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森火戦争編
雷花の巫女(1)
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︎朝。
薄いカーテンの向こうから、眩い光が射し込んでくる。
「……ん、ぅ……」
少女は小さく呻き、ぱちりと目を開けた。
そこは、暖かな色合いで統一された木製の小さな部屋だった。
必要最低限の家具のみが置かれた殺風景な空間だが、きっと徐々に物が増えていくことだろう。
ここは、少女─デイジーの部屋。
異世界に用意された自分の居場所だ。
「……夢じゃ、なかった」
未だに頭がふわふわしている。
記憶喪失のせいもあるが、何より昨日の大騒動の余韻が後を引いていた。
目が覚めると、そこは知らない場所で。
自分を見守っていた見知らぬ少年少女たちは、悪魔の翼を持つ異種族。
外に出てみれば、そこは目を見張るほどに巨大な一本の樹─聖樹に見守られた、美しい自然と活気ある街並みが広がる異世界で…
おとぎ話のように現実感のない話だが、今デイジーの目の前に広がる景色は間違いなく本物なのだ。
彼らに恩を返すためにも、自分の記憶を見つけるまでは、デイジーはこの世界で生きていくことになるだろう。
少し怖くて、不安で、けれど胸の内から湧き上がる高揚感は抑えられない。
もっとこの世界のことを知りたい。
そして、何でも屋のみんなのことを─ジオのことを、ちゃんと理解したい。
仲間として、心から認めてもらいたい。
その思いが、今のデイジーの原動力だった。
「……んっ!」
ぱちんと両頬を叩き、思考の靄を晴らす。
眠気も覚め、デイジーはいそいそと身支度を整えるのだった。
︎✿
「あ……おはよう、デイジー」
部屋から出たところで、背後から声がかかる。
振り返ると、金髪赤眼の少女がはにかみ気味にこちらを見つめていた。
「レア……おはよう」
「もう少し寝ていても良かったのに。まだ朝食も出来てないわよ」
トレードマークの赤いリボンを揺らす彼女─レアは、とことこと駆け寄ってきてデイジーの隣に並ぶ。
ここでは、朝と夜の二回全員で食事を取るのが決まりらしい。
食事係はアイリスとレアで、二人の起床は他のメンバーよりも早いのだとか。
ロータスが少し申し訳なさそうに話していた内容を思い出して、デイジーは瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「……私も、手伝っていい?」
「えっ?」
想定外の発言だったのか、レアはきょとんとこちらを見てくる。
デイジーも彼女を見つめ返し、もう一度口を開く。
「ご飯、作るの。手伝いたい……何か、できること、あるかもしれない」
「……!」
最後の一言に、レアがはっと目を見開く。
色々なことを試してみるべきだ。
何かが琴線に触れて、記憶が戻るかもしれないから。
昨日リリーに言われたことだ。
…本音を言えば、ただ単に彼女らの役に立つことがしたいだけなのだけれど。
それでも、少しずつ出来ることを探したいという気持ちは同じだ。
レアにも、恐らく伝わっただろう。
彼女は微笑み、こくりと頷いた。
「分かった。デイジーはお客様じゃないしね。家事も手伝ってくれたら助かるわ」
「……うん」
レアの優しい声が嬉しかった。
金と銀の少女は、取り留めのない会話をしながらリビングへと向かった。
︎✿
数十分後。
「じゃあ、これ、かき混ぜて?」
「……ん」
既にキッチンで作業をしていたアイリスと共に、朝食作りは進んでいた。
アイリスに手渡されたお玉で鍋の中の具材を掻き混ぜる。
アイリスより小柄な体躯でむんと力をこめるデイジーを、アイリスは微笑ましそうに眺めている。
身長差があるせいか、どうも彼女はデイジーを妹のように思っているらしい。
彼女よりは歳上だと思うのだが、断言は出来ないし悪い気はしないので甘んじているデイジーであった。
手際良く野菜を炒め、頃合いになったら水を注いで蓋をし、煮込む。
その手つきを見て、パンを焼いていたレアが感心した声で言う。
「デイジー、慣れてるわね。料理は経験あるんじゃない?」
「……そう、かも。そんなに、困る感じしない」
「そっかぁ……よかったら、これからも手伝ってくれたら、助かるかも……」
「もちろん、手伝う」
「ほ、本当?!」
アイリスが嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
手伝ってくれることより、一緒にいてくれることが嬉しいのだろう。
昨日はまだ若干人見知り気味だったが、気を許してくれたようで良かった。
和やかに笑い合いつつ、調理を進めていると。
「おはよー……あれ、デイジーもういるの?!」
リビングの扉が開き、ロータスが姿を見せた。
相変わらず左目を長い前髪で隠し、後ろ髪は一つに括る変わった髪型をしている。
彼はリビング併設のキッチンに近付き、邪魔にならない距離で覗き込んできた。
「早いなぁ。俺、なんか気疲れでいつもより寝ちゃったよ」
「ロータスは能力の関係上疲れやすいし、仕方ないでしょ」
「はは、ありがとレア。今日は何?」
「昨日貰った野菜のスープ。デイジーも手伝ってくれたの」
「デイジーねっ、すごい慣れてるの!多分、ずっと料理してたんだと思う……」
「早起きした上に手伝いまでしてたのか!慣れてるってなると……俺たちみたいに、普通に暮らしてたってことなのか?」
「王族とか巫女とか、特別な身分って訳ではなさそうよね」
「で、でも、デイジーって、すごい……不思議な感じする、よね?」
「言いたいことは分かる。何か、普通じゃない感じ!」
「普通なのか普通じゃないのかどっちなのよ」
騒がしく会話をしつつ、二人は手際を緩めない。
これが早朝の日常なのだろう。
自分のことにもかかわらず会話に乗り遅れたデイジーは、ぐるぐるとスープを掻き混ぜつつ三人をぼーっと見つめていた。
するとそこに、もう一人メンバーが増える。
「おっはよ~!!今日はいつもより早く……ってもう皆いる?!嘘でしょ?!!」
「朝から騒がしいな……」
元気に明るい髪を揺らすリリーである。
ロータスはやれやれと言いたげにぼやく。
アイリスは苦笑い、レアに至っては無表情でスルーしている。
毅然とした姿を目にしている分、平常運転の残念さがよく際立つ。
