんな毎日を苦に思ってすらいなかったメリッサには、ガヴェインの言葉は唐突すぎた。
いきなり外出許可を貰っても、外の世界なんてほとんど知らない。
何をしたら良いのか、彼女にはわからないのだ。
アザット国へ入国した日も、どうせ外には出られないのだからと、屋敷へ向かう馬車の中でメリッサは終始俯いたままだった。
外の景色を一目見てしまえば、叶いもしない欲を持ってしまうからと、半ば諦めたように。
「お心遣いありがとうございます、ガヴェイン様。私は大丈夫ですわ。お屋敷にある本を読むのも、カインたちのお仕事を見るのも、とても楽しいですから」
「……メリッサ」
首を軽く横に振りながら、申し訳ないと思いつつ夫の言葉を拒絶する。
一度楽しさを知ってしまったら、きっと“次”を望んでしまう。
ただでさえ今が幸福なのに、更に欲深くなったら、きっと罰があたる。メリッサの脳裏を過るのは、言葉では上手く言い表せない不安だった。
そして何より、散々故郷で忌み嫌われ続けてきた容姿で外を出歩くことを、無意識に怖がる自分がいた。
なんてやり取りを確かにしたはずなのに、現在メリッサは、エルバに見立ててもらった外出用の服に袖を通し、最終確認を続ける使用人たちの姿を忙しなく目で追いかける。
その手元は、いつも以上に丹精な編み込みが施された髪の毛先を落ち着きなく弄ぶ。
「明日、日中のうちに少しくらい街を散策しに出かけるといい。道案内はカインに任せれば大丈夫だ」
外出は不要と、以前確かに言ったのに、昨夜またその話題について触れたガヴェインの口から、再び外出を促された。
「ガヴェイン様、あの、本当に私は……」
「何故そこまで外出を嫌がる? エルバやカインから聞いているぞ。庭を散歩する時、メリッサが時々門の方を見つめていると」
――本当は、外に出たいんじゃないのか?
「……っ!」
夫の心遣いを嬉しく思うメリッサは、それでも頑なに頷こうとしなかった。
だけど妻の言葉を遮るように、ガヴェインは声をあげ核心を突いてくる。
不意を突かれ、驚くあまり無意識に伏せていた顔を上げると、毎夜身体を重ねた後、労わりの声をかけてくれる時のように、やわらかく微笑む彼と目が合う。
「わ、たしは……」
その瞬間、キュっと胸の奥が締め付けられる。突然、甘く、どこか切ない痛みを感じたメリッサの視線が泳ぎ、すぐにうまい返しを見つけられず言葉に詰まる。
(ガヴェイン様になら……言ってもいいの?)
本当は外に出てみたいと、使用人たちから話を聞くことしか出来なかった様々な店に行ってみたいと、自分は言ってもいいのだろうか。
だけど、もしそんなことをして、せっかく出逢えた最愛の人を傷つける未来を引き寄せてしまったら。
対極にある二つの想いにメリッサの心は何度も揺らぐ。
「メリッサ、俺で良ければ聞かせてくれ。今、お前が何を思い、何に悩んでいるのかを」
その途中、普段よりトーンが下がった夫の声が聞こえた。それは、優柔不断な彼女の心を的確に一瞬でとらえてくれた。
もう誤魔化しきれないと悟ったメリッサは、観念してすべてを話した。
故郷で自分がどのように暮らしていたのかを。その弊害で、外の世界をほとんど知らないことを。そして、人の目が怖くなったことを。
悪意が自分へ向けられるのならまだしも、大切なガヴェインや、自分を迎え入れてくれた使用人たちに向くことが怖いと。
すべてを話し終わり、また俯いてしまった顔を恐々上げる。すると、先程までそこに居なかった使用人たちが、当主ガヴェインの背後に控えるように立ち並んでいた。
メリッサが息を呑み全員を見回すと、使用人たちは次々に微笑み、最後にガヴェインだけがニヤリと意味ありげに口角をあげる。
「カイン。明日は当初の予定通り、メリッサを外に連れ出してやってくれ。馬車を使うより、直接自分の足で歩いた方がゆっくり街中を見れるだろうから、時々休憩をとるように」
「畏まりました」
「今週末は休みを取って、家でゆっくり過ごす予定だったが予定変更だ。郊外に、あまり人が来ない湖があったはずだから、そこに弁当でも持って、全員で出掛けるか」
「畏まりました。当日の昼食準備はお任せください」
一人でテキパキと今後の予定を決めるガヴェインの言葉に、家令のカイン、そして料理人のロベルトが頷き了承の声をあげる。
状況を把握できず、置いてきぼりをくらったメリッサは、一人だけポカンと間抜けな顔をして唖然とするしかない。
