転生未遂から始まる恋色開花

にぃ

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第32話 セピア色 しずく色 ①

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     【(1年半前)main view 水河雫】


 初めて弓野ゆき先生とお話したのは、『大恋愛は忘れた頃にやってくる』の出版に伴う打ち合わせだった。
 担当の宮下さんを交えた、極めて事務的な仕事の会話。
 といっても、直接顔合わせをしているわけではない。通話機能を使った声だけの打ち合わせ。

「最後に、出版に伴いまして原作者の弓野さんから何かご要望などはございますか?」

「い、いえ、そ、その、何もありません。全て出版社様にお任せしますです。はい」

 作者さんの第一印象は『あっ、この人根暗だ』という極めて失礼なものだった。
 基本担当さんの言いなりになっていたし、自らの要望もない。言葉も不自然なくらい噛みまくっている。
 だけど作品の方は本当に素晴らしかった。

 不登校の私の趣味は『イラストレーター募集』の小説を探してはイラストを応募しまくるという何とも風変りなものだった。
 ネット小説発だったり、出版社専属の挿絵家がいなかったりする場合、素人の中からイラストを描ける人を探しているケースが稀にある。
 私はそういう所を見つけ、絵を描き応募する。
 そんな毎日。
 当選なんてしたことなかったけどね。
 だけど――

    ――『大恋愛は忘れた頃にやってくる』

 その作品との出会いも募集リストの中から抵当に選択しただけに過ぎなかった。
 根暗なこの人が生み出したとは思えないくらいピュアなラブストーリー。
 思わず吹き出してしまうようなキャラクター同士の掛け合い。何気ない日常会話の中に自然と挟み込む伏線。その伏線に気づかされた時のとてつもないカタルシス。そして題名通り二人の大恋愛を壮大に盛り上げる構図と文章力。

 初めてこの作品を読み上げたとき、私は感動で涙をポロポロ溢していた。
 2回目にこの作品を読み上げたとき、胸の中いっぱいに満足感が広がった。
 3回目この作品を読んだとき、この作品に出合えたことの幸福感に包まれた。

 世界一好きなストーリーだった。
 世界一好きなキャラクター達だった。

 地の文のキャラクター説明文から私は想像を膨らませてキャラクターイラストを描いてみた。
 普段ならば一度描き上げたら即応募して次の作品を読みだすのだけど、今回ばかりはそうでなかった。
 何度も何度も描いていた。そして何度も破り捨てた。
 この日から私は他の作品には一切目をくれず『大恋愛は忘れた頃にやってくる』のイラストばかりを描いていた。
 描いては破り捨てる。その繰り返し。これでは駄目だ。私の大好きなキャラクター達と少しでもイメージの相違があってしまってはこの作品を汚してしまう。

 描く。
 捨てる。
 描く。
 また捨てる。

 描いては捨てまくるだけの日々。

 その時の私は間違いなく――


   ――この作品に恋をしていた。






 本当の本当に心の底から大好きな小説に巡り合えた幸運。
 キャラクター達が自分のイメージに近づいていく時の喜び。
 アドレナリンが止まらない。絵を描いていない時間がもったいない。
 私は作品に憑りつかれたようにイラストの世界に没頭していた。

 イラスト募集の期日が迫っていた。
 私は期日ギリギリまでとにかく描きまくった。
 必死だった。
 『大恋愛は忘れた頃にやってくる』のイラストレーターだけは絶対に誰にも渡したくなかった。
 私以外の人がこの作品のイラストを担当するなんて許さない。

 創意工夫を何度も練り凝らし、ようやく満足いくイラストを描き上げることができた。
 私は自分のイラスト達を滑り込ませるように応募し――

 ――選考の結果、私は弓野ゆき先生の作品『大恋愛は忘れた頃にやってくる』のイラストレーターの座を勝ち取ることができた。

 あんな素晴らしい作品を書いた人はどんな素晴らしい人なのだろう。
 期待で胸を躍らせていたのだけど……
 まさかの私と同年代の根暗少年が作者だとは思わなかった。
 失望感が半端なかった。
 まぁ、作者の人間性はともかく作品自体は素晴らしいのだから別にいいやと考えることにした。
 打ち合わせも終わり、編集者の宮下さんがグループ通話から退出していた。
 私もさっさと通話から退出しようとしたのだけど――