デイジーもしらっとした目でリリーに視線を送り、ぺこりと小さく頭を下げた。
「……おはようございます」
「あ、デイジーおはよ~……ねえ、なんか距離感じるんだけど?寂しいよボク」
返されるのは不満げに頬を膨らませた子供じみた表情だ。
堅い挨拶にした意図はすぐ見抜かれる。
道化であっても愚者ではない。
読めない人だなと、昨日から思っていたことを改めて思う。
とはいえ、リリーの人の良さもデイジーはきちんと理解している。
ぱちぱちと瞬きして、同じトーンで返した。
「……冗談。おはよう、リリー」
リリーは一瞬きょとんとして、そして楽しそうに笑った。
「あははっ、デイジーも冗談なんか言うんだ~?」
「リリーだからでしょ」
「えっ、レア、褒めた?今ボクのこと褒めた?!」
「貶してるけど」
「なぁんでだ!!!!」
「あーもう、うるさいわね……」
レアは苦々しい顔で対応しているが、本気で嫌がっている態度ではない。
何だかんだで彼女もリリーが好きなのだろう。
アイリスとロータスも言わずもがなだ。
「あ、リリー、そろそろ紅茶切れそうだから、次の買い出しで買ってくるね」
「お、ありがとアイリス!オレガノさんによろしく言っといて~」
「うんっ」
「お前、アイリスに使い走りさせてんのか……?」
「いや違うって!アイリスが、自分でいい茶葉見分けられるようになりたいって言うから任せてるの!」
「アイリス、ただでさえ色々やってくれてるんだから、買い出しくらいリリーに行かせていいんだぞ?」
「う、うーん……でも、リリーも仕事色々してるし……」
「こいつ半分はサボってるぞ。てか昨日だってさ、急に勝負しようとか言ってきて、俺が負けたら体良く報告書押し付けてきてさぁ」
「ちょ、それは違うじゃん!!終わった話じゃん!!」
「終わってねえよ!!昨日結局俺がやったんだからな!!」
「わぁありがとう!!」
「よし殴る」
…そしてロータスの逆襲が始まった。
ぎゃー、というリリーの悲鳴が響き、アイリスとレアは堪えきれずにくすくすと笑う。
騒がしいけれど、とても平和な光景。
デイジーも釣られて思わず唇にほのかな笑みを零す。
皆の顔に笑顔が戻って、本当に良かった。
そしてその輪の中に自分がいることが、何よりも嬉しくて。
結局、騒がしい日常の一コマは、生暖かい目をしたジオが帰ってくるまで続いたのだった。
︎✿
「全く……外まで聞こえてたぞ。仲が良いのは分かるが、ほどほどにしろよ」
「いつもボクのこと殴ってくる人がなんか言ってる……」
「え?」
「暴力と威圧で言論統制するの良くないと思いま~す……」
あれからしばらくの後。
何だかんだ朝食は作り終わり、何でも屋のメンバー六人は食卓を囲んでいた。
この国ではパンが主食として一般的なようで、朝食のメニューはパンと色とりどりのフルーツ、そしてデイジーが作るのを手伝った野菜のスープだ。
シンプルだが素材は良いため、素朴で落ち着く優しい味だった。
そして現在は、ジオに窘められたリリーが反論を試みて封じ込められているところだ。
笑顔で拳を向けられ、縮こまりながらパンをもそもそと詰め込むリリーを呆れ顔で見つめていたレアは、コーヒーカップに手を伸ばすジオの方へ視線を動かした。
「それで、今日はどうするの?鍛錬に行ってたってことは、昼まで仕事はないんでしょ」
「……鍛錬?」
物騒な単語に思わず聞き返したデイジーに、ジオは苦笑いと共に説明してくれる。
「あぁ、別に大したものじゃない。たまに朝方から刀の素振りをしてるだけだ。仕事の日にやってると、ロータス辺りが見たがって熱が入るから、仕事にならなくて……」
「だ、だって、かっこいいんだよ!見えない敵と戦ってるみたいでさぁ」
言及されたロータスが頬を赤らめて言い訳じみた言葉を連ねる。
他人のフォローに回る大人びた少年だと思っていたが、根っこはやはり男の子らしい。
女性比率の高めなこのメンバーの中で唯一の同性同士ということもあり、二人の相性は良いようだ。
与太話で逸れかけた話を戻したのは、幸せそうにホットミルクを飲んでいたアイリスだ。
「仕事じゃない、ってことは……デイジーの、買い物?」
「ああ」
ジオは薄く微笑んで頷く。
「まだ何もないからな。いつまでも有り合わせの服を着せる訳にもいかないし、家具もほとんどないだろ」
「服……デイジーは、着せ甲斐があるね……!」
「あぁ、うん、服に関してはアイリスに一任する。それが確実だろ」
突然目を輝かせたアイリスに、ジオは苦笑い気味にそんなことを言う。
そういえば、最初に服を持ってきてくれたのもアイリスだった。
隣でオレンジを食べているレアがこっそり耳打ちしてくる。
「アイリスの実家は服屋なの。私達の服もアイリスが用意してくれたものだし。ただ……気に入られると、延々と服を着せられるから、覚悟しておいた方がいいわよ」
レアの目が遠い。
彼女も被害者らしい。
おどおどしている印象の強いアイリスだが、強気になれる場所もあるようだ。
若干の畏怖の念を込めてアイリスを見つめていると、今度はロータスが手を挙げた。
「じゃあ、俺は道具系だな!昨日行けなかったし、今回はデイジーの役に立てるといいな」
そんな殊勝なことを言って朗らかに笑うロータス。
そういえば、彼は物作りが得意なのだったか。
市販品の目利きも向いているのだろう。
ジオも肯定するように軽く目配せしてくる。
「そうだな。そこはロータスに任せよう」
そして、レアにも視線を送る。
「レアには日用品を頼む。ついでにここら周辺のことを色々教えてやれ」
「分かった」
レアは冷静にこくりと頷く。
一見表情も変わっていないように思えるが、デイジーの瞳には彼女がぶわっと喜びの感情を広げたのが見えてしまった。
よく見るとさっきまで落ち着いていた両足が楽しげにぷらぷら揺れている。
思わずデイジーも頬を緩めてしまった─傍から見たら無表情にしか見えないが─。
そして、待ってましたとばかりにリリーが手を挙げる。
「はいはーいっ、じゃあボクは本見繕うよ!コイネーもちゃんと勉強した方がいいだろうし、いい教材探すね!」
目が子供のようにきらきらしている。
リリーが一緒に来てくれるならコミュニケーションに困ることはないだろう。
こくりと頷こうとしたデイジーだが、しかしそこでジオが鋭い一瞥をリリーに投げた。