「メリッサ」
「は、はいっ!」
どこか自信に満ち溢れた眼差しが、スッと自分をとらえたと気づき、瞬く間に身体が強張る。
そのまま慌てて返事をすると、ガヴェインは視線をそらさず声を発した。
「お前は今、誰の妻だ?」
「……? そ、それは、ガヴェイン様の……」
「そうだ。お前は俺の妻……アザット国国王直轄騎士団団長、ガヴェイン・ダラットリが愛しいと思う、たった一人の妻だ」
「……っ!」
「目の色が違う? 髪の色が違う? それがどうした。アザットには他国からの移民も大勢いる、見た目が他と違う奴など、そこら中にいるぞ」
決して声を張り上げているわけではない。
しかしガヴェインの力強い声は、メリッサの鼓膜をとらえ、震わせ、離さなかった。
「頭のキレる知り合いに調べさせたが、お前のその髪と瞳の色は、はるか昔ダナンに住み着いた一族の色だそうだ。先祖返りと言って、稀に先祖と同じ身体的特徴が身体にあらわれるというものらしい」
初めて聞く先祖返りという言葉。そして、その意味と、忌々しささえ感じていた自分の身体についての説明を聞き、いつの間にか言葉を失う。
「誰も足を踏み入れていない新雪のように美しい髪だ。空や海のように澄んだ瞳だ。その髪と瞳の色は、お前の中にダナン国の先祖から引き継がれた血が流れている証だ。何も恐れることはない、誇りに思え! そして――」
――メリッサ・ダラットリ侯爵夫人として、俺の隣で笑っていろ。
――お前に降りかかる悪意は、すべて俺が払いのけてやる。
今度はこちらの想いをとでも言うように、続けざまに言葉を紡いだガヴェイン。
そのまま彼は椅子から立ち上がり、最後に愛しい妻を抱きしめた。
メリッサの全身を包むあたたかいガヴェインの熱は、これまで頑なに閉じ続けた頑固な心の錠を壊すには十分だった。
昨夜のことを思い返すメリッサの目元は、散々泣きはらしたせいでいまだ若干の赤みが残っている。
しかし、誤魔化すようにエルバが入念に化粧を施してくれたため、パッと見ただけでは誰も気づかないだろう。
「それでは行きましょうかメリッサ様。さあ、こちらを」
使用人たちと話が終わったカインが、メリッサの方を向くと、エルバから受け取ったつばの広い帽子を差し出す。
外見を気にする自分への気遣いと知って、まだ少し申し訳ないと思いつつ、メリッサは震える手で帽子を受け取る。
そして、綺麗にセットしてもらった髪型が崩れないように、外に出れば風に揺れるだろう白銀をわずかに隠した。
そのまま二言、三言話していると、いつの間にか清々しく晴れ渡った空を背にしたガヴェインに囚われていた。
メリッサは突然のことに驚いて顔をあげる。すると、愛する旦那様と目が合った瞬間、彼女の唇は毎夜自分を骨の髄まで愛してくれるそれに貪られる。
「ん、ふ……んんっ」
「はあ、ん、ちゅ……」
静寂なホールに卑猥な水音が響く。
その音を嫌でも拾ってしまうメリッサの耳は瞬く間に赤くなり、一度火照った熱はあっという間に全身を駆け巡る。
最愛の妻を迎え入れてからのガヴェインは、毎朝のように不服そうな顔で屋敷を出ていく。
毎回、城に行きたくないとぼやく夫を宥めるのも、すっかりメリッサの日課になってしまった。
そしてもう一つの日課が、熱烈なキスによるお互いの補給。
ガヴェインが前触れもなく始めたことに、最初メリッサは戸惑っていた。
『本当は、一時たりともお前のそばを離れたくないんだ。でも、俺が仕事をしないとメリッサに苦労をかけることになる。メリッサのために、今日も頑張ってくる』
子供のように駄々をこねる夫。だけどその想いを聞けば、自分の中にある気持ちと大差ないとわかり、離れ離れになる数時間を乗り越えるため、メリッサも口内に挿入ってくる熱い舌を受け入れ、身を委ねることにした。
日中の活力を存分に補給し、ホクホク状態のガヴェインは、熱烈なキスで力の抜けた妻を支えながら、妻の数メートル背後に控える人影に目を向ける。
「カイン、今日はくれぐれも気を付けてくれよ」
「畏まりました、ガヴェイン様。いってらっしゃいませ」
ダラットリ夫妻のそばに影のごとく控える男は、雇い主の言葉に深々と頭を下げた。
彼の名前はカイン・シャノー。数年前まで、ガヴェインと共に王に忠誠を誓った騎士の一人だったが、怪我を理由に早々に城を離れ、今はダラットリ家の家令を務める男である。
