上 下
30 / 234

29話 それぞれの想い(3)避暑

しおりを挟む
 僕は今非常にイラ立っていた。ルクトへ向かう馬車の中で、もう何度繰り返したか分からない不平不満を並べ立てる。
 まず1つ目は、クレハが一緒に来れなくなった事。家庭教師から出された宿題を溜め込んでいた為、ご両親から許しが出なかったのだ。クレハらしいと言えばらしいけど、一緒に行きたかった自分としては落胆するのは無理もないことで。そして2つ目……というかこれが1番のイラつき要因なのだが、何でクレハはいないのにフィオナ様はいるんだよ。

「はぁ……」

 大きな溜息がこぼれる。我儘を言って兄達と馬車を別にして貰って良かった。しかし、そのせいで同行する使用人達と同じ馬車に乗る羽目になったのだが……。狭いし乗り心地はあまり良く無いけれど仕方ない。
 ルーカス兄さんは父さんが来れないと分かった途端、完全に遊び目的に切り替えたようで、ちゃっかり婚約者を誘っていたのだ。最悪なんだけど……こんな事なら僕も留守番してれば良かった。フィオナ様も何で兄さんの誘い受けちゃったんだよ。ルクトの田舎町なんて興味無い癖に。フィオナ様がクレハのように牛の乳搾りをやりたがるとは到底思えないので、ここは婚約者の顔を立てたという事だろうか。
 クレハには申し訳ないけど僕はフィオナ様が苦手だ。なぜかと聞かれると難しいが、一言でいうならいけすかない。生理的に受け付けないのだ。そんなフィオナ様に兄は夢中なので、兄弟でもここまで好みが分かれるものなのかと染み染み思う。まぁ、フィオナ様に良い印象を持たない僕みたいなのが少数派なんだけどね。
 個人的な感情を抜きにしたら、フィオナ様はとても綺麗だと思う。立ち振る舞いも気品があって、どこに出しても恥ずかしくない完璧なお嬢様だ。でも僕はそんな素晴らしいフィオナ様よりも勉強嫌いで不器用で、ちょっと意地汚い所もあるけど、素直で明るい妹の方が好きなのだ。そう、僕はクレハの事がずっと……

 馬車の窓から外の景色を眺めると、大きな牧場が見える。放牧されている牛がもしゃもしゃと草を食べていた。叔母さんの家まではあと1時間くらいだろう。
 ルクトの領地は叔母夫婦が管理している。父は宰相という役職柄、王都から簡単に離れる事ができないためだ。毎年夏の今頃の時期になると、視察と避暑をかねた小旅行をするのが我が家の通例となっている。しかし今年は王宮で何やら問題が起きたのか、父は手が離せないらしく僕と兄2人で行くことになった。詳しくは教えて貰えなかったけど、王太子関連のことだそうだ。
 王太子……レオン殿下は僕より2歳ほど上だったと記憶している。会った事はないけど父から噂だけは耳にしていた。眉目秀麗、頭脳明晰、おまけに腕も立つらしい。特に強さにおいては、既に大人が太刀打ちできない程だとか。何だこれ……男版フィオナ様かよ。僕はこのせいで会ったことも無い癖に、王太子殿下に良いイメージが無い。

「殿下もフィオナ様も数少ない家族団欒の機会を邪魔しないで欲しいよね」

 その場に当事者がいないのを良い事に、馬車の中で声に出して愚痴った。同じ馬車に乗っている使用人達が一瞬こちらを見たが、僕は涼しい顔で景色を眺め続けた。












「ルーカスにカミル、いらっしゃい! 疲れたでしょう? さあ上がってちょうだい」

 あれから1時間ほど馬車に揺られ、夕方の4時頃に叔母夫婦の家に到着した。父の妹であるジゼル叔母さんは、相変わらず陽気で賑やかだ。

「1年見ない間にまた大きくなったわねぇ」

 叔母さんは僕をぎゅうぎゅうに抱きしめてくる。ちょっと苦しい。叔父さんの方は叔母さんと違って、あまりお喋りではないけれど『よく来たね』と目尻を下げて優しい表情で出迎えてくれた。