「いや。お前は留守番だ。ここを空にするわけにはいかないだろ」
「………………何でぇっ?!」
本当に想定外だったのか、数秒の間を置いてリリーは叫び散らした。
「え、ジオじゃないの留守番?!いつも買い出し着いてこないじゃん!!」
「それはお前もだろ……」
呆れ気味な声でそう呟いてから、ジオは冷静なトーンのまま淡々と告げる。
「俺は護衛として行くから無理だ。デイジーはまだこの街に慣れていないし、何があるか分からんからな」
「そ、それはそうだけど……でも、せっかく仲間増えたんだし、みんなで出掛けたっていいじゃん!!」
居残りが相当不満らしく、ジオ相手にごねまくるリリー。
しかし、その我儘を通すほど彼は甘くない。
「報告書」
「うっ」
その一言でリリーは声を詰まらせる。
「ジオもそれぇ?!引き摺りすぎじゃない?!!」
「うるさい黙れ」
「うぐっ……」
若干怒っているのか、ジオの瞳がちらりと赤く瞬いた気がした。
「他人のことに目を向けるのは、自分のやるべきことをやってからだ。違うか?」
「……うぅぅぅ~~~…………」
正論も正論だった。
リリーは唸りに唸り、悔しそうに髪を掻き毟った。
「あぁ~~~もうっ、分かったよ!!サボったボクが悪うございました!!」
「あ、そうだ。ついでに管理局からいくつか書類来てるから内容確認して纏めとけ」
「なんか仕事増やされてない?!」
「レイシアだからお前にって先生から直接来た依頼だ。喜べ」
「嬉しくなぁい!!!!」
散々騒いでから、リリーは紅茶を飲み干して席を立つ。
「さっさと仕事終わらせて、ボクも着いてってやるんだからねっ!!」
そして負け惜しみのような台詞を吐き、ドタドタとリビングから出て行ってしまった。
…途端に静かになるリビング。
「……面白い人、だね?」
「デイジー、無理にフォローしなくていいのよ……」
大変頭が痛そうな顔をするレアであった。
そんなこんなで、買い出しはリリーを除いた五人で向かうことが決まる。
さっきはあんなにリリーに怒鳴り散らしていたロータスは、何だか気まずそうに視線を揺らしていたが。
「ジ、ジオ、ああは言ったけど、俺そこまで気にしてるわけじゃ……」
仲間外れにしてしまったことに罪悪感を抱いているらしかった。
ジオは苦笑いし、ロータスの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「それこそ気にしなくていい。人に仕事を押し付けようとするのはリリーの悪い癖だからな。あいつは、厳しく当たるくらいでちょうどいいんだよ。…甘やかすのと優しくするのは違うからな」
「う、うーん……?」
ジオに撫で回されてどこか嬉しそうにしつつも、ジオの言葉に首を傾げるロータス。
リリーに語気の強いジオに若干怯え気味だったアイリスも首を傾げている。
「ジオ、優しくなかったよ……?」
「……そうかもな」
薄く微笑んだジオは、コーヒーを一口啜って話を切り替えた。
「今日行く店は聖都中心部に絞りたいんだが、候補はあるか?」
すると、三人は口々に声を上げていく。
「そうね……聖樹広場の方でいいんじゃない?アイリスの実家もそっちでしょ」
「あ、あうぅ……別のお店でいいよぉ……」
「……アイリスのお母さん、いい人だけど、ちょっと癖強いよな……」
「デイジーは派手に絡まれそうね……」
「え、えっと、デイジーの服だからっ!普段着なら、魔族専門のお店とかがいいと思うよ」
「あ、それもそうか。それなら、南の方がいいよな。四番通りなら魔道具系が多くなるけど、一番通りまで出れば服以外にも色々あるんじゃないか?」
「ああ、そうね。よく出向く方だし、色々融通も利きやすいしね」
「…………んん……?」
「大丈夫、後で説明するわよ」
知らない単語が次々出てきて混乱するデイジーをレアが優しく諭してくれる。
相変わらずよく気が利く良い子だ。
食事と共に話し合いも進み、今日訪ねる店の名前がどんどん上がっていく。
また、新しい発見が出来そうだ。
四人の話に耳を傾けながら、内心わくわくするデイジーであった。
とはいえ、流石は何でも屋。
望んでいなくても、トラブルは舞い込んでくるもので…
︎✿
朝食を終え、片付けを済ませ、拗ねながらも必死に机に齧り付くリリーに留守番を任せ。
五人は、晴れ渡った空の下で活気づく街を歩いていた。
先頭にレア、その後ろにアイリス、彼女の隣にロータス。
後ろを歩くデイジーの傍では、番傘を差したジオが無言で目を光らせている。
レアは時々振り返りながら、淀みない声で説明をしてくれる。
「ここは、八番通り。聖樹前の広場に繋がる道で、うちと隣の治癒院にも繋がってる大通りよ。一番よく通ることになると思うわ」
「……真っ直ぐ行くと、アルメリア、いる?」
「ああ、よく覚えてたわね。そう、聖樹管理局への直通ルートでもあるわ。うちは聖樹とも繋がりがあるし、交通の便はいい方よ」
リリーと同じくらい分かりやすく詳しい解説だ。
先輩であるロータスやアイリスも、たまにへぇーと相槌を打っている。
ロータスなんかはレアより歳上だと聞いたのだが、レアの方が街のことには詳しいらしい。
ロータスは毅然と案内を進めるレアに眩しいものを見るような目を向けていた。
「レア、本当しっかりしてるよな。ここら辺のことは俺より詳しいし、頭も回るし。見てると、俺も頑張んなきゃなって思うんだ」
蒼い右眼がきらきらと輝いている。
隣のアイリスも、こくこくと頷いた。
「レアはね、すごいよ!私、いつもびくびくしちゃうから……レアみたいに、なりたいんだ」
憧れと尊敬の眼差しを向けている。
レアは居た堪れなさそうに視線を彷徨わせていたが、みるみる内に頬が赤くなった。
照れてしまったようだ。
「……う、うるさい。私のことなんかいいから、デイジーに色々教えてあげてよ」
一方、ジオは口を出さず微笑ましそうに三人を眺めている。
長兄のような立場にいる彼としては、妹分達のこうした交流は心温まるものに違いない。
ジオの感情は正直かなり分かりづらく、デイジーでも読み取るのに苦労するのだが。
それでも、彼女達に愛情を持っているのはよく伝わってくる。
…本当に、壊さなくて良かった。
そう心から思い、デイジーは顔を上げる。
レアの説明によると、もうすぐ聖樹広場に繋がるらしい。
道も覚えなくてはと、きょろきょろと辺りを見渡し…
バリバリバリッッ!!!!