「――あ、ああ、あの! 水河雫先生!」

「うぉぅ! は、はい!」

 根暗少年が私を引き留めてきた
 この子、こんなに大きな声出せるのか。さっきの打ち合わせでは死にかけの魚みたいな小声でしゃべっていたのに。
 
「ぼ、僕の駄作にあんな素晴らしいイラストを描いてくれて本当にありがとうございました! じ、自分の小説なんかに、絵を描いてもらえたことが、その、本当に嬉しくて、僕――」

 ――ちょっと待て。
 この人なんていった?
 言ってはいけないことを言わなかったか?
 瞬間、頭に血が上ったのが自分でわかった。

「――ちょっと待って。貴方、今『駄作』って言わなかった? 僕の小説『なんか』って言わなかった?」

「えっ?? い、言いましたが、それが、何か?」

「私の大好きな小説を駄作っていいやがったなあああああああああああああああ!!!」

「うぇぇぇ!?」

 気が付けば絶叫まがいの大声を上げていた。
 たぶん生まれて初めてレベルであげた大声量だ。
 えっと、この人、名前なんていったっけ? ゆー……弓……弓なんとかさん! いいやもう弓さんで!

「弓さん! 貴方の小説に感銘を受けた人がここにいるの! 感動で泣いた人がここにいるの! 馬鹿みたいに泣きまくった挙句、超必死でイラストを描きまくった人がここにいるの! 私が世界一好きな作品を悪くいうなんて絶対許さない。たとえ作者でも許さないの! わかった!?」

「は、ははははは、はいぃ!!」

 おっと、怖がらせてしまった。
 でも今回は雫ちゃん悪くないもん。悪いの絶対弓さんだもん。
 なんでこの人あんな素晴らしい作品を書き上げたのにこんな自信なさげなのかなぁ?
 今まで作者のこの人には一切興味なかったのだけど、この瞬間はつい気になってしまいこんなことを聞いてしまった。

「ねえねえ。あの作品いつから書いていたの? そうとう練りに練って長い年月を費やして書き上げたんでしょ?」

「そう……ですね。2ヶ月もかかっちゃいました」

「2ヶ月!? 速筆すぎるでしょ! 天才かぃ! キミは!」

「えと、僕、無趣味で、学校から帰ったら寝るまで執筆しかしていなかった、からだと思います」

「そうだとしても弓さんは2ヶ月であの大作を書いたの!?」

「あ、意外かもしれないですが、僕友達皆無なんですよ、ですので他の人より時間があるというか……」

「別に意外でもないよ! ていうか予想通りだったよ!」

「な、なんか普通にひどいこと言ってません? し、雫さん」

 おぉぉぅ。
 名前呼び。名前呼びと来たか。ビックリさせやがってこんちきしょう。
 友達居ないとか言っておきながらこの子ちょっと女慣れしてない? 初対面の異性をいきなり下の名前で呼んでくるかね普通。
 べ、別にいいけども。

