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二章 聖獣
九日目前半 雪ん子、向き合う
しおりを挟むおはようございます、みなさん。私は今、絶賛硬直中です。それは何故か。結論から言うと、寝ぼけたどこぞの誰かに襲われようとしているのですよ、ええ。水色の熱っぽい獣です。
「春姫……僕の、春姫……」
この溢れ出る色気はいったいなんなのでしょう。……どこから出てくるんですか。というかどいてください。
「やです」
嫌だじゃなくて。重いんですよ……体重乗っけてくるから。別に逃げないのに。
病人を蹴飛ばすわけにもいかず、かと言ってどうすることも出来ずに時間だけが流れていく。
「いいですか……?」
そっと頬に手を添え、問われる。
な、ななな、な、何をでしょうか?!なんの許可を求めてるんですか!?
段々ゆっくりと、端正な美貌が近づいてくる。
「待って、まっ……」
懇願も虚しく、唇が重なってしまう。
ほんの、ささやかな触れ合い。それだけなのに。こんなにも胸が高鳴るのはどうしてなのだろう。
離れた唇が再び重なる。今度はすぐには離れなかった。
「春姫……」
そんな目で、見ないで。変な気分になってしまいそうだから。
熱で潤んだ目が、宝物を愛でるように、私を凝視める。
「ずっと、そばに……いて、ください……僕は、あなたが……」
中途半端に告げたまま、眠ってしまった。何を言おうとしたのか、分かるようで、分からない。
いつの間にか剥がれていたハルちゃんを美亞葵君のおでこに貼りなおして、寝室を後にした。
✻ ✻ ✻ ✻
びっ……くりしたぁ~!あれは誰?ほんとに美亞葵君?あんな、あんな……!
「よう、嬢ちゃん」
「ひゃあっ!?」
な、なんだ……ハロルドさんですか。驚かせないでくださいよ、もう。心臓がびっくりしてドクドク鳴っている。
「わ、悪ぃ。そこまでビビらせるつもりは無かった」
「別にいいですよ……」
で、どうしたんです?わざわざこんなところまで来るなんて。急用ですか?
「あぁいや、急ぎじゃない。あいつ、寝てんの?」
「寝込んでますよ。熱出したんで」
あいつがねぇ、と言いながら、勝手知ったる我が家のように朝食を作り始めた。
あの~、一応ハロルドさんはお客さんなのですが?
「気にしない、気にしない。雪ん子ちゃんだって、お客さんなんだし。居候でしょ?」
「それは、まぁ」
「赤の他人って訳でもないんだし、気を遣わないで良いよ」
半ば強引に説得された。そういうもの、なんですか……?
「そうそう」
むぅ……。まぁ、本人がいいと言ってるなら、それでいいか。
あ、そうだ。ハロルドさんに聞いてみよう。今朝の美亞葵君のおかしな行動について。
✻ ✻ ✻ ✻
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま。悪いな、あいつみたいに美味い飯、作れなくて」
とんでもない。食べさせてもらってるのだから、文句なんて言えませんよ。それに素朴な味付けも、素材本来の風味が味わえて、とても美味です。
「褒め上手だな」
そんなことは……。単純に思ったことを言っただけですし。それはそうと、少々聞きたいことがあるのですが。
「ん?」
「記憶喪失ってどんな状況でなるんでしょう……」
数秒固まったのち、ようやく口を開いた。
「……あいつのことだよな?断言はできねぇが……。嬢ちゃんが原因だろう」
「私、ですか?」
想定外の言葉を告げられ、今度は私が固まる。
「以前にも言ったと思うが……美亞葵にとって、嬢ちゃんは宝なんだ」
「言ってましたね……」
けれどそれは、どういう意味なんですか?蝶よ花よと見守る親心のようなものでしょうか……。
「そりゃあ……」
「?」
言いかけて止めないでくださいよ。気になるじゃないですか。
「いや……これは嬢ちゃんが自分で理解しなきゃいけねぇ。でなきゃ、あいつが報われねぇよ」
むー……。
「そんな難しく考える必要はないんだよ。感覚だ、感じるだよ。あいつの言葉、行動を」
「かん、じる」
「そうだ」
変に考えるから、分からない?でも、なんとなくでは心配になる。合っているかどうかが。多分、これが考えすぎと言われるところなんだろうけど。