「「「「「?!」」」」」
…突然聞こえた凄まじい轟音に、四人と共に身体を震わせた。
「え、な、な、なに、今の……っ?!」
臆病なアイリスは目の前のレアにひしとしがみつき、彼女を宥めるレアは少し怯えた表情を浮かべる。
「今の……落雷、よね。でも、今日はずっと晴れの筈だし、次に雷が鳴るのは十二日後……」
『天気予知』のステルラを持つ彼女の言葉は絶対だ。
五人の間に緊張と疑問が走る。
すると、前方が俄にざわめき立った。
「おい、まずいって……早く逃げろ!!」
「何、何なのよもう!!」
「暴走だ!!早く、アルカナを呼べ!!」
そんな怒声がデイジーの耳にも入る。
デイジーを庇うように立つジオは、ぴくりと眉を動かす。
「暴走?」
しかし、彼が動き出すよりも速く。
「……っ!!!」
目の色を変え、音の方向へ走り出した人物がいた。
ロータスだ。
「……え、ちょ、ちょっと、ロータス?!」
突然の行動に呆気に取られたレアの言葉に振り返ることもなく、一切の迷いのない走りでぐんぐんと遠ざかって行く。
デイジーは驚いて三人を見るが、全員彼の行動に心当たりはないという顔をしていた。
「な、何で急に走って行っちゃったの……?」
「さ、さあ……」
「何か、思い当たる節があるのかもしれないな」
ジオは少し難しい顔をし、レアに視線を向けた。
「俺が追いかける。お前は管理局に行け」
「分かったわ。アイリスとデイジーは?」
「……」
ジオは一瞬考え込んでから、二人を真っ直ぐ見つめる。
「何かあれば俺が守る。着いて来れるか?」
「「……!」」
アイリスと思わず顔を見合わせる。
彼女は青い顔をしていたが、それでもデイジーより先に頷いた。
「うん……っ、行く!」
だとすれば、答えは一つだ。
デイジーも、静かに頷いた。
︎✿
喧騒と動揺に包まれた街を駆け抜ける。
通りがかる人達は皆不安げな顔をしている。
これはどうやら、この世界においてもイレギュラーな出来事らしい。
向かう先からは翼を持つ人達が逃げるように走って来ていて、流れに逆らっているのはジオとアイリス、デイジーのみだった。
向かっている最中にも、ゴロゴロと低い音が唸り空気を揺らしている。
レアが言った『落雷』という言葉は正しいように思える。
しかし、だとすると、どうしてこんな晴れの日に雷が……?
ぐるぐると疑問を頭の中で掻き混ぜながら、必死にジオとアイリスの後を追うデイジー。
徐々に人は減り、空気を震わせる雷鳴は大きくなっていく。
そして。
辿り着いたのは、広大で幻想的な石畳の広場。
そこに、先に駆けつけていたロータスと、一人の少女がいた。
「大丈夫……大丈夫だから。ゆっくり息吸って」
ロータスは少女を優しく抱き締め、宥めるように声を掛けている。
それに、少女は泣きながら頷いた。
長い金の髪に、金の瞳。
華奢ですらりと伸びた体躯は、同じく金色の鮮やかな衣装─巫女服に包まれている。
そして、その身体から絶え間なく迸るのは、鋭い金の閃光。
バチバチと弾ける光が少女から漏れ、周囲に広がっていく。
「あれは……」
ぜえはあと肩で息をするアイリスの隣、汗ひとつかかず涼しい顔のジオが目を細めている。
デイジーにも見えた。
雷の発生源は、あの少女らしい。
しかし。
「平気だよ。落ち着いて……深呼吸して」
ロータスの穏やかな声が響く。
その瞳の蒼が輝きを増す。
その度に光は縮小し、音は鳴り止み…
やがて、沈黙が訪れた。
ロータスと少女は崩れ落ちるように広場に座り込む。
そこでようやく、三人はロータスの下へ駆け寄ることができた。
「おい、ロータス、大丈夫か?」
真っ先にジオが声を掛けると、彼は汗まみれで苦しげな表情を浮かべつつも、顔を上げて頷いた。
「うん、大丈夫……ごめん、説明もなしで。猶予、なさそうだったから……」
ロータスの瞳が少女に向けられる。
彼女はロータスに身体を預け、ぐったりと眠っていた。
ジオはその姿を認め、確信を持った声で呟いた。
「その子は……」
「……うん、そうだよ」
ロータスは彼の言葉を引き継ぎ、ぽつりと告げる。
「彼女はサンダーソニア。雷の『神花』だ」
薄いカーテンの向こうから、眩い光が射し込んでくる。
「……ん、ぅ……」
少女は小さく呻き、ぱちりと目を開けた。
そこは、暖かな色合いで統一された木製の小さな部屋だった。
必要最低限の家具のみが置かれた殺風景な空間だが、きっと徐々に物が増えていくことだろう。
ここは、少女─デイジーの部屋。
異世界に用意された自分の居場所だ。
「……夢じゃ、なかった」
未だに頭がふわふわしている。
記憶喪失のせいもあるが、何より昨日の大騒動の余韻が後を引いていた。
目が覚めると、そこは知らない場所で。
自分を見守っていた見知らぬ少年少女たちは、悪魔の翼を持つ異種族。
外に出てみれば、そこは目を見張るほどに巨大な一本の樹─聖樹に見守られた、美しい自然と活気ある街並みが広がる異世界で…
おとぎ話のように現実感のない話だが、今デイジーの目の前に広がる景色は間違いなく本物なのだ。
彼らに恩を返すためにも、自分の記憶を見つけるまでは、デイジーはこの世界で生きていくことになるだろう。
少し怖くて、不安で、けれど胸の内から湧き上がる高揚感は抑えられない。
もっとこの世界のことを知りたい。
そして、何でも屋のみんなのことを─ジオのことを、ちゃんと理解したい。
仲間として、心から認めてもらいたい。
その思いが、今のデイジーの原動力だった。
「……んっ!」
ぱちんと両頬を叩き、思考の靄を晴らす。
眠気も覚め、デイジーはいそいそと身支度を整えるのだった。
︎✿
「あ……おはよう、デイジー」
部屋から出たところで、背後から声がかかる。