「雫さんはあの素晴らしいイラストをどれくらい時間掛けて描いたのですか?」

「私? んー、私も2ヶ月くらいだったかなぁ。何度も何度も描きなおしたんだぞ」

「2ヶ月!? そんなに時間を費やしてくれたのですか!? 鬼クオリティ過ぎて初めて雫さんのイラスト見たとき、僕数時間呆けてしまいましたよ」

「ふふん。人生最高傑作ともいえるイラストだもんね。ねね。ちゃんと弓さんのイメージ通りのキャラクター達だったかな?」

「イメージ通りも何も、イメージ以上ですよ! もう本当に、なんか申し訳ないくらいイラストが素晴らしすぎて感動しました!」

 おぉう。ここまで素直に褒めてくれると照れるじゃないか。

「雫さんは他にどんな作品にイラストつけているんですか? 雫さんのイラスト巡りしたいのですが」

 やっぱりこの子女慣れしてない? 異性を喜ばせるのうますぎなんだけど。
 えっ、まさか、私がチョロいだけ? そ、そんなことないよね。

「大恋愛は忘れた頃にやってくる、が私の初作品だよ」

「……!? 嘘ですよね!? こんな上手いのに、まさか今まで応募に受からなかったんですか!?」

「私以上に上手い人なんていくらでもいるからね。弓さんこそ他の作品持っているんでしょ? 雫ちゃんに見せなさい」

「どうして命令口調なのか……えと、僕もこの作品が初めて認めてもらえたものです。公募には何十作と落ちてまして」

「いいから見せなさい。今まで書いてきたもの、全部、バックアップ持ってるんでしょ。おらぁ、すぐに出せ! ほらジャンプ!」

「なんかカツアゲみたいになってる!? べ、別に良いですけど、で、でも人に見せるならちょっと加筆修正したいので後日でもいいですか?」

「ちっ、いいけど、待たせすぎないでね」

「普通に舌打ちされた……じゃ、じゃあ、僕の作品を見せる代わりに雫さんの過去作も見せてください」

「えっ? ないよ? 私落ちた作品は即消去してるから」

「ずるい!!!!」

「まぁまぁ。あっ、じゃあこうしよっか。弓さんが送ってきてくれた過去作に雫ちゃんが挿絵を描いてあげる♪」

「えっ!? そ、それは悪いですよ。僕お金ないし」

「無料だよ!? 年下の男の子からお金とったりなんかしないから」

「あっ、やっぱり年上なんですね、雫さん」

「さあ? でもキミなんとなく年下の匂いするから私お姉さんね」

「年下の匂い!?」

「いいからっ。過去作を送ってくる約束忘れないでね」

「わ、わかりました。では後日に」

 それが弓野ゆき先生との初会話。
 通話を切った瞬間、私は放心してしまった。
 不登校ということもあり、今まで同年代の子とこんなに長く話した記憶はなかった。
 ましてや男の子との会話がこれほど弾むなんて思いもしなかった。
 根暗で陰キャ。
 その印象は私の中で霧散されていた。

「話やすかったなぁ」

 『弓』というアプリネーム。
 無機質なデフォルトの風景アイコン。
 私はそのアイコンをぼーっと眺めつつ、先ほどまでの彼との会話をニヤケながら思い返していた。

「あっ……」

 不意に弓さんのデフォルト風景アイコンが更新された。

「私の……イラスト……」

 それは私が2ヶ月かけて描いた力作のイラストであった。
 『大恋愛は忘れた頃にやってくる』の主人公、カナタくん。
 こらこら。出版前の作品のイラストを勝手にアイコンにしていいのかね。

「まったく……もう……」

 ニヤケ顔が加速する。
 この男、女の子を喜ばせるポイントを突くのが上手すぎるのでは?
 ちょっとこれは……うん……ずるい。

「弓さん……絶対絶対……女慣れしてるでしょ……」

 初対面の女の子をここまで赤面させるなんて……
 うん、軟派野郎に違いないな!
 次に通話するときは私が主導権を握ろう。弓さんの無自覚ナンパ術にこれ以上引っかかってやらないんだから。

 ――なんてこの時は意気込んでいたのだけど……



「う、上手すぎる! 挿絵というか表紙レベルじゃないですか! このイラストが表紙だったら僕中身そっちのけで絶対表紙買いしてますよ!」

「なんで雫さんは僕のイメージ以上のイラストを描けちゃうんですか!? この作品に関してはキャラクターの容姿描写なんて一切記していないはずだったのに!」

「どうして雫さんは背景まで上手いの!? 描けないものなんてないの!?」

「あっ、雫さん昨日ぶりですね。さすがにまだイラストは出来てませんよね……って、出来てるんですか!? なんで2枚も出来てるんですか!? 1日しか経ってないんですよ!? 異能力者なの!? 時を止めて絵を描いてるの!? いつもより鬼クオリティだし!」



 この男は中々主導権を取らせてくれない。
 イラストを差し出すと尻尾を振った犬みたいに喜んでくれて、しかも怒涛の誉め言葉に毎回私の方が照れてしまう。
 あまりにも嬉しそうにしてくれるものだから、ついつい私も意気込んでしまい、前回以上の絵を描いて見せる! いう気持ちにさせられる。結果私のイラストの腕はメキメキ上達していった。
 ていうか弓さんに失望されたくなかった。変に手を抜いたものを送ってしまい、彼がガッカリする姿を想像するだけでも泣きそうになる。

