悪魔のお悩み相談所

春風アオイ

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序章

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「……つまり、彼女は記憶喪失であり、『神域エデン』に入り込んだ理由と方法は不明。分かっているのは、ということだけ……と?」
「ああ。それで、記憶が戻るまではしばらくはうちで預かって様子を見ることになった。既に手続きも済ませてある。治癒院の職員にも、そう伝えて欲しい」
「承知致しました。ご報告有難うございます、グラジオラス様」
「……ああ」

デイジーが何でも屋のメンバーに加わった翌日。
まだ治癒院の職員もちらほらとしか出勤していない早朝、ジオとリリーは今回の件の依頼元であるローズに事の顛末を説明していた。
多少の嘘を混ぜて。

というのも、ジオが言及していたように、人間族がこの国に現れた、と言いふらすのは、正直言って悪手も悪手だ。
ジオが激昂したように、セフィロトの国民にとって彼らの存在は忌避する対象以外の何物でもない。
先入観に囚われ、デイジーを虐げる者は否が応にも現れるだろう。
それだけならまだジオが矢面に立てば何とかなるのだが、何でも屋自体に風評被害が出る可能性は非常に高い。
ジオが現在唯一の吸血鬼族であるという情報は、公然の秘密ではあるものの、聖都から出れば知らない者も多い。
事情も知らずに批判されてしまっては、何でも屋の業務が成り行かなくなってしまう。

というわけで、デイジーの種族に関する情報を偽ったのだ。
外見に特色がない以上、魔族か妖魔族辺りがスケープゴートとしては望ましい。
デイジーの性格や雰囲気としてはどちらかと言うと魔族が近く、そして彼女のステルラは非常に稀少かつ質が高いものなので、『魔術』という普遍的なルーナの代わりにステルラが発現した、というのは無理のある話ではない。
恐らく最も説得力があるだろう、とリリーも同意したため、この筋書きで行くことになった訳だ。
デイジーにもそういう設定であることを留意して話を合わせてもらう必要はあるが、彼女は外見年齢以上に明晰なため、恐らく問題ないだろう。
ローズも特に疑問を呈さず頷いてくれた為、ほっと肩を撫で下ろした二人であった。

「……やっぱり、俺、あの人はどうも苦手だ」
「あははっ、珍しいよね、ジオが苦手って。めちゃくちゃいい人なのにな~、ローズさん」
「それは分かるんだが……何となく落ち着かない」
「まぁ、びっくりするくらい丁寧だもんねぇ。ジオのこともあだ名で呼ばないし」
「仰々しいから好ましくはないんだがな……」

報告を終えた帰り道。
隣の何でも屋事務所に足を向けつつ、ジオがぽつりと零した愚痴にリリーが付き合う。

メンバーの中で唯一の歳上ということもあり、ジオが個人的な相談をするのは専らリリーが多い。
夫婦なのかと尋ねられることも多い二人だが、ジオにその気は全くないし、リリーに至っては笑顔で絶対に無いと断言している。
兄弟のような近しい関係の他のメンバーとは異なり、実は互いに一定のラインを置いて接している。
仲は良いが、仕事上のパートナーというのが正しい関係性だ。

…だからこそ、交わせる会話もあった。

ジオがふと立ち止まり、リリーを見つめる。
周囲に人気はなく、木々の葉が風に揺れる音だけが響いている。
周囲を一通り見回したリリーが静かに頷くと、ジオは口を開いた。


「お前は……デイジーが、本当にただの人間族だと思うか?」


それは、ジオが薄々感じていた疑問だった。

血は告げていた。
彼女は憎き宿敵である種族の者だと。
だから、自分を抑えられなくなって、デイジーに当たってしまった。
けれど、冷静になればおかしい部分はいくつもある。

リリーも、その言葉を待っていたと言いたげに頷いた。

「それは、ボクも思ってた。ジオが冷静になったら言おうと思ってたけど……ちゃんと気付いてたんだね」
「ああ。落ち着いて考えてみたら、腑に落ちないことがいくつかあった」