振り返ると、金髪赤眼の少女がはにかみ気味にこちらを見つめていた。
「レア……おはよう」
「もう少し寝ていても良かったのに。まだ朝食も出来てないわよ」
トレードマークの赤いリボンを揺らす彼女─レアは、とことこと駆け寄ってきてデイジーの隣に並ぶ。
ここでは、朝と夜の二回全員で食事を取るのが決まりらしい。
食事係はアイリスとレアで、二人の起床は他のメンバーよりも早いのだとか。
ロータスが少し申し訳なさそうに話していた内容を思い出して、デイジーは瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「……私も、手伝っていい?」
「えっ?」
想定外の発言だったのか、レアはきょとんとこちらを見てくる。
デイジーも彼女を見つめ返し、もう一度口を開く。
「ご飯、作るの。手伝いたい……何か、できること、あるかもしれない」
「……!」
最後の一言に、レアがはっと目を見開く。
色々なことを試してみるべきだ。
何かが琴線に触れて、記憶が戻るかもしれないから。
昨日リリーに言われたことだ。
…本音を言えば、ただ単に彼女らの役に立つことがしたいだけなのだけれど。
それでも、少しずつ出来ることを探したいという気持ちは同じだ。
レアにも、恐らく伝わっただろう。
彼女は微笑み、こくりと頷いた。
「分かった。デイジーはお客様じゃないしね。家事も手伝ってくれたら助かるわ」
「……うん」
レアの優しい声が嬉しかった。
金と銀の少女は、取り留めのない会話をしながらリビングへと向かった。
︎✿
数十分後。
「じゃあ、これ、かき混ぜて?」
「……ん」
既にキッチンで作業をしていたアイリスと共に、朝食作りは進んでいた。
アイリスに手渡されたお玉で鍋の中の具材を掻き混ぜる。
アイリスより小柄な体躯でむんと力をこめるデイジーを、アイリスは微笑ましそうに眺めている。
身長差があるせいか、どうも彼女はデイジーを妹のように思っているらしい。
彼女よりは歳上だと思うのだが、断言は出来ないし悪い気はしないので甘んじているデイジーであった。
手際良く野菜を炒め、頃合いになったら水を注いで蓋をし、煮込む。
その手つきを見て、パンを焼いていたレアが感心した声で言う。
「デイジー、慣れてるわね。料理は経験あるんじゃない?」
「……そう、かも。そんなに、困る感じしない」
「そっかぁ……よかったら、これからも手伝ってくれたら、助かるかも……」
「もちろん、手伝う」
「ほ、本当?!」
アイリスが嬉しそうにぱっと顔を輝かせた。
手伝ってくれることより、一緒にいてくれることが嬉しいのだろう。
昨日はまだ若干人見知り気味だったが、気を許してくれたようで良かった。
和やかに笑い合いつつ、調理を進めていると。
「おはよー……あれ、デイジーもういるの?!」
リビングの扉が開き、ロータスが姿を見せた。
相変わらず左目を長い前髪で隠し、後ろ髪は一つに括る変わった髪型をしている。
彼はリビング併設のキッチンに近付き、邪魔にならない距離で覗き込んできた。
「早いなぁ。俺、なんか気疲れでいつもより寝ちゃったよ」
「ロータスは能力の関係上疲れやすいし、仕方ないでしょ」
「はは、ありがとレア。今日は何?」
「昨日貰った野菜のスープ。デイジーも手伝ってくれたの」
「デイジーねっ、すごい慣れてるの!多分、ずっと料理してたんだと思う……」
「早起きした上に手伝いまでしてたのか!慣れてるってなると……俺たちみたいに、普通に暮らしてたってことなのか?」
「王族とか巫女とか、特別な身分って訳ではなさそうよね」
「で、でも、デイジーって、すごい……不思議な感じする、よね?」
「言いたいことは分かる。何か、普通じゃない感じ!」
「普通なのか普通じゃないのかどっちなのよ」
騒がしく会話をしつつ、二人は手際を緩めない。
これが早朝の日常なのだろう。
自分のことにもかかわらず会話に乗り遅れたデイジーは、ぐるぐるとスープを掻き混ぜつつ三人をぼーっと見つめていた。
するとそこに、もう一人メンバーが増える。
「おっはよ~!!今日はいつもより早く……ってもう皆いる?!嘘でしょ?!!」
「朝から騒がしいな……」
元気に明るい髪を揺らすリリーである。
ロータスはやれやれと言いたげにぼやく。
アイリスは苦笑い、レアに至っては無表情でスルーしている。
毅然とした姿を目にしている分、平常運転の残念さがよく際立つ。
デイジーもしらっとした目でリリーに視線を送り、ぺこりと小さく頭を下げた。
「……おはようございます」
「あ、デイジーおはよ~……ねえ、なんか距離感じるんだけど?寂しいよボク」
返されるのは不満げに頬を膨らませた子供じみた表情だ。
堅い挨拶にした意図はすぐ見抜かれる。
道化であっても愚者ではない。
読めない人だなと、昨日から思っていたことを改めて思う。
とはいえ、リリーの人の良さもデイジーはきちんと理解している。
ぱちぱちと瞬きして、同じトーンで返した。
「……冗談。おはよう、リリー」
リリーは一瞬きょとんとして、そして楽しそうに笑った。
「あははっ、デイジーも冗談なんか言うんだ~?」
「リリーだからでしょ」
「えっ、レア、褒めた?今ボクのこと褒めた?!」
「貶してるけど」
「なぁんでだ!!!!」
「あーもう、うるさいわね……」
レアは苦々しい顔で対応しているが、本気で嫌がっている態度ではない。
何だかんだで彼女もリリーが好きなのだろう。
アイリスとロータスも言わずもがなだ。
「あ、リリー、そろそろ紅茶切れそうだから、次の買い出しで買ってくるね」
「お、ありがとアイリス!オレガノさんによろしく言っといて~」
「うんっ」
「お前、アイリスに使い走りさせてんのか……?」