「ハロルドさん……。彼、美亞葵君は……どんな人が好きなんですか?」
「そんなもん、見てれば……。はぁぁぁぁ」
さっきからなんですか、最後まではっきり言ってほしいんですが。項垂れてないで教えてください。
「気になるんです。どうして、私に口付けたのか……」
「は……?美亞葵が?嬢ちゃんに?」
そう言ってます。寝ぼけていたとはいえ、仮にも女性にく、口付けをしたんですよ?あ……あんな色気を出してまで……!思い出したら顔が熱くなった。
「…………マジで?」
木人形のようにコクリと頷いた。
「なるほどなぁ。そりゃ気になるか」
「はい……」
あの、何をにやにやしてるんです?真面目に聞いてるんですが。
「おじさんには分からないなぁ~」
ふざけてます?あまり調子に乗ると、出禁にしますよ。
「冗談だよ、冗談。けどよ、嬢ちゃん。知りたいとはいえ、他人の口から聞いた言葉を嬢ちゃんは信じられるのか?」
「こういうことに嘘はつかないでしょう」
「………………」
何です、その顔。渋柿でも食べたような顔してますよ。
「……さすがに、嬢ちゃんも気づいたんじゃねぇの。あいつが嬢ちゃんをどう見てるか、なんて」
「それは──……」
私は、自信が無いんです。ずっと、ずっと……蔑まれてきたから。好意を向けられる、なんてことは有り得なかった。
だから仮に、美亞葵君が私のことを、本当に想ってくれていたとしても……きっと、素直に受け止められない。
「別に、あいつが嫌いって訳じゃないんだろ。むしろ俺には……恋してるように見える」
「恋、ですか」
「少なくとも、お前さんたちを知ってる奴らには、恋人同士に見えてるだろう」
「そんな!私ごときがおこがましい!」
瞬間、ハロルドさんは遠い目をして天井を見上げた。
え?私なにかおかしな事言いましたか?
「じゃあ聞くけどさ、仮に美亞葵が……嬢ちゃん以外の女とデキちまったらどうする?」
「どうって……」
「知らない女と美亞葵の間に子どもができたら?」
「いや。嫌です……そんなの、耐えられない」
私じゃない女の人と美亞葵君の子どもなんて、見たくない。
胸の中がドロドロと真っ黒なものでいっぱいになって、溢れそうになる。
「だったら嬢ちゃん。腹を括るしかねぇよ」
「でも……私なんか」
「じゃねぇと、取られるぞ。今の美亞葵には嬢ちゃんとの思い出がないんだろ?なら、動かねぇとな」
それもそうなのだけど。でも。
想いを伝えたとしても、今の美亞葵君には……届かない。
「そうかねぇ」
だって、私と過ごした記憶が無いということは、私を知らないということですよ……。そんな状態ではとても上手くいくとは思えません。
「ひとつ疑問なんだが」
「?」
「記憶のないヤツが、なんとも思っていない相手にキスなんてするか?」
それは発熱したからであって。
「その原因は?」
「ぅえ?」
原因、と言われても……。
『嬢ちゃんが原因だろう』
『美亞葵にとって、嬢ちゃんは宝なんだ』
記憶喪失の原因が私、なら……もしかして。有り得る、かもしれない。
「これは想像でしかないが……」
「美亞葵君は今、必死なんだと思います。さっき、寝言で言っていたんです」
「なんて?」
「行かないで、ごめんなさいって。苦しそうに、辛そうに……」
今朝、というか、まだ夜も明けていませんけど……一時的に記憶が戻っていた気がする。すぐに気を失ってしまったけれど……。
「本能が忘れさせた記憶を思い出そうとしてるってところか(そりゃ、熱も出るわな……)」
すべてを忘れているわけじゃない。ならば、可能性は十分にある。今までと同じように過ごしていればきっと、思い出せるはず。
「あの、そろそろ美亞葵君のところに戻りますね」
「おぉ、獣には気をつけろよ」
「彼はケダモノじゃありません!」
✻ ✻ ✻ ✻
「ケダモノ、とは言ってないんだがなぁ……」
夜も明けてきたし、あいつも起き出すだろう。卵がゆでも作っておいてやろう。
……結局のところ、美亞葵は記憶があろうとなかろうと、嬢ちゃんを好きになるんだろうよ。そんでもって両想いだ。これ以上に幸福なことはない。
「幸せになってくれ」
卵をときながら強く願った。
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