夫を送り出したメリッサは、カインに促されるまましばしの仮眠を取り、軽い朝食を食べた。
その後は、家の掃除をする使用人たちの邪魔をしないよう、少しずつ物が増え始めた私室で本を読みながら過ごす。
お昼は、一人の食事は寂しいと言うメリッサの要望で、家令のカイン、庭師のエドガー、メイドのエルバ、そして料理人のロベルト、五人で食卓を囲む。
まだアザットの暮らしに慣れないメリッサを気遣って、四人は食事中色々なことを教えてくれる。
時々止まりそうになる手元を気にしながら耳を傾ける。そんな新妻の健気な姿に、使用人たちは無意識に頬を緩め、話に花を咲かせていく。
昼食後、しばし紅茶を飲んでリラックスしたメリッサは、カインと共に玄関ホールへ移動した。
「それでは、これからメリッサ様にヤーラの街を案内してきます。ガヴェイン様の帰宅前には帰りますので、家のことはよろしく頼みますよ」
見送りにやってきた使用人仲間に、自分が屋敷に居ない間の諸注意を伝えるカイン。
その姿を眺めながらメリッサが思い出すのは、数日前の夕食中に起きた出来事だった。
夫婦揃っての夕食の時間は、二人が今日一日に起きた出来事を教えあうための貴重な時間だ。
だけど、メリッサはもっぱら聞き役にまわるばかりで、騎士団仲間の間で起きた珍事件を話してくれる夫の言葉に耳を傾け、クスクスと笑うだけ。
周りと違う外見のせいで、外に出ることを禁じられていたこともあってか、彼女はいまだ屋敷から一歩も外へ出ていない。
運動不足解消と、元々少ない体力を向上させるため、時間を見つけて屋敷の庭を散歩しているが、出歩くと言っても所詮その程度。
「メリッサ、俺に遠慮などせず外出してもいいんだぞ? 一人で街を歩かせるわけにはいかないが、カインかエドガーあたりを連れて、買い物に行ってみたらどうだ?」
「買い物、ですか……」
そんな毎日を苦に思ってすらいなかったメリッサには、ガヴェインの言葉は唐突すぎた。
いきなり外出許可を貰っても、外の世界なんてほとんど知らない。
何をしたら良いのか、彼女にはわからないのだ。
アザット国へ入国した日も、どうせ外には出られないのだからと、屋敷へ向かう馬車の中でメリッサは終始俯いたままだった。
外の景色を一目見てしまえば、叶いもしない欲を持ってしまうからと、半ば諦めたように。
「お心遣いありがとうございます、ガヴェイン様。私は大丈夫ですわ。お屋敷にある本を読むのも、カインたちのお仕事を見るのも、とても楽しいですから」
「……メリッサ」
首を軽く横に振りながら、申し訳ないと思いつつ夫の言葉を拒絶する。
一度楽しさを知ってしまったら、きっと“次”を望んでしまう。
ただでさえ今が幸福なのに、更に欲深くなったら、きっと罰があたる。メリッサの脳裏を過るのは、言葉では上手く言い表せない不安だった。
そして何より、散々故郷で忌み嫌われ続けてきた容姿で外を出歩くことを、無意識に怖がる自分がいた。
なんてやり取りを確かにしたはずなのに、現在メリッサは、エルバに見立ててもらった外出用の服に袖を通し、最終確認を続ける使用人たちの姿を忙しなく目で追いかける。
その手元は、いつも以上に丹精な編み込みが施された髪の毛先を落ち着きなく弄ぶ。
「明日、日中のうちに少しくらい街を散策しに出かけるといい。道案内はカインに任せれば大丈夫だ」
外出は不要と、以前確かに言ったのに、昨夜またその話題について触れたガヴェインの口から、再び外出を促された。
「ガヴェイン様、あの、本当に私は……」
「何故そこまで外出を嫌がる? エルバやカインから聞いているぞ。庭を散歩する時、メリッサが時々門の方を見つめていると」
――本当は、外に出たいんじゃないのか?
「……っ!」
夫の心遣いを嬉しく思うメリッサは、それでも頑なに頷こうとしなかった。
だけど妻の言葉を遮るように、ガヴェインは声をあげ核心を突いてくる。
不意を突かれ、驚くあまり無意識に伏せていた顔を上げると、毎夜身体を重ねた後、労わりの声をかけてくれる時のように、やわらかく微笑む彼と目が合う。
「わ、たしは……」
その瞬間、キュっと胸の奥が締め付けられる。突然、甘く、どこか切ない痛みを感じたメリッサの視線が泳ぎ、すぐにうまい返しを見つけられず言葉に詰まる。
(ガヴェイン様になら……言ってもいいの?)