「いや違うって!アイリスが、自分でいい茶葉見分けられるようになりたいって言うから任せてるの!」
「アイリス、ただでさえ色々やってくれてるんだから、買い出しくらいリリーに行かせていいんだぞ?」
「う、うーん……でも、リリーも仕事色々してるし……」
「こいつ半分はサボってるぞ。てか昨日だってさ、急に勝負しようとか言ってきて、俺が負けたら体良く報告書押し付けてきてさぁ」
「ちょ、それは違うじゃん!!終わった話じゃん!!」
「終わってねえよ!!昨日結局俺がやったんだからな!!」
「わぁありがとう!!」
「よし殴る」
…そしてロータスの逆襲が始まった。
ぎゃー、というリリーの悲鳴が響き、アイリスとレアは堪えきれずにくすくすと笑う。
騒がしいけれど、とても平和な光景。
デイジーも釣られて思わず唇にほのかな笑みを零す。
皆の顔に笑顔が戻って、本当に良かった。
そしてその輪の中に自分がいることが、何よりも嬉しくて。
結局、騒がしい日常の一コマは、生暖かい目をしたジオが帰ってくるまで続いたのだった。
︎✿
「全く……外まで聞こえてたぞ。仲が良いのは分かるが、ほどほどにしろよ」
「いつもボクのこと殴ってくる人がなんか言ってる……」
「え?」
「暴力と威圧で言論統制するの良くないと思いま~す……」
あれからしばらくの後。
何だかんだ朝食は作り終わり、何でも屋のメンバー六人は食卓を囲んでいた。
この国ではパンが主食として一般的なようで、朝食のメニューはパンと色とりどりのフルーツ、そしてデイジーが作るのを手伝った野菜のスープだ。
シンプルだが素材は良いため、素朴で落ち着く優しい味だった。
そして現在は、ジオに窘められたリリーが反論を試みて封じ込められているところだ。
笑顔で拳を向けられ、縮こまりながらパンをもそもそと詰め込むリリーを呆れ顔で見つめていたレアは、コーヒーカップに手を伸ばすジオの方へ視線を動かした。
「それで、今日はどうするの?鍛錬に行ってたってことは、昼まで仕事はないんでしょ」
「……鍛錬?」
物騒な単語に思わず聞き返したデイジーに、ジオは苦笑いと共に説明してくれる。
「あぁ、別に大したものじゃない。たまに朝方から刀の素振りをしてるだけだ。仕事の日にやってると、ロータス辺りが見たがって熱が入るから、仕事にならなくて……」
「だ、だって、かっこいいんだよ!見えない敵と戦ってるみたいでさぁ」
言及されたロータスが頬を赤らめて言い訳じみた言葉を連ねる。
他人のフォローに回る大人びた少年だと思っていたが、根っこはやはり男の子らしい。
女性比率の高めなこのメンバーの中で唯一の同性同士ということもあり、二人の相性は良いようだ。
与太話で逸れかけた話を戻したのは、幸せそうにホットミルクを飲んでいたアイリスだ。
「仕事じゃない、ってことは……デイジーの、買い物?」
「ああ」
ジオは薄く微笑んで頷く。
「まだ何もないからな。いつまでも有り合わせの服を着せる訳にもいかないし、家具もほとんどないだろ」
「服……デイジーは、着せ甲斐があるね……!」
「あぁ、うん、服に関してはアイリスに一任する。それが確実だろ」
突然目を輝かせたアイリスに、ジオは苦笑い気味にそんなことを言う。
そういえば、最初に服を持ってきてくれたのもアイリスだった。
隣でオレンジを食べているレアがこっそり耳打ちしてくる。
「アイリスの実家は服屋なの。私達の服もアイリスが用意してくれたものだし。ただ……気に入られると、延々と服を着せられるから、覚悟しておいた方がいいわよ」
レアの目が遠い。
彼女も被害者らしい。
おどおどしている印象の強いアイリスだが、強気になれる場所もあるようだ。
若干の畏怖の念を込めてアイリスを見つめていると、今度はロータスが手を挙げた。
「じゃあ、俺は道具系だな!昨日行けなかったし、今回はデイジーの役に立てるといいな」
そんな殊勝なことを言って朗らかに笑うロータス。
そういえば、彼は物作りが得意なのだったか。
市販品の目利きも向いているのだろう。
ジオも肯定するように軽く目配せしてくる。
「そうだな。そこはロータスに任せよう」
そして、レアにも視線を送る。
「レアには日用品を頼む。ついでにここら周辺のことを色々教えてやれ」
「分かった」
レアは冷静にこくりと頷く。
一見表情も変わっていないように思えるが、デイジーの瞳には彼女がぶわっと喜びの感情を広げたのが見えてしまった。
よく見るとさっきまで落ち着いていた両足が楽しげにぷらぷら揺れている。
思わずデイジーも頬を緩めてしまった─傍から見たら無表情にしか見えないが─。
そして、待ってましたとばかりにリリーが手を挙げる。
「はいはーいっ、じゃあボクは本見繕うよ!コイネーもちゃんと勉強した方がいいだろうし、いい教材探すね!」
目が子供のようにきらきらしている。
リリーが一緒に来てくれるならコミュニケーションに困ることはないだろう。
こくりと頷こうとしたデイジーだが、しかしそこでジオが鋭い一瞥をリリーに投げた。
「いや。お前は留守番だ。ここを空にするわけにはいかないだろ」
「………………何でぇっ?!」
本当に想定外だったのか、数秒の間を置いてリリーは叫び散らした。
「え、ジオじゃないの留守番?!いつも買い出し着いてこないじゃん!!」
「それはお前もだろ……」
呆れ気味な声でそう呟いてから、ジオは冷静なトーンのまま淡々と告げる。
「俺は護衛として行くから無理だ。デイジーはまだこの街に慣れていないし、何があるか分からんからな」
「そ、それはそうだけど……でも、せっかく仲間増えたんだし、みんなで出掛けたっていいじゃん!!」
居残りが相当不満らしく、ジオ相手にごねまくるリリー。