ジオは視線で事務所のある大樹の奥を示す。
そこは木陰に覆われて目立たない小さな広場になっており、ロータスが昼寝したり、ジオが軽く体を動かすのに使う程度で、基本人は寄り付かない。
リリーもこくりと頷き、二人は囁くような声で会話を交わしながらその空間へ足を踏み入れた。

「……まずは、何で『神域』に現れたか、かな?」
「正確には、何故かだな」

ジオは一瞬振り返って背後の巨大樹─聖樹セフィロトを見上げる。
それは、デイジーに激昂していた時にも零していた台詞だった。

「あそこは、ミリシアのテリトリーだ。彼女の力が最も強く働く場所。故に、ミリシアが認めた者以外は絶対に入ることは出来ない」
「ミリシア様は、人間族をこの国から一人残らず追放するとご自身の意思で決めたんだよね。だったら、何らかの理由で人間族がこの場所に戻って来てたとしても、『神域』になんて絶対に入れない筈」

ジオは重々しく頷いた。

「……この件については、後でミリシアに直接聞くしかない。少なくとも何も知らないことはない筈だ」
「うん。それはジオにしか出来ないし、任せるよ。まぁ、神族って基本規格外の思考回路してるから、ボク達が納得できる理由があるのかは分かんないけどね」
「俺が言うのも何だが、お前、神族にもフラットだよな」
「あはは、当たり前じゃん。信仰と盲信は違うよ?ボクはミリシア様のこと尊敬してるけど、全能の完璧超人だと思ってる訳じゃないからね」

二人の会話は、決して表沙汰にできるものではない。
天使族なんかが聞けば我を忘れて憤慨されるだろう。
一般的な国民とは少し異なる視点を持つ二人は、主神たるミリシアへの感情も常人とは多少ずれている。
しかし、だからこそ、彼女の行動を訳もなく肯定する他の信者達とは異なり、『疑問』を持つことができていた。
二人にとって、ミリシアは手の届かない超常存在ではなく、あくまで同じ国民なのだ。
閑話休題。

「まぁ、これは今の段階だと情報不足すぎるね。そうだなぁ……ボクが気になったのは、デイジーがあまりにも何も知らなすぎること、かな」

リリーが話を戻して新たな疑問を提示する。
ジオは複雑そうに頷いた。

「デイジーは、森火戦争のことを知らなかった。それどころか、この国の存在も知らなかった。そして、疑いようもなく善良だった。少なくとも、十年前にこの国にいた奴らではないのは確かだ」
「ミリシア様のステルラが働いてるから、そこも不透明だよねぇ。人間族がどこの時空に飛ばされたか、ボク達は知らされてない訳だし」
「……」

ジオは黙りこくって地面に視線を落とす。
瞳にじわりと赤が広がる。
リリーはそれを物悲しそうに見つめつつ、口を開いた。

「……可能性として一番高いのは、デイジーは。ミリシア様は人間族を遥か過去に飛ばしていて、現在まで繁栄を続けた彼らの子孫がたまたまこの国に入れてしまった……もしくは、同じ時間軸の別の場所に飛ばされた人間族の遥か未来の末裔が、何らかの不具合で今の時代のこの場所に飛んできてしまった」

リリーの推論に、ジオは何も言わなかった。
無言で拳に力を込め、立ち尽くしている。
リリーは俯き、ぽつりと呟く。

「ジオはさ、デイジーに怒ってた訳じゃないでしょ。ボクと同じ結論に至って……彼らが、全てを無かったことにして、子供達に何も伝えていない……そのことに気付いちゃったから、やりきれなくなったんだよね」
「…………っ」

ジオの瞳が血のような赤に染まる。
濁った赤い瞳が、リリーに向けられる。

「そうだ……そうだよ。デイジーが記憶喪失なのは分かってる。でも、あれは本当に知らない反応だろ?この国のこと、あの戦争のこと、何も……記憶を失う前から、何も知らされてない……それが、許せない」