本当は外に出てみたいと、使用人たちから話を聞くことしか出来なかった様々な店に行ってみたいと、自分は言ってもいいのだろうか。
だけど、もしそんなことをして、せっかく出逢えた最愛の人を傷つける未来を引き寄せてしまったら。
対極にある二つの想いにメリッサの心は何度も揺らぐ。
「メリッサ、俺で良ければ聞かせてくれ。今、お前が何を思い、何に悩んでいるのかを」
その途中、普段よりトーンが下がった夫の声が聞こえた。それは、優柔不断な彼女の心を的確に一瞬でとらえてくれた。
もう誤魔化しきれないと悟ったメリッサは、観念してすべてを話した。
故郷で自分がどのように暮らしていたのかを。その弊害で、外の世界をほとんど知らないことを。そして、人の目が怖くなったことを。
悪意が自分へ向けられるのならまだしも、大切なガヴェインや、自分を迎え入れてくれた使用人たちに向くことが怖いと。
すべてを話し終わり、また俯いてしまった顔を恐々上げる。すると、先程までそこに居なかった使用人たちが、当主ガヴェインの背後に控えるように立ち並んでいた。
メリッサが息を呑み全員を見回すと、使用人たちは次々に微笑み、最後にガヴェインだけがニヤリと意味ありげに口角をあげる。
「カイン。明日は当初の予定通り、メリッサを外に連れ出してやってくれ。馬車を使うより、直接自分の足で歩いた方がゆっくり街中を見れるだろうから、時々休憩をとるように」
「畏まりました」
「今週末は休みを取って、家でゆっくり過ごす予定だったが予定変更だ。郊外に、あまり人が来ない湖があったはずだから、そこに弁当でも持って、全員で出掛けるか」
「畏まりました。当日の昼食準備はお任せください」
一人でテキパキと今後の予定を決めるガヴェインの言葉に、家令のカイン、そして料理人のロベルトが頷き了承の声をあげる。
状況を把握できず、置いてきぼりをくらったメリッサは、一人だけポカンと間抜けな顔をして唖然とするしかない。
「メリッサ」
「は、はいっ!」
どこか自信に満ち溢れた眼差しが、スッと自分をとらえたと気づき、瞬く間に身体が強張る。
そのまま慌てて返事をすると、ガヴェインは視線をそらさず声を発した。
「お前は今、誰の妻だ?」
「……? そ、それは、ガヴェイン様の……」
「そうだ。お前は俺の妻……アザット国国王直轄騎士団団長、ガヴェイン・ダラットリが愛しいと思う、たった一人の妻だ」
「……っ!」
「目の色が違う? 髪の色が違う? それがどうした。アザットには他国からの移民も大勢いる、見た目が他と違う奴など、そこら中にいるぞ」
決して声を張り上げているわけではない。
しかしガヴェインの力強い声は、メリッサの鼓膜をとらえ、震わせ、離さなかった。
「頭のキレる知り合いに調べさせたが、お前のその髪と瞳の色は、はるか昔ダナンに住み着いた一族の色だそうだ。先祖返りと言って、稀に先祖と同じ身体的特徴が身体にあらわれるというものらしい」
初めて聞く先祖返りという言葉。そして、その意味と、忌々しささえ感じていた自分の身体についての説明を聞き、いつの間にか言葉を失う。
「誰も足を踏み入れていない新雪のように美しい髪だ。空や海のように澄んだ瞳だ。その髪と瞳の色は、お前の中にダナン国の先祖から引き継がれた血が流れている証だ。何も恐れることはない、誇りに思え! そして――」
――メリッサ・ダラットリ侯爵夫人として、俺の隣で笑っていろ。
――お前に降りかかる悪意は、すべて俺が払いのけてやる。
今度はこちらの想いをとでも言うように、続けざまに言葉を紡いだガヴェイン。
そのまま彼は椅子から立ち上がり、最後に愛しい妻を抱きしめた。
メリッサの全身を包むあたたかいガヴェインの熱は、これまで頑なに閉じ続けた頑固な心の錠を壊すには十分だった。
昨夜のことを思い返すメリッサの目元は、散々泣きはらしたせいでいまだ若干の赤みが残っている。
しかし、誤魔化すようにエルバが入念に化粧を施してくれたため、パッと見ただけでは誰も気づかないだろう。
「それでは行きましょうかメリッサ様。さあ、こちらを」
使用人たちと話が終わったカインが、メリッサの方を向くと、エルバから受け取ったつばの広い帽子を差し出す。
外見を気にする自分への気遣いと知って、まだ少し申し訳ないと思いつつ、メリッサは震える手で帽子を受け取る。
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