「そして、こちらのお嬢様がルーカスの婚約者のフィオナ様ね? まぁ~、お可愛らしい方だこと……ルーカスの叔母のジゼル・ベレントよ。お会いできて嬉しいわ」

「フィオナ・ジェムラートです。こちらこそ、お世話になります。ベレント夫人」

 フィオナ様は極上の笑顔を向ける。周囲にキラキラと花が舞っているようだ。

「まぁー!!」

「叔母さん……」

 叔母さんはフィオナ様にあっさりと魅了されてしまった……ついでに隣に突っ立てる兄も赤面している。やってらんねーよ。

「本当は妹のクレハも来る予定だったんだよ。クレハは牧場見るの楽しみにしてたのに……」

「クレハは宿題溜めてたから駄目って言われたんだっけ? 今回は残念だったけど、ルクトは逃げないんだから次の夏に来たらいいさ」

 兄さんが僕の会話に乗ってきた。自分から注目を逸らされた為か、フィオナ様があからさまに不機嫌そうな顔で僕を見ている。気付かないフリをして無視を決め込んだ。

「3人共、お話の続きは夕食の時にでも聞かせて頂戴。お部屋に案内するから、それまでゆっくり体を休めてね」

「はい!」

 フィオナ様がまたキラキラ笑顔で叔母さんへ振り返る。

「ルーカスの婚約者さんの噂は聞いていたけれど、本当に綺麗で可愛くて、天使みたいなお嬢様ねぇ」

 叔母さんがうっとりとした表情で呟く。この打算の無い純粋な賛辞がお気に召したのか、フィオナ様の機嫌は直ったようだ。結構単純だよね……フィオナ様。

 客室に案内されると、僕はすぐさまベッドに横になった。合間で何回も休憩を挟んだとはいえ、長時間の馬車旅で体は思っていたよりも疲弊していた。あっという間に深い眠りに落ちる。その後、夕食の時間で呼ばれるまで、ぐっすりと熟睡してしまった。










 夕食は料理好きな叔母さんが自ら腕を振るってくれた。食堂へ行くと、良い匂いが鼻をくすぐり食欲を煽る。ビーフシチューにパンにジャガイモのチーズ焼き、きのこのバターソテー。どれもとても美味しそうだ。

「お味は如何かしら? このチーズはうちの領地で生産している原料で作られているの。ミルクも勿論うちの牧場の搾りたてよ。あなた達が来るから叔母さん張り切っちゃった」

「とっても美味しいです。ベレント夫人はお料理がお上手なのですね」

「良かったわぁー! たくさん食べてね。デザートにヨーグルトもあるわ」

 フィオナ様が叔母さんの料理を褒めちぎった。僕はフィオナ様が好きじゃないから『外面良いな』と嫌な見方をしてしまう。

「チーズも風味があってまろやかで……流石ルクト産ですわね」

「王都で有名なシャルールってお菓子屋があるだろ? あそことうちは専属契約しててね、使われているバターとかもうちの製品なんだよ」

 兄が得意げにフィオナ様へ説明している。人気のため品薄にも関わらず、父さんがシャルールのお菓子を手に入れられるのはそういう背景があった。所謂コネという奴だ。それでも頻繁というわけにはいかないらしいけど……

「シャルールのお菓子なら食べた事ありますわ。レーズンバターサンドが有名なんですよね。私レーズンがあまり得意ではなかったのですが、こちらの物は美味しくてすんなり食べれてしまい驚きました。やはり材料が良いからでしょうね」

 嘘つけ……クレハに箱ごと渡してたじゃないか。

「王都だとシャルールの他には『ベアティ』とか『とまり木』とかご贔屓にして貰ってるわね」

 とまり木!?

「叔母さん、とまり木って……オルカ通りにあるカフェのとまり木?」

「ええ、そうよ。オードラン将軍の息子さんが経営なさってる……」

「将軍の息子さんってセドリックさんだよね。あの人、レオン殿下の側近なのに町でカフェ開いてるって話本当だったんだ……」

「まぁ、殿下の……」

 将軍の息子で殿下の側近だって……?