 趣味であった『イラストレーター募集小説にイラストを送る』というアレはもう止めた。
 もともと絵を描くのが好きでイラストレーターにも憧れていたのだけど、一番の目的は『自分の絵を上達させること』だった。でもそれは弓さんの小説でもできる。いや、弓さんの小説に絵を付けることが私の上達の最善手のように思えた。






 ある日、『大恋愛は忘れた頃にやってくる』の売上部数の知らせが私と弓さんのもとに届いた。
 処女作としては多い数字。でも私は不満いっぱいだった。
 私が世界一好きな作品が全然評価されていない。
 この作品はもっともっと売れていないとおかしい。
 私は弓さんには内緒で担当の宮下さんに連絡を取ってみた。

『あの作品はもちろん私も面白いと思っているのだけど、重版がそれほどかからなかったの。弓野先生が新人ということもあったのだけど、それ以上に宣伝も広告もしていない作品にこれ以上重版を掛けるのは冒険過ぎる、という上の判断でね。ごめんなさい。でもさっきも言ったけど大恋愛は忘れた頃にやってくるは面白いわ。貴方のイラストもマッチしている。口コミで広がれば重版を掛けざるを得ないはずよ。だからもう少し時間をください』

 結果として大恋愛は忘れた頃にやってくるは重版がかからなかった。
 でも宮下さんを責めても仕方ないので連絡を取るみたいなみっともない真似もあれ以来していない。
 もちろん納得はいっていないけど。

「す、すすす、すごいですね! 僕たちの本が、こ、こここ、こんな、こんなに、う、売れ、売れれれれるなんて……! か、感激して、こ、ここ声が、ふ、震える」

 一番納得いっていないのはこの数字に超満足しているこの男の態度なんだよなあ。
 この数字で本気で満足している弓さんの様子に思わず苦笑し、『まっ、弓さんが嬉しそうだからいいか』という気持ちに落ち着いてしまう。
 それにしても『僕たちの本』かぁ。私が携わったのなんてたった1ページの表紙と7ページの挿絵と口絵だけなのに『二人の作品』みたいに弓さんは言ってくれる。
 人を喜ばせるのが上手い。これが天然なのか、それとも生粋のナンパ野郎で私を落としにかかっているのか気になってしまった。

「そんなこと言ってー! 本当は私なんか素人の絵じゃなければもっともっと売れてたのにとか思ってるんじゃないの~?」

「…………」

 なんだろう?
 急に弓さんが静かになってしまった。

「雫さん、それ本気で言ってるの?」

「えっ?」

 聞いたこともないほど低く冷たい声だった。
 ま、まずいこと口走っちゃったかな? い、急いで謝らないと、き、嫌われ――

「雫さんは自分の絵の価値に全く気付いていないんですね。仕方ないから本心言うけど、雫さんのイラストはプロの中でもハイレベルです。数々の小説表紙を見てきた僕が言うんだ。間違いない。いいですか? 新人小説の売れ方は2通りしかない。話題性か表紙買いだ。大恋愛は忘れた頃にやってくる、が話題性皆無にも関わらず、こんなに売れていたのは理由明白です。雫さんの表紙だよ。みんな雫さんの絵に惹かれて手に取ってくれた。仮に僕が作者でなく、ただの小説好きだったとしても絶対に買っている。好みの絵柄ですからね。買った後の行動も明白だ。絵師の名前と経歴を調べて出版作があれば即購入。僕が前に雫さんのイラスト巡りをしたいって言ったの覚えています? それはそういう意味だったんですよ。つまり雫さんの表紙には無条件でコンプ癖を擽る力があるんだ。それが商業ではどれだけ貴重なことか。はぁ~あ。本人がそれを無自覚だなんて、なんて残念な人なんだ」

「も、もういい! もういいから! 私が悪かったから!!」

 弓さんがこんなにも饒舌に語り尽くす姿なんて初めてだ。
 この人、未だに私との会話でもたまに緊張で噛む節があるのに、私のイラスト談義に関しては一息も入れずスラスラと言葉を出してきやがった。
 それ故にわかってしまう。
 この人は本気で私の絵を認めてくれていることを。
 くそー! 計算されたナンパ術じゃなくて天然だったか。
 なんという優良物件。

 弓野ゆき先生。
 私と同年代で同じ志を持って同じ作品を代表作として持っている。
 遠いけど近くにいてくれるこの感覚。
 正直に言おう。


 ――この人に落とされない自信がない。
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