上 下
7 / 234

6話 フラワートーク

しおりを挟む
 私は今、見回りと共に日課になってきている早朝ランニングをしている最中だ。範囲は家の敷地内なので、距離はたかが知れているけれど……
 きたるべき未来に備えて、逃げ足も早い方が良いだろうという理由で始めた。もともと体を動かすのは好きだし、庭園のお花を眺めながら走るのも楽しいので継続していけそう。

「ジェフェリーさんが魔法使いかぁ……」

 ランニングをしながら花壇の手入れをしているジェフェリーさんを盗み見る。彼はまだウチに来て間もないし、軽い挨拶程度しかしていなかったから、どんな人なのかよく分からない。
 黒髪のスラッとした男の人で、前の庭師であるロブさんが自分の代わりができるのはコイツしかいないと連れて来たのが彼だ。最初はお父様もかなり驚いたらしい。
 そりゃロブさんのご推薦と聞いたら、同じような年代のいかにも気難しそうな感じの人が来ると思うよね。まさかこんな若い人だとは……。年齢を聞いたらまだ19歳なんだって。でもロブさんのお墨付きなら腕は間違いないだろうと、お父様はあっさりジェフェリーさんを採用したのだった。

 魔法のお話聞きたいなぁ……可能なら見せて貰いたい。私も練習したら使えるようになるのだろうか。そんな簡単なものではないと分かってはいるのだけど、もし魔法が使えたら身を守る手段としてかなり有効だ。手数は多いに越したことはない。
 もう一度ジェフェリーさんに視線を向けると、先ほどと変わらず熱心に仕事をしている姿が目に入った。花壇には色とりどりの美しい花が咲き乱れている。チューリップにマリーゴールド……どれも大輪で瑞々しい。私はランニングを中断してジェフェリーさんの元へ向かった。








「お仕事ご苦労様です」

「うわぁっ!!」

「ジェフェリーさんっ!?」

 私が声をかけると、ジェフェリーさんは大声を上げて尻餅をついてしまった。仕事に熱中するあまり、私が近づいていたのに全く気づかなかったようだ。

「ごめんなさい。驚かせてしまったみたいで……大丈夫ですか?」

「お嬢様……?」

 ジェフェリーさんは前髪の隙間から覗く切れ長の瞳を見開いている。お尻に付いた泥を払い落とし、慌てて立ち上がった。

「はっ、はい!! 大丈夫です!」

「ほんとに? おしり痛くありませんか」

「全然っ! なんとも!! 平気ですので、お気遣い無く!!」

 ジェフェリーさんの迫るような勢いに押され、私はその場から一歩後退る。

「良かった。急に声をかけてごめんなさい」

「あの……お嬢様、オレに何かご用で?」

「いえ、違うんです。花壇のお花がとっても綺麗だったから……近くで見たいなと思っただけなんですよ」

 花に引き寄せられたのだと言うと、ジェフェリーさんは今までとは打って変わり、嬉しそうな表情になった。

「そうでしたか! どうぞどうぞ、ぜひ近くでよく見てやって下さい。今はこちらのチューリップとビオラが見頃ですよ。その隣はネモフィラです。澄んだブルーの小さな花が可愛らしいですよね。こっちのラナンキュラスも蕾が膨らんできているので、明後日くらいには美しい花を咲かせてくれると思います。それとこちらの……」

 ジェフェリーさんは丁寧に花の説明をしてくれた。その顔は生き生きとしていて、彼がいかに花が好きなのかが伝わって来る。楽しそうに語っているジェフェリーさんを見ていると、私の方もつられて顔が綻んだ。

「あっ……すみません。オレ、花の事になると、つい調子に乗ってしまって……」

「いいえ。私もお花大好きですから、とても楽しいです。もっとお話聞かせてくれると嬉しいな。あちらに植えてあるのは何という花なんですか?」

「あっ……それはですね――」








 その後、ジェフェリーさんと花の話をして大層盛り上がった。その合間で早朝ランニングの事を突っ込まれたのは予想外だったけどね。適当に誤魔化したけど、やっぱり不審がられていたのか……