しかし、その我儘を通すほど彼は甘くない。
「報告書」
「うっ」
その一言でリリーは声を詰まらせる。
「ジオもそれぇ?!引き摺りすぎじゃない?!!」
「うるさい黙れ」
「うぐっ……」
若干怒っているのか、ジオの瞳がちらりと赤く瞬いた気がした。
「他人のことに目を向けるのは、自分のやるべきことをやってからだ。違うか?」
「……うぅぅぅ~~~…………」
正論も正論だった。
リリーは唸りに唸り、悔しそうに髪を掻き毟った。
「あぁ~~~もうっ、分かったよ!!サボったボクが悪うございました!!」
「あ、そうだ。ついでに管理局からいくつか書類来てるから内容確認して纏めとけ」
「なんか仕事増やされてない?!」
「レイシアだからお前にって先生から直接来た依頼だ。喜べ」
「嬉しくなぁい!!!!」
散々騒いでから、リリーは紅茶を飲み干して席を立つ。
「さっさと仕事終わらせて、ボクも着いてってやるんだからねっ!!」
そして負け惜しみのような台詞を吐き、ドタドタとリビングから出て行ってしまった。
…途端に静かになるリビング。
「……面白い人、だね?」
「デイジー、無理にフォローしなくていいのよ……」
大変頭が痛そうな顔をするレアであった。
そんなこんなで、買い出しはリリーを除いた五人で向かうことが決まる。
さっきはあんなにリリーに怒鳴り散らしていたロータスは、何だか気まずそうに視線を揺らしていたが。
「ジ、ジオ、ああは言ったけど、俺そこまで気にしてるわけじゃ……」
仲間外れにしてしまったことに罪悪感を抱いているらしかった。
ジオは苦笑いし、ロータスの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「それこそ気にしなくていい。人に仕事を押し付けようとするのはリリーの悪い癖だからな。あいつは、厳しく当たるくらいでちょうどいいんだよ。…甘やかすのと優しくするのは違うからな」
「う、うーん……?」
ジオに撫で回されてどこか嬉しそうにしつつも、ジオの言葉に首を傾げるロータス。
リリーに語気の強いジオに若干怯え気味だったアイリスも首を傾げている。
「ジオ、優しくなかったよ……?」
「……そうかもな」
薄く微笑んだジオは、コーヒーを一口啜って話を切り替えた。
「今日行く店は聖都中心部に絞りたいんだが、候補はあるか?」
すると、三人は口々に声を上げていく。
「そうね……聖樹広場の方でいいんじゃない?アイリスの実家もそっちでしょ」
「あ、あうぅ……別のお店でいいよぉ……」
「……アイリスのお母さん、いい人だけど、ちょっと癖強いよな……」
「デイジーは派手に絡まれそうね……」
「え、えっと、デイジーの服だからっ!普段着なら、魔族専門のお店とかがいいと思うよ」
「あ、それもそうか。それなら、南の方がいいよな。四番通りなら魔道具系が多くなるけど、一番通りまで出れば服以外にも色々あるんじゃないか?」
「ああ、そうね。よく出向く方だし、色々融通も利きやすいしね」
「…………んん……?」
「大丈夫、後で説明するわよ」
知らない単語が次々出てきて混乱するデイジーをレアが優しく諭してくれる。
相変わらずよく気が利く良い子だ。
食事と共に話し合いも進み、今日訪ねる店の名前がどんどん上がっていく。
また、新しい発見が出来そうだ。
四人の話に耳を傾けながら、内心わくわくするデイジーであった。
とはいえ、流石は何でも屋。
望んでいなくても、トラブルは舞い込んでくるもので…
︎✿
朝食を終え、片付けを済ませ、拗ねながらも必死に机に齧り付くリリーに留守番を任せ。
五人は、晴れ渡った空の下で活気づく街を歩いていた。
先頭にレア、その後ろにアイリス、彼女の隣にロータス。
後ろを歩くデイジーの傍では、番傘を差したジオが無言で目を光らせている。
レアは時々振り返りながら、淀みない声で説明をしてくれる。
「ここは、八番通り。聖樹前の広場に繋がる道で、うちと隣の治癒院にも繋がってる大通りよ。一番よく通ることになると思うわ」
「……真っ直ぐ行くと、アルメリア、いる?」
「ああ、よく覚えてたわね。そう、聖樹管理局への直通ルートでもあるわ。うちは聖樹とも繋がりがあるし、交通の便はいい方よ」
リリーと同じくらい分かりやすく詳しい解説だ。
先輩であるロータスやアイリスも、たまにへぇーと相槌を打っている。
ロータスなんかはレアより歳上だと聞いたのだが、レアの方が街のことには詳しいらしい。
ロータスは毅然と案内を進めるレアに眩しいものを見るような目を向けていた。
「レア、本当しっかりしてるよな。ここら辺のことは俺より詳しいし、頭も回るし。見てると、俺も頑張んなきゃなって思うんだ」
蒼い右眼がきらきらと輝いている。
隣のアイリスも、こくこくと頷いた。
「レアはね、すごいよ!私、いつもびくびくしちゃうから……レアみたいに、なりたいんだ」
憧れと尊敬の眼差しを向けている。
レアは居た堪れなさそうに視線を彷徨わせていたが、みるみる内に頬が赤くなった。
照れてしまったようだ。
「……う、うるさい。私のことなんかいいから、デイジーに色々教えてあげてよ」
一方、ジオは口を出さず微笑ましそうに三人を眺めている。
長兄のような立場にいる彼としては、妹分達のこうした交流は心温まるものに違いない。
ジオの感情は正直かなり分かりづらく、デイジーでも読み取るのに苦労するのだが。
それでも、彼女達に愛情を持っているのはよく伝わってくる。
…本当に、壊さなくて良かった。
そう心から思い、デイジーは顔を上げる。
レアの説明によると、もうすぐ聖樹広場に繋がるらしい。
道も覚えなくてはと、きょろきょろと辺りを見渡し…
バリバリバリッッ!!!!