「趣味が高じてらしいけど、料理の腕はプロ顔負けだそうよ? 私も一度食べてみたいわねぇ」

「フィオナ、王都に帰ったら一緒に行ってみようか」

「ええ、ルーカス様」

「あらあら……仲睦まじくていらっしゃいますこと」

「もう! 叔母さんからかわないでよ」

 叔母達が呑気な会話を繰り広げているが、僕は途中から耳に入っていなかった。とまり木でセドリックという店員に会ってから、ずっと僕の心に引っかかっていたものがある。霞がかっていた記憶が鮮明になっていく。

 あれは確か半年くらい前の事だ――






『いやー悪いね、セドリック殿。私甘い物に目がないからさぁ……』

『いいえ、クライン宰相。ウチのお菓子を望んで頂けるのは喜ばしいことですから……是非感想も聞かせて下さい』

 思い出した……父さんと一緒に王宮へ行った時、僕はあの人に会った。父さんがリクエストしたというお菓子を持ってきてくれたんだ。

『ところで、今日は御子息もご一緒なんですね』

『カミル、こちらはセドリック殿だ。オードラン将軍の息子さんで、この若さで殿下直属の精鋭部隊の隊長をなさっておられるんだぞ』

『セドリック・オードランです。カミル様も良かったらウチのお菓子を食べてみて下さいね』




 何で忘れてたんだよ……こんな大事なこと。

 どこが初対面だ……ふざけやがって。でも、なぜあの時それを隠す必要があったんだ? その場凌ぎで誤魔化したとしても、後で僕が父さんに確認すれば簡単にバレてしまうのに。そもそも最初は僕にだって普通に名乗っていたじゃないか……

 あの場にいたもうひとりの人物の顔が浮かぶ。そうか……知られたくなかったのは僕ではなく――

 クレハだ……

 あのセドリックという人は自分の正体……殿下の側近である事を、クレハに知られたくなかったのだ。だからあの時、僕が忘れているのを良い事に初対面を貫き通したに違いない。でも、どうしてだ……?
 ここにクレハがいればその理由も分かったかもしれないのに……ああっもう! この場に幼馴染がいない事が改めて悔やまれる。

「カミル、どうした? 腹でも痛いのかい」

 隣に座っていた叔父が心配そうに声をかけてきた。考え事に没頭して、食事の手が止まっていたらしい。

「ごめん、何でもないよ。ちょっとぼーっとしてただけ」

 そう言って食事を再開する。叔母さんの料理はとっても美味しかった。しかし、僕は相変わらず別の事に気を取られていてその余韻に浸ることはできなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

溺愛されて育った夫が幼馴染と不倫してるのが分かり愛情がなくなる。さらに相手は妊娠したらしい。

window
恋愛
大恋愛の末に結婚したフレディ王太子殿下とジェシカ公爵令嬢だったがフレディ殿下が幼馴染のマリア伯爵令嬢と不倫をしました。結婚1年目で子供はまだいない。 夫婦の愛をつないできた絆には亀裂が生じるがお互いの両親の説得もあり離婚を思いとどまったジェシカ。しかし元の仲の良い夫婦に戻ることはできないと確信している。 そんな時相手のマリア令嬢が妊娠したことが分かり頭を悩ませていた。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完結】悪役令嬢エヴァンジェリンは静かに死にたい

小達出みかん
恋愛
私は、悪役令嬢。ヒロインの代わりに死ぬ役どころ。 エヴァンジェリンはそうわきまえて、冷たい婚約者のどんな扱いにも耐え、死ぬ日のためにもくもくとやるべき事をこなしていた。 しかし、ヒロインを虐めたと濡れ衣を着せられ、「やっていません」と初めて婚約者に歯向かったその日から、物語の歯車が狂いだす。 ――ヒロインの身代わりに死ぬ予定の悪役令嬢だったのに、愛されキャラにジョブチェンしちゃったみたい(無自覚)でなかなか死ねない! 幸薄令嬢のお話です。 安心してください、ハピエンです――

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...