周囲の木々がざわめくように葉を揺らす。
彼の怒りに当てられたように、木の隙間からもたげた朝陽が草木を赤く染めた。

「デイジーは、元々向こう側に住んでいた、この国とは関係のない人間という同じ名前の種族……そうだったら、俺のこの感情に意味はなくなる。でも、そうじゃないだろ」

リリーは静かに頷く。

「……コイネーを知ってる。ボクの知識にある人間族のレイシアを使ってる。何より、ステルラを持ってる。この国と無関係な訳がないよね」

ジオの言葉に同意しながらも、しかし新緑の瞳は宥めるようにジオを見つめた。

「ジオの怒りは最もだ。ボクだって正直怒ってる。でも、彼女はちょっとイレギュラーすぎる。ボク達の考えていることは、もしかしたら的外れなのかもしれない。これは、確信じゃなくてただの考察。それだけは忘れないでよ」
「…………ああ、分かってる」

リリーの冷静な声音で落ち着いたのか、ジオは疲れたように息を吐き出して力を抜いた。
黒に戻った瞳から、激情は消えていた。

「悪い……こればかりはどうしても冷静でいられないな、俺は」
「まぁ、いいんじゃない?ボクは逆に安心するよ。ジオ、いつも淡白すぎるんだもん」
「……そうか?」
「そうだね」

いつものおどけた口調のリリーに解され、雰囲気が弛緩する。
その流れで、二人は最後の疑問に触れた。

「んで、ここまでは、デイジー本人の話って訳じゃない。本題は違うでしょ?」
「ああ」

リリーの言葉にジオは頷く。
一拍の間を置いて、二人の声が重なった。


「「どうして、人間族が能力を持っているのか」」


「そう、冷静に考えたらおかしいんだよ」

リリーは眼鏡をカチャリと直しながら呟く。

「人間族はだった筈なんだ。これは、建国神話からずっと変わってない。唯一能力を持たない種族……それが一種の特徴アイデンティティだった」
「例外も無いよな。️だから、あのステルラだけがデイジーの存在と矛盾してることになる」

ジオも腕を組む。
リリーは唸りながら天を仰ぐ。

「そうなんだよねぇ……それ以外の要素から見たら、デイジーが人間族なのは間違いないんだけど……」
「人間族は、血が弱い。他種族とのハーフも存在しない筈だ」
「他種族の血が混ざると、血統が乗っ取られちゃうんだよね……だから、人間族に分類される人の中で、能力を持つことのできる者はいない、はず……ん~~~っ、ほんとに分かんなぁ~い!!」
「うるさい、落ち着け」
「うぅ~……」

頭を抱えてうずくまるリリーを見て、ジオは呆れ半分の忠告をぶつける。
しかし、リリーの様子に少し安堵を覚えているようにも見えた。

「少なくとも、ミリシアがデイジーを『神域』に招いた理由はあるだろう。それが、能力の謎に繋がっているかもしれない。記憶喪失の理由にもな」
「……そうだね。いずれにせよ、裏で調査はしておくべきだ。ボクも協力するよ」

真面目にそんなことを言うと、すぐにリリーは立ち上がって伸びをする。
話は終わりと言いたげにジオへ視線が向いている。
ジオが頷くと、リリーはにかっと笑っていつもの口調に戻った。

「今頃仲良くお喋りしてるんだろうなぁ~、デイジーと三人。あの三人は気付くのかなぁ」
「どうだろうな。正直、全員それどころじゃないと思う。デイジーと素直に接する選択をしてくれただけで十分だよ」
「そうだねぇ~。ジオは出来なかったもんねぇ」
「……」

にやにやと傷口を抉ってくる悪魔リリーに鋭い一睨みを向け、ジオはすたすたと事務所に向かって歩き出す。

「あ、ちょ、ちょっと、冗談だってば~!!」

その後をばたばたとリリーが続き、小さな広場には沈黙が訪れた。



︎✿



…一陣の風が吹く。

昇り始めた陽が、広場にひとつの人影を伸ばす。
怜悧な、そして深く鮮やかな空色の瞳が、二人の背中を無言で見つめていた。
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