「「「「「?!」」」」」
…突然聞こえた凄まじい轟音に、四人と共に身体を震わせた。
「え、な、な、なに、今の……っ?!」
臆病なアイリスは目の前のレアにひしとしがみつき、彼女を宥めるレアは少し怯えた表情を浮かべる。
「今の……落雷、よね。でも、今日はずっと晴れの筈だし、次に雷が鳴るのは十二日後……」
『天気予知』のステルラを持つ彼女の言葉は絶対だ。
五人の間に緊張と疑問が走る。
すると、前方が俄にざわめき立った。
「おい、まずいって……早く逃げろ!!」
「何、何なのよもう!!」
「暴走だ!!早く、アルカナを呼べ!!」
そんな怒声がデイジーの耳にも入る。
デイジーを庇うように立つジオは、ぴくりと眉を動かす。
「暴走?」
しかし、彼が動き出すよりも速く。
「……っ!!!」
目の色を変え、音の方向へ走り出した人物がいた。
ロータスだ。
「……え、ちょ、ちょっと、ロータス?!」
突然の行動に呆気に取られたレアの言葉に振り返ることもなく、一切の迷いのない走りでぐんぐんと遠ざかって行く。
デイジーは驚いて三人を見るが、全員彼の行動に心当たりはないという顔をしていた。
「な、何で急に走って行っちゃったの……?」
「さ、さあ……」
「何か、思い当たる節があるのかもしれないな」
ジオは少し難しい顔をし、レアに視線を向けた。
「俺が追いかける。お前は管理局に行け」
「分かったわ。アイリスとデイジーは?」
「……」
ジオは一瞬考え込んでから、二人を真っ直ぐ見つめる。
「何かあれば俺が守る。着いて来れるか?」
「「……!」」
アイリスと思わず顔を見合わせる。
彼女は青い顔をしていたが、それでもデイジーより先に頷いた。
「うん……っ、行く!」
だとすれば、答えは一つだ。
デイジーも、静かに頷いた。
︎✿
喧騒と動揺に包まれた街を駆け抜ける。
通りがかる人達は皆不安げな顔をしている。
これはどうやら、この世界においてもイレギュラーな出来事らしい。
向かう先からは翼を持つ人達が逃げるように走って来ていて、流れに逆らっているのはジオとアイリス、デイジーのみだった。
向かっている最中にも、ゴロゴロと低い音が唸り空気を揺らしている。
レアが言った『落雷』という言葉は正しいように思える。
しかし、だとすると、どうしてこんな晴れの日に雷が……?
ぐるぐると疑問を頭の中で掻き混ぜながら、必死にジオとアイリスの後を追うデイジー。
徐々に人は減り、空気を震わせる雷鳴は大きくなっていく。
そして。
辿り着いたのは、広大で幻想的な石畳の広場。
そこに、先に駆けつけていたロータスと、一人の少女がいた。
「大丈夫……大丈夫だから。ゆっくり息吸って」
ロータスは少女を優しく抱き締め、宥めるように声を掛けている。
それに、少女は泣きながら頷いた。
長い金の髪に、金の瞳。
華奢ですらりと伸びた体躯は、同じく金色の鮮やかな衣装─巫女服に包まれている。
そして、その身体から絶え間なく迸るのは、鋭い金の閃光。
バチバチと弾ける光が少女から漏れ、周囲に広がっていく。
「あれは……」
ぜえはあと肩で息をするアイリスの隣、汗ひとつかかず涼しい顔のジオが目を細めている。
デイジーにも見えた。
雷の発生源は、あの少女らしい。
しかし。
「平気だよ。落ち着いて……深呼吸して」
ロータスの穏やかな声が響く。
その瞳の蒼が輝きを増す。
その度に光は縮小し、音は鳴り止み…
やがて、沈黙が訪れた。
ロータスと少女は崩れ落ちるように広場に座り込む。
そこでようやく、三人はロータスの下へ駆け寄ることができた。
「おい、ロータス、大丈夫か?」
真っ先にジオが声を掛けると、彼は汗まみれで苦しげな表情を浮かべつつも、顔を上げて頷いた。
「うん、大丈夫……ごめん、説明もなしで。猶予、なさそうだったから……」
ロータスの瞳が少女に向けられる。
彼女はロータスに身体を預け、ぐったりと眠っていた。
ジオはその姿を認め、確信を持った声で呟いた。
「その子は……」
「……うん、そうだよ」
ロータスは彼の言葉を引き継ぎ、ぽつりと告げる。
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