「あーーっ!!」

「ど、どうしました? お嬢様」

 突然大声を上げた私に驚いて、ジェフェリーさんは肩を震わせた。

「10時からアレット先生がいらっしゃるのを忘れていました! 遅刻したらまた叱られてしまいます」

 アレット先生とは、私と姉に礼儀作法や社交の場でのマナー等を教えてくれている教育係だ。とても厳しい方で、私はいつも叱られている。

 「ジェフェリーさん、ごめんなさい! 私行かないと……お仕事の邪魔をしてすみませんでした」

「いいえっ……とんでもない、楽しかったですよ」

「また、お花の話聞かせて下さいね。それじゃあ失礼致します」

 私は慌ただしくその場を後にする。何か忘れているような気がするけど、今はアレット先生の授業に遅れないように急ぐことで頭が一杯だった。











「ただいま戻りました。はぁ、疲れた……」

「お疲れ様です、お嬢様。温かいお茶でもお淹れ致しましょうか?」

 くたくたな私を見兼ねて、モニカが気を遣ってくれた。何とかギリギリで授業には間に合った。それは良かったのだけど、髪を振り乱しながら汗だくで室内に飛び込んで来た私は、結局先生に叱られてしまったのだった。

「うん、お願い……します」

「では、すぐに準備致しますね」

 モニカが退室しようとするのを横目で追っていると、テーブルの上にチューリップが生けてあるのに気付いた。

「モニカ! このお花どうしたんですか?」

「ああ、これはですね……庭師のジェフェリーさんがお嬢様のお部屋にどうぞって持って来てくださったんですよ。お勉強頑張って下さいだそうです」

「ジェフェリーさんが……後でお礼言わなきゃ……」

 疲れた心が綺麗なお花で癒される。彼の心遣いが身に染みた。勉強は苦手だけど、明日も頑張ろうと気合いを入れ直した。
 あっ……そういえば、魔法について聞くのをすっかり忘れていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

行き遅れにされた女騎士団長はやんごとなきお方に愛される

めもぐあい
恋愛
「ババアは、早く辞めたらいいのにな。辞めれる要素がないから無理か? ギャハハ」  ーーおーい。しっかり本人に聞こえてますからねー。今度の遠征の時、覚えてろよ!!  テレーズ・リヴィエ、31歳。騎士団の第4師団長で、テイム担当の魔物の騎士。 『テレーズを陰日向になって守る会』なる組織を、他の師団長達が作っていたらしく、お陰で恋愛経験0。  新人訓練に潜入していた、王弟のマクシムに外堀を埋められ、いつの間にか女性騎士団の団長に祭り上げられ、マクシムとは公認の仲に。  アラサー女騎士が、いつの間にかやんごとなきお方に愛されている話。

溺愛されて育った夫が幼馴染と不倫してるのが分かり愛情がなくなる。さらに相手は妊娠したらしい。

window
恋愛
大恋愛の末に結婚したフレディ王太子殿下とジェシカ公爵令嬢だったがフレディ殿下が幼馴染のマリア伯爵令嬢と不倫をしました。結婚1年目で子供はまだいない。 夫婦の愛をつないできた絆には亀裂が生じるがお互いの両親の説得もあり離婚を思いとどまったジェシカ。しかし元の仲の良い夫婦に戻ることはできないと確信している。 そんな時相手のマリア令嬢が妊娠したことが分かり頭を悩ませていた。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。

三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。 それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。 頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。 短編恋愛になってます。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完結】悪役令嬢エヴァンジェリンは静かに死にたい

小達出みかん
恋愛
私は、悪役令嬢。ヒロインの代わりに死ぬ役どころ。 エヴァンジェリンはそうわきまえて、冷たい婚約者のどんな扱いにも耐え、死ぬ日のためにもくもくとやるべき事をこなしていた。 しかし、ヒロインを虐めたと濡れ衣を着せられ、「やっていません」と初めて婚約者に歯向かったその日から、物語の歯車が狂いだす。 ――ヒロインの身代わりに死ぬ予定の悪役令嬢だったのに、愛されキャラにジョブチェンしちゃったみたい(無自覚)でなかなか死ねない! 幸薄令嬢のお話です。 安心してください、ハピエンです――

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...